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第19話 元妻の姿が頭から離れない
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カトリーヌは共に目の前に広がる異様な光景に立ち尽くしてた。
玄関に運び込まれてくる子供用の家具におもちゃの山。それらをルドルフが指示している。
「空いているお部屋に運び込ませて頂きます」
カトリーヌは堪らずに声を上げた。
「理由くらい話して頂戴。お母様もなんとか言って!」
「そうよ、説明して貰わないと困るわ」
ルドルフは階段を上がって行く使用人にそのまま作業を続けるように言うと、待ってましたとばかりに口を開いた。
「アルベルト様がこの家にもフェリックス様の部屋を作ったらとご提案されたのです。お菓子のお礼だと仰っておりました」
「お菓子のお礼だなんて額が違い過ぎるわ!」
「ですがアルベルト様のお気持ちですのでどうかお受け取り下さい」
「フェリックスの部屋が出来るのは嬉しいけれど、こんな事をしてもし家に帰りたくないと言い出したらどうするの」
「アルベルト様もお忙しくなるようですし、泊まりでもいいそうですよ」
カトリーヌは驚きのあまり言葉にならなかった。月に一回の面会だったはず。会わせて貰えるだけ感謝していた。
――それなのにしばらく泊まらせてもいい?
腑に落ちないまま立ち尽くしていると、母親が背中を撫でてきた。
「もしかしたら、アルベルト様に良い人が出来たのかもしれないわね」
「だからフェリックスを追い出す気なの?」
「フェリックスがいたら不都合なのかもしれないわ。でもこちらにとっては好都合よ」
国王の私室に呼ばれたアルベルトは、国王と無言のまま目配せをした。
昨晩にはなかった変化。本棚の下には国王自らが付けた白い粉の小さな印。その印が今は消えていた。
「中を確認しよう」
国王は本棚の仕掛けを動かすと奥の方でガタンと鳴り、ゆっくりと横に開いていく。三人程寝転べる程の広さの部屋には国王の私財が置かれている。高価な物ばかりの中、無くなっていたのは中央にある台座の上にあった物だけ。国王は小さく息を吐いた。
「この部屋をご存知なのは陛下の他にもいらっしゃいますか?」
「……一人だけだ」
国王はアルベルトに耳打ちをすると、再び本棚のからくりを戻した。
「明日は王城で夜会を開くぞ。気がついていないと思わせておこうじゃないか」
「承知致しました、すぐに準備に取り掛からせます」
国王の私室を出ると少し離れた所でフィリップが立っていた。
「相変わらず神出鬼没ですね」
「驚かせちゃった? アル君の顔でも見ようと思って」
「それではもう満足ですよね? さあもう行って下さい」
「そんなに無愛想で奥さんや子供が怖がらない?」
フィリップは面白い物でも見つけたように笑っていた。
「妻はいません。というか知っていて仰っていますよね?」
するとフィリップはパッと破顔して笑った。
「ごめんごめん! もっと落ち込んでいると思ったけど、案外元気みたいだね? でももう離婚したらならいいよね?」
「仰っている意味が分かりかねます」
「だから、カトリーヌ嬢は僕が貰ってもいいよねって話」
「……は?」
整った顔が目前に迫った。
「実は僕達少し面識があってさ」
「殿下は結婚にご興味がないのでは? それにいくらなんでも臣下の元妻というのは体裁が悪いように思います」
「アル君、今日は良く喋る……」
言いかけた所でフィリップの視線が廊下の先に向いた。視線を追ったアルベルトもぎくりと身体を強張らせた。
「これはフェンゼン大公。お散歩ですか?」
フィリップの叔父に当たるフェンゼン大公は、フィリップに臆する事なく気を使う事もなく前で立ち止まった。
「殿下、王族としての品位を落とす発言はお控え下さい」
「少しくらい落としておいた方がいいかと思いまして」
王族と同じ金色の髪だが、フィリップ達よりもやや白金に近いその髪を後ろで結い、その立ち姿はここにいる誰よりも威厳があるように見える。奥歯を噛み締めたように動く頬は神経質さを現しているようだった。
「くれぐれも王族としてのお立場をお忘れなきようお願い致します」
「一応覚えておきますよ」
「丁度お二人が揃っていらっしゃるのでお伝え致しますが、明日陛下主催で夜会が開かれます」
「こんな時に夜会だと?」
「いいじゃないか夜会! そうだ、カトリーヌ嬢にドレスを送ってもいいかな? って、これももうアル君に了承を取る事じゃないか」
「お好きにどうぞ」
「それでそのまま承諾したのですか?」
深夜の執務室にルドルフの呆れたような声が響いた。
「俺がとやかく言う事じゃないだろ」
「それはそうですが、巷での噂をご存知で?」
「噂に興味はない」
「デビュタントの日の行動はカトリーヌ様にも非がありました。ですが噂ではフィリップ殿下とカトリーヌ様は恋仲だったのに、ベルトラン家によって引き裂かれたと言われているんですよ」
アルベルトは驚いたまま固まってしまった。
「大体なぜ離婚を切り出したのか真意をお伝えしておりませんよね? “若くして結婚し、子を産むという役目を果たしたのだから自由になるべきだ”、そう言って差し上げるべきだったのではありませんか?」
「……お前の想像力は凄いな」
「今回の事もフェリックス様を追い出したように思われているかもしれませんよ。お仕事がお忙しくなり、家に帰る事が出来なくなってきたからだと全く伝わっておりません!」
「どうしたらいいんだ」
「会いに行って下さい」
「結婚している時でさえ顔を会わせなかったんだぞ」
「それは結婚してすぐに遠征に出られ、ずっと戦場にいたからではありませんか」
アルベルトは正論で圧倒され、押し黙ってしまった。
「カトリーヌ様をどう思われておいでですか?」
「どうもこうも離婚したばかりだ」
「それでしたらカトリーヌ様が再婚しても宜しいのですね?」
アルベルトは机の上に乗せていた手をぎゅっと握り締めた。
「いかがいたしました?」
アルベルトは不意に昨晩の会話を思い出していた。
ルドルフに焚き付けられモンフォール家を訪れた早朝。寝不足のまま向かってしまった為、早くに着いてしまった。
応答がなければ帰ろうと思っていたが、門から出てきたのはまさかのカトリーヌだった。
「フェリックスはどうしている?」
「実は寝付いたのは朝方なんです。真夜中にぐずってしまって」
「そういう時はどうするんだ? 医者を呼ぶのか?」
するとカトリーヌは思わず笑った。
「お医者様は呼びません。抱きしめて話を聞いてやるのです」
「もしかして、あなたは眠っていないのか?」
カトリーヌはとっさに顔を押さえた。目が冴えてしまい、エルザと交代をした後も薄明かりで本を読んでいた。
「フェリックスをこちらに寄越したのは忙しくなるからだ。寂しくないようにモンフォール家に任せようと思ったんだが、負担になるならなんとかしよう」
「このまま大丈夫です!」
「そ、そういえばクマのぬいぐるみが気に入りだと聞いた」
「でも慣れるまでに凄く時間が掛かったんですよ。一時はあのクマを“おとうさま”と呼んで、その時は焦りました」
するとアルベルトは少しムッとし、眉根を寄せた。
「なぜクマが“おとうさま”なんだ」
「覚えたての“おとうさま”を使いたかったのでしょう。沢山の贈り物と共に過ごす時間を与えて下さりありがとうございました」
カトリーヌは深く頭を下げた。すると慌てたような声が上から振ってくる。顔を上げると、アルベルトは困ったような顔で見ていた。
――そういえばこうしてゆっくりお顔を拝見するのは初めてね。
見つめていると今度はアルベルトが視線を逸してきた。
「ところで、急なんだが今夜陛下主催の夜会が開かれる事になったんだ。この家の者達にも参加してもらいたい」
「それでしたら父とルイスが出席させて頂くと思います」
「あなたは来ないのか?」
「父とルイスの出席で十分だと思いますが」
「だが殿下が……ドレスは持っているか? なければ手配しよう」
「結構です!」
その瞬間、カトリーヌは自分の声に驚き口を噤んだ。
「勝手な事を言ってすまなかった」
「私の方こそ申し訳ございません。ですがどんな理由であれ私に贈り物は不要です。私達はもう贈り物をし合う仲ではありませんから」
「そうだな。すまなかった」
「副団長!」
モンフォール家の敷地を出ようとした所で、アルベルトは珍しい人物に呼び止められた。
「ルイスか、久しいな」
「我が家に一体なんの御用ですか」
今まで不満こそ滲み出ていたとはいえ、こうして面と向かって言葉を向けられた事はなかっただけに、アルベルトは思わず笑ってしまった。
「心配しなくてもフェリックスの事で少し話をしただけだ」
「それならなぜドレスを準備するなどと仰ったのですか?」
「盗み聞きとは感心しないな。だがそれなら話は早い。昼までにドレスを準備しろ。そして殿下からドレスが届いたら丁重にお断りするんだ」
アルベルトは馬を走らせると門を出ていく。一人残されたルイスは呆然としたまま呟いた。
「まさか殿下からドレスが届くのか? 僕に王族からの贈り物を突き返せってのかよ!」
ルイスはその場にしゃがみ込んだ。
ルイスが何故か一人で慌てふためいて家を出て行き、少ししてから第二王子の遣いだという騎士達がやって来た。
「騎士団団長ラインハルト・シュルツと申します」
「我が家にどのような御用でしょうか」
後ろに目配せをすると、騎士二人が大きな箱を運び入れてきた。何故かそのリボンを解いてはいけない気がして後ずさった時だった。
玄関の向こう側にはいつの間にか帰って来たルイスが焦っているのが目に入る。手には何か包みを持っていた。
「フィリップ殿下からの贈り物です」
「私に?」
フィリップ殿下とは過去に一度ダンスをしただけ。
「意図が分かりかねます」
ぽかんとしたラインハルトは考え込んだように唸ってしまった。
「普通のご令嬢は王子からの贈り物であれば喜ばれるのではないでしょうか?」
「理由次第ではないでしょうか」
「ご出席して直接伺ってはいかがでしょう?」
「それは……」
ルイスはラインハルトの後ろから無言で手に持つ包みを見せてきている。
「ルイス、うるさいよ」
後ろにも目が付いているのではと思える言葉に、ルイスは戦意喪失状態で手に持っていた包みをだらりと下げた。
「それでは弟と共に出席させて頂きます。ですが息子が心配なので長居は出来ません。それでも宜しいですか?」
「ではそのように殿下にお伝え致します」
モンフォール家の中はどんよりとした空気に包まれていた。
ルイスはフェリックスに手を動かされても髪を引っ張られても放心したまま。カトリーヌも目の前の豪華な衣装を前に溜息を吐いていた。
「やっぱり受け取らなかった方が良かったかしら」
ドレスに装飾品一式、そして靴。ドレスは白銀色の光沢と張りのある生地で、程よく身体に沿う形をしている。それに合わせるのはアメジストの耳飾りと首飾り。ひと目で高級だと分かる品だった。
「副団長が仰っていたのは本当だったんだ」
「アルベルト様が何か仰っていたの?」
「殿下よりも先にドレスを用意するようにって」
その時、カトリーヌは膝から砕けたい気持ちで一杯になっていた。だからアルベルトはドレスを送ると言ったのだ。王子から届いた物を無下には出来ないが、すでに他の男性から贈り物を貰っているのであれば丁重にお断りしても問題ないはず。カトリーヌは呆れながら、溜め息を溢した。
「しょうがないから今日はこのドレスを着ていきましょう」
「そんな事したらアルベルト様が怒るよ」
「なぜアルベルト様に? それよりもフィリップ殿下の意図が分からなくて恐ろしいわね」
「姉様を気に入っているとか?」
「ありえないわ。特定の相手は作られないお方よ」
「やけに詳しいじゃないか」
「ジェニーがそういう話を仕入れてくるのよ」
ジェニーの名を聞いた途端、ルイスは明らかに顔を緩ませた。
「そう言えばあれからエレナについて話していなかったけれど、好きにしたらいいというのは本心よ」
「エレナには出来る限りの事をしてやりたいんだ。……兄代わりとして」
「今なんて?」
「だから亡くなったルークの代わりにエレナの兄代わりになってやりたいんだ」
カトリーヌは一瞬頭が真っ白になった後、ルイスの腕を思い切り掴んだ。
「てっきりエレナを好きだと思っていたんだけれど?」
「僕が? なんで!」
「だってエレナに夢中みたいだったから」
「そりゃ死んだと思っていたんだから嬉しいだろ! エレナもきっと僕の事を兄のように思っているよ」
「そうだといいわね」
玄関に運び込まれてくる子供用の家具におもちゃの山。それらをルドルフが指示している。
「空いているお部屋に運び込ませて頂きます」
カトリーヌは堪らずに声を上げた。
「理由くらい話して頂戴。お母様もなんとか言って!」
「そうよ、説明して貰わないと困るわ」
ルドルフは階段を上がって行く使用人にそのまま作業を続けるように言うと、待ってましたとばかりに口を開いた。
「アルベルト様がこの家にもフェリックス様の部屋を作ったらとご提案されたのです。お菓子のお礼だと仰っておりました」
「お菓子のお礼だなんて額が違い過ぎるわ!」
「ですがアルベルト様のお気持ちですのでどうかお受け取り下さい」
「フェリックスの部屋が出来るのは嬉しいけれど、こんな事をしてもし家に帰りたくないと言い出したらどうするの」
「アルベルト様もお忙しくなるようですし、泊まりでもいいそうですよ」
カトリーヌは驚きのあまり言葉にならなかった。月に一回の面会だったはず。会わせて貰えるだけ感謝していた。
――それなのにしばらく泊まらせてもいい?
腑に落ちないまま立ち尽くしていると、母親が背中を撫でてきた。
「もしかしたら、アルベルト様に良い人が出来たのかもしれないわね」
「だからフェリックスを追い出す気なの?」
「フェリックスがいたら不都合なのかもしれないわ。でもこちらにとっては好都合よ」
国王の私室に呼ばれたアルベルトは、国王と無言のまま目配せをした。
昨晩にはなかった変化。本棚の下には国王自らが付けた白い粉の小さな印。その印が今は消えていた。
「中を確認しよう」
国王は本棚の仕掛けを動かすと奥の方でガタンと鳴り、ゆっくりと横に開いていく。三人程寝転べる程の広さの部屋には国王の私財が置かれている。高価な物ばかりの中、無くなっていたのは中央にある台座の上にあった物だけ。国王は小さく息を吐いた。
「この部屋をご存知なのは陛下の他にもいらっしゃいますか?」
「……一人だけだ」
国王はアルベルトに耳打ちをすると、再び本棚のからくりを戻した。
「明日は王城で夜会を開くぞ。気がついていないと思わせておこうじゃないか」
「承知致しました、すぐに準備に取り掛からせます」
国王の私室を出ると少し離れた所でフィリップが立っていた。
「相変わらず神出鬼没ですね」
「驚かせちゃった? アル君の顔でも見ようと思って」
「それではもう満足ですよね? さあもう行って下さい」
「そんなに無愛想で奥さんや子供が怖がらない?」
フィリップは面白い物でも見つけたように笑っていた。
「妻はいません。というか知っていて仰っていますよね?」
するとフィリップはパッと破顔して笑った。
「ごめんごめん! もっと落ち込んでいると思ったけど、案外元気みたいだね? でももう離婚したらならいいよね?」
「仰っている意味が分かりかねます」
「だから、カトリーヌ嬢は僕が貰ってもいいよねって話」
「……は?」
整った顔が目前に迫った。
「実は僕達少し面識があってさ」
「殿下は結婚にご興味がないのでは? それにいくらなんでも臣下の元妻というのは体裁が悪いように思います」
「アル君、今日は良く喋る……」
言いかけた所でフィリップの視線が廊下の先に向いた。視線を追ったアルベルトもぎくりと身体を強張らせた。
「これはフェンゼン大公。お散歩ですか?」
フィリップの叔父に当たるフェンゼン大公は、フィリップに臆する事なく気を使う事もなく前で立ち止まった。
「殿下、王族としての品位を落とす発言はお控え下さい」
「少しくらい落としておいた方がいいかと思いまして」
王族と同じ金色の髪だが、フィリップ達よりもやや白金に近いその髪を後ろで結い、その立ち姿はここにいる誰よりも威厳があるように見える。奥歯を噛み締めたように動く頬は神経質さを現しているようだった。
「くれぐれも王族としてのお立場をお忘れなきようお願い致します」
「一応覚えておきますよ」
「丁度お二人が揃っていらっしゃるのでお伝え致しますが、明日陛下主催で夜会が開かれます」
「こんな時に夜会だと?」
「いいじゃないか夜会! そうだ、カトリーヌ嬢にドレスを送ってもいいかな? って、これももうアル君に了承を取る事じゃないか」
「お好きにどうぞ」
「それでそのまま承諾したのですか?」
深夜の執務室にルドルフの呆れたような声が響いた。
「俺がとやかく言う事じゃないだろ」
「それはそうですが、巷での噂をご存知で?」
「噂に興味はない」
「デビュタントの日の行動はカトリーヌ様にも非がありました。ですが噂ではフィリップ殿下とカトリーヌ様は恋仲だったのに、ベルトラン家によって引き裂かれたと言われているんですよ」
アルベルトは驚いたまま固まってしまった。
「大体なぜ離婚を切り出したのか真意をお伝えしておりませんよね? “若くして結婚し、子を産むという役目を果たしたのだから自由になるべきだ”、そう言って差し上げるべきだったのではありませんか?」
「……お前の想像力は凄いな」
「今回の事もフェリックス様を追い出したように思われているかもしれませんよ。お仕事がお忙しくなり、家に帰る事が出来なくなってきたからだと全く伝わっておりません!」
「どうしたらいいんだ」
「会いに行って下さい」
「結婚している時でさえ顔を会わせなかったんだぞ」
「それは結婚してすぐに遠征に出られ、ずっと戦場にいたからではありませんか」
アルベルトは正論で圧倒され、押し黙ってしまった。
「カトリーヌ様をどう思われておいでですか?」
「どうもこうも離婚したばかりだ」
「それでしたらカトリーヌ様が再婚しても宜しいのですね?」
アルベルトは机の上に乗せていた手をぎゅっと握り締めた。
「いかがいたしました?」
アルベルトは不意に昨晩の会話を思い出していた。
ルドルフに焚き付けられモンフォール家を訪れた早朝。寝不足のまま向かってしまった為、早くに着いてしまった。
応答がなければ帰ろうと思っていたが、門から出てきたのはまさかのカトリーヌだった。
「フェリックスはどうしている?」
「実は寝付いたのは朝方なんです。真夜中にぐずってしまって」
「そういう時はどうするんだ? 医者を呼ぶのか?」
するとカトリーヌは思わず笑った。
「お医者様は呼びません。抱きしめて話を聞いてやるのです」
「もしかして、あなたは眠っていないのか?」
カトリーヌはとっさに顔を押さえた。目が冴えてしまい、エルザと交代をした後も薄明かりで本を読んでいた。
「フェリックスをこちらに寄越したのは忙しくなるからだ。寂しくないようにモンフォール家に任せようと思ったんだが、負担になるならなんとかしよう」
「このまま大丈夫です!」
「そ、そういえばクマのぬいぐるみが気に入りだと聞いた」
「でも慣れるまでに凄く時間が掛かったんですよ。一時はあのクマを“おとうさま”と呼んで、その時は焦りました」
するとアルベルトは少しムッとし、眉根を寄せた。
「なぜクマが“おとうさま”なんだ」
「覚えたての“おとうさま”を使いたかったのでしょう。沢山の贈り物と共に過ごす時間を与えて下さりありがとうございました」
カトリーヌは深く頭を下げた。すると慌てたような声が上から振ってくる。顔を上げると、アルベルトは困ったような顔で見ていた。
――そういえばこうしてゆっくりお顔を拝見するのは初めてね。
見つめていると今度はアルベルトが視線を逸してきた。
「ところで、急なんだが今夜陛下主催の夜会が開かれる事になったんだ。この家の者達にも参加してもらいたい」
「それでしたら父とルイスが出席させて頂くと思います」
「あなたは来ないのか?」
「父とルイスの出席で十分だと思いますが」
「だが殿下が……ドレスは持っているか? なければ手配しよう」
「結構です!」
その瞬間、カトリーヌは自分の声に驚き口を噤んだ。
「勝手な事を言ってすまなかった」
「私の方こそ申し訳ございません。ですがどんな理由であれ私に贈り物は不要です。私達はもう贈り物をし合う仲ではありませんから」
「そうだな。すまなかった」
「副団長!」
モンフォール家の敷地を出ようとした所で、アルベルトは珍しい人物に呼び止められた。
「ルイスか、久しいな」
「我が家に一体なんの御用ですか」
今まで不満こそ滲み出ていたとはいえ、こうして面と向かって言葉を向けられた事はなかっただけに、アルベルトは思わず笑ってしまった。
「心配しなくてもフェリックスの事で少し話をしただけだ」
「それならなぜドレスを準備するなどと仰ったのですか?」
「盗み聞きとは感心しないな。だがそれなら話は早い。昼までにドレスを準備しろ。そして殿下からドレスが届いたら丁重にお断りするんだ」
アルベルトは馬を走らせると門を出ていく。一人残されたルイスは呆然としたまま呟いた。
「まさか殿下からドレスが届くのか? 僕に王族からの贈り物を突き返せってのかよ!」
ルイスはその場にしゃがみ込んだ。
ルイスが何故か一人で慌てふためいて家を出て行き、少ししてから第二王子の遣いだという騎士達がやって来た。
「騎士団団長ラインハルト・シュルツと申します」
「我が家にどのような御用でしょうか」
後ろに目配せをすると、騎士二人が大きな箱を運び入れてきた。何故かそのリボンを解いてはいけない気がして後ずさった時だった。
玄関の向こう側にはいつの間にか帰って来たルイスが焦っているのが目に入る。手には何か包みを持っていた。
「フィリップ殿下からの贈り物です」
「私に?」
フィリップ殿下とは過去に一度ダンスをしただけ。
「意図が分かりかねます」
ぽかんとしたラインハルトは考え込んだように唸ってしまった。
「普通のご令嬢は王子からの贈り物であれば喜ばれるのではないでしょうか?」
「理由次第ではないでしょうか」
「ご出席して直接伺ってはいかがでしょう?」
「それは……」
ルイスはラインハルトの後ろから無言で手に持つ包みを見せてきている。
「ルイス、うるさいよ」
後ろにも目が付いているのではと思える言葉に、ルイスは戦意喪失状態で手に持っていた包みをだらりと下げた。
「それでは弟と共に出席させて頂きます。ですが息子が心配なので長居は出来ません。それでも宜しいですか?」
「ではそのように殿下にお伝え致します」
モンフォール家の中はどんよりとした空気に包まれていた。
ルイスはフェリックスに手を動かされても髪を引っ張られても放心したまま。カトリーヌも目の前の豪華な衣装を前に溜息を吐いていた。
「やっぱり受け取らなかった方が良かったかしら」
ドレスに装飾品一式、そして靴。ドレスは白銀色の光沢と張りのある生地で、程よく身体に沿う形をしている。それに合わせるのはアメジストの耳飾りと首飾り。ひと目で高級だと分かる品だった。
「副団長が仰っていたのは本当だったんだ」
「アルベルト様が何か仰っていたの?」
「殿下よりも先にドレスを用意するようにって」
その時、カトリーヌは膝から砕けたい気持ちで一杯になっていた。だからアルベルトはドレスを送ると言ったのだ。王子から届いた物を無下には出来ないが、すでに他の男性から贈り物を貰っているのであれば丁重にお断りしても問題ないはず。カトリーヌは呆れながら、溜め息を溢した。
「しょうがないから今日はこのドレスを着ていきましょう」
「そんな事したらアルベルト様が怒るよ」
「なぜアルベルト様に? それよりもフィリップ殿下の意図が分からなくて恐ろしいわね」
「姉様を気に入っているとか?」
「ありえないわ。特定の相手は作られないお方よ」
「やけに詳しいじゃないか」
「ジェニーがそういう話を仕入れてくるのよ」
ジェニーの名を聞いた途端、ルイスは明らかに顔を緩ませた。
「そう言えばあれからエレナについて話していなかったけれど、好きにしたらいいというのは本心よ」
「エレナには出来る限りの事をしてやりたいんだ。……兄代わりとして」
「今なんて?」
「だから亡くなったルークの代わりにエレナの兄代わりになってやりたいんだ」
カトリーヌは一瞬頭が真っ白になった後、ルイスの腕を思い切り掴んだ。
「てっきりエレナを好きだと思っていたんだけれど?」
「僕が? なんで!」
「だってエレナに夢中みたいだったから」
「そりゃ死んだと思っていたんだから嬉しいだろ! エレナもきっと僕の事を兄のように思っているよ」
「そうだといいわね」
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