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本編*第二章 - 展開編 -*

第12話、海と記憶【後編】

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──翌日、外は晴れたが天気予報によれば午後から小雨が降るらしいので、遊ぶなら昼間の内がいいだろう。毬慰は相に選んでもらったお気に入りの水着に着替え、早速待ち合わせ場所である海の家に来ていた。
 昨夜、楽しみ過ぎてなかなか眠りにつけなかった毬慰。折角友達と遊ぶのに寝不足になってしまわないか不安になっていたが、花夜に相談すると、どこから出したのか不明だが玉葱を出してきて「これを枕元に置いて一緒に寝ると眠くなる。」と教えてくれた。
 "はなやの知恵袋"……。玉葱を半分に切って枕元に置くと、"アリシン"という成分(※スライスすると目に染みるアレ)が神経を落ち着かせ、ぐっすりと眠れる。そのおかげでなんとか睡眠不足を回避する事に成功した。
 約束の午前十一時まで三十分早く来てしまったが、どうやら楽しみにしていたのは毬慰だけではなかったようで、幸と福も既に到着していた。毬慰は二人の姿を見つけると嬉しくなり、目を大きく開いて満面の笑みを浮かべ、右手をぶんぶんと振りながら駆け寄った。
 毬慰の声に気づいた幸も嬉しそうに笑みを浮かべ、パイプ椅子から立ち上がると「こっちだよー!」と呼びながら手招きする。福は相変わらず子供にしては大人びていて、くすりと笑みを浮かべ椅子に座ったまま「おはよう」と毬慰に挨拶した。
 ホテルを出る前、水着姿を見せるのを今更恥ずかしく思っていた毬慰は、此処へ来るまでずっと二人の反応に内心ビクビクしていた。相が選んだのだからセンスに問題はないと思うのだが、やはり自分にこのような可愛くてかっこいいしっかりとした物が似合っているのか、とても自信がなかった。普段の制服も、動きやすさを重視した物で、シンプルなデザイン過ぎて可愛いとまではいかない物だ。
 "変じゃないだろうか"とそわそわする毬慰に対し、水着姿を見た二人はわぁっと明るい表情で驚く。
「マリーちゃんその水着いいねっ!」
 最初に発言したのは幸だった。続いて福も感想を言う。
「まるで玩具の兵隊さんみたいで可愛らしいわ。お部屋に飾ったら素敵でしょうね。」
 手に持っていた扇子をバサッと片手で広げ、口元を隠した福がニッコリと微笑む。福の言う通り、全体的に貴族的なデザインになってしまったが、キュートなチーズのサンダルのおかげか、パッと見、玩具の兵隊っぽくて可愛らしい見た目になった。色は少々派手だが落ち着きがあって、上品さも感じられる印象だった。
 褒められると素直に嬉しいのだが、大人ではなく同い年くらいの子に言われると、お世辞ばかりを口にする大人より純粋に感想を伝えてくれてる気がして……どうも照れ臭かった。
 毬慰は両手を弄りながら口をニマニマさせて、小さくお礼を言う。二人にはしっかり聞こえていたようで、顔を見合わせた後に毬慰に顔を向け嬉しそうにニマッと笑った。
「……ちなみに、二人に質問したい事があるんだけれど。」
 福は扇子で口元を隠したまま目をニッコリとさせ、二人にずっと気になっていた事を聞く。幸まで何も言わず自然体だったため、自分一人だけがおかしいのだと思っていたのだが、周りの人々がたまにチラチラとこちらを見てくるので、恐らく自分だけではないのだろう。
「マリーちゃんの両手に持ってる"それ"、何?」
 スンッと真顔になった福は扇子を両手でパンッと閉じ、ピシッと左手で扇子を持ち毬慰の持つ"両刃の斧と槌"に向ける。毬慰は福に言われ自分の相棒を紹介し忘れていた事に気づき、大きな声で説明する。どうやら一々相を花夜に預けるのも面倒になったのか、人間達への配慮は止めたらしい。
「そうだった……! 紹介が遅れちゃったね……この子はマリーの相棒のちゃん! 仲良くしてあげてね!」
「いやそうではなく……」
「福ちゃん……」
 幸は内心、"私も最初不思議に思ってたなァ~"と、遠い目をしていた。

……さて、砂浜にまで来たはいいが、毬慰は今まで海で遊んだ事がない。一体どうやって遊ぶのかわからないのでとりあえず二人の様子を見ている。幸は何やら膨らませる前の風船のような物をビーチバックから取り出し、空気栓を抜くと口で膨らませ始めた。
「風……船?」
「あらマリーちゃん、ビーチボールを知らないの?」
 "あれでバレーをやったり、体を動かして遊ぶのよ"と扇子で自分の顔を仰ぎながら説明する福。バレーならテレビで見ていたので何となくわかる。しかしルールまでは知らないので少々不安、口をへの字にさせ相を持ったまま下を向いている内に、幸が膨らませ終わったのかこちらへ走ってきた。
 話が聞こえていたのか、幸はビーチボールを両手で持ちながら説明する。
「マリーちゃん、てきとーでいいんだよっ! 本格的なバレーなんてできる程の人数じゃないし、三人で紙風船を叩いてお互いに飛ばす感じでもいいんだよ」
「! それ、おーま・・・とやった!」
 毬慰と花夜が削除署に帰還後、浄化係で相の中から怨念を無事摘出してもらった後に、桜馬が実家からのお土産だと言い毬慰に紙風船をあげた。その時に初めて紙風船という物を知り、下から叩いて空中に飛ばして遊んだのを覚えている。楽しかったのだが、すぐにクシャッと潰れてしまったのがほんの少しだけ寂しかった。
 二人は桜馬に会った事がないため、「オーマ?」と頭にクエスチョンマークを浮かべているので、毬慰は慌てて"職場の先輩"とだけ答えておいた。
「幸、そのボール、すぐ割れたりする?」
 ビーチボールを触った事がないので、眉をハの字にさせながら心配するが、幸は笑いながら毬慰にビーチボールを渡してみた。触ってみて予想以上の固さに驚いた毬慰は、相を持ったまますぐに空中に投げてキャッチしながらはしゃいだ。幸は「相ちゃんに当たったら割れちゃいそうだよ?!」と慌てて止めた。廃旅館の時に、女将の首を一発で斬り落とした切れ味を幸は知っているからだ。
 福はというと、その片手には日焼け止めクリームのチューブが握られていた。
「NO紫外線、遊ぶ前にお互いの体に塗りましょう。」
 背中は一人で塗るのは難しいので、毬慰は幸に、幸は福に、そして福は毬慰に塗る事になった。しかし、クリームを手の平に乗せた毬慰は露骨に嫌な顔をした。
「マリー、べたべたするから幸に塗るだけでい──」
 "いい"と断ろうとした毬慰の肩を、ガシッと後ろにいた福が手で掴む。
「NO紫外線……ベタつくとかベタつかないの問題じゃないのよぅ? ……後々後悔したくなければヤリナサイ・・・・・。」
「こ、こわい……!」
 気のせいだろうか……福の両目がギラギラとしているように見えてしまった。つい相に助けを求めテレパシーを送るのだが、福の言葉に内心同意したのか、毬慰の肌を守りたい故に福に便乗して"NO紫外線"とだけ答えた。
 嫌々ながらも、毬慰も何とかクリームを塗ってもらい三人は早速ビーチボールで遊ぶ。普通のボールとは違い、軽く、でもハリのある打ち心地。毬慰はいつまでも遊んでいられる程楽しめた……のだが、この後毬慰は首を傾げる事になる。
 幸の母親だろうか、遠くの方から幸の名前を呼びながらこちらへ歩いてやってきた。そういえば、毬慰がホテルへ戻る前に、子供だけでの旅行は危険なので幸の両親が一緒に来ている事を二人から聞いていた。一応驚かせないように、相には隠輪をはめてパラソルの下に置いておいた。
「あら、お友達が増えてる。君お名前は?」
 幸の母親は毬慰に顔を向け、ふわりと微笑んだ。暖かい太陽のような優しさが滲み出ていて、流石心優しい幸の母親だと思った。自己紹介も軽く済み、母親は毬慰を昼食に誘う。
「そろそろお昼だから、近くのレストランで一緒に食事にでもどうかな?」
 幸の母親の誘いに一瞬申し訳なく思い迷った毬慰だが、「一緒に行こう?」と両手で手を握ってくる幸の笑顔に、ここで断るのも気まずいかと考えた毬慰は、「じゃあ、お言葉に、……甘えまして。」と苦笑いした。父親は先にレストランで待機しているらしい。
 毬慰はふと、黙ったままの福が気になりちらりと横を見る。
(……あれ?)
 福は……幸の母親と幸の様子を無表情で見ていた。いや、無表情というより──
(なんだか……)
 寂しそうな、悲しそうな……毬慰は何とも言えない違和感に首を傾げた。

──昼食はとても満足した毬慰達、特に"マリナーラ・ピザ"が美味だった。このピザは"マリナーラソース"を使用した物で、トマトソースの一種である。チーズは使われずシンプルな盛り付けなので、チーズ好きには物足りないかもしれないが、毬慰にとってはどれも新鮮な気持ちで味わえて楽しかった。
 デザートはマンゴーのシャーベット。マンゴーといえばもったりとした甘みが重く、人によっては好みが別れるかもしれない。毬慰はあまり好みではなかったが、シャーベットにすると意外とサッパリとしていてこれもまた美味だった。何より……友達との食事がより美味しくさせたのだと思う。
「午後から小雨が降るらしいから、あまり遅くならない内にホテルに戻ってきてね。」
 幸の母親は幸と福にそう言うと、毬慰にも気にかけ「マリーちゃんも、あまり遅くならない内に保護者の方の所へ帰ってね。」と言って笑みを浮かべて、父親と共にホテルの方へ戻って行った。
「幸のお母さん……いい人だね。」
 幸の親が優しい人で良かったと、毬慰は心の底からホッとする。毬慰の言葉に嬉しくなった幸は、元気よく「うんっ!」と頷く。福はその様子を見て、無表情で足元を見下ろす──この時、一瞬福の背後から"ベタンッ"と音が聞こえたのを毬慰は聞き逃さなかった。
(何……今の)
 タオルを水で濡らし、絞りもせずそのまま床にでも叩きつけたような音。それに微かだが、マッチを擦ったみたいな焦げ臭さを感じた。
 花夜から聞いた事がある。あるはずのない場所で臭うものは"霊臭れいしゅう"と呼ぶ。霊は独特の臭いを放つらしく、臭いによって様々な霊の種類がわかる。嗅いでいて心地の良い線香や花の匂いは自分の先祖や良い霊のものが多い、しかし、家等が焼けるような焦げ臭いものは悪霊が多いとか……。
 この近くに、今回のターゲットである自殺者がいるかもしれない。花夜からは遊ぶ事も仕事の内とは言われたが、自分の仕事は本来、自殺者からの怨念を没収する事だ。幸達との思い出作りも楽しむが、同時に周りへの警戒や自殺者についての調べも必要だろう。
……あれから三人は軽く海の中に入って水をかけ合ったり、砂のお城作りに挑戦してみたりとそこそこ楽しんでいた。だが、毬慰は薄々気づいていたのだ。
 福は、心から楽しんでいない。それも会った時から今までずっとだ。折角友達になれたのだから、何か悩みがあるのなら話を聞いてあげたい。自分と幸だけ楽しんでいても意味はない。
「ちょっとお手洗い行ってくるね。」
 幸が「すぐに戻ってくるから!」とトイレに走って行くと、福も一旦水分補給のために海から上がり、パラソルの下へ向かった。ハチミツレモンのペットボトルのキャップを開け、口に付けてグイッと飲んでいる横に毬慰がとことこと行くと、勇気を出して聞いてみる。
「福、もしかして何か悩み……とか──」
 福の顔を見て、毬慰は表情が固まった。全てを包み込むような夜空を連想させる落ち着いた福の雰囲気から、冬の風でも吹いているような冷たい視線と表情に変わっていた。まるで別人に見える彼女に毬慰は恐怖を覚え、つい本当に福なのか名前を呼んでしまう。
 福は深く溜め息をゆっくりと吐き、こんな事を呟いた。
「うっざ」
 じくりと、胸に小さな痛みを感じた。友達になれたと思った相手に、まさかこんな言葉を言われるとは予想もしなかった。自分は一緒に遊んでいて楽しかったが、福はそうではなかったのだろうか? ショックだが、何故嫌われているのか理由がわからない内はまだ納得がいかない。
「……マリーが、幸と仲良くしてるの嫌……だったとか?」
 少ない時間で一生懸命考えてみた。もしかすると、見ず知らずの自分が幸と仲良くしているのに対し本当は不快だったのかもしれない。なら、自分が遠慮して立ち去ればいいだけだ。折角幸に同じ人間の友達ができたのだから、天使でもあり寿命の長さも違う自分が一緒にいるよりはいいのだから……毬慰は俯きながらそんな事を考える。
 だが、福はさらにこんな事まで言い出した。
「わたし、幸もうざいと思う。」
「……ッ! なんで、」
 "自分の事は嫌ってもいい。けれど、大切な友達を悪く言ってほしくない。"毬慰は頭に血が上り、眉を吊り上げて顔を勢いよく上げた。福の表情からは温かみも一切消えて冷めており、心底くだらないとでも言いたげに毬慰を見下ろしている。
 まだ知り合ってそれ程経っていないが、嫌々ながらも日焼け止めクリームを塗った時も、ビーチボールで遊んだ時も、皆で食事をした時も、水をかけ合ったのも全て楽しかった。一緒に会話もしていて楽しかった。福の事も同い年くらいでも、いいお姉さんにも思えた。……あれは全て、嘘だった・・・・のか?
「もしそうなら……マリーは、貴女の事が好きじゃない。」
 怒鳴りはしない。一応幸の友人なので暴行もしないが、これだけは言い放つ。
「あの子を傷つけたりしたら、許さないからねっ!」
 人差し指で福を差し、自分の気持ちをぶつける。その言葉を耳にした福は暫く黙っていたが、ハッと嘲笑う。
 丁度ここで幸が走って戻ってくると、何やら二人の空気がピリピリとしているのに戸惑ってしまう。二人に何があったのか聞こうとした時──急に福が幸に抱きついて泣き出し、なんと信じられない事を口にした。
「マリーが、私の事"大嫌い"だって!!」
 "好きじゃない"とは言ったが、"嫌い"とまでは言っていない。まるで一方的に毬慰が福を嫌っているような言い方、寧ろ嫌っていたのは福の方だ。毬慰は急な展開に頭の中が混乱する……これは一体どういう状況なのだろうか。頭の中は状況に追いついていないが、このままでは幸が勘違いしてしまうのではないかと思い、慌てて幸に余裕のない表情を向ける。
「幸、これはちが──」
「マリーちゃんはそんな事言わない。」
 毬慰が誤解を解こうとする前に、幸は毬慰の言葉を遮りそう言い切った。福はピタリと泣き止み、顔を上げず幸の肩に顔を埋めたまま固まっている。
「なんで……」
 そう呟く福の両肩に幸は両手で触れ、ゆっくりと離す。幸の表情は落ち着いており、穏やかに笑みを浮かべている。これには毬慰も驚き、口をポカンと開けたまま固まっていた。
「マリーちゃんは、体を張って私を危険な状況から助けてくれた。自分の命だって危ないのに、勇気を振り絞って……だから、理由もなく誰かを傷つけるような事は言わない子だと私は信じてる。」
 両手を胸にあて、目を閉じながらそう言った後に目をゆっくりと開ける。毬慰に顔を向けると、安心してと言いたげに微笑んだ。
 きっとこうなったのにも理由があるはずだ。原因も何もないのに福が毬慰を陥れるような発言をする訳がない。まずは、どうしてそのような発言をしてしまったのか福に聞かなくてはいけない。幸がしっかりと福に顔を向け、質問をしようとした時だった。
「結局ね、私には味方はいない訳だ・・・・・・・・。」
「それはどういう──」
 幸が目を見開きさらに話を聞こうとすると、福は歯をギリッと噛み締めた後に走り出した。毬慰は追う前に、パラソルの下に向かい相を掴むと走り出した。勿論幸も二人の跡を追う。


 福の跡を追いながら、毬慰は何かがおかしい事に気づいていた。自分達から逃げているわりには、福の足の動きに迷いがなさ過ぎる。まるで行き先が既に決まっていて、そこへ吸い寄せられているみたいだ。
 それに、あのマッチを擦ったみたいな焦げた臭いが段々強くなってきている。もし近くに自殺者がいるのだとしたら……このままでは幸と福が危険だ。
(考える時間なら、ある……!!)
 今自分達は福を追ってただ走っているだけ、今なら頭の中を少し整理できるかもしれない。いや、自分にならできると毬慰は自信を持つ。考える事に意識を集中し始めると、不思議と精神が落ち着いてきた。それどころか、次々と不審な点が浮かび上がってくる。
……まず、福のあからさまなあの冷たい態度、あまりにも急過ぎる。仮に自分達に対し友達だと思っていなかったとしても、少なくとも水をかけ合っていた時までは仲が良いのを装っていた。福は今までの大人びた雰囲気や振る舞いからして、折角綺麗に折っていた折り紙をいきなり破くような女だとは考えにくい。
 勿論、気が変わっただけだと言われればそれまでなのだが……。それと、もう一つ気になる点がある。
(福がおかしくなったタイミング……"あのとき"だ)
 毬慰が幸に、幸の母親について話していた時に一瞬聞こえた"音"。まるで濡らしたタオルを絞りもせず、そのまま床に叩きつけたようなものだ。その後すぐに"霊臭"もした。
 あの時は近くに自殺者がいるだけだと思っていたが、よく考えてみたら……。
「あの音……"福の背後から聞こえたんだッ!!"」
「え、音!?」
 何も理解が追い付いていない幸は毬慰にどういう事か聞くが、毬慰はこの後どうするべきか考える事に集中しているため耳に入っていない。
 正直、何度も削除・没収係の任務をこなしている毬慰は、いつでも本気を出して福を捕まえる事ができる。二人の体力と違い、毬慰の足と体力は二人の何倍も鍛えられているのだから。しかし、後先考えずに行動しても、いざという時にどう対処していいかわからない。それに、自殺者が絡んでいる可能性が出てきた今、最悪福の命も危ない。
 けれど周りに自殺者の姿は見えない。何処にいる? この後自分はどうすればいい? そうこうしている内に、福の前方に"立ち入り禁止の看板"が見えてきた。看板の先には"崖"しかない。
(どうしようどうしよう、)
 折角色々な可能性が見えてきたのに、自分は何もできずにこのまま幸の……そして自分の新しい大切な友人を亡くしてしまうのか?
「死なせたくない!! マリー、どうすれば……教えて!!」
 走り続け息が切れながらもどうすればいいかわからず、咄嗟に出てきた名前は──
花夜・・ッ!!」
「マリちゃんッ!!」
 福が崖の前まで来ると漸く立ち止まり、毬慰と幸も少し離れた場所で立ち止まる。毬慰は足を止めた後にこの場にいないはずの彼の名前を呼ぶと、なんと背後からタイミングよく返事が返ってきた。
 確かに呼んだのは自分だが、まさか本当に返事が返ってくるとは思わなかった毬慰は、後ろを振り返り花夜の姿を見たまま口をポカンとさせている。花夜はたまたま自殺者の気配を追っていていたら毬慰と合流してしまっただけのようだが……。
 花夜は毬慰の言葉をしっかり聞いていたらしく、目の前でこちらを睨みつけながら「こっちへ来ないでちょうだい!!」と叫び取り乱している福に目を向け、毬慰にどこまで状況が把握できているのか聞く。
 焦りや混乱でぐちゃぐちゃになっている毬慰達と違い、今の状況と空気に左右されていない花夜の頼もしい姿に、自然と落ち着いてくる毬慰は自分が考えていた事と今までの状況をそのまま伝える。花夜はこの少ない時間でよくそこまで把握できたなと内心感心し、満足そうにフッと笑みを浮かべた後に説明する。
「マリちゃんの想像通り、これは"自殺者の仕業"だ。」
「やっぱり……!」
 近くで聞いていた幸は困惑する。霊感が少しでもあるはずの自分が全く気づけなかった事に、三人で遊んでいた時間があまりにも嬉しくて楽しくて……、大切な友人が危険な目に遭っている事にも気づけなかった自分に腹が立ってくる。幸は両手で爪の跡が残りそうなくらいに強く拳を作り俯く。
「マリちゃん、あれを見るんだ。」
 花夜が福に向け指を差すと同時に、あの濡れたタオルの音が福の背中で響いた。毬慰は黙って指先の方向を見ると目を見開く……福の背中に、サンドバッグ並みの巨大な人面ナメクジが覆い被さっていた。
 入水した自殺者の大体は、水中にぶつかり沈む度にブクブクと水分を体内に吸って膨れ上がり、最終的には人面ナメクジの姿になる。
「人面ナメクジの捕食方法は、人間の"負"の感情をコントロールする事。」
「負の……感情……。」
「プライドが崩されて挫折したり、大事なものを失ったり……"自分にないものを他人が持っていて羨ましかったり"と、人によって様々だが、そういった者の心に付け込んで、最後に自分と同じように自殺させてその魂を喰ってしまうんだ。」
 花夜の言葉の中に、毬慰の中でずっと引っ掛かっていた何かが弾けた。幸とその母親に対しての福の何とも言えないあの視線と表情は……"羨ましさ"からきていたのだ。
「人面ナメクジは、餌に決めた者の背中に目では見えない自らの体液を飛ばしてマーキングする。その体液はただのマーキングだけではなく、餌を情緒不安定にさせていき、それを自殺願望に塗り替えていく。」
 最初に水の音が聞こえた時に自殺者が近くにいなかったのは、マーキングだけしたからだ。そして福のあの異常な豹変ぶりはマーキングの影響からきたものだとすると……。
「あれは……福の本心じゃないんだね……!!」
 そうとわかれば、福をなんとしてでも自殺者から救わねばならない。相を構え、よく狙いを定めて福の背中から自殺者を斬り剥がそうとした時、花夜は毬慰の目の前に左手を差し出し攻撃を阻止する。
「今のまま自殺者を引き剥がしても、あの子から自殺願望までは抜けない。あの子を正気に戻さなければ……」
 そうは言われても、なんて言葉をかければいいのか困った。福のあの表情から羨ましそうな感情が出ていたのはわかったが、具体的な事は何もわかっていないのだ。せめて何かヒントでもあれば助かるのだがと、そんな事を考えていると、今まで黙っていた幸が俯いたままポツリと福に話しかけた。
「福ちゃん、全部教えて? じゃないと納得がいかない。」
 幸の言葉に俯いていた福が肩をピクリとさせ、ゆっくりと顔を上げ幸を見る。その目は虚ろ、全てどうでもよくなった雰囲気を漂わせたまま鼻で笑う。
「どうせ一人ぼっちの私はこの後死ぬ……この世を去ってやる前に教えてやるわァ」

 ***

──普通の家族とはなんだろう。朝起きて全員で朝食を取り、父親は仕事へ、子供は学校へ行く。母親はそれを見送り家事に専念し、全員が帰宅すればお互いの一日を語り合いながら夕食を取る。全部の家庭がそうではない。父親の仕事によって一緒に食事を取れない場合もあれば、共働きもあるし、学生なら部活動に励み帰宅も遅くなる者もいる。
 福の家庭問題はそこではなかった。福の両親は特に大喧嘩を頻繁にする訳でもないが、強いて言うなら家族全員してお互いに"無関心"だった。両親は共働き故に多忙なのは理解できるのだが、家族全員揃っても一切口もきかない……まるでお互い"そこに存在していない"かのように、それが実の子供である福に対してもだ。
 福は努力した。成績が上がれば少しは両親も自分に関心を持ってくれるか、身嗜みも周りの子達より気を遣い、普段から礼儀正しくなれば周りに尊敬される……そうすれば両親も自分に何か言葉をかけてくれるか。
 美と健康のため睡眠時間もしっかり取りつつ、勉強も怠ってこなかった。簡単そうに思えて全然簡単な事ではない。福は毬慰と同じ十四歳、この歳で自分の生活リズムもきちんと管理できているだけでも凄い事だ。これも全て、"両親に興味を持ってもらいたかった"……たったそれだけの理由でここまで努力してきたのだ。
「初めから、無駄だったのよッ!!」
 福は部屋で一人、何枚ものテスト用紙をビリビリに破いていく。点数はどれも良いものだったが、両親は軽く相槌を打つだけで特に何も言ってはくれなかった。
……両親からの愛を得られないのならば、他人に求めればいい。周りに対し親切に、常に気を配ってやれば評価してくれて好かれるに違いない。福は両親に期待をするのは止めて、クラスメイト達に"頼れる良い人"を演じた。
「福ちゃんありがとう! おかげで赤点免れそうだよォ~」
「福さんのアドバイスで髪の艶も出たしお肌も良くなったァ~、助かったよ!」
 休み時間になればクラスメイトが福の机を囲んで感謝の気持ちを口にし、ある者は何かアドバイスを聞きに来る。……心地が良かった。寂しさが解れていく、誰かに必要とされている。
 けれど気づいてしまったのだ。それは自分が必要とされているのではなく、ただ利用されている・・・・・・・だけなのだと……。周りの子達は福のアドバイスを聞いて、成績が上がれば親に褒められ、見た目が綺麗になれば恋人に褒められている。福には何もない。ただ赤の他人に与えるだけだ。
 周りの子達が自分の助言で幸せになっていくのを見届けていく内に、段々と満たされていったはずの心が虚しくなっていった。例えるなら、水を溜めていってるはずのバケツの底に小さな穴が空いているように、入れても入れても穴から零れていく。
 プラマイゼロの日々に一体何の意味があるのか、……そんな時だった。
「皆……よろしくお願いします!」
 自分のクラスに幸が転入してきた。一生懸命笑みは浮かべてはいるが、妙に寂しげな雰囲気を纏っているように感じた福は、黒板の前で緊張しながらどこか怯えている幸に親近感が湧いた。昼休み、一人で自分の席に座って弁当を食べている幸の所へ行き、向かい合うように自分の椅子を置いて座った。
「一緒に食べない? 貴女とお友達になりたいのォ」
 幸との付き合いは楽しかった。福の想像通り、幸は前の学校で友人はできなかったらしい……それどころか苛めまで受けていて、精神的にまいっていたのだという。
 自分と同じ一人ぼっち、この子には自分しかいない。そう思っていた……"あの日"までは。
「福ちゃん、今度"私のお家に泊まりに来ない"?」
「……え?」

 ***

「幸の両親は暖かかったわよォ……涙が出る程にね!」
 何が面白いのか、ケラケラと福は笑いながら言う。いや、面白がっている訳ではないのだろう……寂しくて、虚しくて、馬鹿らしく思えてきていっそ笑うしかなかったのだ。福の心をそのまま表現しているかのように、ポツリ、ポツリ、と小雨が降ってくる。
 福の笑みに感情が滲み出ていない。紙に描かれた人の笑顔のような……絵でもまだ多少描いた者の感情が伝わってくるだろう。今の福の様子は動くマネキンそのものだ。
「ねぇ幸? 私と貴女では一つ違うところがあるのよォ? それはねぇ……"両親から愛されていないところ"よッ!!」
 自殺者の影響だろうか、福は眉を吊り上げて声を張り上げると、先程までマネキンそのものだった無感情の福の体から一気に黒い霧が体内から放出される。それは怨念、辺りを一気に黒い霧で包んでいく。
「まずい、自殺者の異空間が作り上げられていく!!」
 花夜はさらに「このままじゃあの子も自殺者に取り込まれて命が助からないぞ!!」と毬慰達に言う。それを耳にした幸は、考える余裕もなく福の元へ走った。毬慰が幸に待つよう呼びかけるが、幸は福に抱き付き、叫んだ。
「ぜッッたいに、許さないッ!!」
 福の意識はまだ残っているため、幸の言葉はきちんと伝わっていた。福は内心、"そうだよね。"と笑った。これは全て自分で招いた事で彼女に恨まれるのも当然、仲良しのふりをして騙していたのだから。
(当然の報い……なのに、胸が痛い。)
 自分は幸に対してずっと嫉妬の感情を抱いていた。内心愛されなければいいのにとさえ少しでも思ってしまっては自己嫌悪した。だから、幸に許されないと言われても仕方がないのだ。今更許しを請う資格さえない……しかし、幸は続いて意外な事を口に出す。
「私は怒っている……自分自身に・・・・・ッ!!」
「……ぇ?」
 一瞬放出していた怨念が弱まる。幸の言葉に戸惑い、自殺願望で頭の中が一杯だった福の体から力が抜けた。花夜は今がチャンスだと思い、毬慰に自殺者を斬り剥がすよう指示する。
「女の子にベタベタしないでよね! この変態やろぉッ!!」
 指示を出されてからの毬慰の行動は速かった──本気を出して一気に走って迫り、福の横に移動すると容赦なく相を人面ナメクジに向けて振り下ろす。人面ナメクジは切られた断面から血を噴水のように吹き出すと、その血は瞬時に黒く色を変えて地面に飛び散らせる。
 飛び散った黒い血は怨念の霧となり、周囲に纏っていた霧も一緒に相へ吸い込まれていった。その様子は毬慰と霊感がある幸にしか見えておらず、何が起こっているかわからない福は急に力が抜けた体に抗えず、そのままペタンと座り込んだ。
 全ての怨念を没収し終えた頃には、幸は泣き出していた。
「ごめんなさいッ!! ……福ちゃんのことなにも知らなくて……ううん、なにも知ろうとしてなかったんだッ! それで福ちゃんを傷つけてて……わたし、……福ちゃんのおともだち失格だ……ッ」
 自殺者からはもう解放された。福の意識もしっかりしている。何も悪くない幸に謝罪させてしまったその事実に、福は一気に罪悪感が芽生えた。いつもの大人びた様子から、幸につられて福まで泣き出してしまった。
「わたしも……ごめんねぇぇ……さち、わるくないのに、……本当は! わたし幸も……まりぃちゃんも・・・・・・・大好きなのにぃぃ!」
 二人が仲直りしたのをホッとした様子で眺めていた毬慰は、まさか自分の名前まで出てくるとは思わずドキッとする。てっきり、福は幸の事は好きだが自分に対しては"幸を奪った邪魔者ポジション"だと思っているのではと、毬慰は本気で思い込んでいたのだ。
 二人の輪に入っていいのかわからず、恐る恐る毬慰は自分に人差し指を向けながら福に質問する。
「ま、マリーも……二人のお友達でいて、いいの……?」
「ぁたりまぇでしょおぉおぉぉ」
 泣きながら即答した福にじわじわと心から嬉しかった毬慰は、なんだか自分までつられて泣き出した。
「なんだ……この涙の連鎖は、」
 花夜は泣き続ける三人を眺めて、一体どうやって三人に声をかければいいか困惑していた。


──その後、花夜と毬慰は二人をホテルまで送ると、フロントの方から丁度四人程誰かが慌てた様子で中から出てこようとしているのが見えた。
 先程まで幸と仲良く手を繋いで歩いていた福は、その内の二人の姿を見ると驚いた表情を浮かべて立ち止まる。
「ごめんなさい福……っ」
「良かった無事で……!」
 なんと、福の両親だった。空気を察した花夜はその場を離れ、この場を立ち去るタイミングを逃した毬慰はどうしていいかわからず幸の後ろで立ち止まりあわあわと落ち着きがない。花夜と同じく空気を察した幸は福の手から握っていた手を離す。福の母親は駆け寄ってくると、割れ物でも触るように優しく福を抱き締めた。
……後から聞いた話によると、幸の両親は福が家に泊まりに来た時から、福の家庭環境があまりよろしくないのではと薄々気づいていた。幸と福を連れて此処へ来る時も、幸の母親は福の自宅に電話をかけた時に、福の母親があまりにも冷めた態度に確信したらしい。
 その時、幸の母親は怒鳴る事もなく、ただ淡々と自分の娘が大事ではないのかと暫く福の母親に聞いては話し込んだ。
──「他人の家庭に口を挟む資格はないと私も思います。……ですが、一度改めて旦那さんと話し合ってみてください……娘さんについて。」
 幸の両親は福の両親の心に変化が起きるかはわからないが、友達がいなかった自分の娘と仲良くしてもらっている身、少しでも福の力になりたかったのだ。結果として、福の両親はあれから夫婦で話し合い心を入れ替えて、改めて自分の子供が大切だという事に気づかされた。
「お母さん……っ」
 こんな日が来るとは思ってもいなかった福は、やっと先程泣き止んだにも関わらずまた涙が浮かぶ。しかし驚きのあまり泣き出すべきなのか、感動を言葉にするべきなのかわからず、動揺したまま固まり体をただ震わせていた。福の母親は一旦福から体を離すと、幸と毬慰に目を向けて感謝の意味を込めて笑みを浮かべた。
「話は聞いてるわ。黒髪の子が幸ちゃんで……ぇっと、」
 幸の両親から幸の事は聞いていたので大体の容姿は知っていたが、毬慰の事は覚えきれていないのか、あまり聞かされていないのでわからない。毬慰は慌てて「マリーは……マリー、ですっ!!」と福に初めて会った時のように、咄嗟の事で本名をすっ飛ばして、一人称が自分の名前のせいで二回も同じ名前を言ってしまった毬慰は、皆から笑われた。
(もー、やだ!! 助けて花夜! 相ちゃん!)
 羞恥心で顔を林檎みたいに真っ赤にさせた毬慰は、心の中で二人に助けを求めた。因みに相は両手で持っているが、隠輪をはめさせているので問題はない。相は内心毬慰のあまりのアホさにゲラゲラと笑っており、花夜は離れた場所に隠れて、片手で口を押え笑いを堪えていた。

 ***

「幸と福にね、"次は思いっきり遊ぼう"……って、言われたんだ……っ!!」
 任務も無事に終わり、もう海に用は無くなった毬慰達はペガサスの馬車に乗っていた。福という新しい友人もできた毬慰は、ニコニコと笑みを浮かべ上機嫌で両足をぶらぶらと揺らしながら花夜に色々報告していた。一通り話し終えた毬慰は一息つくと、馬車の外に目を移し眺める。
 花夜は初め、任務に行く前に毬慰が海と聞いてから気分が沈んでいたのを心配していたのだが……どうやら良い思い出ができたようで心からホッとする。花夜は満足そうに上機嫌の毬慰の様子を見ていると、ふと言い忘れていた事があり毬慰に話しかける。
「そうだ。早朝自殺者を探しに先にホテルを出ちゃったから言えなかったけど……、」
「んー?」
 馬車の外を眺めながら毬慰は適当に相槌を打つが、花夜の声はきちんと耳に入っている。
「水着……よく似合ってたよ。」
 親戚の姪にでも言うような感覚だったが、お年頃の毬慰には充分効果的だったようで……表情は笑顔のままだが、ボフッと効果音でも鳴りそうなくらいの勢いで顔がまた真っ赤になり固まる。
「~ッ! そーいうコトいうッ!」
「え?」
「花夜さ、今のすッッごい、おーまみたいだったよ!!」
「ぇえっ!?」
 恥ずかしくて顔を合わせられない毬慰の手に握られた相も、心の中で"未成年口説いてんじゃねぇぞクソじじぃ……いい度胸してんじゃねェか。"と、花夜に対し保護者として怒りが込み上げた。

──雨も本格的に降り出してきた頃、あんなに沢山の人で賑わっていた海も、この天気では流石に誰も泳ごうとはしない。殆どの人間はホテルに戻ったり自宅へ帰っていく中、二人の男女だけはどこへも行こうとせず、ただ雨空を見上げていた。
 その内女性の方は、髪が少々癖っ毛な上胡桃色だった……どこか、雰囲気が毬慰に似ていた。しかし、二人の白目部分は墨汁と同じくらいに黒く、生命の源である海水を連想させる青緑色の瞳という……明らかに人でも天使でもない存在だった。
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