いまさら好きだと言われても、私たち先日離婚したばかりですが。

山田ランチ

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第26話 何よりも大切なもの

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 激しい振動に目が覚めた時、自分がどこにいるのか分からなかった。

「ん、んッ」

 口に布が巻かれていると分かり、腕も後ろで括られている。身動きが取れずバタバタと動くとずるりと体が傾いた。

「暴れると落ちて死ぬぞ」

 乱暴に掴まれた勢いで糸の切れる音と共に胸元の釦が飛んでいく。

「ッつ」

 クロードから人懐っこい表情は消え、見知らぬ男性のようだった。

「あぁ、子を産んでいなかったら妻にしてやったのに残念」
「!?」
「布を外すが余計な事を話せば殺すぞ。いいな?」

 コクコクと頷くと口に巻かれていた布が乱暴に取られた。

「フェリックスは無事よね!?」
「質問するなと言ったばかりだろ!」
「フェリックスに何かあったら許さないわ!」
「自分の身より息子が大事ってか。泣けるね」
「無事なのかと聞いているんだけどッ」

 振動で舌を噛みそうになってしまう。それでもこれだけは聞かずにはいられなかった。

「あのまま置いてきたから今頃は誰かに見つかっているさ」

 フェリックスが無事ならばそれでいい。城にはアルベルトがいるのだからきっともう安全に違いない。

「……チッ、急に大人しくなった」

 馬は広大なモンフォール領の地を駆けていく。大地には今だに水の流れが全てを奪い去っていった痕が色濃く残っていた。茶色い大地が剥き出しになりへこんでいる箇所もある。あの鮮烈な光景が脳裏に蘇り、とっさに目を瞑った。


 空が薄暗くなり始めた頃、馬は小さな竪穴の前で止まった。

「今日はここで野宿だ。逃げようと思うなよ」

 雨風を凌げる程度の穴の中では否応にもクロードと腕がくっついてしまう。破けてしまった胸元を手繰り寄せた。

「私を連れ去っても意味ないわよ」

 膝に顔を押し付けながら言うと、クロードは馬鹿にしたように笑った。

「お前は自分の価値を全く分かってないんだな」
「自分の事くらい分かっているわ。モンフォール家の娘で、領地はもう駄目になってしまっていて、結婚したけれど夫には愛されなくて、息子とは引き離されて……無力で駄目な母親よ」

 言葉にしてみると涙が止まらなくなってしまう。きつく膝に目を押し付けると、上から呆れたような声が振ってきた。

「いずれモンフォールの広大な地はグロースアーマイゼ国の物となるんだ」
「何を言っているの?」
「俺はグロースアーマイゼ国の第二王子だ。昔々グロースアーマイゼ国の姫が命を狙われて逃げた先がモンフォールの地だったって訳。俺もお前もその血を引いているんだよ」
「姫が逃げた?」
「グロースアーマイゼ国は戦争を繰り返して大きくなった国で、常に王位は狙われ入れ替わってきた。大昔、初代王の血筋である王位継承権を持つ姫が王の証となる指輪を持ち出してこの地に逃げた。お前はその血が混じっているって訳だ。分かるか? つまりは王族の血だよ」
「私達が? まさか」
「正統な血筋だった。でも戦いに勝った者が正しいのさ」
「その言い方だと戦いに負けたみたいね」

 返事がない代わりに、握られる拳が視界に入った。

「これでモンフォールの地は狙われても仕方がなかったと分かったろ」
「狙われたってまさか……あの大洪水は、自然災害ではないの?」

 呆れたような、憐れむような視線が返ってきた。

「雨は偶然だろう。でもそれを利用した者がいるんだ」
「そんな馬鹿な事……沢山の人が亡くなったのよ! それに町も家も畑も道も、全て流されてしまったんだから!」
「それと引き換えに出来る程これには価値があるのさ」

 クロードの手には金色の指輪が握られていた。

「これを持っている者こそが本物の王だと言われている初代王の遺物だ。あと一つ、対となる指輪があるがそれはすでに協力者が手に入れているから俺は受け取るだけでいい。くだらないと思うかもしれないが、王権が入れ替わる大国だからこそこういう物は重要なんだよ。これとお前がいれば俺は王になれる」
「そうまでしてあなたは王になりたいの?」
「ならなければ殺されるからな」

 本当は起こらなかったかも知れない災害。失わなくてよかった命。でもあの災害がなければ、ベルトラン家との縁談が持ち上がる事はなかった。そうすればアルベルトに出会う事も、フェリックスを産む事もなかった。カトリーヌは行き場のない憤りを抱えるしかなかった。




「殿下、少々お時間宜しいですか?」

 カールは慌ただしくなる城門前で、ゆったりと歩くフィリップに声を掛けた。直属の騎士達は警戒して前に出たが、綺麗な顔とは似てもにつかない無骨な手がそれを止めた。

「一人か? 王都にいる時はモンフォール伯爵に付き従っていると思っていたよ」

 フィリップは気安さを込めたようだったが、カールの緊張がそれを凌いでいた。

「俺が今ここいいる事は旦那様も、もちろん男爵位を持つ実家も関係ありません」
「何が言いたいのかな?」

 フィリップが纏う空気が一瞬にして変化する。カールは真っ直ぐにフィリップを見据えた。

「恐れながら申し上げます。モンフォール領を襲った水害はフィリップ殿下の仕業ですか?」
「貴様! なんという事を口にするんだ!」

 騎士達がカールを捕らえあっという間に膝を突かされてしまう。フィリップは騎士達に押さえつけられたカールを見下ろしていた。

「王族に対する侮辱罪でお前を連行する!」

 騎士達の腕に力が入った瞬間、カールは声を荒げた。

「お答え下さいフィリップ殿下! もしそうなら俺はあなたを許しません! どうかお答え下さいッ!」
「まだ言うのか!」

 騎士はカールを殴り付けた。

「君はこんな事をして本当にモンフォール伯爵が無関係で片付けられると思っているのかな? そんなに愚かな者だとは思わなかったけれどね」
「全て俺の独断です!」
「理由を聞いてもいいかな? 君はずっと川の調査報告を上げてくれていたよね」

 カールは緩められた腕を振り払うと、切れた口から血を吐き出した。

「ドウラ子爵の領地がフェンゼン大公の領地へと変わっていました。その地で襲われ、俺が逃げた事でその者達は殿下に殺されると言っているのを聞きました。フィリップ殿下の事ではないのですか?」
「その質問に答えなくてはいけない義理はないね」
「お答え頂けなければ陛下にお伝えするまでです! 俺が戻らなければある者に動くよう伝えてあります」

 嘘ではなく、グリを城外に待機させていた。

「なるほど。それを信じるとでも?」

 一瞬の沈黙の後、フィリップは耐えきれなくなったように後ろに声を掛けた。

「やあ、モンフォール伯爵」

カールは驚いて後ろを振り返った。

「いやすまない、あまりにも健気だったから意地悪をしてしまったよ。良い部下を持ったな」
「申し訳ございません殿下。カールお前は無謀過ぎるぞ! もし本当に殿下が黒だったらお前はこの場で殺されていたんだぞ」
「旦那様!」

 モンフォール伯爵の影後ろからグリが覗いてくる。その瞬間、カールは渋い顔をした。

「このおしゃべりめ」
「これ、グリを責めるな! カールを心配して私の所に来たのだぞ」
「その兵士達が言っていた殿下は、“フィリップ”ではなく兄上だろう」
「ですがジークフリート殿下は外に出る事は叶わないと聞きます」
「ここから先は歩きながら話そうか」

 フィリップは出発の準備をしている隊へと向かった。

「兄上はお体はお強くないが頭の良いお方だ。それに協力者もいるようだし、自ら動かなくても目的を達成する事は可能だと思うよ」
「それがフェンゼン大公なのですか?」
「知っているかもしれないが兄上と私の母は違うんだよ。兄上の母親はフェンゼン大公の元恋人だったらしい。これは極秘だがね」

 カールが言葉に詰まっていると、フィリップは小さく笑った。

「別に珍しい事ではないよ。結婚は家門同士のものだから、その女性と陛下の結婚が進められた。それだけだよ」
「フェンゼン大公はジークフリート殿下に王位を継いで欲しいのでしょうか」
「カール!」
「構わないよ。フェンゼン大公が何をしようとしていたのかは分からないが、分かっているのはベルトラン侯爵家の船を奪った事、モンフォール領の水害被害が拡がった事への加担、そしてグロースアーマイゼ国の侵攻に関わっていた事だね」

 モンフォール伯爵も、後ろを歩く騎士達も知っているようで特に驚いた様子はなようだった。

「実を言うとね、昔沈没したとされるベルトラン侯爵家の船は、沈没ではなく水夫達によって隠されていたんだ。船長や他の乗組員達は行方知れずだった為、生きていた水夫達の“船は沈没した”という証言を信じる他なかったらしい。だが水夫達はフェンゼン大公の手の者に買収されていたんだよ。船長達もその時すでに生きてはいなかったのだろう。その水夫達が今はドウラ領に住み着いているんだ。自分達が乗っている物が昔奪った船を改良して作られた船だとも知らずにね」
「そこまで分かっておられるのならなぜフェンゼン大公を罰しないのですか!」
「大公が自分に繋がる証拠を残す理由がないだろう」

 落胆しているのはカールだけではない。そんな事実をずっと昔から知りながら、何も暴けずにいたフィリップの方がずっと苦しいはずなのだ。

「確かに川をずっと調べて来ましたがこれと言って何もなかったですし、最後の調査対象だった川も強いて言えば祠くらいしかありませんでした。それも無駄足と言っていい物でしたし、そう言えば小石を持って来たままだったような」

 カールは剣と一緒に握り締めた時の小石をポケットから取り出した。剣と一緒に握り、掌は怪我をしたが、これを握っていたお陰で敵を斬った時に力が入らなかった。おそらく命までは奪っていないだろうと思うとこの小石は幸運のお守りのようで、カールは捨てに捨てられず持ち歩いていたのだ。しかしそれを見たフィリップは驚いたように足を止めた。真ん中に力をいれると、小石に思ったそれの中心はボロッと外れた。

「それは小石じゃないよ。カール、君のお手柄だ……」
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