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本編*第一章 - 説明編 -*

第3話、後輩と

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 職場である削除署さくじょしょへ向かう途中、アロンザのスマートフォンが鞄の中で振動する。削除署は目の前、後数分で着くところだった。
 真面目な性格故、歩きスマホと呼ばれる危険な行為はしないよう心掛けている。一旦近くの路地裏へ移動し、槍を左脇に挟んで鞄からスマートフォンを取り出し通話に出た。
 相手は実の弟エルネストだった。彼は削除者の幹部の一人であり、アロンザの弟でもある。内容は新しく入った任務の件、手短に内容を伝えられると相手から通話を切ったのを確認したアロンザは、次にチャットアプリを使用しある人物に「仕事が入った。」とメッセージを送る。
 相手はメッセージに気づき、すぐに「了解です。」と返信してきた。アロンザはメッセージを確認すると早歩きで削除署へ向かった。


挿絵:雪野鈴竜

 削除署に着くと、入り口の前で一人壁に背中を預け分厚いメモ帳を見ている男性がいた。男性は到着したアロンザに気づき「ん」と小さく声を漏らしメモ帳から顔を上げる。
 金髪の前髪は左目を隠し、右目だけでアロンザを見る。海のように深い青色の瞳は見つめていると吸い込まれそうになるくらいに綺麗だが、どこか無気力そうに見える。
 彼は半年前に入ってきた新人削除者のファウスト、アロンザの後輩だ。根は真面目だが制服の身なりだけはどこかだらしがない。
 削除者の制服は二種類あり、一つ目はアロンザやエルネストが着ている灰色のコートとズボン、二つ目は黄色のファスナーが付いた灰色のノースリーブジャケットに、下は黒のインナーだ。
 ファウストが着ている制服は二つ目のノースリーブジャケットなのだが、ジャケットの中はインナーだけではなく、その上に灰色のパーカーも着ていた。ズボンも上着に合わせた灰色とはいえ、見た目は全体的に……チャラい。
 最初はアロンザもファウストに注意はしていたが、最近の削除者はファウスト以外にも自分なりに制服をアレンジしてみたりと、注意しきれないと判断し諦めた。
 仕事さえ真面目にしてくれるならそれでいい、そう考えれば服装など大した問題ではないのだ。……それに、彼は新人にも関わらず半年でフラワーランク“サンシュユ”に昇進した実力でもある。
 削除者にはランクという花の標章が与えられ、E~SSランクまである。それぞれのランクには花が付けられていて、これを“フラワーランク”と呼ぶ。
 Eランクの新人は花無し、Dランクはサフィニア、Cランクはアケビ、Bランクはサンシュユ、Aランクはオーニソガラム、Sランクはアリウム・コワニー、最後SSランクのアザミは幹部にだけ与えられるフラワーランクだ。それぞれ制服の背中に花の刺繍がある。
 この内アロンザはアリウム・コワニーのSランク、そしてファウストはサンシュユ──Bランクだ。つまり彼は半年でBランクにまで昇進したという事なので侮れない。
「仕事内容は後で説明する。その前にペガサス(馬車)を呼ぶか、ファウスト……呼んでおいてくれないか、私は鞄をロッカーに入れてくる。」
「はーい」
 ファウストは気の抜けた声で返事をし、メモ帳をポケットに入れた後に反対側のポケットからスマートフォンを取り出す。アロンザがロッカーへ鞄を置きに行っている間に、電話でササッとペガサスの馬車を呼び、待っている間にまたメモ帳を取り出し読み始めた。
 ファウストはアロンザの弟子でもある。よく彼は彼女から聞いた任務でのコツや話をメモ帳に書き込み、それを何度も読み返している。今読んでいるメモ帳も、師匠である彼女から聞いたアドバイス等が書かれた物だ。
 数分後アロンザが戻ってくると、外へ出るため移動しながら彼女から仕事の内容を説明される。ファウストはアロンザから手本を見せてもらうため、暫く一緒に任務に行く事になっているのだ。
 ちなみに、削除者にランクがあるように自殺者にも花は付いていないがランクがある。こちらもSS~Eランクまであり、今回の自殺者ランクはDでそれ程難易度が高くはない。
 アリウム・コワニー(S)とサンシュユ(B)の削除者が行くには低過ぎるランクかもしれないが、ファウストがいくらサンシュユでも削除者になってからまだ日が浅いため、仕事に慣れるまで少しの間はランクの低い任務に設定してある。アロンザと一緒なら無事に任務を遂行できる相手だが、問題が一つあった……。
「すばしっこい奴なんですね……俺の武器じゃ不利かな」
「武器は何かしら使い道がある。これから会いに行く自殺者を見てから二人で考えよう。」
 ファウストがジャラリと右手に絡ませているのは鎖、彼の武器は鎖のみか鎖鎌。大体は鎖のみで任務に行くらしい。
 削除者の仕事はあくまで暴走した自殺者の怨念を没収する事、必要以上に懲らしめる必要はない。アロンザのように槍で一突きする場合もあるが、ファウストのように鎖だけで自殺者を締め付け怨念が没収できれば、鎖のみでも問題はない。
 そんな話をしながら外へ出ると、既にペガサスの馬車が来ていたらしく御者ぎょしゃがファウストに声をかけた。アロンザは先に乗るよう譲るが、ファウストは「レディーファーストで」と気を遣ってきたので、お言葉に甘えて先に乗った。

──数時間後、馬車は現世のとある自然公園前に到着した。
 アロンザが馬車の代金を払おうとすると、ファウストが慌てて止め自分が払おうと言い出したので、数分間お互いに自分が支払うと言い合っていた。ここは先輩として意地でも譲らなかったアロンザに、とうとう折れたファウストが割り勘を提案しこの話は決着した。
 二人は馬車から降りて自然公園に入る。自殺者は自然公園の池近くの木で首を吊って死んだと記録が残されていた。首を吊ったであろう木の近くには自殺者が作り出した異空間があるらしく、一見ただ木が並んだ風景に見えるが、一度異空間に足を踏み入れると出られなくなるとか……。
 事前に二人は魂玉を飲み、一か所だけ空気がよどんだ木と木の間に足を踏み入れた。
 異空間に入ると二人は背後に違和感を感じ振り向く、入ってきた木と木の間からは先程までは池が見えていたのだが、後ろには木が何本も並んでいるだけだった。どうやら入り口を塞がれたようだ。
 ファウストが何かを思い出したのか「あ、」と声を出し、アロンザがどうしたと聞くと……。
「さっき歩いてる途中トイレあったのに、一応行っとこうと思いつつ行くの忘れてました」
「漏らさないように」
「大丈夫です。尿意はありません。」
 周りを警戒しつつ二人は歩き始める。ファウストはなんとなくさっき飲んだ魂玉を思い出していると、一つ気になった事がありアロンザに質問する。
「人間は自殺者の作り出した空間に入っても魂が削られませんよね?」
「正確には、“然程さほど削られない”だな。」
 自殺者が作り出した空間に居ると削除者は魂を削られるが、人間は然程削られない。何故かというと、自殺者にとって相手の魂を削る行為はかなりエネルギーを消費するからだ。
 “魂を削って蓄えているのなら、寧ろエネルギーを消費せずプラスになるのではないか”と思えるが、実はそうでもない。例えば、生きるために食事をするが食べるだけでも結構疲れるものだ。食べた分の栄養を完全に蓄えるには時間が必要なのだ。
 ここで削除者と人間の違い、自殺者にとって力の無い人間はいつでも喰える存在だが、削除者達は力を持つ存在でいつでも喰える状態ではない。エネルギーを消費しつつ魂を徐々に削りでもしないと敵わないからだ。
 なので、わざわざエネルギーを消費してまで人間の魂を削る必要がないという訳だ。それでも自殺者の作り出した空間に居るというだけでも全く影響がない訳でもないので、人間にも多少体に影響は出てくるかもしれないだろう。
 自殺者達は苦しみから逃れられようと必死なのでそこまで考えて行動をしていないが、無意識の内に削除者と人間で区別してエネルギーを使い分けているのだろう……。
「ほへぇー……、勉強になりました。」
 ファウストはこんな状況にも関わらずメモを取った。

 暫く歩いていると、前方に一瞬何か影のらしきものが風を切るように通った。恐らくあれが今回の自殺者だ。それを確認できたファウストは「確かに速い」と呟く。
「捕らえられたら捕らえたいですね。ちょこまか動くから攻撃しても掠るだけでしょうし」
「こちらから追いかけ回しても効率が悪い……やるとしたら、相手から迫った時だな。」
 相手の気配を探り動きを読み取るのはアロンザがよくやる方法、大体の自殺者は怨念を溜め込み感情がコントロールできない者ばかり、冷静でいられる自殺者等いない──“一部の自殺者達を除いては”。
 今回のターゲットはその一部の自殺者ではないので、アロンザがよく使う方法で仕掛ける。これもコツの一つ、ファウストはメモ帳を取り出し書き込んだ。今の自殺者は危険度はそこそこ高くても、よく観察してみればやり方次第で難易度は低い。
 今の自殺者を電気の紐で吊るされたストラップに例えてみる。このストラップを思い切り揺らせば激しく動くが、紐に吊るされているので動く範囲は限られる。よく狙いを定めればキャッチしやすい。
 コントロールできない溜め込んだ怨念は電気の紐、その紐に吊るされたストラップは自殺者と考えれば、この任務自体もどう動けばいいかわかってくる。だからといって、危険度は高いので油断してはならない。相手の動きを読みつつ警戒心も忘れないのが大事だ。
 ファウストはアロンザの指示に頷き、先程チラリと見えた影らしきものが走るのを目で待つ、見えたらどのくらいの秒数で出現したか、何処から出てきてどの辺りで大体姿を消すのかを把握しなければならない。これを、“カカオの法則”と削除者達は呼んでいる。
 カカオの法則──自殺者の出現する“場所を認”、“姿を認”、“時間をえる”の三つで“カカオ”となる。
 ターゲットの影はなかなか現れず、やっと出てきたかと思えば目蓋が閉じる程の一瞬の速度だった。その動きを二・三回程見て、アロンザは頭の中で見たものを整理し把握する。
 まず、自殺者の場所……アロンザ達の前方には異空間に入る前に見えていた池があった。この池は自殺者が作り出した物だと思われるので、此処が異空間なのは変わりない。事情もわかわない普通の人間が見れば一瞬異空間から抜け出せたと勘違いするかもしれない。
 次に、自殺者の出現……霊は基本水場を好むので、一定の動きで池の周りを移動しているのがわかった。形は円型で、円型池の周りをエックスを書くように跳躍ちょうやくしていた。つまり、左上から右下に、右上から左下に現れては消えるのだ。人間がもし目撃すれば中には気になって見に行くかもしれないが、喰われに行っているのと同じ行為だ。
 最後、自殺者の速度……最初に見た時は目蓋が閉じる程の一瞬の速度にも思えたが、何度か見た結果大体ナイフ等刃物を振った速度と変わらない事に気づいた。初めに出てくる左上に出現する時間は四秒から六秒で右下に行くのに刃物を振った速度、右上から左下に行くのも同じくらいだった。
 アロンザは一通り脳内で整理した情報をファウストに伝える前に、彼がこの数回の確認でどれだけ把握しているのか聞いてみる。ファウストも同じくカカオの法則でしっかりと把握できたらしく、無気力さがある声ながらも回答は的確だった。
 次に、先輩として後輩に仕事を慣れさせるために「お前ならどうする?」と聞いてみる。
「……そうですね」
 数秒間時間をかけながら空を見上げるファウスト、空は広い景色のはずなのに、真っ黒に塗り潰された画用紙で蓋をされたような窮屈さを感じる不気味な夜空だった……その景色が自殺者の作り出した異空間だと物語っている。
「Xに移動しているのなら、左下と右下に二手に分かれて自殺者が迫り来るのを待機するべきですね。それから……」
「それから?」
「待機するなら左下に俺、右下にアロンザさんですね。」
 アロンザはその言葉を聞き察する……ファウストはたった数回の確認で、自殺者の跳躍力の違いまで把握していた。
 X字に跳躍している様子は一見どちらも同じ跳躍力に見えるが、よく観察してみると、左上から右下に行くのと右上から左下に行くのとでは違った。一番目に移動する左上から右下への威力に比べ、最後に移動する右上から左下への威力は若干高かった。
 ファウストはちょっとした跳躍力を見抜きつつ、男性として女性を守る意識も忘れていなかった……しかし。
「その心掛けは立派だが、最後のは却下だ。私が左下に行こう」
「でも先輩、」
 自殺者が出現するであろう左下へ向かうアロンザにファウストは呼び止めるが、アロンザは歩く足を止め振り返る。その表情はベテラン削除者として貫禄のある笑みだった。
「そうだ……私はだ。」
 ファウストの気づかいは立派だが、アロンザは今は女性としてではなく削除者として此処に居て、自殺者を相手にしている。先輩として後輩に手本を見せる立場で、後輩より危険度が低い位置に行く訳にはいかなかった。それに、長年仕事をしている身なら問題が起きても咄嗟に対処も後輩への手助けもできる。
 ファウストもアロンザの言葉に、自分の立場を思い出し「失礼しました……」と謝罪する。男性として女性の身を心配するのは悪くないが、後輩が先輩より危険度の高い方を選ぶのはその気がなくても信頼していないのと同じ、失礼だったと理解した。
 それを察したアロンザは「勘違いするな」と言う。
「お前の気遣い、嬉しかった。」
 そう言うとアロンザは背を向け待機する左下へ今度こそ向かった。その言葉を聞いたにファウストは、“もしかして、今先輩デレた?”なんて思ったりもしたが、……実は当たっていた。
 アロンザの言葉に偽りはなかった。パッと見大体の者が男性だと一瞬間違える見た目の上声も野太いアロンザは、自分が女性扱いされた事により、表情にはあまり出さないが内心嬉しかったのだ。そんな事も知らずファウストは、口元がにやけるのを抑えながら“まさかな”と内心呟いたのだった……。

 実際、先に左下か右下かどちらに来るのかはわからないが、二人は自殺者が来る位置にそれぞれ待機し、息を殺し耳を澄ませる。自殺者が出現する時間は四秒から六秒……アロンザは槍を構え、その隣でファウストも鎖を両手でしっかりと持ち、鎖はジャラリと音を鳴らす。
 自殺者が迫り来るまで一秒経過、二人は感情に施錠した。ターゲットを狙う時は任務遂行以外の感情を捨てなければ、一瞬の迷いが命取りになる。
 自殺者が迫り来るまで二秒経過、二人は空気と一体化するように気配を消した。ターゲットに狙いを定める時に気づかれてはならない。
 自殺者が迫り来るまで三秒経過、二人は神経を研ぎ澄ます。ターゲットを確実に討つためいつでも来ても良いように。
 自殺者が迫り来るまで四秒経過、待機せよ、無の状態になる。自殺者が迫り来るまで五、六──ここで予想外の事態が起きてしまった。
「ぅ、あ!」
 ファウストは思わず驚いた声を出してしまう。先程まで右上から左下への威力の方が高かったはずが、ファウストの気配が少し残っていたのか、無意識に感じ取ってしまった自殺者が左上から右下への威力を全力で高めてしまったようだ。
 咄嗟に察したファウストは同じく全力で捕らえようとしたのだが、彼が全力を出す前に自殺者が威力を高めた方が早かったため、鎖に突進した時に力に耐えられず弾け、そのままアロンザの体にぐるんぐるんと巻き付いてしまった。
 鎖が使えなくなったファウストは、アロンザの救出より先に落ちてしまった彼女の槍を掴み取り、空中に飛び跳ねた自殺者に向かって思いっ切り投げた。地面に向かって落ちてくる自殺者は兎の体に人面という気味の悪い姿だった。どの自殺者とも共通しているのは目玉がない事くらいか、ポッカリと空いた両目は墨のように黒かった。
 投げた槍は見事自殺者の空いた右目を貫いた。体が兎になっているからか、声帯が無く声は出せていないが悲痛の表情を浮かべて地面にドシャリと音を立てて落ちた。
 シュオシュオと怨念が傷口から霧のように出てきて刃に吸い込まれていく中、ファウストはすぐに鎖に巻かれてしまったアロンザの元へ駆け寄り、冷や汗をかきながら謝罪する。
「いいや、予想外の事態にすぐ対処するのは良い判断だ。」
「いえ、俺が未熟な上気配を隠しきれていないからです。」
 もし仲間が危険な状態でも、すぐに救出しなければいけない時以外は自殺者を仕留める方を優先しなければならない。咄嗟にそれを判断できたファウストは“新人にしてはやるな”と素直に思ったアロンザだが、ファウストは表情にはあまり出さないが内心自分の未熟さに羞恥心を抱いていた。
「今解放しま──」
 慌てて鎖を外そうとしたファウストは、触れようとした手の先をあまり見ていなかったのか……固く冷たい鎖ではなくを掴んでしまった。
 見開く二人、ファウストは言い訳もせずとりあえず一回揉むという謎の行動をする。不思議な感覚にアロンザは目蓋を少しビクリとさせたところで、我に返ったファウストは漸く顔がじわじわと熱くなり謝罪する。
……アロンザの“胸”を、掴んでしまったのだ。

 自殺者の姿が戻ると同時に、異空間も埃が舞うように崩れ去った。鎖から解放されたアロンザは何か考え事をしながら自然公園を出る。
 その様子を見ていたファウストは、歩きながらスマートフォンでペガサスの馬車を呼んだ後、スマートフォンをポケットに入れてからアロンザに話しかけた。アロンザは歩いていた足を止め、ファウストに振り返る。
 アロンザはジト目で、顔を赤くさせながらこちらを見ていた。ファウストは思わず目を丸くさせて「え」と声が漏れる。
「よく考えたら、胸を触られたのは初めてだ。」
(ぇ、ぇえ~……)
 一言、“可愛い”。ここでファウストは心を掴まれてしまった。目を丸くさせたままアロンザにつられてまた顔が赤くなり固まる。
 固まってはいるが、内心“なんだこの天使”、“ギャップよ、”、“ジ・ト・目”、“やめてくださいよ……そんな”、“カッコイイも可愛いもジャスティス”、“推しになる。”等、言葉が荒ぶっていた。そしてファウストは……。
(よし、嫁にしよう。)
 真顔でそう決心した。

 自然公園から出たものの、ペガサスの馬車が来るまで少し時間がかかるため、どこか座れる場所がないかと結局自然公園に戻って来た二人。ファウストは鎖のもつれを直しながら、“来るまで暇だなぁ”と思いながら周りを見渡す。
 近くにベンチがあるのを発見したファウストは、「あそこに座りませんか」とアロンザに言いベンチのある方向を指差す。二人はそこに座って待っている事にした。
 ファウストはアロンザが座ったのを確認した後に自分も隣に座り、「とろこでアロンザさん」と声をかけ顔を近づけた。
 アロンザは一瞬目を丸くさせたが、心臓がドキッとしたのはきっと気のせいだと思いながらまた無表情に戻す。平然を装い「なんだ」と聞く。
「アロンザさんも恥ずかしがるんですね。」
「機械ではないからな」
 先程の出来事を思い出しながら聞いてくるファウストに、アロンザはサラリとそう答える。それを聞いたファウストは「へぇ、そうなんですか」と言いながらアロンザの右手を左手で触れ指を絡める。触れられている部分が熱く感じ、そわそわするのもこれも気のせいだろうか。
「じゃあ馬車が来るまで女の子なアロンザさんを見てみたいなぁ……なんて」
「それはどういう──」
 強請ねだるように顔を近づけてくるファウストに、アロンザは息を呑む。
「……どういう意味でしょう?」
 ファウストは指を絡めながら、「……手、やっぱ俺より小さいですね」とアロンザの右耳に囁く。男性との関わりは仕事の時か弟と世間話をする時くらいのアロンザ、こんな風に指に触れられ囁かれるのは初めてで言葉が出ない。
 ランクの高い自殺者に遭遇した時とは違う心臓の高鳴りがしてきて動揺してしまう。触れられる指がくすぐったいのか、中指の先がピクリと反応した。ファウストはぐいっとアロンザを引っ張り、相手に負担がないよう優しく押し倒した。
 目を丸くしながら、“今、自分は何をされている?”と状況が理解できていないアロンザに、ファウストは笑みを浮かべながら、「初な反応ですね」なんてクスクスと笑いアロンザの頬を撫でる。
 恥ずかしくて目が合わせられず視線を横にする彼女に、ファウストはがくんと頭を下げ深い息をつく。
「……あーもーギャップ萌え、男を殺しにかかってる」
 そんな事をしている内に、ペガサスの馬車が来る気配がしてきた。
「意外と早かったですね」
 内心残念に思いながらも、仕方なくファウストはアロンザの手を取り起き上がらせると──ふわりと、一瞬アロンザの額に柔らかいものが当たった。
 アロンザは小さくピクッと目を閉じ、赤面させたままゆっくりと目を開いた。
「最後にキスしたらどうなるかな、と思いまして……。」
 自分の唇に人差し指を当て目を細めて悪戯っぽく微笑むファウストに、アロンザは右手で額を押さえながら俯く。深く溜め息をついた後に一言こう呟いた。
「どうやら厄介な後輩を持ってしまったみたいだ……私は」
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