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第五話 王者の品格

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「では、洗礼の儀を執り行います」
 ベルガは祭壇からエドウィンに優しく言った。

 向き合う二人が目を合わせて、挙動を合わせている。その様はおとぎ話から切り取ったように美しい。カドワロンの横でライラは自身の恋心などどこか遠くに置き忘れたかのように見惚れてしまった。二人はベルガの側に控えて儀式を手伝っている。

 昨日の演説がもたらした興奮とは打って変わって、静寂に満たされたドーム。ステンドグラスを通して差し込んでくる朝日は、混沌渦巻くブリタニアの救世主を象徴するように、暗い堂内を照らしている。
 暗い左右の壁際にならんだ国人衆が見守る中でその儀式は行われている。暗いところから明るいところへと視線を送ると、劇場のような視覚効果により、神々しさ、荘厳さが増す。全部カドワロンの指示だ。

 エドウィンがブリタニアの救世主となるなど、ライラには到底思えなかった。

「天にまします我らの父よ、その御名においてエドウィンをお守り下さい」
 エドウィンは跪き、ベルガは水でいっぱいになった杯に手を入れた。
「エドウィンよ、主を愛し、民を愛し、ブリタニアに平和を」
 濡れた手でエドウィンの頭に手を当てた。滴が額を流れる。

「次の者、前に」
 エドウィンが立ち上がり、一礼をすると壁際に歩いて行きそれと入れ代わりに国人の一人がベルガの前に出てきた。

 こうして国人衆は全員エドウィンと同じように洗礼を受けた。洗礼を施した者は施された者にとって烏帽子親も同然。つまり、国人衆は自らの娘ほどに年少の王女ベルガに政治的宗教的に加えて、擬制的親子関係を結んだことになった。




「『カンタベリーの惨劇』の際にはエドウィン団長に僕が精霊の加護を授けましたが、精霊の加護は一時的なものなので・・・」
 先ほどから、カドワロンが国人衆とその側近達を前に講義を開いている。場所は城内の練兵所だ。
「このなんの変哲も無い剣に精霊の力を宿すことで・・・」
 カドワロンはライラに木の人型を持ってこさせた。敵兵に見立てたそれに向かって無造作に剣を振り上げ、降ろす。
「トラダン」

 光と轟音が練兵所を駆け抜けると、人形は黒焦げになって白い煙を出していた。

 どっとカドワロンへ押し寄せる驚きの声。その心地よさに満足気になりながらまた、話を続けはじめた。

 対照的にライラは飽き飽きしながら練兵所の端へ戻った行く。カドワロンの話術の巧みさにいい加減呆れてしまう。なにも知らない国人衆に魔術の知識をひけらかすが、彼らに理解など出来ようはずも無く、退屈がある程度に達したと思えば先ほどのようなパフォーマンスを見せて興味を引かせる。そんなこと何回か繰り返していた。

 カドワロンの目的は魔術を理解させることではない。ただ自身の売り込みだ。聖なる王女ベルガがいて、悲劇の主人公エドウィンがいて、陰で彼女等を支える魔術師カドワロンがいることをアピールしているのだ。まあ、アピールしている時点で陰にはなっていないが、そのような演出をすることに意味がある。

 ライラは自分が単なる従士であることに不満を抱いたことはなかったが、ベルガと自分を取り巻く環境が目まぐるしく変わっていくことに眩暈を覚える。ベルガも同じ気持ちなのだろうかと思うが、以前と同じように気軽にしゃべることは既に叶わなくなっていた。

 自分がベルガのためになにができるのか、戦の指揮も魔術もできはしない。

 森を、野を自由に闊歩していた、おてんばなベルガ姫はもういなくなってしまった。今は城の奥深くで政務に明け暮れている。これでは自分が身辺警護をする必要などありはしない。

「ライラ様、陛下がお呼びです」
 と、自らの無力さに打ちひしがれているとベルガについている侍女がやってきた。促されるままに練兵所から出て中庭に行くと、そこにはベルガが待っていた。

「陛下っ」
 ベルガは執務室で待っているだろうと思っていたライラは驚いた。そして慌てて側に駆け寄り、跪く。
「申し訳ありませんね、ライラ、忙しいところを呼び出してしまって」
「いえ、御政務を執っていらっしゃる陛下に比べれば、遊んでいるようなものでございます」
「ライラ・・・」
「はい・・・」
「わたくしは王女となりこれから多くのことを成し遂げねばなりません。そしてそのためにはより多くのことを学ばなければならないのです」
「・・・はい」
 迂回するようなベルガの言葉にライラは頷きつつ、その真意へ心を向けた。何か言いにくいことだろうかと。

「今までのように思うが侭に生きることはもうできません、しかし・・・」

 ベルガも方膝をついてライラの頭の高さに合わせた。
「民の欲望も羨望も期待も失望も全てを受け入れて、王女として振舞うことになるでしょうが、それでも・・・」

 顔を合わせて驚くライラの両肩を、ベルガは力強く掴んだ。目には涙が滲んでいる。

「ライラ、あなただけはいつまでも昔のままで・・・」
「・・・」
「以前と変わらずに接して欲しい・・・」

 唐突に父母を見るも無惨な最期で亡くし、王女として国の命運を握った少女。平気でいられるわけがなかった。ライラは自分の愚かしさに胸が痛くなった。「眩暈を覚える」どころの話ではないのだ。
 目の前の少女が背負った業は彼女の心を今にも押し潰してしまうだろう。それを必死にギリギリのところでなんとか自分を保っているのだ。

 少しでも戒めに苦しむその心を安んじることができるならば。

 改めてライラは自身の生に目的を見出した。この身はお嬢様に救われ、生かされてきた。ならばその支えになれれば本望ではないか。

「まったく・・・お嬢はいつまでもおてんばで甘えん坊で・・・誰かが側についていなければ・・・」

「ライラ・・・」

「しかし、もう今までのようにオレが四六時中一緒にいるわけにはいかんでしょう」
「そうですね・・・」

「しかし、わたくしがまた・・・不甲斐無いことを言ったら・・・その時はこうして叱ってください」
 ライラは優しく微笑んだ。

 ベルガは深呼吸を数度してから口を開いた。
「ライラ、あなたに任務を授けます」
「・・・こっちが本題でしょうか」
 ライラにいつもの人を茶化す口調が戻った。
「ええ、先ほどは思わず心が溢れてしまいました」
「なるほど」
 ライラが悪戯っぽく笑う。

「真面目に聞いて下さい、あのカドワロンという者、今はわたくし達を導いてくれていますが本心では何を企んでいるか、分かりません」
「ええ、確かに」
「そこで、あなたはカンタベリー騎士団に同行し、なにか怪しい動きがあれば報告して下さい」
「間者働きですか、これは骨が折れる」
「あなたにしか頼めないことです」

「イエス、ユアマジェスティ」
 ライラは返事をすると、早速旅の準備にとりかかった。




 出された料理に手をつけることにすら気が重くなる。レドワルドの所作は完璧だが、緊張した目玉が鉛のように濁り、暗く鬱々とした気分を周囲に撒き散らしているのが酷いマナー違反だ。
「お口に合いませんか、レドワルド公」
 全てを見透かしたようなアクハの声がレドワルドの胸を抉る。口元だけをだして、鼻から上が見えないいでたちがレドワルドを威圧する。斜め前でオットーと対面するアクハからは得体のしれない不気味さしか感じない。
「いえ、あまりにも見事な料理を前に、私の拙い作法を大変恥ずかしく思いまして」
「見事な料理ですか・・・、レドワルド公は普段ケントの雅かなものを食されているはずですが、それをこのような田舎の料理を前にして緊張とは」
 レドワルドは唾を飲み込んだ。アクハの向こう側の壁に飾られたタペストリーには、獅子が大きな口を開けて彼を睨んでいる。
「嫌味とも取れかねますね」
「そんな・・・、私は」
 レドワルドの肝が冷える。笑顔であるはずなのにアクハの目は蛙を睨む蛇のように冷たい。
「あまり、我が主君を苛めないで頂きたい、お妃様」
 オットーが意を決して声を上げた。オットーもレドワルドの隣で歓待を受けているが、不思議と彼ほど緊張と恐怖に支配されていはいない。決して、鈍感というわけではないのだ。
 これは普段人質として上位者のご機嫌を伺うことを常とするレドワルドとアングリアで自身の裁量を以って政務を執っているオットーとの違いである。レドワルドとて戦となれば獅子奮迅の兵であるが、エゼルベルトの覇気にどうしても勝てず生まれ持った気性を抑える癖がついてしまった。

「苛めるなどと、私のような力無き女にできましょうか」
「力など関係ありませぬな、お妃様の美しさに我が主君もわたくしめも緊張していますれば」
「まあ、口がお上手ですこと」
 正直、腹の探り合いにレドワルドはうんざりしていた。思いのほか、オットーがこういうことを得意としていることに驚きつつ、何もできない自分の不甲斐無さを呪った。
「ところで陛下はどちらにおいででしょうか」
 オットーの言葉。アクハが初めて歯を見せたのでここぞばかりに、オットーが意を決して踏み込んだ。二人がこのヨークに訪れたのはエドウィンの情報を伝えて、エゼルフリッド王に取り入るため。しかし、門前で挨拶を交わしたきり、肝心の王は奥に引っ込んだままなのだ。レドワルドもオットーも歯がゆい気持ちで歓待に応じていた。
「ああ、お二人とも陛下に申し上げることがあるとのことでしたね」
 アクハが答える。
「しかし、陛下はお忙しい身でありますので、しばしお相手するよう仰せつかったのですが、ご不満のようで」
「いえ、かようなもてなしを大変ありがたく存じておりますが、急ぎ陛下にご報告すべきことがあるのです」
「ほう、それはいったいどのようなことでございますか?」
「それは事が事ですので、我が主レドワルドから陛下に直接ご報告すべきことでございますので」
「わたしのような女には聞かせられぬと?」
 アクハの言葉にオットーは言葉に窮してしまった。どう言い返せばよいか。レドワルドの手前、主の露払いをと意気込んだものの上手く行かない。
「オットー、もうよい」
 レドワルドが言った。先ほどから蚊帳の外になっていたが、これ以上は時間の無駄と判断したのである。
「陛下がお忙しいならばそれも致し方ない。こちらがいきなり押しかけてすぐに謁見を求めるのがそもそも無礼なのだから」
 レドワルドの瞳に力が篭っている。
「お妃様のことはよく存じ上げませぬが、陛下にお伝え頂ければ・・・」
「ほう」
アクハは余裕の笑みをもってレドワルドの言葉を聞いている。
「デイラの王子、エドウィンをケントのカンタベリーで目撃しました。彼は陛下のお命を狙っているなどとほざいていたのです」
 アクハが笑いを堪え始めた。
「私はケントのエゼルフリッド王の命で、そのご意思を伝えに参上仕った次第・・・」
 レドワルドは大きく息を吸った。
「ケントのエゼルベルト王も、そしてアングリアの国衆筆頭である私もエゼルフリッド王に敵対する気はございません、必ずやエドウィンを捕らえてご覧に入れましょう」

「くっふふふふふっふっふふ、ははははははは」
 フードを揺らして、吹き出したアクハ。その笑い声は少女のそれである。二人はアクハが突然笑い始めたことよりも、不気味な威圧感にそぐわない細く軽く瑞々しい声に驚いた。自分達が恐れていた者の正体がベルガとそう変わらないほどの少女であったとは。

「済まないね、せっかく来てくれたというのに、エドウィンのことはとうに知っていたのだよ」
 そして、呆気に囚われた二人の目の前に彼は突然現われた。マントをなびかせ、磨き上げられたブーツが黒々と輝き、目鼻の通った理知的な顔つきは鋭さと穏やかさを兼ね揃えている。
「陛下・・・」
 レドワルドの驚きに満ちた声がみっともなく部屋に流れた。子供のような表情で悪戯をばらすエゼルフリッドが布で仕切られた空間から出てきたのである。レドワルドもオットーも驚きのあまり、ゆっくりと立ち上がった。

 アクハの席の後ろ、獅子の分厚い大きなタペストリーが勢いよく捲れて、軽い調子でエゼルフリッドが出てきたのである。壁だと思われていたものは隠し部屋であった。

「悪気はないのだレドワルド君、ただ君がどんな男か知りたくてね」
「私が・・・どんな男か・・・」
「ああ、戦においては味方すらも恐れる君の武名は誰もが知るところだが、一人の人間として、男としての君を知りたくてね」
「男としての私ですか?」
「ああ、君ほどの武人が妻のアクハを恐れているように見えたが」
「陛下に武人と認めて頂けることは身に余る光栄にございますが、私はそのように褒められる男ではありません」
「ケントでの人質生活は獅子を狐に変えたのかね」
 エゼルフリッドの言葉には流石に黙っていたオットーも腹が立った。
「私はっ・・・」
 それに気付いたレドワルドが彼を声で抑えた。しかし、言葉が出てこない。

 全てを見透かしたように微笑するアクハ。
『なんだ?私はなぜこんなにもこの女を、いや少女を恐れるのだ』、とレドワルドが心のうちで自問自答する。オットーにこれ以上無様な様を見せるわけには行かない。

「カンタベリーの聖堂の敷地内のことでございます」
「ん?」
 一体、何の話を始めたのか。エゼルフリッドは眉をひそめた。

「エドウィンを発見したのは敷地内の一室。衰弱した彼は陛下のお命を狙うなどとほざくので、私は戦の火種を絶とうと剣を抜きました。そしてその命を刈り取ろうしたまさにその時」

「流浪のドルイドに阻まれたのでございます」
「ドルイド?」
 アクハが呟いた。
「はい、その者は不可思議な術を用いて私の腕を痺れさせ、さらにはエドウィンを連れ去ったのです」
 エドウィンはブレトワルダの器である、などというカドワロンの言葉はわざと伏せた。
「そのドルイド、名を確か・・・カドワロンというのですが、お妃様を見ているとそのドルイドをなぜか思い出すのです」

「なるほどな、魔術の類を使うドルイドとアクハが似ているか」
 エゼルフリッドはアクハを一瞥するとレドワルドに向き直った。
「君はやはり只者ではないな」
「ええ、そのようで」
 意味が分からずレドワルドは黙っているので、アクハが言葉をつないだ。

「君をケントに帰したくないな」
「?」
「いや、済まない、君の状況も省みず急いてしまったな、とりあえず、せっかく来たのだからゆっくりしていってくれ」

「はっ」
 レドワルドとオットーは揃って返事をした。

「アクハ、私は政務に戻るよ、彼らのことはまだ君に任せる、楽しませてやってくれよ」
 アクハは黙ったまま会釈をし、それを見たエゼルフリッドはニコッと笑いながら部屋を出て行った。

「どういうことなのですか、お妃様」
「ふふっ、我が軍の間者は優秀だということですよ、エドウィンのことなど」 
 鼻で笑いながら答えたアクハの眼は蛇のように冷たく、レドワルドは背中の筋肉が一瞬だけ強張った。
「それと、私がそのドルイドと似ているという件だが・・・」
 手が届く距離までゆっくりと詰めるアクハにレドワルドは動けずにいた。彼女の手、指がレドワルドの頬に触れ、瞼を撫でる。
「あなたは単なる猪武者というわけではなく、人の本性を見抜く目を持つのですね」
「おっしゃている意味が・・・」
「大切になさい、それは珍しい才ですもの」

 才という言葉にオットーは改めて主君を見た。年若い女に才があるなどと評されているレドワルドに対して複雑な感情を持たざるを得なかった。




 部屋の匂いにはもう慣れた。ほこりとカビに満ちた空間。体中に蟻が這い回るのを連想するように、汚れた空気が身体を包んでいる。

 鼻の不快感は序の口で、気付くと口の中で砂が唾と混じっていた。喉から唾液を吐き出すのも無意味に思えてきて、次第にやらなくなって久しい。
 唯一、息を止めることだけが、この砂を防ぐ方法であるからだ。呼吸をする限り、砂はたまる。

 数日間、日光を浴びていない。黒や茶色の色みが混じる臭い飯は食べることを拒んでも、牢番が無理矢理ねじ込んでくる。もう泣くこともなく、恨み言を吐くこともしなくなった。
 しかし、ひたすら口を閉じて拒み続けることが、自分の人間としての尊厳をなんとか、ぎりぎりのところで繋ぎとめる最後の手段である。

 だが、結局それは入ってくる。無遠慮に突き入れられ、抵抗などなんの意味もなく、この身を汚して行く。どんなに気持ちの上で拒絶しても、中に入ってしまえばそれは自身の一部となってしまう。

「未だ心を持ち続けるのですね」

 声がした。

「いっそ人形になってしまえば、楽なものを」

 女の声。

「この者はいったい何をしたのですか?」

 ん?聞いたことのない男の声だ。この男もオレを苦しめるのか?

「愚かにもエゼルフリッド様を暗殺しようとしたのですよ」
「陛下を?」
「まあ、返り討ちにあって今はこの様ですが」
「それで、首謀者を吐かせるために拷問しているわけですね、アクハ様」
「いや、そうではないのですよ、レドワルド公」

 レドワルドだと?レドワルドと言ったのか。アングリアの筆頭国衆のレドワルドのことか?ケントで人質になっていたはずのあの男か?

「この者、フェイというピクト人なのですがね、陛下がその才を惜しまれたほどの優れた舞手なのですよ」
「?」
「ですから、徹底的に人格を破壊し、陛下の人形に仕立て上げている最中なのですよ」
「人形・・・ですか?」
「ふふ、ケントには生きた人形はありませなんだか?ノーサンブリアでは珍しいものではないのですよ」
「な・・・何をおっしゃているのですか」
「優秀な才だけ残し、感情も理性も奪ってしまうのですよ、さすれば所有者にその才を以って奉仕するだけの生きた人形となるのです」

「おひとついかがかな、レドワルド公よ、アングリアにお帰りの際は陛下から下賜して頂けるやもしれませぬな」
「いえ、私は・・・」

「おいっ、お前レドワルドなのか!?」
 二人は声がした方へ驚いて目をやった。

「アングリアのレドワルドなのだな、ケントでエゼルベルト王に仕えるレドワルド!」
 フェイは久しぶりに言葉を発した。いきなり一気にまくし立てたせいで喉が痛い。夢中で言い終わるとしばらく咳きが止まらなくなった。

「いかにもそのレドワルドだが、君は・・・」
 しゃべってもいいのかアクハをちらっと見ると、静かに頷いたのでレドワルドはそのぶ不躾な問いに答えた。

「なぜ貴様がその女といっしょにいるっ、ケントのブレトワルダはノーサンブリアで狼藉を働くエゼルフリッドを征伐せぬのか」

「お前如きが、覇王の御意思を語るなっ!」
 レドワルドが吠えた。
「裏切りの魔女に誑かされたかっ」
 フェイは力の限り叫んだ、目の前の現実を打ち消すように。悪逆の王エゼルフリッドを成敗するため、いつか南から錦の御旗をはためかせた覇王軍がやってくるという希望を胸に。

「覇王はエゼルフリッド様との共存をお望みだ、そして私はその使者としてやってきた」
「臆したかっ!最早、エゼルベルトにブレトワルダの資格はないっ」

「無礼者がっ!」
 レドワルドが腰の柄を握った。
「殺せっ、悪が蔓延る世に未練などないわ」
 フェイの目に命の火が灯る。

「止めぬか、騒々しい」
 レドワルドの抜剣を制してアクハが前に出た。彼の熱気を削ぐその声は氷のように冷たかった。
「こやつは陛下の所有物だ、貴様がどうこうしていいものではない」
「主君を愚弄されて黙っていろとおっしゃるか」
 さすがにレドワルドもこの時ばかりはアクハに鋭い剣幕で詰めた。
「既に死に絶えた男だ、忠義もなにもあるまいて」

「「なんだとっ!」」
 二人は意図せず声を揃えた。

「そんな・・・私は数日前に指示を受けたばかりで、病の気配などなく戦も起こったとは聞いていませぬが」
「ブレトワルダであっても所詮は人、突然命を落とすこともあるでしょう」
 そう言って、不適な笑みを浮かべたアクハ。先ほどまでの厳しい口調から、普段の人を食ったようなものに戻っている。

「魔女めっ、デイラを陥れた時と同じ術を使ったのか、あの禍々しきルーン魔術を」
 フェイの憤りが狭い牢獄で木霊した。
「ルーン魔術・・・」
 思わず、レドワルドが呟く。

「おい、レドワルド、お前はこいつの正体を知っているのか?祖国を裏切り、父母を死に追いやった、その血塗られた所業を」
 フェイの真剣な眼差しがレドワルドを捉え続け、彼は何も返答できない。
「その女はデイラの王女でありながら、エゼルフリッドに抱かれて祖国を裏切った。そして魔術によってデイラ軍を全滅に追いやったアクハなのだぞ」

「少々、口が過ぎるな・・・」
 アクハの手には鞭が握られていた。牢獄の棚には種々の道具が置かれている。これはその一つだ。

「エゼルフリッド様は・・・エゼルフリッド様だけが、私を人として扱ってくれた」
「ぐはっ」
 怒りに任せて鞭を振るうアクハ。フェイの口からはその苦しみがもれ出てくる。

「自ら望んだ訳でもないのに、幼き頃に魔術の才を見出され」
「がはっ」

「魔族の子と父母からも蔑まれた」
「ぐっ」

「いつしかエドウィン兄様でさえ私を避けるようになって・・・」
「うぐっ」

「そんな私を人として女として見てくれた・・・」
「哀れな女だな、利用されているだけとも知らずに、初めて知った男の温もりに狂わされたか」
「黙れっ!」

 レドワルドはただアクハの責めを見続けるしかなかった。エゼルベルトが死に、アクハはエドウィンの妹で、裏切りの魔女で・・・。頭の中で雷雨が鳴っているようだった。




 レドワルドがやっとエゼルフリッドと二人きりで話せるようになったのは深夜だった。エゼルフリッドは疲れきった様子で腰掛ながらワインを口に含んでいる。対して、緊張した面持ちのレドワルドは何を話せばいいのか分からずにいた。

「エゼルベルトが亡くなったことは既に聞いているね?」
 レドワルドは静かに、はい、と言って頷いた。彼にしてみればずっと気になっていながらも聞き出せないことだったのでありがたかった。

「私は君に隠し事をするつもりはないよ」
 レドワルドを見ないまま、ワイングラスを傾かせている。暖炉の火に合わせて表情を変える紫の光を楽しんでいるようだ。

「私が殺した」
 その言葉はどこまでも穏やかだった。
「君を人質という身分から解放した・・・そう受け取ってはくれぬかね」

 レドワルドは答えなかった。

「まあ、いいさ、君が私に協力してくれるならね」
「ノーサンブリアを手中に収め、今サウサンブリアをも呑み込まんとするのですね。そして陛下は新たなブレトワルダになられる、その覇業を共に歩めと仰る」
「違うな」
「違う?」
「狭いのだよ、この島は」
「?」

「ブレトワルダなど通過点に過ぎない」
「大陸に攻め入ろうと?」

「攻めるだけではない、治めるのだ」
「・・・・」

「この世界には灼熱の大地、大陸に囲まれた海があると聞く、想像も出来ぬほど巨大な建築物とそれを見守る異形の石像。まだ味わっていない美酒も美女も」
「私は全てを手に入れたいのだ」

「子供の描いた絵空事と笑うかい?」
「いえ、そんな滅相もございません」
 それは破格の夢。レドワルドなど、アングリアの独立を考えるだけで精一杯だった。あわよくば自身がブレトワルダとなることなどを子供の時分、夢見ていたに過ぎない。それすらもエゼルベルトのもとではいつしか霧散していった。

「私には今まで考えたこともないことにございます」

「そうか・・・」

 気付くと、エゼルフリッドは寝入っていた。レドワルドが近づくいても起きずに寝続けている。

 このまま殺してしまうか?レドワルドの頭を掠めた。しかし、この男の行く末を見てみたいとも思う。

「エゼルベルトのもとにいた頃よりは面白そうだ」
 そう言ってレドワルドは部屋を後にした。


次回予告
エゼルフリッド
「レドワルドが来てからというもの、アクハの様子がおかしいな。そうか私が彼を気遣うあまり、嫉妬しているのだね、アクハ。まったく困った子だ。ならば政務も彼のことも忘れて今夜はゆるりと共に過ごそうか?

次回、『旅立ちの日』

さあ、私のもとにおいで、アクハ・・・」
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