大好きなあなたを忘れる方法

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7 園芸員任命

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「危ない! 避けてくれーーッ!」

 ぼんやりと考え事をしながら歩いていると視界の端にキラリと光る物が映った。とっさに避けた体の横を物凄い速さで何かが通り過ぎていく。そしてすぐ後ろで大きな音が上がった。
 モクモクと砂煙が上がり恐る恐る振り返ると、花壇には大穴が空いていた。もちろんそこに咲いていたはずの花々は無残にも折られ、千切られ土と混ざっている。大穴には明らかに魔術の痕跡が残っていた。おそらく土の魔術を使って誤ったのだろう。飛んできた方角からするに、発動したのは二年生の生徒のようだった。一年生は魔術の練習に中庭を使うが、二年生はより的確な魔術の調整方法を求められ、敢えて屋上で魔術の練習をすると聞いていたからだ。

「大丈夫か? 当たらなかったか!?」

 上から落ちてくる声に答えようと振り返った瞬間、こちらを覗いてきていたはずの男子生徒達は何故かひょいと隠れてしまった。

「ちょっと! これどうするのよーー!」
「……お前がやったのか」

 すぐ後ろで低い声がする。
 恐る恐る振り返ると、長い前髪の隙間から覗く目と目が合った。

「草花の悲鳴が聞こえるな? 聞こえるよな? 体を千切られて痛い痛いと泣き叫んでいるよな」
「そ、そんな大げさです。すぐに穴を塞ぎますから!」
「そんな事で失った花達は戻って来ないんだ!」

 薄汚れた白衣を着てスコップを片手に迫ってくる用務員は恐ろしい以外の何者でもなく、メイベルは走り出してしまった。

「メイベルどこに行ってたの! もうすぐ授業が始まるっていうのに……って、なんでそんなに息が切れているの?」
「なんでも、ないよ。少し、運動、してきた、だけッ」

 肩で息をしながら席に着くと、一部の女生徒達から冷たい視線が向けられている事に気がついた。心当たりがあるとすれば、昼休み中にジャスパーと話しているのを見られたのかも知れない。

(噴水の音のおかげで、何を話しているかまでは分からなかったでしょうけどね)

 午後の授業の間もずっと、あの用務員が教室の外で待ち構えているのではと思いながら、壊れた花壇の事も気になっていた。たまたまあの場に居合わせてしまったせいで、あの用務員には自分が壊したと思われている。誤解を解きに用務員室を尋ねるべきかと考えが過ぎったが、その考えはすぐに打ち消された。スコップを持ったまま迫ってくる用務員の姿にぶるりと身を震わせると、ペンダントを握り締めながら窓の外を見た。




「全く、なんで私が直さなくちゃいけないのよ」

 午後の授業も終わり、空は夕日で染まり始めていた。
 恐る恐るあの花壇に立ち寄ってみると、そこはお昼に空いたままの大穴があった。用務員はこの花壇を捨てたのか、それとも見るのも嫌でしばらく放置する気なのか。どちらにしても押し潰された花々は無残な状態だった。

「ごめんね、私がやった訳じゃないけれど、すぐに助けてあげられなくて申し訳なく思っていたのよ」

 メイベルはペンダントを胸元から取り出すと、ペンダントの中のペンタグラムを動かし風の魔術を放った。その風は暖かく吹き、耳元では小さな笑い声が聞こえ空に昇っていった気がした。

「折れてしまったあなた達を元に戻す事は出来ないけれど、せめて次は安全な場所に生まれてね」

 そう言いながら折れている草花を埋めるように穴を戻していく。土の魔術で土を動かしても良かったが、どうしても荒っぽくなってしまう為、折れてしまった花達の為にも手で埋めていく事にした。しかしさすが上級生の放った魔術は強かったらしく、結局埋め終えた頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。学園に残っている生徒はもういない。静かな学園はかなり不気味だが、少し離れて待つ侍女の姿が目に入っていたから安心する事が出来た。いつもは過保護な侍女が手伝わずに大人しく待っていたのには少し驚きだったが、それも学園の決まり事を守っての事だった。

 いかなる理由があろうとも、“使用人を学園の物事に関わらせてはいけない”

 もしかしたら、過去に貴族が使用人を使って楽をしようとしたのかもしれない。もしくは身分に関係なく入学出来る学園だからこそ、使用人が常に側にいる事が異常だと判断されたのかもしれない。理由は分からないが規則である以上守らなくては退学になってしまうのだ。

「お嬢様自ら直される必要があったのでしょうか。犯人を探してやらせるべきだったのでは? 今からでも遅くはありません。お嬢様に罪を擦り付けた犯人を探し出しましょう!」
「犯人だなんて大げさよ。訓練中の事故だもの」

 それでもムッとしている侍女のメラニーは、メリベルが幼い頃からそばにいる侍女だった。侍女の中でもメラニーは特に心配性で、結婚適齢を逃してしまうからと父親がまとめようとした縁談さえも、メリベルのそばにいると言って突っぱねた程だった。侯爵家としてはありがたいが、女としての幸せを潰してしまったのではないかと思わずにはいられなかった。

「でも私が壊したと思われている以上なんとなく無視は出来ないのよね。明日にでもここを管理している人に話してみるわ」

 ずっと屈んでいた為に腰が痛くなってしまった背を伸ばしながら、手洗い場で土を入念に洗い流していく。するとメラニーはまだ不満そうに漏らした。

「ですが生徒会の皆様は王子を筆頭に大貴族の方々が在籍しておられますよね。シアお嬢様にお伺いして私びっくり致しました」
「それは単純にその方々が優秀だったという事よ。さあもう帰りましょ! さすがにお腹空いたわ」
「当たり前です。貴族のご令嬢は土いじりなど致しませんッ」

 そうは言いながらも労るように歩幅を合わせ、荷物を持ち、腰をさすってくれるメラニーの腕にしがみつきながら、メリベルは帰路に着いた。




 翌日、教室に入るとざわついていた声が一気に収まり、視線がメリベルに集中した。

「昨日といい今日といい、今度は何事なの?」

 シアの元に行くと、シアは何も言わずに憐れむ視線を向けながら黒板に指を向けた。
 黒板にデカデカと下手な文字で書かれた一語一句を呼んでいく。

「“メリベル・アークトゥラス”を園芸員に任命する。学園長の許可は取っているので逃げないように”。な、なな、なんでよーーッ!」

 教室の中で笑い声が上がる。メリベルは半泣きになりながらシアに縋り付いた。

「もしかして昨日の事があったから? 勝手に直さずにちゃんと誤解を解けに行けば良かったの? 今からでも遅くはないわよね? ちょっと行って来るわ、このままじゃ私殺されるもの」

 スコップを片手に持つ用務員の姿を脳裏に浮かべながら、メリベルは教室から飛び出した。

 一階の廊下を走り用度課へと入ろうとしたが、扉がびくともしない。押しても引いても横に動かそうとしても叩いても全く動かなかった。

「ちょっとちょっと休みなの? それじゃあ黒板に書いたのは誰なのよ!」

 焦ったまま中庭に周り込み、例の花壇へと向かって行く。するとそこには壊れた花壇の縁石を元に戻している用務員の姿があった。白衣を肩から掛け、その裾はすでに泥で汚れていた。

「あの、裾が汚れていますよ?」
「今手が離せない。お前が持っていろ」

 そうぶっきらぼうに言われ、メリベルは文句が出そうになりながらも我慢し、その代わりに裾を思い切りよく掴み上げた。

「黒板見ました。書いたのはあなたですか?」
「ああ」と、振り向きもせずに黙々と縁石を並べながら横にずれていく。それに合わせてメリベルも小刻みに横に動いていった。

「最初にはっきりと申し上げておくべきでしたが、昨日この花壇を壊したのは私じゃありません。二年生の生徒達です。時間から割り出せば犯人も見つけられるかと。お手伝いしましょうか?」
「今さら必要ない」
「それなら園芸員に任命というのは取り消して頂けますね?」

 すると用務員はヌッと立ち上がった。両手を花壇に向け、魔術の詠唱をしている。そしてぼんやりと花壇が光に包まれた。

「防護魔法を掛けたんですか? でも一時だけ掛けても効力が失われたら意味がないんじゃあ……」
「効力が消える事はない。常に掛け続けるからな」

 とっさに花壇を覗き込むと、花壇はうっすらと光に包まれていた。小さな範囲とはいえ、これをずっと掛け続けるのは大変なはずだった。
 そもそも魔素を貯めておく魔廻には限度があり、一定量を超えれば自然と体外に排出されていく。それが本来の魔廻の役割でもあった。ずっと魔術を発動し続けるという事は、常に魔素を取り入れ、魔廻を常に魔素で満たしているという状況。それは常に毒性のある物を摂取しているのと同じだった。

「またまた、冗談ですよね?」
「馬鹿をしでかす生徒がいる以上仕方がない処置だな。全く、面倒を増やしやがって」
「……もしかして授業も受け持ったりしています?」

 用務員だと思っていたが、そんな高度な技術があるのであれば園芸が趣味の教師かもしれない。もしくは何か事情があって今は教師を続けられないか……。

「お前今失礼な想像したな? 僕は授業なんてしない。何があってもしないからな!」
「別に頼んだ訳じゃありません、ただ聞いただけですよ。それじゃあ誤解も解けたしこれで失礼します」

 その瞬間、強く吹いた風が行く手を阻んだ。

「お前が勝手に直したこの花壇だがな、埋められた土が硬すぎて種を蒔いても発芽出来ないんだ。て事でやり直しだ」
「ちょっと待って下さい! だから花壇を壊したのは私じゃありませんってば!」
「埋めたのは?」
「……私です」
「それならお前がやるんだ」
「それは用務員さんのお仕事でしょ! 私に学業を疎かにしろって言うんですか!」
「この学園にある草花は授業にも使っているんだぞ。花々が育たなければ授業にはならないな。生徒達になんて言おうか。とある生徒が台無しにしたと言ってしまおうか」
「……やりますよ。やればいいんですよね」

 やけくそで言ったが、正直、座学が最下位に近いメリベルにとって、実際に薬草を目で見て手に触れる機会は貴重なものだ。

「それで何をすればいいんですか、用務員さん」
「というかさっきからなんでそんな呼び方するんだ? 僕は用務員じゃない。強いて言うなら花のお世話係だ。それ以外の事なんて面倒でしない。……まあ優秀が故に仕方なく他の仕事もしてはいるがな。全く人使いが荒い奴で困る……」
「花のお世話係? 園芸員って事で良いですか?」
「止めろ! そんな情緒のない呼び方をするんじゃない」
「でも黒板に園芸員に任命するって」
「お前は園芸員だ。僕は花のお世話係だ」
「…………はい?」
「良し、分かったようだな。それじゃあまずは土をこれで柔らかくしていけ」
「ま、待って下さい! それじゃあ結局なんて呼べばいいんですか? さすがに花のお世話係さんは長いですよ」
「ここで名前を呼ばれる事がまずないからな。いっそ花のお兄さんでもいいぞ」

(待って、もしかしてこう見えて凄く若いって事かしら。それとも女子学生にお兄さんって呼ばれたい願望がある人なの? どちらにしても学園の中で得体の知れない人をお兄さんなんて呼べる訳がないじゃない!)

 無精髭に長ったるしい前髪から覗く目は、意地悪そうに笑っている。からかわれたのだと分かり、メリベルはキッと“お花のお世話係”を睨み付けた。

「それでは“先生”と呼ばせて頂きます! これから植物のお世話について教えて頂く事になりますので、先生で間違いないですよね!」
「お好きにどうぞ」




 学園長室で出された菓子を口一杯に頬張りながら、イーライはゴクゴクとお茶で流し込んだ。そして袖で口元を勢いよく拭くと、満足そうに笑っている学園長を見た。

「それで用ってのは新しい花壇の着手の件だろうな? それ以外は受け入れないからな」
「それは会議で却下されたよ。先生達から思わぬ反発があってね。今でも十分あるのにこれ以上敷地を園芸に持っていかれる訳にはいかないってね。私も最もだと思うよ」
「はぁ!? どれだけ恩恵受けてると思ってやがるんだ、あの野郎ども! 僕の魔術も薬草も絶対に必要なくせに! この僕がわざわざ居てやっているってのにッ!」

 バンっと勢いよく立ち上がると、空になったカップが転がった。

「まあまあ、イーライがいてくれて本当に助かっているよ。だが協力しているのはこちらも同じだろ? あれだけ広い温室の中で一体何を栽培しているのやら。それ以外でも学園の所有物である薬草を勝手に持ち出しているよね」

 ぎくりとしたイーライは明らかに誤魔化そうと下手くそに視線を逸した。

「私はイーライが研究したい魔術に好きなだけ没頭出来るように学園という場所を提供している。だから君はこの学園に貢献する義務がある。分かるかな?」

 にこりと笑ってはいるが、その奥に隠れた重苦しい圧力にイーライは舌打ちをした。

「本当にいい性格しているよ。まあそうじゃなきゃこんな所の学園長なんてやってられないか」

 イーライはまだ残っている菓子を無造作に掴んで白衣のポケット押し込んだ。

「それで君が勧誘した女生徒だけれどね、許可はしたがくれぐれも無理はさせないように。暴走したらこの学園くらいは簡単に吹き飛んでしまうだろうからね」
「分かってるって。でもまさかあんな奴がいるなんてな。壊された花壇に魔術を使わなきゃ気付きもしなかった……って、まさか僕の所に誘導したなんて事はないよな?」

 不敵な笑みだけを浮かべている学園長に、イーライは頬を引き攣らせた。

「勘弁してくれよ。それでなくても面倒事は嫌いだってのに」
「まだ面倒事と決まった訳じゃないよ。ただ彼女を見守って欲しいんだ。君にしか出来ない事だからね」
「見返りがないのに?」
「見返りがないなんて言ったかな? きっと君が思う以上だよ」

 そーかい、と呟くとイーライは立ち上がった。

「にしてもあいつ、あの量の魔素を体内に入れたまま普通に過ごしているなんて、一体どうなっているんだ」
「どこにとっても貴重な人材なのには間違いないね」

 イーライはうんざりした様子で頭を掻きながら学園長室を出て行った。
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