大好きなあなたを忘れる方法

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23 一年最後の目玉授業

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 メリベルは食堂に向かう中廊下でジャスパーの背を見かけ、声を掛けた。

「ジャスパー様こんにちは!」

 驚いた顔のジャスパーが返事をする前に通り過ぎて行くと、隣からシアが腕にしがみついてきた。

「時々メリベルの心臓の強さが怖くなるわ」
「そうそう、よく殿下に声掛けられるよな」

 反対側から同じように覗き込んできたマイロとシアに視線を送ると、メリベルは笑った。

「どうして? ジャスパー様は昔からお優しいわよ?」
「入学してからあんなに無視されているってのに……」

 憐れむようなマイロの小さな呟きは、どんどん歩いて行くメリベルには届かず、シアにだけ聞こえた。

「きっとあれは現実逃避なのよ」

 頷き合っている二人を呼ぶとメリベルは食堂に入って行った。
 前よりもジャスパーを見て胸が苦しくなる事が少なくなった気がする。視界に入ればこうして声を掛けられるし、それ意外ではあまり考える事がなくなっていったように思う。

 今までにもう十個の鍵を先生に渡していた。しかし一向に母親の死に関する記憶を視る事はなかった。毎回紙を覗く度に次こそはと思うのに、待っている記憶は出てこない。そしていつしか季節は巡り、年の終わりを迎えようとしていた。
 冬の間の一ヶ月半は学園が休学になる為、それぞれ寮暮らしだった者達も故郷に帰らなくてはならない。さすがに家が遠いシアも実家に帰る日が近づいていた。

「なんで休学前にこんな授業させるかな?」

 絶賛森の中を散策中、シアは前屈みになりながら木の枝を杖代わりにして歩いていた。
 休学前の目玉授業。それがこの魔獣の出る森での討伐授業だった。授業というよりはもう任務に近いような気もするが、確かに冬は陰の気が増え、魔素が大量発生する季節。それを浴びた魔獣が増えるのを防ぐというのがこの授業の目的だった。どれくらい退治出来たかというのは就職先を紹介してもらう上での判断基準にもなる為、ここで点数を稼ごうとする生徒達も少なくなかった。そしてこの授業の醍醐味はなんと言っても剣術科と共に行うというものだった。学園を卒業し仕事に就けば、兵団や騎士団、それ意外にも剣を持つ者達と共に戦う事も出てくる。自分とは違う戦い方をする者達を知る良い機会でもあった。

「でもこんなに広い森の中じゃ会える者も会えないわね」

 今いるのは森の中腹辺り。この山は幾つもの尾根が連なっており、とても広い森になっている。そして山の向こうは他国の領地の為、尾根を超える事は禁じられていた。

「メリベル、あそこ見て。ちょっと休憩しようよ」

 シアがバテるのにも理由がある。中腹の山道に沿って歩いていた時に、立て続けに魔獣に出くわしてしまった。そして記憶を消していっている弊害か、メリベルの魔術発動の時間が今までよりもかかるようになっていた。

「ごめんねシア。私が足を引っ張ってるみたい」
「そんな事ないよ! ……あのねメリベル、何かあったの? ずっと聞こうと思っていたんだけど、なんだか少し前から様子が違うっていうか、今日もだけど、魔術の使い方が違うなって思ってたんだよね。あ、でも誤解しないで。今までが天才的な魔術の使い方だったってだけで、今の方が普通なんだからね!」

 いつかは気付かれると思っていた。そしてシアになら言ってもいいと思った。

「実はね……」

 自分の魔廻が大きい事、それによりいつか限界がきて溜め込んでいた魔素が爆発してしまわないように、とあるやり方で魔廻を小さくしていっているという事。先生が実は大魔術師だという事は伏せる為に記憶を消すやり方までは話さなかった。

「そうなんだ。うん、体が一番だもんね。でもこのままだとクレイシーさんが好成績間違いなしだね」
「クレイシーさん? うちのクラスにいたかしら」
「え? クレイシーさんだよ、生徒会員の」

 そう言われても思い出せない。するとシアは心配そうに顔を覗いてきた。

「本当に分からないの?」
「え、ああクレイシーさんね! 今別の名前に聞こえちゃって」
「もう! びっくりしたよ! でもクレイシーさん、最近では魔術団にも顔を出しているみたいよ。優秀な生徒には在学中から声が掛かる事もあるみたい。生徒会といい、魔術団といい、凄い人よね」
「でもどうやって生徒会に入れたのかしら。入部希望者が後を絶たないのが生徒会なのに」
「そんなのジャスパー殿下のお声一つで決まったんじゃない」
「……ジャスパー様がお誘いになったの?」
「え、そうだよメリベル」

 その瞬間、遠くの方で悲鳴が上がった。先生も生徒達も皆森に入ってはいるが広い森の為、緊急事態に使用する発煙筒をそれぞれ持っていた。魔術で知らせる事も出来るが、万が一何かの事情で魔術が使えなくなった時の非常用にだ。その発煙筒が上がっている。魔術科なら青、剣術科なら赤。そして今上がっているのは同じ場所でその両方だった。その煙が上がれば近くにいる者が助けに行く。それは教師も生徒も関係ない。そしてメリベル達が休んでいた場所からも少し離れているがはっきりと二色が目に入ってきた。

「行きましょう! きっと何かあったんだわ」




「ジャスパー様、このままでは引く事も出来ません」

 背中合わせに立っているのは、ジャスパーとアイザック、そしてクレイシーとアビゲイルの四人だった。偶然森の中で会った四人が共に歩き始めたのは数分前。そしてあっという間に周囲を魔獣で囲まれてしまっていた。
 魔獣の正体は動物の時でも会いたくない生物、緑色大熊だった。最も強いとされる黒色大熊はこの尾根を越えた他国を生息地としている為、この緑色大熊がこの国での最強生物という事になる。本来なら全身が深緑の毛で覆われ、背中には三本の黒い爪痕のような色の違う黒い獣毛が生えているのが特徴だが、今はすでに全身真っ黒になり、背中の三本線は更に深い黒となってくっきりと見て取れた。ひりつくような殺気が漂っている。すでに二体倒したせいか、他の魔獣達の闘志に更なる火を付けてしまったようだった。

「殿下はお逃げ下さい。ここは俺がなんとかしますからッ」

 アイザックは剣を持ち直して視線を巡らせた。周囲は囲まれているが、所々に小さい個体が目に入る。そこを突破すれば魔獣の包囲も突破出来そうだった。

「早まるなアイザック。発煙筒を上げたんだからすぐに応援が来る。それまであいつらが仕掛けられないように牽制し合うしかない」
「ク、クレイシー様、わ、わた、し」

 怯えきっているアビゲイルはガタガタと震えながらペンダントを前に上げていた。いつでも魔術を発現出来る姿勢を保っている。でもその意識の方がもう持たないように見えた。

「全員動くな、この形が崩れれば奴らも攻撃に移るかもしれない。応援が来るまでの我慢だ」

 魔獣はウロウロと周囲を回りながら酷い臭いと唸り声を上げて飛び込もうとしている。どこかに隙きを見つけられればもう襲われるのは時間の問題だった。

「クソッ、なんで誰も来ないんだ!」
「他の生徒達とは随分離れてしまっていたのかもしれません。ここは山の上層部になりますから」

 冷静なクレイシーの声がなんとか冷静でいさせてくれる。

「クレイシー様、わた、し、もう手が無理です……」

 アビゲイルが上げていた手がぐらりと下に向いた瞬間だった。魔獣が一気に距離を詰め、魔素で満ち大きくなった体で飛び掛かってきた。押し退けるように弾き出されたアビゲイルが地面に倒れ、仕留めようと飛び掛かった別の魔獣をクレイシーが魔術で退けた。

「クレイシーッ!」

 一匹を仕留めて息を吐いたクレイシーの背後に一際大きな魔獣がひと掛けて忍び寄った。

 クレイシーの背後でジャスパーがその重たい腕を受け止める。しかし押し負けたジャスパーが吹き飛ばされ、クレイシーの前に鋭い爪が迫った。


『境界を超える者、上昇する蛇、精霊の風よ、セレマの意思の元に送り返さん』

 周囲の風が巻き起こり、魔獣の巨体がフワリと上がって他の魔獣に勢いよくぶつかる。周囲の魔素は弾け飛ぶように晴れ、一瞬にして魔獣達は散り散りになってしまった。

「シア! 追わなくていいわ」

 シアは追撃するように浄化の魔術を掛けると周囲は更に空気が澄んだようになった。

「ジャスパー様! しっかりして下さい!」

 声に走り出すと、そこには腕を押さえたジャスパーと、頭を打っているのか額から血を流したまま動かないアイザックの姿が目に飛び込んできた。

「まさかそばにいたのが君達とはな」

 ジャスパーは顔を歪めながら右腕を押さえている。ぶらんと動かず、むしろ逆を向いているようだった。

「何かすぐに固定する物を、それとあなた達も発煙筒を上げて頂戴!」

 クレイシーがそういうのをジャスパーは首を振って制した。

「すでに発煙筒は上がっているからまだ取っておくべきだ。それにもうじき日が暮れる。浄化されたこの場所で助けと待とう」

 アイザックの容態を気にして無理をしたくないという意思もあったのかもしれない。意識を取り戻さないアイザックはもちろん危険だが、腕の皮膚が裂けて折れているジャスパーの腕も十分に危険だった。
 アビゲイルは泣きじゃくり、さすがのクレイシーも意気消沈しているようだった。

「ジャスパー様、腕を見せて下さい。シア、添え木にするからそれをくれる?」

 シアはそれまで自分が杖代わりにしていた枝を差し出した。メリベルはそれを風魔術で小さく折ると、痛みを我慢しているジャスパーを見た。何をするのかは想像が付いているのだろう。それでもジャスパーは震えている唇を噛みながら、躊躇う事なく頷いた。

「構わないからやってくれ」

 メリベルは破れているジャスパーのシャツを上げると、僅かな振動でも響くのか、ジャスパーは声にならない声を上げた。クレイシーとアビゲイルは顔を背けている。顕になった患部は痛々しいものだった。メリベルは腰に下げていたポーチから小瓶と包帯を取り出すとすぐそばに準備した。

「風魔術で出血を押さえながら一気に戻します。痛むでしょうからこれを噛んでいて下さい」

 メリベルは自分の上着脱ぐとジャスパーの口元に渡した。

「こんな物ですみません。ですが今はどうか我慢して下さい」
「むしろ女性にこんな事をさせてすまない。それに上着も」
「大丈夫ですよ。むしろ汚れていて申し訳ないと思っているんですから」

 自分でも震えているのが分かる。ジャスパーに服を噛ませ、準備していた小瓶を患部に振り掛けた。そして風魔術を掛けた。


「気分はいかがですか? どれも効力のある薬ではあったんですが」

 折れた骨を戻した後、先生が押し付けるようにくれた薬を幾つか使った事で、幸いにも出血は止まったようだった。

 包帯を巻き固定している腕を見ながら、ジャスパーはぎこちなく頷いた。

「大丈夫だ。まさか君が医務官顔負けの治療が出来るとは知らなかったな」

 珍しく冗談を言ったジャスパーからは、幾分痛みが引いたのか落ち着きが感じられた。

「実は園芸員をしているお陰なんです。薬についても大分詳しくなりましたし、薬を学べば自ずと治療方まで学びたくなりますから。運良く先生もついていますしね」

 そう笑ってみせると、ジャスパーは少し寂しそうに笑ってみせた。

「園芸員を続けている君の事を心配していたが、むしろ俺はそれに助けられたという訳だな」
「助けたなんて大袈裟です!」
「垂らしたのは薬か? それに風魔術も面白い使い方が出来るんだな」
「最初に垂らしたのは痛み止めです。あとちょっとの麻酔効果もあります。先生は私が地滑りで足でも挫くと思ったんでしょうね。他にも熱冷ましに血止め、食あたりの薬まで……」

 ポーチの中を見せようとして顔を上げると、何故か寂しそうな顔をしたジャスパーと視線がぶつかった。

「ジャスパー様? どうなさいました?」
「いや、何でもない。それにしても救援が来ないな」
「私が見て来ましょうか? アイザックさんの容態も心配ですし、夜明けを待つ事は避けたいです」

 外は間もなく夜になる。アイザックは原因が分からない為治療のしようがない。出来た事と言えば額の傷の手当だけだった。あとは手足が冷えて体温が奪われないように、皆の着ていた上着は意識の戻らないアイザックに掛けていた。

「この度は申し訳ございませんジャスパー様。私達のせいでジャスパー様の御身を危険に晒してしまいました事、深くお詫び申し上げます」
「止めてくれクレイシー。アビゲイルも顔を上げてくれ」

 ジャスパーがクレイシーと呼んだ瞬間、とっさにクレイシーを見る。シアが言っていた見覚えのない顔。おそらく消してしまった記憶の中にある人物に違いなかった。

ーーこの人は私が覚えていると悲しくなる人なのね。

 決め事に則って消した人。ジャスパーとクレイシーの様子からするに友人なのかもしれない。なんとなく二人の空気感に耐え切れず、アイザックに視線を落とした時だった。

「う、んん。ジャスパー……様?」
「アイザック! 大丈夫か? 気分はどうだ!?」

 起き上がろうとするアイザックを押し止め、ジャスパーはアイザックの手にそっと触れた。

「助けが来るからそれまで頑張れ。出来るな?」
「もちろんですよ……」

 声は掠れてまた消えていく。その時、どこからか声が聞こえた。

「メリベル、これってまさか助けが来たんじゃない?」

 誰かを呼ぶ声がする。耳を澄ませると、やはり人の声がした。

「ここです! ここにいますッ!」

 全員で声を上げると、茂みをかき分けるようにして男達が現れた。
 助けに来たのは王家の紋章を付けた騎士団だった。発煙筒を見て、すぐに救助の要請をした教師はその後ろに続いていた。

「殿下! その腕はいかがなさいました!?」

 慌てて近づいてくる騎士を避けると、意識の朦朧としているアイザックを指差した。

「この者から先に頼む。頭を打っているようでさっき意識が戻ったばかりなんだ。俺の腕はもう応急処置は済んでいるから大丈夫だ」

 すっかり日が暮れてしまった森の中で、周囲に潜む魔獣の気配に気を付けながら、メリベル達は無事に下山する事が出来た。




 翌日の明朝、王の執務室で国王とアークトゥラス侯爵、騎士団団長のワード子爵の視線は、一人掛けのソファに座るノルン大公に向けられていた。

「この実習で緑色大熊の魔獣が出没した経緯をご説明願いたい、学園長殿」
「説明と言われても、調査するので時間をもらえませんか?」
「我々は大事な子供預けているんです。安全を確保していない状況で子供達を戦わせるなど危険極まりない事ですよ!」
「アークトゥラス侯爵の言い分も最もです。でも実際に安全だと判断しての実習授業だったと聞いていますから、調査しない事にはなんとも言えないんですよね」

 すると国王の口から盛大な溜息が漏れた。

「兄上、今回の事はしっかりと調査して頂きたい。そして場合によっては学園長として責任を取ってもらいますよ」
「もちろんその覚悟ですよ、陛下」

 魔獣の出る森での実習は確かに実践を積む為のものだったが、実際には防御魔術が掛けられ、ある程度の範囲に絞られていた。事前に魔術連合が見回りをし、危険だと思われる魔獣や魔素の吹き溜まりはすでに浄化した後だった。しかしそれは生徒達には知らされていない。最初から安全だと分かっていれば訓練にならないからだった。

「このままでは子供達を預けられません。丁度学園も休みに入りますから、新学期が始まる前に調査を終えて下さい。そうでなければ今後子供達を学園に通わせる事は出来ません」
「保護者の方々のご期待を裏切らぬよう、精一杯尽力致します。時に騎士団長、ジャスパー殿下が集まっていた魔獣は逃げて行ったと聞きましたが、それで間違いありませんか?」
「私もそう聞いています。メリベル嬢が一匹を倒し、後は散るように消えて行ったと。危険を回避する為にそれ以上は追わなかったそうです。夜明けと共にすでに討伐に出ております」
「……変ですね。本来魔獣になった獣に意思はありません。破壊や飢えなど本能のように死ぬまで戦い続けるはずなのに、まるで意識があるように散るというのは気になりますね」

 アークトゥラス侯爵とワード子爵は顔を見合わせた。

「魔獣に変化しても意思が残っているという事ですか?」
「まだなんとも言えませんので、どうかお二人共お気になさらないで下さい」

 解散した王城の廊下で、アークトゥラス侯爵はぐっと拳を握り締めた。

「ミーシャ、メリベルをどうか守ってくれ」
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