いまさら好きだと言われても、私たち先日離婚したばかりですが。

山田ランチ

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第4話 もつれた糸

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 人の気配がない家。
 表に出る使用人は限られ、屋敷内は常に静寂に満ちていた。

 遠くで玄関が開く音にアルベルトは本を閉じると部屋を出た。広い屋敷の中、このまま廊下を進めば音の正体とは対峙ぜずに私室へと辿り着けるはずだった。

「ここに帰られるとは珍しいですね。あの人はご不在ですか?」

 音の正体は唐突に目の前に現れると、珍しく足を止めた。
 
「お前の結婚が決まったぞ」
「はい?」

 もう何年も顔どころか目も合わせた記憶がなかった人と正面で視線が絡む。自分に似た顔に吐き気がした。

「あなたのお眼鏡に適うなんて相手は一体誰ですか」
「モンフォール伯爵家の令嬢だ。名をカトリーヌ・モンフォールと言う」
「御冗談を。借金まみれで没落寸前の家門でしょう!」
「お前はどうせ誰が相手でも納得しないのだろう。しかしすでにモンフォール領への援助は始めているのだ。春になればモンフォール伯爵家が王都に越して来るから、お前が不自由のないよう気を掛けてやれ」
「……結婚はしますが何も期待しないで下さい」

 そう言い残すと肩がぶつかる寸前で通り過ぎた。

 

 
 寒い季節が終わり、カトリーヌ達はとうとう王都へと引っ越す日を迎えていた。王家預かりの領地となっても実質的な管理はモンフォール家に任される事になったようだった。
 荷物が次々に馬車に運ばれていく。先に乗り込んでいたカトリーヌは窓からもう戻れないだろ我が家をじっと見つめていた。

「それじゃあ気を付けて、何か不便な事があったら我慢せずにお母様に言うんだよ」
「お父様は一緒に行かないの?」

 てっきり共に行くと思っていたカトリーヌは縋るように父を見つめた。

「今度の方針について最終確認をしてから馬で向かうから、到着は一日、二日遅れ程度になるのではないかな」
「カールも一緒に?」

 すると父のそばにいたカールは首を振った。

「皆様とはここでお別れです。俺は旦那様からここに残るように命じられましたので、引き続きここで頑張りますよ!」

 屈託ない笑顔でそう言うとヒラヒラと手を振ってくる。とっさに近くにいたエルザの方を見たが目が合うとにこりと笑顔を見せてくれた。

「奥へ詰めて頂戴。それじゃあ乗れないわ」

 母が無表情のままステップに足を掛ける。とっさに父が出した手を掴むと馬車に乗り込んできた。しかし父は掴んだ手を離そうとはしなかった。

「ずっと気になっていたんだが、最近指輪をしていないようだが無くしたのかい?」

 すりっとレースの手袋越しに指を撫でられた母はパッと手を離すと軽く前で組んだ。

「最近肌荒れを起こすようになってきたの。年を取ってきっと体質が変わったんでしょうね」
「それなら新しく作り直そう。ちゃんと肌に合うものを王都で選ばねばな」
「あらまあ、そんなお金があるのかしら」
「痛い所を突かれたが妻の指輪くらいは用意してみせるよ」
「それはありがとうございます」

 扉が閉まり、父の合図と共に馬車一行が動き出す。ここから王都へと向かう長い旅が始まった。

「お母様はお父様と喧嘩をしたの?」
「私達も貴族の例に漏れず政略結婚なの。いつまでも仲むずまじいというのは無理な話なのよ」
「でもお父様とお母様は仲が良くて有名だったわ」
「カトリーヌ、人は変わるの。良い機会だから覚えていらっしゃい。あなたももうすぐ婚約者を選ばなくてはならない年頃だけれど、正直こんな風に落ちぶれてしまった家の令嬢を好んで妻にしたがる貴族男性はいないでしょう。だから恐らくは年の離れた男性か、後妻になるかもしれないわ。それでもあなたは我慢して夫に尽くさなくてはならないのよ。いい事? それがモンフォール家の為になるですからね」
「分かりました。お母様」

 ルイスは二人のやり取りには口を挟まずに目を閉じていた。



 
「ようやくだわ」

 故郷を出て数日、疲労の滲んだ母の声に窓の外を見た。すると遠くに大きな外壁が聳えていた。王都に憧れはなかったが、ここにきてカトリーヌの心は間違いなく新しい生活へと気持ちが切り替わった瞬間だった。

 ベルトラン侯爵から借り受けたという住まいは、今まで住んでいた屋敷の半分の大きさだった。王都と田舎とでは物の価格が違うという事は理解している。それでも屋敷の大きさを見た時には、正直がっかりしてしまった。

「初めまして、セリーヌ・モンフォールと申します。主人は遅れて到着する為ここにいないご無礼をお許し下さい」

 すると門の前にいた男性は深々と頭を下げた。

「私のような者にそのようなご挨拶は不要です、モンフォール夫人。私はベルトラン侯爵家に仕える執事のルドルフと申します。どうぞルドルフとお呼び下さい。王都での生活で何かお困り事がございましたら、なんなりとお申し付けくださいませ」
「ありがとうルドルフ。夫が王都に到着次第ベルトラン侯爵家へご挨拶に伺いたのだけれど、侯爵のご都合はいかがかしら」
「すでに旦那様とモンフォール伯爵はお顔見知りですし、旦那様も多忙な御方ですのでご挨拶は不要との事です」
「まあ、それは残念だわ」
「お気を悪くされないで下さい。本当に旦那様はそういった事をお気になさらない御方なのです。それに、王都にいればいずれお会いする事もございましょう。今は一日でもお早く王都での生活に慣れますよう、微力ながら私もお手伝いさせて頂きたく存じます」
「あなたはこの屋敷に常在されるの?」

 ルドルフは貼り付けたような笑みを湛えながら頷いた。

「数日毎にご様子をお伺いに参ります。その際に王都をご案内したり生活に必要な物をご準備致しますので、ご遠慮無くお申し付け下さい」

 カトリーヌとルイスは母親の目配せに近付いた。近くに行くと、ルドフルは見上げる程の高身長だった。

「長男のルイスと長女のカトリーヌです」

 礼を取りながら見上げると、ルドルフの視線とカトリーヌの視線がぶつかる。観察するように動いた視線も、すぐに朗らかな笑顔に掻き消された。

「ルドルフと申します。お二人ともこれから宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくお願いします、ルドルフさん」
「カトリーヌ様方もルドルフで結構ですよ。それではまたすぐにお会い致しましょう」
 
 颯爽と去っていくその背中を見つめながら、一瞬垣間見た冷めた目が気になってしまっていた。




「只今戻りました。アルベルト様?」

 城の一角にある騎士団の寄宿舎に向かったルドルフだったが、探し人には会えずそのまま練習場に向かった。次第に激しい金属音が鳴り響いていくる。それと同時に荒々しい声も聞こえ始めていた。

「もう終わりか!? バテるのはまだ早いぞ!」

荒い呼吸をしながら地面に倒れている騎士達の姿に同情の視線を向けながら、ルドルフは階段の上から主の名前を呼んだ。

「アルベルト様!」

 ルドルフの登場に倒れていた騎士達は視線だけを階段に向けると、少しだけ安堵の表情を浮かべた。これで休憩が取れると思ったのだろう。しかしアルベルトは決定的な一言を放った。

「手合わせの準備をして待機だ!」

 騎士達の目から生気が消えたのを不憫に思いながら、近付いてくる主に頭を下げた。

「先程モンフォール伯爵家の皆様が無事ご到着されました。あの場所はやはり良いですね。立地もよく安全な場所に建てられておりますからモンフォール家のような微妙な立場の方々には安心でしょう。今は王都中が良くも悪くもモンフォール家に興味津々ですから」
「あの人がくれぐれも不自由のないようにと仰るからそうしたまでだ。どんな成りで来たんだ? 全部売っ払って来たんだ、みすぼらしかったか?」

 汗を拭きながら壁に背を付いたアルベルトは、特に興味なさそうに言った。

「みすぼらしいだなんてとんでもない。皆様とてもお美しい方々でしたよ」
「ハッ、人の家の金で良い暮らしは保っていたという訳か」
「ご自分の目でご確認されるのが一番かと存じます」
「会うのは最小限でいい。それに当の本人はまだ知らないんだろう? モンフォール伯爵がデビュタントを済ませてから話すと言っていたからな」
「確かに今は王都に着いたばかりで緊張もされているでしょうし、お会いになるお楽しみは後に取っておきましょう」
 
 腕で汗を乱暴に拭ったアルベルトは、どこか楽しそうなルドルフを睨みつけた。

「正直に申し上げましてまだまだお若いですね。田舎で自由にのんびり生きてきたお嬢様という印象が強いように思いました」
「別に容姿には期待していないから問題ない」
「早とちりはしないで下さい、何も悪いとは言っておりませんよ。皆様お美しいと申し上げましたでしょう?」
 
 アルベルトはまだ倒れている騎士達の元に戻っていく。騎士達の小さな悲鳴と共に、過酷な練習は再開されたのだった。

「やれやれ、この体格差ではあのお嬢様は狩られる獲物になってしまうでしょうね」




 王都に来て四ヶ月が過ぎ、とうとう明日、デビュタント当日を向かえようとしていた。
 とは言っても新しい衣装も宝飾品も用意するお金はない。母のお古の白っぽいドレスを、エルザが街に出て研究してきた“今流行りのドレス風”に仕立て直し、宝石も母の手持ちの中から比較的若いデザインの物を付ける事にした。母はカトリーヌが付ける事になったネックレスを指で弄びながら深い溜息を吐いた。

「こんな流行遅れのデザインなんて恥ずかしいわ」

 興味なさげにトレイの上に放ると座面に背中を預けた。王都に着いてからというもの、母は屋敷から出ずに籠もる日々が続いていた。父も領地と王城との行き来でほとんど家には帰って来ず、この新居にはまだ一回しか来た事がない。ルイスにもベルトラン家からの紹介で就いた家庭教師が毎日現れ、気が付くとあまり顔を合わす事もなくなっていた。その反面カトリーヌには友人もいなく、没落寸前の田舎伯爵家の娘を茶会に誘ってくれる貴族令嬢もいない。気がつくとカトリーヌは誰も知り合いのいない中、デビュタントに出席になければならなくなっていた。
 
「いいわね? 明日はより多くのご子息とご挨拶を交わすのよ。分かったわね?」

 母はまるで戦いにでも行くかのような勢いで激励を飛ばしてきた。

「でも私ダンスはほとんど踊れないのよ」
「最初のワルツは最低限踊るとして、その後は緊張で具合いが悪いとでも言っておきなさい。それよりも一人でいいから良い印象を与えてきなさい。いいわね?」
「そんなの無理よ!」

 すると母は身を乗り出してカトリーヌの手を掴んできた。

「お願いよカトリーヌ、お父様はもう当てにならないの。頼りになるのはあなただけなのよ! 領地を失ったモンフォール家をルイスに継がせるつもり?」
「それは……」
「ルイスに完璧なモンフォール伯爵家の爵位を継がせるのよ。それがあなたの結婚に掛かっているの。分かるわね?」

 痛い程に握られた手から母の思いが伝わってくる。カトリーヌは捕まれながら扉の隙間から部屋を見ていたルイスと目が合った。部屋には入らずに立ち去ろうとするルイスの後を追って部屋を出た。

「ルイス! 待って!」

 ルイスに追い着くと、振り向いた顔は怒っていた。

「……姉様は嫁がなくていいよ」

 カトリーヌは言われた言葉が分からず呆けてしまっていると、ルイスは苛立ったように言った。

「僕は来年の今頃になったら騎士団に入団するんだ。そして必ず功績を上げて近衛騎士団にまでなってみせる。そうしたらモンフォールの領地だって陛下に取られずに済むよ。だから望まない結婚なんかしなくていいんだ!」

 カトリーヌは思わずルイスを抱き締めていた。こんなにはっきりとルイスが意思を示したのは、水害以降初めてだった。そしてこの数ヶ月で見違えるように大人になっていた。

「ありがとうルイス。でも私なら大丈夫よ」
「僕の話を聞いていた? このままだとすぐにでも売られるように嫁に出されるっていうのに!」
「でも私だけ守られてばかりいられないわ」
「それって知らない誰かと売られるように結婚するって事?」
「もしそれが私のやるべき事ならそうね。フフッ」
「何がおかしいのさ」
「でも私まだ相手すらいないのよ」
「そ、そうだけど!」

 急に顔を真赤にしたルイスは怒りながら廊下を戻っていく。カトリーヌはまたその後を追った。
 
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