いまさら好きだと言われても、私たち先日離婚したばかりですが。

山田ランチ

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第3話 残された者達

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 季節は代わり、風はすっかり冷たくなっていた。
 約ニヶ月前に王都に向かった父親を乗せた馬車が門の中へと入ってくる。カトリーヌは玄関を飛び出して迎えた。

 あれからルイスはすっかり塞ぎ込んでしまい、先月の九歳を祝う誕生会にも姿を見せなかった。カトリーヌも春になれば十五歳になる。しかし水害のせいで生活は一変していた。
 流されてしまった家畜や農作物の被害は甚大で、家々の修復や清掃、川の整備にも莫大な費用が必要だった。モンフォール伯爵家にあった衣装や貴金属や絵画のほとんどを売りに出し、交流のある他領主達から借金をしてもまだ足りず、国王に直接援助を頼む為に王都へと行っていた父親がようやく馬車から降りてくる。ニヶ月前よりもやつれてしまった父親を前に、カトリーヌの足は思わず怯んでしまった。

「出迎えてくれたのかい?」

 長旅から戻ってきた父親を出迎える家族が自分だけなのが申し訳なくて俯くと、大きな手が頭を撫でてきた。

「お母様は少し横になっているの。ルイスもよ」
「カトリーヌは大丈夫かい?」
「私の事よりもお父様は大丈夫なの? 酷い顔をしているわ」
「ハハッ、情けない所を見せてしまっているな。それはそうと応接室にお母様とルイスを連れてきてくれるかい? もし起き上がるのが辛そうであれば私が行くと伝えておくれ。その間に私は着替えるとしよう」


 応接室に入ってきた母親は着飾った格好で現れた。派手な色のドレスに、僅かに残しておいた宝石が付いた指輪と首飾りをし、髪の毛は綺麗に巻かれて横に流されている。無言のまま父親とは対角線の場所に座ると、ルイスをその横にぴたりと付けて座らせていた。ルイスも着飾られてはいるがまるで人形のように動かない。父親は小さく溜息をつくと、目頭を揉んでから口を開いた。

「陛下からのご進言でモンフォール領の土地の権利は一時王家預かりとなった。それで取り敢えず領民の生活は保証して下さった。しかしそれも三年という期限付きだがね」
「三年で復興出来なければどうなるのかしら?」
「モンフォール領は王の領地という事になるだろう」
「それならもう時間の問題よ。土地を失い収入がなくなるのにこれからどうやって暮らしていくおつもり? 三年後には全てを王家に領地を奪われるのよ!」

 興奮していく母親を眺めながら、それでも父親は朗らかな表情を崩さないまま続けた。

「それについてなんだが、ある貴族が支援して下さる事になったよ。ベルトラン侯爵家は皆も知っているだろう?」

 その名前はこんな田舎領地でも耳にした事があった。

「そのベルトラン侯爵が金銭面の支援と王都での仕事を紹介して下さった。畜産や農業に関わる部署の責任者にと私を推薦してくださったんだ。モンフォール領での知恵を活かして欲しいと仰って下さったよ。というのは建前で、本当は過去の恩を返してくださるおつもりなのだろう」

 どこか申し訳なさそうにそう言った。

「お父様はベルトラン侯爵様とお知り合いだったの?」
「私ではないよ。お前達のお祖父様の代まで遡る話なんだが、昔とある理由で没落の危機に瀕したベルトラン侯爵家を前モンフォール伯爵家が力をお貸ししてその危機を救ったらしいんだ。その縁で、今度はこうして我々が助けて頂けるのだよ」
「助けるですって?」

 一層冷たい声に全員の視線が母親に向く。濃い口紅を塗った母親の表情は、カトリーヌでも恐ろしい程に父親を睨みつけていた。

「本当に助けるのなら私達に領地を売らせないのではなくて? 貴族が領地を失えばどれだけ嘲笑されると思うか分かっていらっしゃるの?」
「セリーヌ、そのような事を子供の前で言うものではない」
「この子達にも関わる事よ。それにカトリーヌはもうすぐ社交界にお披露目する時期なのに、これじゃあ辱めを受けに行くようなものだわ! ルイスにも、領地を保たぬ名ばかりの家名を継がせるなど考えられません!」

 一気に捲し立てるように言うとスッと席を立ち、応接間を出て行こうとした。

「まだ話は終わっていないぞ! 戻りなさいセリーヌ」
 
 珍しく声を荒げた父親に身を竦めたが、母親は足を止める事も振り返る事もせずにそのまま出て行ってしまった。隣で父親の溜息を吐くと、ルイスが久しぶりに口を開いた。そこ声は数ヶ月振りに聞くものだった。

「それじゃあ僕達は王都で暮らすの?」
「来年の初夏にはカトリーヌのデビュタントがあるから、春が訪れたら引っ越す事になるだろう。ルイスは王都は嫌かい?」
「ここにいても楽しくないし、でもそれは王都に行っても同じでしょ」
「王都に行ったらお前は騎士団に入団する事になる。とはいっても騎士団への入団は十歳からだから、それまでは家庭教師をつけて試験と訓練の日々となるだろう」
「分かったよ」
「それでカトリーヌだが……まあこれはまだ先でもいいか」
「途中で止められると気になってしまうわ」
「すまんすまん。でもまだ仮定の話だからね、決まったらちゃんと話すよ」

 若干の歯切れの悪さを残しながらも、街の様子を見に行くという父親の背中を見送った。


「お父様はどちらへ?」

 部屋に戻っていたと思っていた母親は廊下の先から出てくると、玄関を見つめていた。

「街の様子を見て来るそうよ。お父様大丈夫かしら、とても疲れているようだったわ」
「だから街へ行ったのでしょうね」

 意味が分からず首を傾げると、母親はエルザを呼んで馬車を準備させるようだった。

「私も少し街に行ってくるわ。あなた達は部屋に戻っていなさい」




 酒場の入口には体躯のしっかりした男達がたむろしていた。水害以降、街の復旧の為にと領地の外から流れてきた者達を雇い入れた事によって、治安は悪くなっているように思えた。
 セリーヌは馬車の中でドレスから質素なワンピースに着替えると、頭から少し汚れているショールを被った。馬車は目立ち過ぎるので離れた所で止め、エルザを連れて酒場へと入っていく。入り口にたむろしていた男達の横を通ると、昼過ぎだというのに濃い酒の臭いがした。ふと視線を巡らせると、階段を上がっていく夫の姿が目に入る。家にいる時とは違い、ラフな格好でいる姿はこの街に随分溶け込んでいるように見えた。慣れたその足取りに苛立ちを感じながら、セリーヌは給仕をしていた女の肩に触れるとそっと耳打ちをした。

「ここの二階は宿なの?」

 階段の上には幾つか扉があるようだったが薄暗くてよく見えない。給仕の女は怪訝そうに眉を潜めてから、じろりとセリーヌの全身を視線で追うと鼻で笑った。

「あんた綺麗だけどもう年よ。まあそういう女が良いっていう客もいるけどね」

 一瞬、何を言われているのか分からないままぽかんとした後、セリーヌは怒りで身体が震えた。それでも小さなブレスレットを女の手に押し込んだ。女は最初こそ手を引こうと力を入れたが、握らされたブレスレットを見るなり喜びを隠そうともせずに笑った。

「ここに来ている男達の中に旦那でもいる訳? 心配しなくても大丈夫だよ。ここには娼婦達も流れて来たけど、娼館はちゃんと別にあるし基本的には健全な酒場だからね」
「基本的にとは?」
「酒を飲んでるくらいでそう目くじらを立てなくても大丈夫って事よ。二階に上がっていく男達以外わね」
「二階には何があるの?」

 すると女は黙ったまま顎でセリーヌの指先を見た。

「これは駄目よ!」
「あたしは別にいいけど。それならもういいでしょ? これから忙しくなる時間なんだから注文しないなら出ていった!」

 再び女は机を拭き、椅子を直し始める。セリーヌは震える手で指輪を抜き掛けて、エルザにその手を止められた。

「それはいけません」

 小声で言った声が震えている。しかしセリーヌは勢いよく指輪を外すと、女の目の前に叩きつけた。

「知っている事を全て話して」

 女はすかさず指輪をポケットに入れると、わざとらしく溜息を吐いた。

「あんた変わっているね。旦那が家に帰ってくれば良い方じゃない」
「さっさと話しなさい!」
「はいはい。二階は泊まれるけど幾つかの部屋は娼婦達が陣取ってるわ。元々領主様は酒場でのそういう行為を禁じてたみたいだけど今じゃ黙認しているって話」
「だ……領主様はそのような仕事に女性が就くのを良しとしないお方よ。何かの間違いだわ」
「まあどっちにしても私には関係ないけどね。そうそう、廊下の奥の部屋はその領主様のお部屋らしいわよ」
「なんですって?」
「奥様もう戻りましょう」

 エルザが耳打ちをしてくる。セリーヌは口を押さえたまま胃から込み上げそうになるものを必死で耐えた。

「領主様がここに寝泊まりするようになって暫く経つし、お気に入りの娼婦でもいるんじゃない? 皆意外と口は堅いけど……ってちょっと待ちなよッ!」

 セリーヌは制止も聞かず勢いのままに階段を登り、廊下を曲がろうとした時だった。後ろから呼び止めてきた声は間違う訳がない、カールのものだった。

「失礼マダム。そこから先にどのようなご用事ですか?」

 セリーヌはとっさに顔を隠した。

「仕事です」

 足音が近付いてくる。心臓がバクバクとなり、無意識にショールを引き寄せる。

「部屋はその先ではないと思いますよ」
「まだ慣れていなくて」
「その先は違います、マダム」
「それは失礼したわ」

 カールは女が通り過ぎた時に匂った香りにとっさに振り返ったが、すでに扉は閉まった後だった。

「まさかな。さてさて、お疲れの旦那様の食欲はどうかな」

 そう言って奥の部屋へと入って行った。


 セリーヌは適当な部屋の中に飛び込んでいた。扉を締めて細く息を吐く。その瞬間、後ろから大きな腕に抱きすくめられた。無骨な手に荒い息が耳にかかる。生暖かい物で首筋をべろりと舐められ、チリっとした痛みが走った。

「ヒッ」
「遅かったじゃないか」

 逃れようとした腕は掴まれて堅いベッドの上に投げられてしまう。薄暗い部屋の中、目の前に自分を組み敷いているのは見知らぬ若い男だった。汗の臭いがする。恐ろしさのあまり固まっていると、男は舌舐めずりをした。

「思ったよりも年増だが悪くねえ。あんたも洪水で夫を亡くしたのか? 心配はいらねえよ、俺が慰めてやるから」

 叫び声を上げようとした時だった。男は一気に重くなり、胸の上で寝息を立て始めてしまう。なんとか横にずらすと、男は泥酔していたのか全く動かず眠ってしまっているようだった。

「助かったわ……」

 身体には男の手の感触がはっきりと残っている。舐められた首をショールで擦ると扉を少しだけ開け、カールがいない事を確認してから飛び出した。
 階段の下では頭からショールを被ったエルザが端の方でウロウロとしていた。その腕を掴むと次第に混み始めた酒場の中を一気に突き抜けた。酒の入った男達が卑猥な言葉が飛んでくる。それでもセリーヌは一切振り向かずに店を出て行った。

「奥様、指輪は……」

 馬車の中で着替えを手伝っていたエルザは驚いたように言葉を止めた。振り向くと青ざめた顔に目には涙が溜まっていた。

「どうかしたの?」
「お首に、赤い痕があります」

 とっさに首を抑える。

「あの男ッ!」

 酔っているせいかあの部屋にいた男には加減というものがなかった。だから首にこんな痕を残したのだろう。セリーヌは気持ちを落ち着かせる為に深呼吸をしてから、髪の毛で首を隠した。

「数日もすればこんなもの消えるわ。それまでは髪を降ろした髪型か、襟の高いドレスを用意して頂戴」
「かしこまりました。帰ったらすぐにお風呂の準備を致します」
「そうして頂戴」

 セリーヌは窓の外を見ながら小さく笑った。

「あの酒場の二階は娼館のようになっているそうよ」
「ありえません! だって旦那様はモンフォール領での娼館の経営を禁じられているじゃありませんか!」
「そうは言っても実際に自分が入り浸っているようだしね」
「戻って乗り込みましょう!」

 涙目でそう言うエルザに微笑むと、セリーヌは小さく息をついた。

「もういいわ、もう疲れたの。きっとあの人もそうなんだと思うわ」

 エルザの大きな瞳からは大粒の涙が流れている。

「泣き止みなさい。子供達が見たら心配するじゃない」
「申し訳ございません。すぐに止めますから」
「今日の事は二人だけの秘密よ? 王都では生き抜くので精一杯になるでしょうからこんな事くらいで心を揺らす訳にはいかないのよ」
「私もっと強くなります」

 馬車は門の中に入り、ゆっくりと止まっていく。セリーヌは何事もなかったかのように屋敷の中へと入って行った。
 
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