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第二話 父母の愛
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電極を埋め込まれたネズミが「念力」を使えるようになったのは21世紀に入る直前であった。ネズミのケージに給水管を操作できるレバーを取り付け、ネズミが自らの意思で水を飲めるようにして、この実験は始まった。
ネズミがレバーを押すと、実験者のPCにネズミの脳波がリアルタイムで表示される。これを何度か繰り返し、レバーの接続を切った。しかし、ネズミは水を飲めなくなったのではない。水を飲もうとレバーを押す脳波と同じ脳波が出ると給水管から水が出るようにプログラムしておいたのだ。もちろん、その後しばらくはレバーを押してネズミは水を飲んでいたが、ある時彼は気づいた。
「あれ?これ、レバー関係なくね?」
と思ったかどうかは分からないが、研究者が気づくとネズミはレバーを操作せずに水を飲んでいたのである。つまり、ネズミは念じただけで給水管から水を出しているのだ。
ここでひとつ疑問が起こる。この脳波は一体、何を意味するのか?もちろんこれは「水を飲もうとしてレバーを押している」時の脳波であるわけだが、水を飲みたいという欲求・意思もしくは喉の渇き、そしてレバーを押すという動作を成し遂げるためにレバーの位置を目で確認しつつ手足の筋肉に命令してちょうど良い位置に前足を置き、ちょうど良い力加減でそれを押すように命令している時の脳波であるはずなのだ。
しかし、現実にはレバーを押さずとも、水を飲みたいという意思のみで給水管を制御しているのである。ということは、この脳波はレバーを押すという命令とは関係がなかったということになる。しかし、実験の初期段階では同じ脳波を出してレバーを押してもいた。
水を飲むということは共通だが、レバーを押すか押さないかこの部分が違うにもかかわらず同じ脳波が出る。いささか奇妙ではないか。
この部分に着目した研究者は様々な仮説を立てた。視覚的なイメージをしているのではないか?ネズミにも言語のようなものがあり、レバーを押すと心の中でつぶやいてるのでは?などである。これについては現在に至っても最終決着はついていない。
雪が地面に接触するような、本当に静かな瞼の動きで紅介は目を覚ました。しかし、はっきりと覚醒したわけではない。ただ、ボンヤリと天井を見上げている。自分の部屋とは違う、見知らぬ天井。
紅介は自分が今さっき、ある夢を見ていたことを思い出した。子供の頃、母親から子守唄代わりにネズミの実験の話を聞かされていた記憶が夢の中で蘇ったのである。
母も父と同様、神経工学の研究をしている。いや、正確にはしていた。現在は旧友のツテで特殊義体を製造するメーカーの経営に携わっているらしい。一月に一度しか会えない息子とわざわざ仕事の話などする必要もなく、紅介もそんな話をしたいとも思わなかったから、曖昧なままでも別によいのである。母の名は紗綾、ちなみに父は貴文という。
父と母は大学の研究室で出会ったらしい。優秀な成績で私企業からスカウトをされるような2人であったから、お互い異性に強い関心もなかったのだろう。しかし、惹かれ合うものがあったらしく、順調に交際をスタートし、結婚まで喧嘩らしいものがひとつも無かったと、父の助手から紅介は聞いていた。ならば何故離婚したのか?小学校も高学年になればそういうことも気になるものだ。しかし、紅介はなにか聞いてはいけないことだと思い、その疑問を心の奥底に無理矢理押し込めた。
子供に動物実験の話をするくらいだから、母もまた父に似て寝食を忘れて研究に熱中していたのだろうが、ある時急に大学のポストを手放してしまった。ちょうど、父と離婚した時で紅介が5歳の時であった。
「そういえば、あの話の続きはどうなったのだろう」
紅介の意識は段々と覚醒状態に近づき、昔の思い出から知的好奇心に根ざした思考へと移り心のなかで議論が始まった。
「レバーを押してないのに、レバーを押してる時と同じ脳波が出る。言い換えるならば、そのネズミはレバーを押してる時と同じ脳波を押してなくても出せるのだ。これを人間に置き換えるとどうなるか?自分の頭に何かしらの装置が埋め込まれ、何かのアクション.......例えばスクワットを1回すると1万円もらえるとしたら、ずっとやり続けるだろう。そして、そのアクションをしなくてもそれと似たような心境やイメージをすれば1万円をもらえることに気づいたとする。ならば寝ながらスクワットしているイメージをひたすら行うだろう。寝ているだけで金が入るなんて夢の様な話だ。......話を戻すと、これはアスリートのイメージトレーニングに似ている。イメトレをすることによって本番で緊張せずに本来の力を発揮できるというのだ。イメージのなかで、何度も経験しているから余裕を持って試合に臨むことできる。そして、興味深いことはイメージの中で力を出す時、そこに対応する部分の筋肉が反応することがあるという点。例えば、サッカー選手がシュートのイメージをするとき、足がビクッと反応する。脳がイメージを現実であると勘違いするのだ。また、ある研究では筋トレのイメージをし続けると筋肉が微量ながら肥大するという。いずれにしても、自らの脳を騙しているわけだが、騙そうとイメージするのもまた同じ脳であるはず。もし違うならイメージの源は何か?脳ではない何か、それを魂と呼ぶならそれも良かろう。そして、その魂とやらが脳波をコントロールし、給水管を操作して水を飲む。ということは脳波、いや脳全体は魂に使役されるだけの存在ということになりはしないか?そして、魂が脳波を媒介にして機械を動かす原理を応用して開発されたのが延識兵器、身体の外に意識を延長させて操作する兵器である。そして、おれはその延識兵器を動かした。格闘戦までやってのけたのだ。そう、おれの頭の中にはネズミと同じような送信機が埋め込まれているはずだ....」
「!」
目がカッと開いた。
「おれの脳に!」
引き伸ばしたゴムを手放したように、上半身を跳ね起こした。額は汗でびっしょりと濡れ、まるで雨上がりの芝生である。ベッドのシーツも自分のフォルムが分かるほどに汗染みが残ってしまっていた。
「紅...介...」
横から聞き慣れた声がした。紅介が荒くなった息を整えながら振り向くとそこには母がいた。
「ちょっと待ってくれ、聞きたいことがあるんだ」
泣きながら抱きつく母を押し離して、紅介は声を張り上げた。
「おれはBMI手術をされたのか?」
泣いていた母の顔が急に凍りついた。涙は止まり、目に後ろめたさが滲み出ていた。しかし、どういうことだ!と怒鳴り飛ばすことは、母に対してできなかった。久しぶりの再会だというのもあるが、ずっと自分を心配して側にいてくれたことが分からないほど紅介は愚かではない。
「親父は?」
言ってベッドから立ち上がろうとする紅介だが、地に足をつけて重心を移した瞬間まるで落とし穴に踏み込んだかのように体が沈んだ。
「紅介!」
間一髪、母が頭を抱えてくれなければ顔面を強打するところであった。そのまま母に手伝ってもらいながら、ベッドに戻ると紅介は素直に礼を述べた。
「あなたはいま脳疲労を起こしてるの」
「なるほど、上半身は動かせても歩くことはできない。ってことはPONDAが2000年に発表したUSIMOのCPUよりスペックが落ちるってか、おれの今の脳は」
日本が世界に誇る大企業のPONDAが2000年に発表したUSIMOは当時、完全自律二足歩行ができるというだけで世界中から注目された。開発当初は下半身だけの不気味なマシンであり1歩踏み出すのに10秒以上もかかったという。それほどまでに歩くという行為は難しいのだ。変わり続ける重心を感知し、リアルタイムの演算処理によってバランスを保ち続けなければならない。
紅介は軽く皮肉を言ったつもりだったが、母は小さなコップに向かって水道の蛇口を目一杯開けて器からこぼれ出るように涙が溢れ出てしまった。
「肩と太ももに差し込み口があるのか」
「はい、四肢の神経を機体とつなげて、対応する部分を制御しています」
「これなら手術も簡単でリスクも少ないということか」
「しかし、背骨や骨盤、股関節にあたる部分はオートになっています。これでは、人間らしいしなやかな動きは出来ませんでしょうな。ここに敵の敗因があります」
「ふむ、紅介君と敵のあの動きの差はここにあるのか」
司令はマジマジと捕虜の写真を見遣った。司令室の大きな正面モニターに数枚の写真が表示されている。捕虜の肩と太ももに機体とパイロットを物理的につなげるプラグの差込口があり、それらの拡大写真が生々しい。そして紅介の父、火威博士は手元のリモコンで画像資料を操作している。
「10年間....、やりきった甲斐があったな」
「はい」
火威博士は画像を見ながら、目を細めた。敵との技術力、生産力には大きな隔たりがある。物量で劣る敵方は限られた資源を有効活用するべく技術の革新に全精力を注いだ。しかし、唯一優るのは神経工学分野であり、火威博士が血眼になって延識兵器を研究、開発した結果である。
「紅介君の意識が戻ったようです」
2人の沈黙をオペレーターの声が終わらせた。紅介が最初にエンキ1号に搭乗した時にモニターしていたオペレーターである。女性らしい柔らかな声の中に強い芯があった。
紅介の検査が終わったのは目覚めてから数時間後のことであった。最初に緑色の謎の液体を飲まされた時、普段気の強い紅介も母の顔を見ざるを得なかった。母の大丈夫よ、という表情をなんとか信じて喉に流し込んだ。それを飲んで30分ほど経つと重苦しかった頭がだんだんと軽くなり冴え始めた。効きすぎて逆に本当に大丈夫なものなのか疑わしい程である。
目覚めてから一度も太陽を拝んでいない紅介は時間の感覚は全くなくなっていたが、腹の虫が身体の周期を紅介に告げてきた。
「ほう、そこまで元気になったのかね、紅介君」
博士と司令が紅介の病室を訪れると、紅介はベッドの上で母が職員食堂から持って来てくれたチャーハンに貪りついている真っ最中であった。
「さて....」
「もうちょっとで食い終わるんで」
司令が話を始めようとすると、長い話になりそうな雰囲気を察して紅介は食い気味に制した。
「で、何なんすか?」
食べ終わってレンゲを器に置くと、紅介はこれ以上ないほど太々しい態度で自分の祖父ほど年の離れた軍服の男性に言い放った。ベッドに座ったままである。もちろん、父の存在にも気付いていたし、2人の様子から恐らくその軍人が父の上司であると分かっていた。しかし、大人達の勝手な事情に振り回された哀れな少年であるという自らの境遇に胡座をかいている。被害者特有の強気だ。
「君と全然性格が違うんだな」
司令は博士の顔をチラッと見てから、話を始めた。
「私の名前は小早川だ。この自衛軍特務部隊デアニマの総司令官を務めている。昨日、君が搭乗した機体はデアニマ所属の延識兵器、エンキ1号と我々が呼称しているものだ」
「.......」
そんなことはどうでもよかった。校庭には自衛官が詰めていたし、あんなロボットを民間企業が所有しているとも思えない。父親の仕事のせいで自分が軍の仕事を請け負ってしまったということは分かりきっている。
「何か聞きたいことはあるかね?」
紅介の無言のプレッシャーに耐えかね、小早川司令は紅介に探りを入れることにした。
「.....事情はよくわからないけど、まあ全て話してくれるとは思えないしな。なんせオレはごく普通の高校生だしよ、軍事機密とか色々あるんだろ」
鼻で笑いながら全てを小馬鹿にしたように紅介は話し始めた。
「とりあえず、オレは自衛軍の仕事をひとつやりきったんだ。危険手当もつけて大卒の初任給以上はもらいたいところだね」
紅介の言葉に小早川司令の表情がムッとした。
「紅介っ!」
博士が痺れを切らして、怒鳴り込んだ。
「なんだよ....」
紅介と父、貴文はやっと目を合わせた。
「言いたいことがあるんだったら言えよ。知らない爺さんになんで喋らすんだよ!おれはあんたのことを信じてアレに乗ったんだぞ、戦ったんだぞ!」
貴文は出かけた息を呑み込んだ。
「なのになんであんたは何も言ってくれないんだよ!」
「いい子だねとでも言えば満足するのか!」
貴文の肚から出てきた一言だった。
耳にそれが入った瞬間、紅介の身体中の筋肉が叩きつけられたゴム毬の如く反応した。
「もう、やめてっ!」
そして、父に飛びかかろうとする息子を母がなんとか抑え込んだ。紅介の疲労は回復し、自分で用を足せるくらいにはなっていたのである。
「紅介はまだ疲れてるんですっ!」
小早川司令と火威博士は職場の顔に戻った。
「済まなかったな」
小早川がそう言うと、そそくさと貴文は出て行ってしまった。その挙動の一切を紅介は目に焼き付けた。しかし、小早川は残っている。
「まだ、なにかあるんですか」
一息ついてから紅介は声をかけた。
すると小早川はその声色、態度が少し変わったことに気付いた。先ほどまでの無礼は父に対する当てつけでしかなく、彼の本性は真っ直ぐなものである。年相応な父と子の会話であると言えなくもない。
「全てを話せる訳ではないが」
小早川が姿勢を正しながら、紅介の側まで近づいた。
「君の活躍は賞賛に値する」
なんとか労おうと思って語り始めたが、紅介の眉が敏感に反応したことを見逃してしまった。
「多くの命を救ったことを誇りに思い給え、被害も最小限で済んだ....」
「最小限だとっ、被害がっ!」
消えかかった炎に油が注がれ、紅介は素早く左手で小早川の右襟を握りしめた。戦場を幾度も渡り歩いた自分がなんの反応も出来なかったことに小早川は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「歯ぁ食い縛れ!」
「なんのっ」
怒りに任せて殴ろうとする紅介の動きはモーションがあまりに大き過ぎた。
ダンッ!
背中から落ちた紅介は一瞬何が起きたか分からなかった。襟をつかんだ左腕を引手に一本背負いの要領で叩きつけられたのであった。
「軽率であった、許せよ」
小早川は戦場になったのが紅介自身の母校であったことを思い出した。
「校庭にエンキ1号を運ばせたのは私だ、私の指示だ」
紅介は寝たまま小早川を睨んだ。
「恨んでくれて構わない」
バツのわるい顔を隠しながら、小早川も部屋を出た。真っ直ぐ過ぎるのだな、父に似て....。小早川は少し口元を緩ませた。
「まだ名前しか知らなかったんだぞ!」
叩きつけられた衝撃で乱れていた呼吸が正常に戻った。
「名前も覚えてないやつだっていたんだ!」
「これから一緒に遊んだり、喧嘩したり喜んだり泣いたり笑ったり.....」
「色んなことがあったはずなんだ。それをこんな訳のわからない事情で、冗談みたいな出来事で全部消し飛んじまったんだぞ!」
廊下に響く紅介の声は立ち昇る焔のように聞く者の胸を熱く揺さぶった。
「日本を占領するのに手間取られては困るな」
モニターの上官に申し訳ありませんと弘中少尉は大声で答えた。
「第一次地球降下作戦は正直言って失敗だった。これほどまでに地球側の延識兵器と当方のものと差があるとは誤算であった」
弘中は表情を変えずに聞き続けた。
「だからこそ、我らの故郷、日本を押さえることに意義がある」
そして、よろしく頼むぞと言い残し通信が切られた。
「民間人を巻き込んだことについてはお咎めなしか」
弘中は誰ともなく呟いた。
工作部隊から日本軍の通称エンキ1号の破壊が失敗したという報告を受けた時、こんなことになるとは全く想定していなかった。主任務は市ヶ谷の防衛省を破壊し尽くし、その写真を本国に送ることが主任務であった。防衛省を我らが『美作』が陥れたという事実が戦意高揚のためにも必要だったのだ。しかし、破壊任務が失敗したというと話は別になる。地球人が人型延識兵器を運用しているという事実の方が遥かに問題なのだ。
人型延識兵器は新たな時代を切り拓く選ばれし民に神が与えた力である。それがサイボーグ国家の樹立を目指すヤマトのイデオロギーなのだ。それに反するものは秘密裏に処理しなければならない。もしくはヤマトの主力人型延識兵器美作に駆逐されなければならないのだ。
しかし、エンキ1号を筆頭に地球人が造ったそれのスペックは予想に反して高いものであった。そして4機が1機に負けたという戦績など公表出来るはずがないのだ。
相手が地球で一番のパイロットであったと信じたいものである。弘中は切にそう願った。そうでなければ自分だけでなく、散っていった戦友も浮かばれないではないか。弘中はなんとか逃げ延びることができたが、仲間がどうなったか気が気でなかった。捕虜になったか戦死したか。一体、日本軍が捕虜をどう扱うのか。日本に限らず地球国家群の連中は我らサイボーグを便利なマシンとしか見ていない。そう学校で習った。だからこそ我らの住みよい『本当の世界』、『あるべき世界』を実現しなければならない。いや、地球だけではない。月面都市の連中も表面上は友好的だが腹のなかでは何を考えているのやら、分かったものではないのだ。
弘中がスイッチを入れるとエンキ1号にやられたパイロット達とともに写る写真が、手首につけたデバイスより空中に3D表示された。
「お前らだけを逝かせはしない」
弘中はまた呟いた。静かだが、深く力強く。
「延識兵器を操作するだけなら非侵略式のインターフェースでも充分だけど、あのエンキとかいうロボットのカメラ映像がおれの脳に直接入ってきた。目でその映像を見たんじゃない。バイオニック・アイのような侵略式の『入力』、つまりBMI手術をしてなければ出来ないことだ」
「ええ、そうね。それにしてもさっきからあなた、パンイチで何してるの?」
「形だよ」
上半身を露わにし下半身は下着のみを着用した状態で身体の動きに合わせて強い息吹を放つ息子の姿。そんな光景に動揺するのは、母として当然の反応だろう。といっても別に好き好んで裸になっているわけではなく、下着の上に病衣しかない状況であるから動きづらいそれを脱いだのだ。他にTシャツやジャージがあれば身につけている。
「三戦っていう基本形だよ」
紅介は内股に絞りながら足裏を擦るように一歩踏み出す度に身体に力が漲るのを感じつつ、そして息吹に合わせて拳を突き出す度に肚で気が練り固まり行くのを味わっている。
「こうしてると気分が落ち着くんだ」
こういうところは貴文にそっくりだな、紗綾はしみじみと思った。自分の好きなことに前のめりになって周囲の目を意に介さない性格は父親譲りなのである。マイペースといえば穏やかな表現だが、つまりは自分勝手なのである。わがままなのである。アクの強い2人だからこそ混ざらず、かといって離れずお互いにその存在を確かめる様に押し問答を繰り返してしまうのだ。
息子が空手をやるのを見るのは初めてだった。もちろん、空手をしているのは知っていたが、それを実際に見ることはなかった。いや、とても見ようとはどうしても思えなかったのだ。なぜならそれは紅介の恐ろしくあまりにも酷い運命を、未来を。喉を貫かんとする切先の如く、紗綾に突きつけるからだ。
「ひとつ気になることがあるんだ、母さん」
何?と答えると紗綾はズシリと重くなった胸のつかえをほぐすように明るい声をだした。
「レコーディングとディコーディングの擦り合わせが必要なはずだよね」
「....ええ、そうね」
「人が身体を動かす脳波は人によってそれぞれ違う、いや同じ人間でも時間ともに変わるものだよね。例えばアスリートとスポーツをしない人では脳の筋肉に対する支配領域が違うし、スポーツを引退した後どんどん体の動きが鈍くなるのに合わせて脳と身体の関係も変化する」
「つまり、脳波とエフェクター(動かそうとするマシンなど)の関係性はそのままレコーディングとディコーディングの関係にスライド出来る。例えば人によって歩く動作を行う時の脳波に違いがあるから、どれが歩く脳波か先ず脳からサンプルをとってそれを保存させなければいけない。もしくはエフェクター側に記憶してある脳波と同じものを出すよう努める、まあこれはほとんど無いケースだけどね」
紅介は母の反応も待たずに形の姿勢をやめて、振り向いた。
「父さんが開発したあの対地攻撃型ヘリはパイロットのβ波をヘッドギアが感知してエイミングをアシストするだけ、それくらいならサンプルを取る必要はない。パイロットの慣れがあればいい。だけど....」
急に紅介は右の掌を凝視した。あの黒服の男に、自分の意識がエンキ1号と同化していると告げられた時と同じように。
「あの時、あんな複雑な動きを自分が思った通りにできた」
拳を握りしめた。
「事前におれの脳波と実際の身体動作を録ってパターン化しなきゃ無理なことだ」
紗綾はゴクリと唾を飲み込んだ。もう相槌すら出来ないようだ。
紅介はある確信を持ちつつ、両手を組んで力を入れたり、手首を握ったり、手首をブラブラと振り回し始めた。それは1分もしなかったが、母である紗綾にはとても長い時間に思えた。
「マイクロマシーンだな....」
紗綾の目は紅介の口元に釘付けとなった。
「っくっくっく、ふふふふっふっふっふははははっはっはははっはは」
紅介は狂った様に突然笑い始めた。右手をおでこに当て、左腕を力無くダラリと垂らしながら。笑いの振動が左手に伝わりわずかに動いているのが不気味である。いや、本当に狂ってしまったかもしれない。脳だけでなく、自分の体中が知らない間に弄られていたのだ。冷静でいられるはずが無い。この時ばかりは自分の知識と洞察力を恨んだ。
「あ、う....」
紗綾は言葉が出ずに、ただ狂い始めた息子を抱きしめるしかなかった。
「なあ、おい」
紅介は母親をギョロリと見下した。その口調はあまりにも無機質で冷たかった。怒りも悲しみもない。
「あんた、本当におれの母親なのか」
「え...」
「受精卵の段階で遺伝子操作された試験管ベイビーなんじゃないのか、しかも病気に強くて頭良くてスポーツも出来る優秀な人間同士のよう」
「なっ」
紅介の顔を恐る恐る見上げた。
「それとも人間の記憶を植え付けられたアンドロイドかもな」
紅介は母の肩を押して顔を覗き込んだ。
「だからあんたもおれを愛せなくて親父と別れたのか、親父が造った新兵器の試作機と家族ごっこするのが嫌だったんじゃないのかよ」
「いい加減にしなさいっ」
ピシャンと乾いた音がした。それは紅介の記憶の中で初めての経験だった。母親に叱ってもらうのは。
「何も信じられねえよ」
そう言うと紅介はベッドに座り込んだ。
紅介の心臓が激しく胸を打つ。これもつくられた感情なのか。いや、馬鹿な妄想だ。もしおれが親父のつくりだした戦闘マシーンならこんな感情をもつのはおかしいじゃないか。だけど、色々なことがあり過ぎて余裕がない。あんなことを叫んでみたところで何か解決するわけでもなく、心が晴れるわけでもない。
気づくと母は部屋にいなかった。
「酷いこと言っちまったな」
若さに止めどなく激情が湧き出てくる。紅介はベッドに横たわり、丸くなると自分自身を抱きしめる様に左右の二の腕を握りしめた。
夜半、月の光に照らされた鉄の塊が空を駆る。
「地球で見る月か....」
弘中の目に映るそれはあまりにも優美で、ただその輝きだけでこれから死にゆく青年の恐怖を払い除け、奮い立たせた。
「これを見ることが出来ただけでも地球に来た甲斐があったと思える」
さらに加速した。
「月から見た地球もまるでサファイヤのように綺麗だったな」
レーダーに警告表示が出た。
「遠くにあるものは魅力的に見える、だから欲しくなってしまうのかな」
漆黒のカーテンを突き破ろうと突進するかのような飛行、そして美作は速度を保ちながら腰からハンドアックスを取り出した。
「3機かっ」
ヘリが向かってくる。しかし、ここで弾薬を消費するつもりはない。
「停止せよ、こちらには攻撃の用意がある」
「貴様らこそ、そこを退け!退かねば墜とす!」
弘中の撃墜宣言を合図に、ヘリはそれぞれ対空ミサイルを放ってきた。
「そんなものでっ」
迫りくるミサイル群をヒラリと躱し、3機のヘリに突っ込んだ。ミサイルは後ろのビル群に突っ込み、それらを破壊して果てた。
「突っ込んでくるぞっ」
それは美作の一番近くにいたヘリのパイロットが遺した最後の通信記録である。一瞬特攻を思わせるも、そのパイロットの視界から忽然と消えたのも束の間、コックピットはハンドアックスの一撃で潰れてしまった。
「ひぃっ」
二機目の標的にされたパイロットは突っ込んでくる美作がハンドアックスを持ってない方、向かって右、美作の左側面に回り逃れた。
「甘いな」
美作の右足踵が弧を描いて、ヘリに叩きつけられた。それは一見華麗な舞踏のようでもあった。あまりにも優美な後ろ回し蹴りであったのだ。
「がはっ」
しかし、攻撃を成功させたはずの弘中が身体の内から沸き起こる不快な感覚に悶えた。
「これが基本スペックを超えた動きっ」
最後のヘリに視線を移すと、あらゆる兵装を美作に乱射してきた。
「その代償っ」
胃液が逆流し、口の中で血の味がする。
「体中を針で刺し貫かれている様な感覚!」
ヘリなど問題ではなかった。美作の動きは人間のそれと酷似しているのだ。鋭くはっきりとした認知と反応。滑らかでしなやかな関節の動き。そして以前エンキ1号、つまりは火威紅介と対峙した時とは違うことがさらにまだある。
肩と腿にプラグを差し込んでいない。美作という兵器は、両腕を両肩から、両足は両腿からの「入力」で操作するのが本来の運用方法である。しかし、本来の操作手順に逆らいながら、基本スペックを超える動作を体現しているのである。
「ん?」
最後のヘリを何の問題もなく墜とし、一息ついた弘中は首筋にツゥーっと流れる液体の存在を感じ取った。
手を当てがい、見てみるとそれは汗ではなかった。赤黒い液体。赤黒さの中で黄色っぽい固形物が混じり合いとても生々しい様子だ。血と皮膚の組織が死んで変色したものである。真新しい入力装置とジュクジュクに化膿した生身の皮膚のコントラスト。
弘中はズキズキとした痛みを首に感じながら、再び目的地へ向け加速した。
「まさか、何の抵抗もなく再び乗ってくれるとはな」
小早川司令は目を大きくしながら、司令室の正面モニターに映る紅介を見ている。丁度、格納庫で紅介がエンキ1号に乗り込もうとしているところであった。
「ひと暴れすると思われましたか?」
「ああ」
「私もです」
貴文も紅介がもう一度乗ってくれるか不安でたまらなかった。息子だからといって父である自分が全てを把握しているわけではない。当たり前のことだが、どう感じるか、どう思うか父母の予想を良くも悪くも裏切るようになる。それはある種の成長であり、強烈な自我の確立とも言うことができる。人によっては回りを傷付けながら、苦しみ悶えながらも、親の手から放たれ抜け出そうとするのだ。
「しかし、ここまで素直、いや従順だと気味が悪いな」
「ええ、あれは素直なんて言うようなポジティブな態度じゃなかったですね」
司令の不安に頷きながら貴文は先ほどの光景を思い出していた。
敵機襲来のスクランブルがかかると、真っ先に貴文は紅介の病室に向かった。再びエンキ1号に搭乗するよう説得するためである。罵られるかもしれないし、暴れ出すかもしれない。それは人として当然の反応だ。自分でもそうするだろう。だから意を決して病室のドアを開けたのだ
しかし、予想に反して紅介はなんの抵抗もしなかった。状況を説明する父、貴文の言葉を虚ろな目で頷くだけであった。
「エンキ1号射出します」
オペレーターの声が響くと貴文は現実に戻された。
デアニマの司令部は地下にあり、基地そのものは郊外の丘陵地帯を幅広く覆っている。周囲を気にすることなく兵器の実験などを行うためだ。
射出カタパルトが大きな音を立ててエンキ1号を地上に向けて射出した。地上では地面が裂け、割れ、その中から天へレールが伸びてしばらくすると、ガシャンと音を立ててエンキ1号を固定したフレームが姿を現した。
「なんだあの装備は」
弘中がデアニマの基地に着くと、エンキ1号が出迎えた。その姿は以前のものとは大きく違っている。ゴツゴツした拳に、動きを干渉せず、しかししっかりとした厚い装甲。以前のノッペリとした印象とはだいぶ違う。
「おれも強くなったが、貴様も強化されたか」
エンキ1号から手の届かない位置で静止し、美作は空中から見下ろした。
「おもしろい、命を削った甲斐があったものよ」
美作は銃器の照準を合わせた。
「出し惜しみはしない」
激しい唸り声を上げて銃身が吠えた。
「何!?なぜ反撃もせずにつっ立っているんだ」
小早川は驚きのあまり声を荒げた。エンキ1号は腕をクロスして、顔へのダメージを防いでいるがその身に銃弾を受け続けている。避けようともしないのだ。
「紅介どうしたんだ、紅介っ」
「ん?なんだこれ?外部マイクの聞こえ方とは違うな」
「ああ、TCDで言葉を伝達している」
「米国陸軍が開発したテレパシーコミュニケーションデバイスか..、ってことは親父も手術を」
「そうだ」
「全く親子揃って、何やってんだかな」
「今はそんな事を言っている場合じゃないだろう」
「そういう事を言う場合かどうかはおれが決める」
「なにっ!?」
「おれだってこうして痛みに耐えてんだ、聞きたいことを聞かせてもらうまで戦わないからな」
「ああ~、そう来るか。自分自身を人質にするとは....、馬鹿なんだか根性あるんだか」
「そんな悠長なこと言ってられませんよ、実際彼がこのまま命懸けのストライキを続けられて困るのは私達なんですから」
小早川のボヤキにオペレーターがツッコミを入れた。小早川にここまでハッキリとものが言えるのはデアニマの中では彼女だけである。ちなみに親子2人の会話は脳波を介したテレパシーでなされているが、その内容は音声に変換されて司令室に放送されている。
「さあ、語ってみろよ。自分の息子の頭蓋骨にドリルで穴開けて脳みそに電極ぶちこんだ時の感想をよ」
「....低侵略式だ。脳に直接差し込んでいない」
「なっ、言葉尻捉えやがって」
「それに直接、私が手術したわけではない」
紅介は出鼻を挫かれたような思いで腹が立った。BMI、もしくはBCI手術には2種類ある侵略式と低侵略式である。侵略式は脳に直接機械を埋め込む方式で、低侵略式は頭蓋骨と脳の間に機械を入れる方式だ。貴文は頭蓋骨を削ったが、脳にはなにもしていないということを伝えたかっただけなのだが、紅介の感情を逆撫でする結果となった。
「?」
弘中は操作を止めた。美作の射撃は止み、土煙に包まれたエンキ1号の姿だんだんとハッキリと見えるようになっていった。
「なぜだ、なぜ何もせんのだ」
外部スピーカーでエンキ1号に呼びかけながら、ゆっくりと美作は地上に降り立った。
「おい、聞こえているだろう」
一歩一歩近づいていく美作。
「おれは貴様を倒すために禁忌に手を出したのだ、そして貴様も強くなったおれに相応しく完成されて出てきたのだろう」
ハンドアックスを取り出し、やがて早足にそして駆け始めた。
「それではおれが命懸けの手術をした甲斐がないではないかっ」
美作は大きくハンドアックスを振りかぶって、エンキ1号に叩きつけた。
「さっきから、っるせぇんだよ!」
エンキ1号は最小の動きでそれを交わすと右拳を美作の顔面に突き入れた。垂直に振り下ろす刃物軌道から外れることなど簡単だ。しかも怒りで動きが大きくなり、間合いもなにもあったものではなく遠いところから動きの起こりが見えれば尚更である。
「さっきからペチャクチャ独り言か、おい。てめぇのことなんざ知ったことじゃねえんだよ。親子喧嘩に水さすんじゃねえ」
「な、何を言っているんだ」
弘中の反応は当たり前である。地球を侵略に来て、撃退された相手がまさか高校生であったとは想像もできない。まして再度相見えた時に親子喧嘩の真っ最中であると誰が思いつくことができようか。
紅介も紅介で、父とテレパシーの会話の最中にエンキ1号の外部マイクから入ってくる「音」が入ってくるのがどうも煩わしく苛立っていた。
「まあよい、さあ、始めるぞ我々の戦いを」
「うるせぇ、勝手に盛り上がっているんじゃねえぜ」
ハンドアックスを振り回すが、美作の攻撃は全く当たらない。
「あの動き、妙だな」
「はい、回収した敵機美作のスペックからは出来ないはずの動きです」
「ああ、四肢の動き以外がオートではあのようには行かぬはず」
「まさか敵も侵略式の手術を」
「主義主張を変えたとは考え辛いが....」
司令とオペレーターはこれを専門家に聞いてみたかったが、博士は親子喧嘩の最中でそれどころじゃなかった。
「いつもそうだ、あんたは自分の研究ばかりで家族のことを省みない」
「国家を護るためだっ、犠牲になることはある」
「おれもそのひとつだってのかよ」
「それは...」
「確かにおれはあんたのおかげで何不自由ない生活をさせてもらった感謝だってしてる。しかし....、うわっ」
美作の攻撃を避けながら、口喧嘩を続けた紅介はエンキ1号がだんだんと沼に近づいていたことに気がつかなかった。
「もらっっったぁぁああああ」
滑ってバランスを崩したエンキ1号、そしてその隙を弘中が見逃すはずはなかった。ヒュンという風切り音とガキンという衝撃音はほぼ同時であった。
「だあああああ、くっそ痛ってえええええ」
「紅介!」
紅介の「声」は外にもテレパシーにもなって伝わった。
「もってかれた!右足がっ!」
「それは幻痛だっ、気にするな目の前の敵に集中しろっ」
「馬鹿言ってんじゃねえ、痛えもんは痛えんだ。だいたいなんで痛みまで再現する必要があんだよ!」
エンキ1号が仰向けになって死にかけた虫のようになって喘いでいる。そしてその様を味わうようにゆっくりと美作が跨った。
「ふっはっはっはっは、勝ったぞ。さあ、これで終わりだーーーーーー」
ハンドアックスがエンキ1号の頭部に振り下ろされた。
「ヤメロォぉおおおおおおおお」
貴文の「声」が紅介の脳内に木霊した。
「ん?なんだ...どこだここは」
紅介は何も無い空間にポツンと自分がいることに気づいた。
「おれは今、あのロボットに乗って戦って...絶対絶命のピンチだったはず」
「は!?もしやこれこそSFものによくある精神世界ってやつか」
「ってことは、おれニュー○イプか、イ○ベイターか、それとも種割れか」
「オーバー○キルか、オーガニック・エ○ジーかそれとも意表を突いて聖○士のハイ○ー化」
「いや今川演出はちょっとなぁ....必殺技に「ラブラブ」ついちゃうし」
「ってんなこと言ってる場合じゃ....ってやっぱりおれ裸になってる!お約束通りだ!そして....」
「おっ、やっぱり股間の部分が光でボカしたような感じに上手いことなっている!無え、おれのモノが無え!」
あえて言おう!紅介はオタクであると!
本来、紅介はこういうことは大好きな筈だった。ただ同級生を殺されたこと、そして反抗期故の父に対する反発があって悪態をついていた。そして何よりその方が主人公っぽいからである。先週、新訳Z三部作を徹夜して見た影響が一番デカい。
「っと、そろそろ真面目になるか早く目覚めないとあの斧に殺られちまう」
キョロキョロと辺りを見回した。
「なんかいい感じに時間の流れが違うから目覚めた時にこう上手いことなってるんだろうけど」
「こう、けは、た、からないのか」
「ん?これは親父の声か」
「紅介はもう目覚めないのか」
「分からないわ、目覚めるかもしれないし、目覚めないかもしれないって」
「そんな...おれのせいだ。おれを狙った攻撃が紅介に!」
若いころの親父と母さん?ベッドで寝てるのは...おれか!頭が包帯でグルグル巻になってる。この頃すでにおれの頭に装置が埋め込まれていたのか?
「飲み過ぎだぞっ、紗綾」
「ん、ん、嫌よもう。私達のせいで紅介は2度と歩くことも喋ることも、笑うことさえできなくなって....もう耐えられないわっ」
「いや、まだ全てを諦めるにはまだ早い。これを見てくれ」
「デアニマ機関?延識機兵プロジェクト?」
「そうだ、紅介の脳は一部を除いてまだ生きている。その部分の代わりになる部品を頭蓋骨内に収めて脳を補完するんだ」
「え...」
「手術代は個人が払える金額ではないが、国が払ってくれるぞ」
「でも....その代わりに」
「ああ、自衛軍の一員として奴らと戦うことになる」
「ダ、ダメよ、そんなの」
「いいや、これしかないんだ、でないと君がもうこれ以上耐えられなくなる。今は何が何でも反対だろうが、紅介の笑顔をもう一度見れば君の考えも変わるさ」
「嫌ぁあああ」
「今は私のワガママでいい。私は息子とキャッチボールするのが夢だったんだ。だから私のエゴで紅介を国家に捧げる。君は何も悪くない。紅介が大きくなって真実を告げる時、私が全てを背負うよ」
おれは頭に怪我をしてそれで意識が無くなって...。それでさっき頭に包帯を。
「博士、お休みになって下さい、でないとお体がっ」
「うるさい、離せ!紅介が将来戦う時のために少しでも強くしておかなければならないのだ」
「紅介が負けないために、そして死なぬために」
「そして、全ての戦いを終わらせて、また家族三人で夕方になったら卓を囲むんだっ」
おれのために....おれが戦いで生き残るためにおれのことは放ったらかしで研究してたっていうのか。キャッチボール、そんなの一度も...。
「一度もしてくれたことなんかねえだろぉぉおおおおおーーーー」
「なに!?」
勝利を確信したハンドアックスの一撃を防がれて、弘中は動揺を口に出してしまった。
ハンドアックスの刃をギリギリで白刃取りしたエンキ1号。そしてそのまま刃を横に向けさせて抱きかかえるようにして、ハンドアックスを自身の胸に押し付けた。
「離せぇええ」
美作はハンドアックスをエンキ1号に抑えられ動けずにいたが、痺れをきらして左拳で殴りかかった。
するとハンドアックスを手放し、エンキ1号は自身の顔面に向かってくる美作の左拳を受け流しそのまま左腕に絡みついた。
「甘いんだよっ」
エンキ1号はその勢いで美作の首を手繰り寄せて胸に抱きかかえた。総合格闘技の試合でよくあるシーンである。密着し過ぎて逆に攻撃ができないアレだ。
「いよっと」
エンキ1号は正常な方の左足で地面を思いっきり踏み、ブリッジのようにした。そして右側に回転して逆にマウントを取り返した。
「うらぁああああ」
マウントをとったと同時に、間髪入れずに正拳を美作の顔面に打ち込んだ。頭が潰れた。
するとそれっきり、それはただの鉄の塊となった。
「ハア、ハア、ハア、終わったか」
紅介はだんだんと冷静になってきた。気づくと夜は明け、朝日が辺りを照らし始めている。「紅介....」
「親父、親父の記憶が流れ込んできたぞ」
「ん?なにを言ってるんだ」
「あれが事実だったのか、おれの妄想だったのか、まあそれは今はどうでもいい」
「記憶?TCDにそんな機能は....」
「思ったことを音声にするシステムが暴走して思念やイメージ、記憶も伝達したってのは出来過ぎかな、まあなんでもいいよ。とにかくお互いに不器用なんだよ、親父もおれも」
「紅介、大丈夫か?さっきから、何言ってるんだ」
右足の動かないエンキ1号は美作を下に敷いたまま空を見上げた。まだ薄暗い中、雲ひとつ見えない。今日は日本晴れになりそうである。
「親父、キャッチボールするには良い日じゃないか?」
次回予告
謎の新キャラ「全く、好き勝手に周囲を巻き込んで引っかき回して、迷惑な奴だな。こんなやつが1号機のパイロットで私の仲間になるとは先が思いやられる。ん。私が誰かって?っふ、それは次回までのお楽しみってところだな。次回、第三話 蒼き剣。さあ、刮目せよ!」
ネズミがレバーを押すと、実験者のPCにネズミの脳波がリアルタイムで表示される。これを何度か繰り返し、レバーの接続を切った。しかし、ネズミは水を飲めなくなったのではない。水を飲もうとレバーを押す脳波と同じ脳波が出ると給水管から水が出るようにプログラムしておいたのだ。もちろん、その後しばらくはレバーを押してネズミは水を飲んでいたが、ある時彼は気づいた。
「あれ?これ、レバー関係なくね?」
と思ったかどうかは分からないが、研究者が気づくとネズミはレバーを操作せずに水を飲んでいたのである。つまり、ネズミは念じただけで給水管から水を出しているのだ。
ここでひとつ疑問が起こる。この脳波は一体、何を意味するのか?もちろんこれは「水を飲もうとしてレバーを押している」時の脳波であるわけだが、水を飲みたいという欲求・意思もしくは喉の渇き、そしてレバーを押すという動作を成し遂げるためにレバーの位置を目で確認しつつ手足の筋肉に命令してちょうど良い位置に前足を置き、ちょうど良い力加減でそれを押すように命令している時の脳波であるはずなのだ。
しかし、現実にはレバーを押さずとも、水を飲みたいという意思のみで給水管を制御しているのである。ということは、この脳波はレバーを押すという命令とは関係がなかったということになる。しかし、実験の初期段階では同じ脳波を出してレバーを押してもいた。
水を飲むということは共通だが、レバーを押すか押さないかこの部分が違うにもかかわらず同じ脳波が出る。いささか奇妙ではないか。
この部分に着目した研究者は様々な仮説を立てた。視覚的なイメージをしているのではないか?ネズミにも言語のようなものがあり、レバーを押すと心の中でつぶやいてるのでは?などである。これについては現在に至っても最終決着はついていない。
雪が地面に接触するような、本当に静かな瞼の動きで紅介は目を覚ました。しかし、はっきりと覚醒したわけではない。ただ、ボンヤリと天井を見上げている。自分の部屋とは違う、見知らぬ天井。
紅介は自分が今さっき、ある夢を見ていたことを思い出した。子供の頃、母親から子守唄代わりにネズミの実験の話を聞かされていた記憶が夢の中で蘇ったのである。
母も父と同様、神経工学の研究をしている。いや、正確にはしていた。現在は旧友のツテで特殊義体を製造するメーカーの経営に携わっているらしい。一月に一度しか会えない息子とわざわざ仕事の話などする必要もなく、紅介もそんな話をしたいとも思わなかったから、曖昧なままでも別によいのである。母の名は紗綾、ちなみに父は貴文という。
父と母は大学の研究室で出会ったらしい。優秀な成績で私企業からスカウトをされるような2人であったから、お互い異性に強い関心もなかったのだろう。しかし、惹かれ合うものがあったらしく、順調に交際をスタートし、結婚まで喧嘩らしいものがひとつも無かったと、父の助手から紅介は聞いていた。ならば何故離婚したのか?小学校も高学年になればそういうことも気になるものだ。しかし、紅介はなにか聞いてはいけないことだと思い、その疑問を心の奥底に無理矢理押し込めた。
子供に動物実験の話をするくらいだから、母もまた父に似て寝食を忘れて研究に熱中していたのだろうが、ある時急に大学のポストを手放してしまった。ちょうど、父と離婚した時で紅介が5歳の時であった。
「そういえば、あの話の続きはどうなったのだろう」
紅介の意識は段々と覚醒状態に近づき、昔の思い出から知的好奇心に根ざした思考へと移り心のなかで議論が始まった。
「レバーを押してないのに、レバーを押してる時と同じ脳波が出る。言い換えるならば、そのネズミはレバーを押してる時と同じ脳波を押してなくても出せるのだ。これを人間に置き換えるとどうなるか?自分の頭に何かしらの装置が埋め込まれ、何かのアクション.......例えばスクワットを1回すると1万円もらえるとしたら、ずっとやり続けるだろう。そして、そのアクションをしなくてもそれと似たような心境やイメージをすれば1万円をもらえることに気づいたとする。ならば寝ながらスクワットしているイメージをひたすら行うだろう。寝ているだけで金が入るなんて夢の様な話だ。......話を戻すと、これはアスリートのイメージトレーニングに似ている。イメトレをすることによって本番で緊張せずに本来の力を発揮できるというのだ。イメージのなかで、何度も経験しているから余裕を持って試合に臨むことできる。そして、興味深いことはイメージの中で力を出す時、そこに対応する部分の筋肉が反応することがあるという点。例えば、サッカー選手がシュートのイメージをするとき、足がビクッと反応する。脳がイメージを現実であると勘違いするのだ。また、ある研究では筋トレのイメージをし続けると筋肉が微量ながら肥大するという。いずれにしても、自らの脳を騙しているわけだが、騙そうとイメージするのもまた同じ脳であるはず。もし違うならイメージの源は何か?脳ではない何か、それを魂と呼ぶならそれも良かろう。そして、その魂とやらが脳波をコントロールし、給水管を操作して水を飲む。ということは脳波、いや脳全体は魂に使役されるだけの存在ということになりはしないか?そして、魂が脳波を媒介にして機械を動かす原理を応用して開発されたのが延識兵器、身体の外に意識を延長させて操作する兵器である。そして、おれはその延識兵器を動かした。格闘戦までやってのけたのだ。そう、おれの頭の中にはネズミと同じような送信機が埋め込まれているはずだ....」
「!」
目がカッと開いた。
「おれの脳に!」
引き伸ばしたゴムを手放したように、上半身を跳ね起こした。額は汗でびっしょりと濡れ、まるで雨上がりの芝生である。ベッドのシーツも自分のフォルムが分かるほどに汗染みが残ってしまっていた。
「紅...介...」
横から聞き慣れた声がした。紅介が荒くなった息を整えながら振り向くとそこには母がいた。
「ちょっと待ってくれ、聞きたいことがあるんだ」
泣きながら抱きつく母を押し離して、紅介は声を張り上げた。
「おれはBMI手術をされたのか?」
泣いていた母の顔が急に凍りついた。涙は止まり、目に後ろめたさが滲み出ていた。しかし、どういうことだ!と怒鳴り飛ばすことは、母に対してできなかった。久しぶりの再会だというのもあるが、ずっと自分を心配して側にいてくれたことが分からないほど紅介は愚かではない。
「親父は?」
言ってベッドから立ち上がろうとする紅介だが、地に足をつけて重心を移した瞬間まるで落とし穴に踏み込んだかのように体が沈んだ。
「紅介!」
間一髪、母が頭を抱えてくれなければ顔面を強打するところであった。そのまま母に手伝ってもらいながら、ベッドに戻ると紅介は素直に礼を述べた。
「あなたはいま脳疲労を起こしてるの」
「なるほど、上半身は動かせても歩くことはできない。ってことはPONDAが2000年に発表したUSIMOのCPUよりスペックが落ちるってか、おれの今の脳は」
日本が世界に誇る大企業のPONDAが2000年に発表したUSIMOは当時、完全自律二足歩行ができるというだけで世界中から注目された。開発当初は下半身だけの不気味なマシンであり1歩踏み出すのに10秒以上もかかったという。それほどまでに歩くという行為は難しいのだ。変わり続ける重心を感知し、リアルタイムの演算処理によってバランスを保ち続けなければならない。
紅介は軽く皮肉を言ったつもりだったが、母は小さなコップに向かって水道の蛇口を目一杯開けて器からこぼれ出るように涙が溢れ出てしまった。
「肩と太ももに差し込み口があるのか」
「はい、四肢の神経を機体とつなげて、対応する部分を制御しています」
「これなら手術も簡単でリスクも少ないということか」
「しかし、背骨や骨盤、股関節にあたる部分はオートになっています。これでは、人間らしいしなやかな動きは出来ませんでしょうな。ここに敵の敗因があります」
「ふむ、紅介君と敵のあの動きの差はここにあるのか」
司令はマジマジと捕虜の写真を見遣った。司令室の大きな正面モニターに数枚の写真が表示されている。捕虜の肩と太ももに機体とパイロットを物理的につなげるプラグの差込口があり、それらの拡大写真が生々しい。そして紅介の父、火威博士は手元のリモコンで画像資料を操作している。
「10年間....、やりきった甲斐があったな」
「はい」
火威博士は画像を見ながら、目を細めた。敵との技術力、生産力には大きな隔たりがある。物量で劣る敵方は限られた資源を有効活用するべく技術の革新に全精力を注いだ。しかし、唯一優るのは神経工学分野であり、火威博士が血眼になって延識兵器を研究、開発した結果である。
「紅介君の意識が戻ったようです」
2人の沈黙をオペレーターの声が終わらせた。紅介が最初にエンキ1号に搭乗した時にモニターしていたオペレーターである。女性らしい柔らかな声の中に強い芯があった。
紅介の検査が終わったのは目覚めてから数時間後のことであった。最初に緑色の謎の液体を飲まされた時、普段気の強い紅介も母の顔を見ざるを得なかった。母の大丈夫よ、という表情をなんとか信じて喉に流し込んだ。それを飲んで30分ほど経つと重苦しかった頭がだんだんと軽くなり冴え始めた。効きすぎて逆に本当に大丈夫なものなのか疑わしい程である。
目覚めてから一度も太陽を拝んでいない紅介は時間の感覚は全くなくなっていたが、腹の虫が身体の周期を紅介に告げてきた。
「ほう、そこまで元気になったのかね、紅介君」
博士と司令が紅介の病室を訪れると、紅介はベッドの上で母が職員食堂から持って来てくれたチャーハンに貪りついている真っ最中であった。
「さて....」
「もうちょっとで食い終わるんで」
司令が話を始めようとすると、長い話になりそうな雰囲気を察して紅介は食い気味に制した。
「で、何なんすか?」
食べ終わってレンゲを器に置くと、紅介はこれ以上ないほど太々しい態度で自分の祖父ほど年の離れた軍服の男性に言い放った。ベッドに座ったままである。もちろん、父の存在にも気付いていたし、2人の様子から恐らくその軍人が父の上司であると分かっていた。しかし、大人達の勝手な事情に振り回された哀れな少年であるという自らの境遇に胡座をかいている。被害者特有の強気だ。
「君と全然性格が違うんだな」
司令は博士の顔をチラッと見てから、話を始めた。
「私の名前は小早川だ。この自衛軍特務部隊デアニマの総司令官を務めている。昨日、君が搭乗した機体はデアニマ所属の延識兵器、エンキ1号と我々が呼称しているものだ」
「.......」
そんなことはどうでもよかった。校庭には自衛官が詰めていたし、あんなロボットを民間企業が所有しているとも思えない。父親の仕事のせいで自分が軍の仕事を請け負ってしまったということは分かりきっている。
「何か聞きたいことはあるかね?」
紅介の無言のプレッシャーに耐えかね、小早川司令は紅介に探りを入れることにした。
「.....事情はよくわからないけど、まあ全て話してくれるとは思えないしな。なんせオレはごく普通の高校生だしよ、軍事機密とか色々あるんだろ」
鼻で笑いながら全てを小馬鹿にしたように紅介は話し始めた。
「とりあえず、オレは自衛軍の仕事をひとつやりきったんだ。危険手当もつけて大卒の初任給以上はもらいたいところだね」
紅介の言葉に小早川司令の表情がムッとした。
「紅介っ!」
博士が痺れを切らして、怒鳴り込んだ。
「なんだよ....」
紅介と父、貴文はやっと目を合わせた。
「言いたいことがあるんだったら言えよ。知らない爺さんになんで喋らすんだよ!おれはあんたのことを信じてアレに乗ったんだぞ、戦ったんだぞ!」
貴文は出かけた息を呑み込んだ。
「なのになんであんたは何も言ってくれないんだよ!」
「いい子だねとでも言えば満足するのか!」
貴文の肚から出てきた一言だった。
耳にそれが入った瞬間、紅介の身体中の筋肉が叩きつけられたゴム毬の如く反応した。
「もう、やめてっ!」
そして、父に飛びかかろうとする息子を母がなんとか抑え込んだ。紅介の疲労は回復し、自分で用を足せるくらいにはなっていたのである。
「紅介はまだ疲れてるんですっ!」
小早川司令と火威博士は職場の顔に戻った。
「済まなかったな」
小早川がそう言うと、そそくさと貴文は出て行ってしまった。その挙動の一切を紅介は目に焼き付けた。しかし、小早川は残っている。
「まだ、なにかあるんですか」
一息ついてから紅介は声をかけた。
すると小早川はその声色、態度が少し変わったことに気付いた。先ほどまでの無礼は父に対する当てつけでしかなく、彼の本性は真っ直ぐなものである。年相応な父と子の会話であると言えなくもない。
「全てを話せる訳ではないが」
小早川が姿勢を正しながら、紅介の側まで近づいた。
「君の活躍は賞賛に値する」
なんとか労おうと思って語り始めたが、紅介の眉が敏感に反応したことを見逃してしまった。
「多くの命を救ったことを誇りに思い給え、被害も最小限で済んだ....」
「最小限だとっ、被害がっ!」
消えかかった炎に油が注がれ、紅介は素早く左手で小早川の右襟を握りしめた。戦場を幾度も渡り歩いた自分がなんの反応も出来なかったことに小早川は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻した。
「歯ぁ食い縛れ!」
「なんのっ」
怒りに任せて殴ろうとする紅介の動きはモーションがあまりに大き過ぎた。
ダンッ!
背中から落ちた紅介は一瞬何が起きたか分からなかった。襟をつかんだ左腕を引手に一本背負いの要領で叩きつけられたのであった。
「軽率であった、許せよ」
小早川は戦場になったのが紅介自身の母校であったことを思い出した。
「校庭にエンキ1号を運ばせたのは私だ、私の指示だ」
紅介は寝たまま小早川を睨んだ。
「恨んでくれて構わない」
バツのわるい顔を隠しながら、小早川も部屋を出た。真っ直ぐ過ぎるのだな、父に似て....。小早川は少し口元を緩ませた。
「まだ名前しか知らなかったんだぞ!」
叩きつけられた衝撃で乱れていた呼吸が正常に戻った。
「名前も覚えてないやつだっていたんだ!」
「これから一緒に遊んだり、喧嘩したり喜んだり泣いたり笑ったり.....」
「色んなことがあったはずなんだ。それをこんな訳のわからない事情で、冗談みたいな出来事で全部消し飛んじまったんだぞ!」
廊下に響く紅介の声は立ち昇る焔のように聞く者の胸を熱く揺さぶった。
「日本を占領するのに手間取られては困るな」
モニターの上官に申し訳ありませんと弘中少尉は大声で答えた。
「第一次地球降下作戦は正直言って失敗だった。これほどまでに地球側の延識兵器と当方のものと差があるとは誤算であった」
弘中は表情を変えずに聞き続けた。
「だからこそ、我らの故郷、日本を押さえることに意義がある」
そして、よろしく頼むぞと言い残し通信が切られた。
「民間人を巻き込んだことについてはお咎めなしか」
弘中は誰ともなく呟いた。
工作部隊から日本軍の通称エンキ1号の破壊が失敗したという報告を受けた時、こんなことになるとは全く想定していなかった。主任務は市ヶ谷の防衛省を破壊し尽くし、その写真を本国に送ることが主任務であった。防衛省を我らが『美作』が陥れたという事実が戦意高揚のためにも必要だったのだ。しかし、破壊任務が失敗したというと話は別になる。地球人が人型延識兵器を運用しているという事実の方が遥かに問題なのだ。
人型延識兵器は新たな時代を切り拓く選ばれし民に神が与えた力である。それがサイボーグ国家の樹立を目指すヤマトのイデオロギーなのだ。それに反するものは秘密裏に処理しなければならない。もしくはヤマトの主力人型延識兵器美作に駆逐されなければならないのだ。
しかし、エンキ1号を筆頭に地球人が造ったそれのスペックは予想に反して高いものであった。そして4機が1機に負けたという戦績など公表出来るはずがないのだ。
相手が地球で一番のパイロットであったと信じたいものである。弘中は切にそう願った。そうでなければ自分だけでなく、散っていった戦友も浮かばれないではないか。弘中はなんとか逃げ延びることができたが、仲間がどうなったか気が気でなかった。捕虜になったか戦死したか。一体、日本軍が捕虜をどう扱うのか。日本に限らず地球国家群の連中は我らサイボーグを便利なマシンとしか見ていない。そう学校で習った。だからこそ我らの住みよい『本当の世界』、『あるべき世界』を実現しなければならない。いや、地球だけではない。月面都市の連中も表面上は友好的だが腹のなかでは何を考えているのやら、分かったものではないのだ。
弘中がスイッチを入れるとエンキ1号にやられたパイロット達とともに写る写真が、手首につけたデバイスより空中に3D表示された。
「お前らだけを逝かせはしない」
弘中はまた呟いた。静かだが、深く力強く。
「延識兵器を操作するだけなら非侵略式のインターフェースでも充分だけど、あのエンキとかいうロボットのカメラ映像がおれの脳に直接入ってきた。目でその映像を見たんじゃない。バイオニック・アイのような侵略式の『入力』、つまりBMI手術をしてなければ出来ないことだ」
「ええ、そうね。それにしてもさっきからあなた、パンイチで何してるの?」
「形だよ」
上半身を露わにし下半身は下着のみを着用した状態で身体の動きに合わせて強い息吹を放つ息子の姿。そんな光景に動揺するのは、母として当然の反応だろう。といっても別に好き好んで裸になっているわけではなく、下着の上に病衣しかない状況であるから動きづらいそれを脱いだのだ。他にTシャツやジャージがあれば身につけている。
「三戦っていう基本形だよ」
紅介は内股に絞りながら足裏を擦るように一歩踏み出す度に身体に力が漲るのを感じつつ、そして息吹に合わせて拳を突き出す度に肚で気が練り固まり行くのを味わっている。
「こうしてると気分が落ち着くんだ」
こういうところは貴文にそっくりだな、紗綾はしみじみと思った。自分の好きなことに前のめりになって周囲の目を意に介さない性格は父親譲りなのである。マイペースといえば穏やかな表現だが、つまりは自分勝手なのである。わがままなのである。アクの強い2人だからこそ混ざらず、かといって離れずお互いにその存在を確かめる様に押し問答を繰り返してしまうのだ。
息子が空手をやるのを見るのは初めてだった。もちろん、空手をしているのは知っていたが、それを実際に見ることはなかった。いや、とても見ようとはどうしても思えなかったのだ。なぜならそれは紅介の恐ろしくあまりにも酷い運命を、未来を。喉を貫かんとする切先の如く、紗綾に突きつけるからだ。
「ひとつ気になることがあるんだ、母さん」
何?と答えると紗綾はズシリと重くなった胸のつかえをほぐすように明るい声をだした。
「レコーディングとディコーディングの擦り合わせが必要なはずだよね」
「....ええ、そうね」
「人が身体を動かす脳波は人によってそれぞれ違う、いや同じ人間でも時間ともに変わるものだよね。例えばアスリートとスポーツをしない人では脳の筋肉に対する支配領域が違うし、スポーツを引退した後どんどん体の動きが鈍くなるのに合わせて脳と身体の関係も変化する」
「つまり、脳波とエフェクター(動かそうとするマシンなど)の関係性はそのままレコーディングとディコーディングの関係にスライド出来る。例えば人によって歩く動作を行う時の脳波に違いがあるから、どれが歩く脳波か先ず脳からサンプルをとってそれを保存させなければいけない。もしくはエフェクター側に記憶してある脳波と同じものを出すよう努める、まあこれはほとんど無いケースだけどね」
紅介は母の反応も待たずに形の姿勢をやめて、振り向いた。
「父さんが開発したあの対地攻撃型ヘリはパイロットのβ波をヘッドギアが感知してエイミングをアシストするだけ、それくらいならサンプルを取る必要はない。パイロットの慣れがあればいい。だけど....」
急に紅介は右の掌を凝視した。あの黒服の男に、自分の意識がエンキ1号と同化していると告げられた時と同じように。
「あの時、あんな複雑な動きを自分が思った通りにできた」
拳を握りしめた。
「事前におれの脳波と実際の身体動作を録ってパターン化しなきゃ無理なことだ」
紗綾はゴクリと唾を飲み込んだ。もう相槌すら出来ないようだ。
紅介はある確信を持ちつつ、両手を組んで力を入れたり、手首を握ったり、手首をブラブラと振り回し始めた。それは1分もしなかったが、母である紗綾にはとても長い時間に思えた。
「マイクロマシーンだな....」
紗綾の目は紅介の口元に釘付けとなった。
「っくっくっく、ふふふふっふっふっふははははっはっはははっはは」
紅介は狂った様に突然笑い始めた。右手をおでこに当て、左腕を力無くダラリと垂らしながら。笑いの振動が左手に伝わりわずかに動いているのが不気味である。いや、本当に狂ってしまったかもしれない。脳だけでなく、自分の体中が知らない間に弄られていたのだ。冷静でいられるはずが無い。この時ばかりは自分の知識と洞察力を恨んだ。
「あ、う....」
紗綾は言葉が出ずに、ただ狂い始めた息子を抱きしめるしかなかった。
「なあ、おい」
紅介は母親をギョロリと見下した。その口調はあまりにも無機質で冷たかった。怒りも悲しみもない。
「あんた、本当におれの母親なのか」
「え...」
「受精卵の段階で遺伝子操作された試験管ベイビーなんじゃないのか、しかも病気に強くて頭良くてスポーツも出来る優秀な人間同士のよう」
「なっ」
紅介の顔を恐る恐る見上げた。
「それとも人間の記憶を植え付けられたアンドロイドかもな」
紅介は母の肩を押して顔を覗き込んだ。
「だからあんたもおれを愛せなくて親父と別れたのか、親父が造った新兵器の試作機と家族ごっこするのが嫌だったんじゃないのかよ」
「いい加減にしなさいっ」
ピシャンと乾いた音がした。それは紅介の記憶の中で初めての経験だった。母親に叱ってもらうのは。
「何も信じられねえよ」
そう言うと紅介はベッドに座り込んだ。
紅介の心臓が激しく胸を打つ。これもつくられた感情なのか。いや、馬鹿な妄想だ。もしおれが親父のつくりだした戦闘マシーンならこんな感情をもつのはおかしいじゃないか。だけど、色々なことがあり過ぎて余裕がない。あんなことを叫んでみたところで何か解決するわけでもなく、心が晴れるわけでもない。
気づくと母は部屋にいなかった。
「酷いこと言っちまったな」
若さに止めどなく激情が湧き出てくる。紅介はベッドに横たわり、丸くなると自分自身を抱きしめる様に左右の二の腕を握りしめた。
夜半、月の光に照らされた鉄の塊が空を駆る。
「地球で見る月か....」
弘中の目に映るそれはあまりにも優美で、ただその輝きだけでこれから死にゆく青年の恐怖を払い除け、奮い立たせた。
「これを見ることが出来ただけでも地球に来た甲斐があったと思える」
さらに加速した。
「月から見た地球もまるでサファイヤのように綺麗だったな」
レーダーに警告表示が出た。
「遠くにあるものは魅力的に見える、だから欲しくなってしまうのかな」
漆黒のカーテンを突き破ろうと突進するかのような飛行、そして美作は速度を保ちながら腰からハンドアックスを取り出した。
「3機かっ」
ヘリが向かってくる。しかし、ここで弾薬を消費するつもりはない。
「停止せよ、こちらには攻撃の用意がある」
「貴様らこそ、そこを退け!退かねば墜とす!」
弘中の撃墜宣言を合図に、ヘリはそれぞれ対空ミサイルを放ってきた。
「そんなものでっ」
迫りくるミサイル群をヒラリと躱し、3機のヘリに突っ込んだ。ミサイルは後ろのビル群に突っ込み、それらを破壊して果てた。
「突っ込んでくるぞっ」
それは美作の一番近くにいたヘリのパイロットが遺した最後の通信記録である。一瞬特攻を思わせるも、そのパイロットの視界から忽然と消えたのも束の間、コックピットはハンドアックスの一撃で潰れてしまった。
「ひぃっ」
二機目の標的にされたパイロットは突っ込んでくる美作がハンドアックスを持ってない方、向かって右、美作の左側面に回り逃れた。
「甘いな」
美作の右足踵が弧を描いて、ヘリに叩きつけられた。それは一見華麗な舞踏のようでもあった。あまりにも優美な後ろ回し蹴りであったのだ。
「がはっ」
しかし、攻撃を成功させたはずの弘中が身体の内から沸き起こる不快な感覚に悶えた。
「これが基本スペックを超えた動きっ」
最後のヘリに視線を移すと、あらゆる兵装を美作に乱射してきた。
「その代償っ」
胃液が逆流し、口の中で血の味がする。
「体中を針で刺し貫かれている様な感覚!」
ヘリなど問題ではなかった。美作の動きは人間のそれと酷似しているのだ。鋭くはっきりとした認知と反応。滑らかでしなやかな関節の動き。そして以前エンキ1号、つまりは火威紅介と対峙した時とは違うことがさらにまだある。
肩と腿にプラグを差し込んでいない。美作という兵器は、両腕を両肩から、両足は両腿からの「入力」で操作するのが本来の運用方法である。しかし、本来の操作手順に逆らいながら、基本スペックを超える動作を体現しているのである。
「ん?」
最後のヘリを何の問題もなく墜とし、一息ついた弘中は首筋にツゥーっと流れる液体の存在を感じ取った。
手を当てがい、見てみるとそれは汗ではなかった。赤黒い液体。赤黒さの中で黄色っぽい固形物が混じり合いとても生々しい様子だ。血と皮膚の組織が死んで変色したものである。真新しい入力装置とジュクジュクに化膿した生身の皮膚のコントラスト。
弘中はズキズキとした痛みを首に感じながら、再び目的地へ向け加速した。
「まさか、何の抵抗もなく再び乗ってくれるとはな」
小早川司令は目を大きくしながら、司令室の正面モニターに映る紅介を見ている。丁度、格納庫で紅介がエンキ1号に乗り込もうとしているところであった。
「ひと暴れすると思われましたか?」
「ああ」
「私もです」
貴文も紅介がもう一度乗ってくれるか不安でたまらなかった。息子だからといって父である自分が全てを把握しているわけではない。当たり前のことだが、どう感じるか、どう思うか父母の予想を良くも悪くも裏切るようになる。それはある種の成長であり、強烈な自我の確立とも言うことができる。人によっては回りを傷付けながら、苦しみ悶えながらも、親の手から放たれ抜け出そうとするのだ。
「しかし、ここまで素直、いや従順だと気味が悪いな」
「ええ、あれは素直なんて言うようなポジティブな態度じゃなかったですね」
司令の不安に頷きながら貴文は先ほどの光景を思い出していた。
敵機襲来のスクランブルがかかると、真っ先に貴文は紅介の病室に向かった。再びエンキ1号に搭乗するよう説得するためである。罵られるかもしれないし、暴れ出すかもしれない。それは人として当然の反応だ。自分でもそうするだろう。だから意を決して病室のドアを開けたのだ
しかし、予想に反して紅介はなんの抵抗もしなかった。状況を説明する父、貴文の言葉を虚ろな目で頷くだけであった。
「エンキ1号射出します」
オペレーターの声が響くと貴文は現実に戻された。
デアニマの司令部は地下にあり、基地そのものは郊外の丘陵地帯を幅広く覆っている。周囲を気にすることなく兵器の実験などを行うためだ。
射出カタパルトが大きな音を立ててエンキ1号を地上に向けて射出した。地上では地面が裂け、割れ、その中から天へレールが伸びてしばらくすると、ガシャンと音を立ててエンキ1号を固定したフレームが姿を現した。
「なんだあの装備は」
弘中がデアニマの基地に着くと、エンキ1号が出迎えた。その姿は以前のものとは大きく違っている。ゴツゴツした拳に、動きを干渉せず、しかししっかりとした厚い装甲。以前のノッペリとした印象とはだいぶ違う。
「おれも強くなったが、貴様も強化されたか」
エンキ1号から手の届かない位置で静止し、美作は空中から見下ろした。
「おもしろい、命を削った甲斐があったものよ」
美作は銃器の照準を合わせた。
「出し惜しみはしない」
激しい唸り声を上げて銃身が吠えた。
「何!?なぜ反撃もせずにつっ立っているんだ」
小早川は驚きのあまり声を荒げた。エンキ1号は腕をクロスして、顔へのダメージを防いでいるがその身に銃弾を受け続けている。避けようともしないのだ。
「紅介どうしたんだ、紅介っ」
「ん?なんだこれ?外部マイクの聞こえ方とは違うな」
「ああ、TCDで言葉を伝達している」
「米国陸軍が開発したテレパシーコミュニケーションデバイスか..、ってことは親父も手術を」
「そうだ」
「全く親子揃って、何やってんだかな」
「今はそんな事を言っている場合じゃないだろう」
「そういう事を言う場合かどうかはおれが決める」
「なにっ!?」
「おれだってこうして痛みに耐えてんだ、聞きたいことを聞かせてもらうまで戦わないからな」
「ああ~、そう来るか。自分自身を人質にするとは....、馬鹿なんだか根性あるんだか」
「そんな悠長なこと言ってられませんよ、実際彼がこのまま命懸けのストライキを続けられて困るのは私達なんですから」
小早川のボヤキにオペレーターがツッコミを入れた。小早川にここまでハッキリとものが言えるのはデアニマの中では彼女だけである。ちなみに親子2人の会話は脳波を介したテレパシーでなされているが、その内容は音声に変換されて司令室に放送されている。
「さあ、語ってみろよ。自分の息子の頭蓋骨にドリルで穴開けて脳みそに電極ぶちこんだ時の感想をよ」
「....低侵略式だ。脳に直接差し込んでいない」
「なっ、言葉尻捉えやがって」
「それに直接、私が手術したわけではない」
紅介は出鼻を挫かれたような思いで腹が立った。BMI、もしくはBCI手術には2種類ある侵略式と低侵略式である。侵略式は脳に直接機械を埋め込む方式で、低侵略式は頭蓋骨と脳の間に機械を入れる方式だ。貴文は頭蓋骨を削ったが、脳にはなにもしていないということを伝えたかっただけなのだが、紅介の感情を逆撫でする結果となった。
「?」
弘中は操作を止めた。美作の射撃は止み、土煙に包まれたエンキ1号の姿だんだんとハッキリと見えるようになっていった。
「なぜだ、なぜ何もせんのだ」
外部スピーカーでエンキ1号に呼びかけながら、ゆっくりと美作は地上に降り立った。
「おい、聞こえているだろう」
一歩一歩近づいていく美作。
「おれは貴様を倒すために禁忌に手を出したのだ、そして貴様も強くなったおれに相応しく完成されて出てきたのだろう」
ハンドアックスを取り出し、やがて早足にそして駆け始めた。
「それではおれが命懸けの手術をした甲斐がないではないかっ」
美作は大きくハンドアックスを振りかぶって、エンキ1号に叩きつけた。
「さっきから、っるせぇんだよ!」
エンキ1号は最小の動きでそれを交わすと右拳を美作の顔面に突き入れた。垂直に振り下ろす刃物軌道から外れることなど簡単だ。しかも怒りで動きが大きくなり、間合いもなにもあったものではなく遠いところから動きの起こりが見えれば尚更である。
「さっきからペチャクチャ独り言か、おい。てめぇのことなんざ知ったことじゃねえんだよ。親子喧嘩に水さすんじゃねえ」
「な、何を言っているんだ」
弘中の反応は当たり前である。地球を侵略に来て、撃退された相手がまさか高校生であったとは想像もできない。まして再度相見えた時に親子喧嘩の真っ最中であると誰が思いつくことができようか。
紅介も紅介で、父とテレパシーの会話の最中にエンキ1号の外部マイクから入ってくる「音」が入ってくるのがどうも煩わしく苛立っていた。
「まあよい、さあ、始めるぞ我々の戦いを」
「うるせぇ、勝手に盛り上がっているんじゃねえぜ」
ハンドアックスを振り回すが、美作の攻撃は全く当たらない。
「あの動き、妙だな」
「はい、回収した敵機美作のスペックからは出来ないはずの動きです」
「ああ、四肢の動き以外がオートではあのようには行かぬはず」
「まさか敵も侵略式の手術を」
「主義主張を変えたとは考え辛いが....」
司令とオペレーターはこれを専門家に聞いてみたかったが、博士は親子喧嘩の最中でそれどころじゃなかった。
「いつもそうだ、あんたは自分の研究ばかりで家族のことを省みない」
「国家を護るためだっ、犠牲になることはある」
「おれもそのひとつだってのかよ」
「それは...」
「確かにおれはあんたのおかげで何不自由ない生活をさせてもらった感謝だってしてる。しかし....、うわっ」
美作の攻撃を避けながら、口喧嘩を続けた紅介はエンキ1号がだんだんと沼に近づいていたことに気がつかなかった。
「もらっっったぁぁああああ」
滑ってバランスを崩したエンキ1号、そしてその隙を弘中が見逃すはずはなかった。ヒュンという風切り音とガキンという衝撃音はほぼ同時であった。
「だあああああ、くっそ痛ってえええええ」
「紅介!」
紅介の「声」は外にもテレパシーにもなって伝わった。
「もってかれた!右足がっ!」
「それは幻痛だっ、気にするな目の前の敵に集中しろっ」
「馬鹿言ってんじゃねえ、痛えもんは痛えんだ。だいたいなんで痛みまで再現する必要があんだよ!」
エンキ1号が仰向けになって死にかけた虫のようになって喘いでいる。そしてその様を味わうようにゆっくりと美作が跨った。
「ふっはっはっはっは、勝ったぞ。さあ、これで終わりだーーーーーー」
ハンドアックスがエンキ1号の頭部に振り下ろされた。
「ヤメロォぉおおおおおおおお」
貴文の「声」が紅介の脳内に木霊した。
「ん?なんだ...どこだここは」
紅介は何も無い空間にポツンと自分がいることに気づいた。
「おれは今、あのロボットに乗って戦って...絶対絶命のピンチだったはず」
「は!?もしやこれこそSFものによくある精神世界ってやつか」
「ってことは、おれニュー○イプか、イ○ベイターか、それとも種割れか」
「オーバー○キルか、オーガニック・エ○ジーかそれとも意表を突いて聖○士のハイ○ー化」
「いや今川演出はちょっとなぁ....必殺技に「ラブラブ」ついちゃうし」
「ってんなこと言ってる場合じゃ....ってやっぱりおれ裸になってる!お約束通りだ!そして....」
「おっ、やっぱり股間の部分が光でボカしたような感じに上手いことなっている!無え、おれのモノが無え!」
あえて言おう!紅介はオタクであると!
本来、紅介はこういうことは大好きな筈だった。ただ同級生を殺されたこと、そして反抗期故の父に対する反発があって悪態をついていた。そして何よりその方が主人公っぽいからである。先週、新訳Z三部作を徹夜して見た影響が一番デカい。
「っと、そろそろ真面目になるか早く目覚めないとあの斧に殺られちまう」
キョロキョロと辺りを見回した。
「なんかいい感じに時間の流れが違うから目覚めた時にこう上手いことなってるんだろうけど」
「こう、けは、た、からないのか」
「ん?これは親父の声か」
「紅介はもう目覚めないのか」
「分からないわ、目覚めるかもしれないし、目覚めないかもしれないって」
「そんな...おれのせいだ。おれを狙った攻撃が紅介に!」
若いころの親父と母さん?ベッドで寝てるのは...おれか!頭が包帯でグルグル巻になってる。この頃すでにおれの頭に装置が埋め込まれていたのか?
「飲み過ぎだぞっ、紗綾」
「ん、ん、嫌よもう。私達のせいで紅介は2度と歩くことも喋ることも、笑うことさえできなくなって....もう耐えられないわっ」
「いや、まだ全てを諦めるにはまだ早い。これを見てくれ」
「デアニマ機関?延識機兵プロジェクト?」
「そうだ、紅介の脳は一部を除いてまだ生きている。その部分の代わりになる部品を頭蓋骨内に収めて脳を補完するんだ」
「え...」
「手術代は個人が払える金額ではないが、国が払ってくれるぞ」
「でも....その代わりに」
「ああ、自衛軍の一員として奴らと戦うことになる」
「ダ、ダメよ、そんなの」
「いいや、これしかないんだ、でないと君がもうこれ以上耐えられなくなる。今は何が何でも反対だろうが、紅介の笑顔をもう一度見れば君の考えも変わるさ」
「嫌ぁあああ」
「今は私のワガママでいい。私は息子とキャッチボールするのが夢だったんだ。だから私のエゴで紅介を国家に捧げる。君は何も悪くない。紅介が大きくなって真実を告げる時、私が全てを背負うよ」
おれは頭に怪我をしてそれで意識が無くなって...。それでさっき頭に包帯を。
「博士、お休みになって下さい、でないとお体がっ」
「うるさい、離せ!紅介が将来戦う時のために少しでも強くしておかなければならないのだ」
「紅介が負けないために、そして死なぬために」
「そして、全ての戦いを終わらせて、また家族三人で夕方になったら卓を囲むんだっ」
おれのために....おれが戦いで生き残るためにおれのことは放ったらかしで研究してたっていうのか。キャッチボール、そんなの一度も...。
「一度もしてくれたことなんかねえだろぉぉおおおおおーーーー」
「なに!?」
勝利を確信したハンドアックスの一撃を防がれて、弘中は動揺を口に出してしまった。
ハンドアックスの刃をギリギリで白刃取りしたエンキ1号。そしてそのまま刃を横に向けさせて抱きかかえるようにして、ハンドアックスを自身の胸に押し付けた。
「離せぇええ」
美作はハンドアックスをエンキ1号に抑えられ動けずにいたが、痺れをきらして左拳で殴りかかった。
するとハンドアックスを手放し、エンキ1号は自身の顔面に向かってくる美作の左拳を受け流しそのまま左腕に絡みついた。
「甘いんだよっ」
エンキ1号はその勢いで美作の首を手繰り寄せて胸に抱きかかえた。総合格闘技の試合でよくあるシーンである。密着し過ぎて逆に攻撃ができないアレだ。
「いよっと」
エンキ1号は正常な方の左足で地面を思いっきり踏み、ブリッジのようにした。そして右側に回転して逆にマウントを取り返した。
「うらぁああああ」
マウントをとったと同時に、間髪入れずに正拳を美作の顔面に打ち込んだ。頭が潰れた。
するとそれっきり、それはただの鉄の塊となった。
「ハア、ハア、ハア、終わったか」
紅介はだんだんと冷静になってきた。気づくと夜は明け、朝日が辺りを照らし始めている。「紅介....」
「親父、親父の記憶が流れ込んできたぞ」
「ん?なにを言ってるんだ」
「あれが事実だったのか、おれの妄想だったのか、まあそれは今はどうでもいい」
「記憶?TCDにそんな機能は....」
「思ったことを音声にするシステムが暴走して思念やイメージ、記憶も伝達したってのは出来過ぎかな、まあなんでもいいよ。とにかくお互いに不器用なんだよ、親父もおれも」
「紅介、大丈夫か?さっきから、何言ってるんだ」
右足の動かないエンキ1号は美作を下に敷いたまま空を見上げた。まだ薄暗い中、雲ひとつ見えない。今日は日本晴れになりそうである。
「親父、キャッチボールするには良い日じゃないか?」
次回予告
謎の新キャラ「全く、好き勝手に周囲を巻き込んで引っかき回して、迷惑な奴だな。こんなやつが1号機のパイロットで私の仲間になるとは先が思いやられる。ん。私が誰かって?っふ、それは次回までのお楽しみってところだな。次回、第三話 蒼き剣。さあ、刮目せよ!」
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