大好きなあなたを忘れる方法

ランチ

文字の大きさ
上 下
13 / 36

13 離れていく心

しおりを挟む
「すまないが娘は今誰とも会いたくないようでね。でもどうか今回の事は気にしないでほしい。君が来てくれた事はちゃんと伝えておくよ」
「分かりました。それではどうかお大事にとお伝え下さい」


コンコンコンッ。

 メリベルはもそっと毛布から顔を覗かせると、入ってきた姿に再び顔を隠した。

「メリベル? 体調はどうだい?」

 おどおどとした様子で入ってきた父親に、メリベルは毛布の中から答えた。

「もう少し休むわ」

 すると毛布の上から気遣う仕草で頭が撫でられた。

「まさか学園で怪我をするなんてね。クレリック侯爵家からお花やお菓子に薬までお見舞いの品が届いているよ」
「わざとじゃないもの、そんな事する必要ないじゃない」
「クレイシー嬢の気持ちだそうだよ。クレイシー嬢が直々に来てくれたのにお友達を追い返してよかったのかい?」
「クレイシーさんはお友達じゃなくてただの同級生よ」

 自分でも言葉に棘があるのは分かっていた。それでも今はクレイシーの顔を見る事などとても出来なかった。
 二日前、抱き合う二人を見た瞬間、メリベルは逃げ出してしまった。確かめたら、もしかしたら躓いたクレイシーをジャスパーが支えただけかもしれない。夕暮れで視界が悪く、角度がたまたまそう見えただけかもしれない。いくらそうだと思っても、二人きりでいた事は変わりようのない事実だった。

「腕の怪我は軽度の火傷のようだし、医師いわく初期の治療が良かったから跡も残らないのではと言っていたよ。それでも学園はしばらく休むかい?」
「……明日からは行くわ」

 離れかけた足音が止まり、そして言いにくそうな父親の息遣いが聞こえた。

「殿下との婚約について先日両陛下とお話をさせて頂く機会があったんだ。今話す事でもないかもしれないが、明日から学園に行くのであれば知っておいた方がいいだろう」

 起き上がると、父親は困ったように眉を下げていた。

「そろそろ殿下の婚約者を明かす頃ではないかと、そう仰っていたよ」
「……私が婚約者だと公表するの?」
「改めて公表するというよりも、周知していくという方向性になるだろうね。きっともう殿下にもこの話は通っている頃だろう。学園生活はあっという間なのだから、卒業したらすぐに結婚式だよ。お前には苦労をかけるが、学業と公務の両立をしていってもらう事になるな」
「ジャスパー様はそれでいいのかしら」
「良いも何もすでに決まっている事だ。それで早速週末に中規模のパーティーがあるらしい。そこに殿下と出席するようにと仰せつかったよ」
「急にそんな事したら皆驚かないかしら」
「なに、最初は驚かれるだろうが、二回三回と回数が増えていけばそのうちにそれが当たり前になるよ」
「はい、お父様」

 あんなに待ち遠しかった婚約を公にする事も、結婚も、今では重たい感情しか湧いてこない。何よりジャスパーが望んでいないかもしれないと思うと、ジャスパーに会うのが怖かった。


 翌日、学園に着いた瞬間に待っていたのは、まさかのアイザックだった。門の前で馬車が停まるなり、メリベルを見つけると少しだけ気まずそうな表情をした。

「授業が始まる前に少しだけ時間が欲しいんだが」
「今から? でも授業が……」
「ジャスパー様がお待ちだ」

 一瞬にして心臓がぎゅっと握られたようになる。アイザックは気遣うようにたまに後ろを振り返っては、こちらを気に掛けてくれた。
 初めて足を踏み入れた剣術科の校舎では、普段関わりのない生徒達の視線が突き刺さってくる。アイザックに通されたのは二階にある生徒会室の前。アイザックは扉を押し開くと、中に入るように促してきた。

「ジャスパー様はお一人で中にいらっしゃる」

 そう硬い口調で言われれば無意識に緊張してしまう。中を覗くと、窓に向かって立つジャスパーの背が見えた。

「お待たせしました。本日はどのようなご用でしょうか?」

 するとジャスパーは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにソファに座るように促してきた。生徒会室の座り心地の良いソファに向かい合わせに座る。沈む体があまり後ろにいってしまわないように、メリベルは浅く座り直した。

「体調を崩していると聞いたがもう大丈夫なのか?」
「大丈夫です。もう痛みもありませんし、ただ疲れが出てしまったようで少し休ませて頂きました」
「試合中の事だったと聞いている。本人も反省していたようだった」

 その時、今までに感じた事のないじくりとした痛みが胸に走った。その痛みはそこから全身に、まるでゆっくりと広がって腐っていくようだった。怪我をした自分には会いに来なかったのに、クレイシーとは会っていた。その事がどうしても耐え難くて、敢えて笑ってみせた。

「私も気にしておりません。仰る通り試合中の事でしたから」
「だが見舞いに行ったが会えなかったと聞いたぞ。そんなに具合いが悪かったのか?」
「そうではありません。ただ横になっていたので人に会える格好ではなかっただけです。準備をしていたらお待たしてしまうのでお会いする事が出来ませんでした」
「そうか。それじゃあ今日こそ顔を見せてやってくれ。本当に心配していたんだ」
「ジャスパー様がそう仰るのならそう致します」

 するとジャスパーは言いにくそうにちらりと視線を投げてきた。

「アークトゥラス侯爵から聞いていると思うが、今週末パーティがある。母上が懇意にしている画家の個展だそうだ。個展と言っても作品を会場に展示し、寄付を募るパーティーらしい。母上はその日どうしても公務で抜けられないらしいから俺達に出席して欲しいという事になったんだが、構わないか?」
「構わないも何も決定事項だと聞かされました」
「それもそうだな。そこから今後公務には共に参加してもらう事になると思う。とは言っても、主に夜会や舞踏会などの社交になると思うが」
「……本当に私でいいのでしょうか」

 ぽつりと呟くと、ジャスパーは眉を顰めた。

「どういう意味だ?」
「いざ公務が決定したら、私に務まるのかと思ってしまって」
「は? 何を今更」
「ですよね、今更でした! 申し訳ありません」

 軽い素振りで言うと、ジャスパーは不満そうな顔をした。そこで鐘の音が聞こえてくる。話はここまでになり、おそらく週末を迎える事になるだろう。それくらいに学園で顔を合わす機会は本当にないのだから。

「それじゃあ週末に。お迎えに来て下さいますか?」
「もちろんだ。後でパーティーの主役の略歴と作品についての資料を届けさせるから、時間がある時に目を通しておいてくれ」
「かしこまりました」

 メリベルはジャスパーの顔を見ず頭を下げると、生徒会室を足早に出て行った。視界の端にアイザックの姿が映ったが、特に話し掛ける事もなく過ぎ去った。




「……徹夜開けには辛過ぎるだろ……」

 温室から出たイーライは晴天の眩しさに一瞬怯み、そして日差しを避けるようにして日陰まで走った。校舎の壁に出来た僅かな日陰を辿りながら園芸室を目指す。そして目的の部屋の前で見つけた姿に心底嫌そうな声を上げた。

「げッ、メリベルかよ」

 回れ右をして背を向けた所で、イーライはちらりとメリベルを見た。園芸室には魔術で鍵を掛けている。しかしメリベルは開けられるのだ。しかしメイベルはしばらく扉を見つめた後、立ち去ろうとした。イーライは舌打ちをして影から出ると小走りで園芸室の方へと向かった。

「おい不良生徒!」

 ぴたりと足を止めたメリベルは、まるで悪い事が見つかった子供のように気まずそうな顔をしていた。

「べ、別にそんなに驚かなくてもいいだろ! 僕は先生じゃないんだからサボっていたってなんとも思わん」
「サボっていた訳じゃありません。教室に向かおうと思ったんです。でも足が向かなくて……」
「それを世の中ではサボりって言うんだよ。ほら、まず入れ」

 メリベルはまさか招き入れられるとは思いもしなかった為、驚きのあまり固まってしまった。

「早く入れ、こっちは熱くて溶けそうなんだ。まあ茶くらいは出す」

 二回目だというのにまだ慣れない室内は、どこからどう見ても空間全体が魔術で歪められていた。
 螺旋階段の上がり口近くに小さなテーブルがある。先生はそのテーブルを引っ張ってくると、階段の前に置いた。

「椅子はないもんでね、階段にでも座っておけ」
「でも誰か降りてくるんじゃないんですか?」
「ここは僕しか住んでないから誰も来ない」

 程なくしてビーカーに入れられたお茶が前に出される。嗅いだ事のない匂いのお茶に警戒しながら、(おそらく先生独自製法の薬草茶なのだろうけど)口を付けた。

「……美味しいかも」
「かもってなんだ。美味しいでいいんだよ。花壇の世話をした褒美だ」

 居た堪れなくてお茶の入ったビーカーを置いた。

「すみません先生! 実は私、この間の大会の試合中に怪我をしてしまって、今日まで学園を休んでいたんです」

 ガバっと頭を下げて先生の言葉を待つ。絶対に怒られると思ったが、掛けられたのは信じられない程に優しい言葉だった。

「怪我ってどこだ? もう動いて大丈夫なのか!?」
「もう大丈夫です。でも花達が……」
「数日世話しないくらいで駄目になるかよ。元々強化と保護の魔術を掛けているから多少ほっといても大丈夫だ」
「え、それならなんで私に世話を頼んだんです!?」

 呆れたように先生はお茶をごくりと飲んだ。

「あのなぁ、今まで僕は一人でやってきたんだぞ。お前がいなくたって十分に世話は出来るんだよ。おかげで勉強になっただろう? 座学劣等生。それで怪我ってのはどんな具合なんだ?」
「火の魔術が当たって軽い火傷です。でも先生が作られた医務室ある薬が効いたみたいでほらこの通り」

 劣等生という言葉に反論出来ないまま、メリベルは腕のシャツを捲くって腕を見せようとした。しかしその途端先生は大声を出してそれを制してきた。

「馬鹿! 女がそうやって簡単に脱ごうとするんじゃない! なんて奴だ」
「馬鹿って、ただ腕の怪我を見せようと思っただけですよ!」
「魔術の怪我を甘く見ない方がいいぞ。見た目だけでなく、時には魔廻にまで損傷を与える場合があるからな」
「魔廻にですか? どうやって」
「そりゃ浸透してさ。元々魔術は魔素を放出しているから、ぶつかれば体内に入っていくだろ。魔術に変換された魔素が魔廻に入れば傷となる場合もあるって訳だ」
「でもどこも変な感じはありません」

 ガサゴソと棚を漁り始めた先生は、麻の袋を取り出してきた。

「これを朝晩飲め、魔廻の回復薬だ。傷付いていなくても魔廻の修復にはなるだろうから、飲んで害になる事はないから安心しろ」
「先生優しい。どうしたんですか?」
「僕が優しかったら変なのかよ」
「変ですよ、だっていつも意地悪ですもん」
「……返せ。今すぐにそれを返せ」
「嫌です! そもそも一度あげた物を返せだなんて大人げないですよ」
「僕は大人げない大人だ。返せ!」

 メリベルは手短に御礼を言うとそそくさと園芸室を飛び出した。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

君は僕の番じゃないから

恋愛 / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:1,474

騎士の元に届いた最愛の貴族令嬢からの最後の手紙

恋愛 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:37

【完結】円満婚約解消

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:49pt お気に入り:563

破滅は皆さんご一緒に?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:113pt お気に入り:143

迷宮転生記

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:63pt お気に入り:91

娘を悪役令嬢にしないためには溺愛するしかありません。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:142pt お気に入り:806

処理中です...