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38 母を殺した者

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「メリベルどこにいたんだい!? もうとっくに祭事は終わったよ。おや、殿下もご一緒でしたか」

 メリベルは大聖堂の前で帰路に着く為に並んでいた馬車の前で、父親を見つけるなりその腕を思い切り引っ張った。周囲は祭事に参加した貴族達で混み合っている。その周辺に視線を凝らしてクレリック侯爵家の者達を探した。

「お母様が危ないの。早く騎士達と一緒に来てお父様!」
「お母様が危なってどういう事だ? お母様は今頃迎賓館でご婦人方とのお茶会に参加しているよ。確か今回の主催はクレリック侯爵夫人だったかな」
「お母様が奥にいるのよ! 襲われているの!」

 唖然としている父親のその横をジャスパーが走り抜けた。

「お前はここを離れろ!」
「ジャスパー様はどうするんです?」
「俺は兵士達とあの場に戻る!」
「こら! 子供達だけで勝手に行くんじゃない! 待ちなさいメリベル!」

 幾つもの声が重なり、ジャスパーを止める間もなくとっさにメリベルもその後を追っていた。
 今日母親はここで死んでしまうのだろうか? 今ジャスパーまで戻ってしまったら危険な目に遭わないだろうか。怖くて堪らず、後を追わずにはいられなかった。




「ジャスパー様! お母様!」

 辿り着いた時にはすでにジャスパーの連れていた近衛兵達が倒れており、ジャスパーは母親の腕で気を失っていた。母親はすでに傷だらけになっており、息切れしている。戦う姿を見たのはこの日が初めてだった。

「あなたまで戻って来たのね。全く」

 そう言いながら再び魔術を発動し、廊下には分厚い氷の壁が出来た。

「アレが来たからこれもそう長くは持たないわよ」
「い、今お父様達が大勢騎士を連れて来るから……」

 そう言っている間にも足音が近づいて来ている。

「魔術師はいた?」
「え、分からないわ。多分いないと思う」
「まあそうよね。ソル神の大聖堂に魔術師は不釣り合いだもの。私も剣を持ってくれば良かったわ。少しは付与の力で凌げたかもしれないのに。本当に馬鹿ね」

 とっさに氷の向こうを見ると、誰かがいるが顔までは見えない。

「アレには敵わないわ。おまけに魔術具まで持っているなんて」
「魔廻を奪う魔術具の事よね? それなら危険よ、お母様も逃げましょう! ほら、お父様がそこまで……」

 驚いた母親は目を丸くすると、小さく笑っていた。

「本当にどこから来たのかしら。無事に戻れるんでしょうね」
「……え?」

 その瞬間、どんと突き放されていた。氷の壁が溶け、赤い髪の青年が立っている。憎しみとも、悲痛とも取れるその顔でミーシャを真っ直ぐに見ていた。

「どうしてそんなに意地を張るのさ。僕と行こうよ姉さん」

 色白の細い腕がミーシャに伸びてくる。

「ん? ……アークトゥラス、夫人?」

 声に反応するように赤い髪の青年は無造作に魔術を放った。ジャスパーが両手で顔を塞ぐ。しかしその炎の牙はジャスパーには届かず、庇うようにして抱き締めていたミーシャに深く突き刺さっていた。

「どう、して……」
「メリベルを、お願いしま、す。あの子は私の、ように魔廻が……」

 ごふりと血が口から流れていく。メリベルは少し離れた場所に立ち尽くしていた。

「嘘だ、嘘だ。姉さん、嘘だよね?」

 倒れたミーシャを支えきれずにジャスパーが床に座り込む。

「メリベル! 殿下! 勝手に行かれては……」

 アークトゥラス侯爵はジャスパーに覆いかぶさっているその姿を見て言葉を失った。

「ごめんなさい、ごめんなさいぃ」

 ジャスパーはぎっちりとミーシャの服を握り締め、メリベルは激しく動揺しながらその場に蹲った。

「……生。先生。先生ッ!」

ーーメリベルッ!

 脳裏に馴染みのある声が浮かぶ。顔を上げると天井に見えた光に手を伸ばしていた。


「メリベル! もう大丈夫だ、大丈夫だから」

 気が付くとメリベルは先生の腕の中にいた。外はとっぷりと暗くなっている。過去の中を彷徨ってから随分経過していたようだった。心臓の音が絶え間なく激しい鼓動を打っていた。

「う、うぅ、うわぁーー!」

 今見た過去が母親の死の真実。あまりの恐怖に、衝撃に、悲しさに記憶に蓋をしてしまっていた。目の前で母親が死んだ。ジャスパーを庇って。

 どれくらい経っただろう。先生の腕の中にいる事など全く気にする事なく泣き続けたが、ようやく頭がすっきりとし出していた。その瞬間、急に恥ずかしさが込み上げてきて、メリベルは半ば突き放すように先生の胸を押した。

「す、すみません私ったら、頭が混乱していて、それで……」
「全部過去の事だ。お前はただ過去を視たに過ぎないんだよ。何も変えられなかったんだ」
「は、い」
「何が起きていたのか話せるか?」

 先生が膝の上にブランケットを落としてくる。何となく安心したくてブランケットを抱き締めた。

「ロブ・クレリックは敢えて騎士団に入団し、魔廻を集めていたようでした。そして魔素を浴びて魔獣化していたようです。お母様は助ける事は出来なかったと」
「まあそうだろうな。魔廻を奪うなんて、そもそも魔素の塊を傍に置くも同然なんだから、そんな物が傍にあったら壊れちまうだろ」
「それはクレイシーさんもそうだったんでしょうか?」
「後少し助けるのが遅れていたら危なかったかもな」

 その瞬間、メリベルは行き場のない怒りが込み上げてきていた。

「……なんとも思わなかったんでしょうか。特にクレリック侯爵は、自分の娘が危険な目に遭うかもしれないというのに、ロブ・クレリックだって侯爵の弟だったのに……」
「お前んとこみたいに家族皆仲良しって訳でもないんだろ。別に珍しい事じゃない」
「クレリック侯爵家は昔から子宝に恵まれているからね、侯爵自身も確か六人兄妹だったし、クレイシー君も確か三人兄妹だったんじゃないかな」

 ノルン大公は過去を視る前と同じ格好で同じ新聞を手に持っていた。顔には出さなくても心配してくれていたのだと分かる。

「子供が多いからって誰も代わりにはなりません」
「そうだね。私もそう思うよ。それで他には何を視たのかな?」

 最後に母親を殺した者の顔は、はっきりと視た。しかし見覚えの無い顔だった。

「お母様を殺したのはお母様の弟でした。“姉さん”と呼んでいましたから。その者の名前は分かりません。でも様子からするに敵対していました」
「でも顔は視たんなら上出来だ。これからは接触してきたら気付くだろ」
「お父様に聞いてみてもいいと思いますか? お母様に弟がいたかどうか」

 するとノルン大公は廊下の先に視線を動かした。

「実はずっと待機されていたんだよ。君の帰りが遅いからと心配してね」

 とっさに扉の方に顔を向けると、困ったような父親が部屋に入ってきた。そしてそのまま抱き締められた。

「あの日の事を思い出したんだね。辛かったろうに」

 抱き締めてくる腕が震えている。メリベルはその服をぎゅっと掴んだ。

「お父様はお母様の弟が犯人だと知っていたの?」
「いいや、あの時は倒れているミーシャしか見えていなかったし、気が付いた時にはもう敵は消えていたよ」
「お母様と同じ髪色だったわ」
「……ミーシャが故郷の村から半ば強制的に王都に連れて来られて数年後に、一度だけ会った事があるよ。その時ミーシャはようやく魔術団に入団出来た頃で、会わせる事は叶わなかったんだ。魔術団は色々と国の機密に関わる機会が多いからね。面会の許可もすぐには下りないんだよ」
「その弟はどうなったの?」
「ミーシャに会えないと分かるとどこかへ消えてしまったよ。私は許可が下りるまで屋敷に滞在する事を勧めたけれど、私の世話にはなりたくなかったようでね」

 腕の力が少しだけ緩む。メリベルは父親がどんな顔をしているのか見てみたくて顔を上げてみた。遠い過去を思い出しているのか、その目には涙が浮かんでいた。

「ずっと後悔していたよ。幼い頃に引き裂かれた姉弟なのだから、無理にでも屋敷に滞在させれば良かったとね。そうすれば今とは違う結果だったかもしれないと」
「馬鹿馬鹿しい!」
「いくらイーライ殿でも言って良い事と悪い事があるぞ!」
「過去を嘆いたって何も変わらないんだぞ! 過去に戻ってやり直ししてみるってか? お前の後悔はたった一つか? 違う選択をすればきっと更に未来が変わっていくんだ。お前が望む未来なんて一体幾つ過去をやり直したら辿り着くんだよ。くっだらねぇ事考えてないで、これからどうしたらいいかを考えろ!」

 新聞紙が折り畳まれる乾いた音がする。ノルン大公は嬉しそうに先生の頭を撫でた。

「おい、こらやめろ! 触んな!」

 嫌がられてもノルン大公は更に頭をグシャグシャに混ぜていく。そしてパッと手を離した。

「大人になったね。イーライは後悔せずに前を向けと励ましているんだよ」
「え?」
「はぁ」
「ちっげーよ!」

 三者三様の返事を聞いても、ノルン大公は嬉しそうに微笑んでいた。




 岩肌が剥き出しの広い洞窟には何枚もの絵が掛けられていた。どれも同じ女性。しかし正面の顔は一枚もなく、全て後ろ姿か横顔ばかり。時には首から下の構図もあった。ヒョロっとした男は開けてあった空間に、更に一枚の絵を飾った。

「また増やしたのか? その絵は一枚も売らないくせに全く」

 後ろから声を掛けて来た男にも反応する事なく絵を飾り終えると、少し離れて眺め、やがて微笑んだ。

「この絵だって欲しいという者達は大勢いるのだぞ。どこがいいのか私にはさっぱりだがな」
「クレリック侯爵は芸術を見る目がないのですね。お可哀そうに」

 採光用の穴がある訳でもない洞窟内が明るいのは、魔術によって常にランタンの灯りが灯っているからだった。男は絵の周りの灯りだけを指を動かして消した。

「な、何をするッ」

 クレリック侯爵は一気に視界が悪くなり、後退した踵が岩に躓いてよろけた。

「お気を付け下さいね。ここでは身分など関係ありませんから。全ては魔素の量によってあの御方に選ばれるのですからね」
「ッ、姉に懸想しているなど気持ち悪いッ! お前などあの御方が目覚めればすぐに取り込まれるに決まっているのだ!」

 吐き捨てるように言うと、灯りのある方に足早で向かって行ってしまった。

「あぁやだ煩い。ねえ、姉さん。あの御方が再び甦れば姉さんの魔廻を取り込んで貰えるよ。そうすればきっとあの影のお姿が姉さんになるんだよ。きっとそうだよね、姉さん」
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