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17 誘拐された二人
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ポミエ家当主のカールは、娘の失踪を聞いて急ぎ王城から学園へと向かっていた。門の前にはヴァートと学園長が待機していた。
「この度は本当に申し訳ありません。大事なご息女を預かる学園で起こってはいけない事態を招いてしまいました事を本当に申し訳なく思っております」
「顔を上げて下さい。今はエミリアを探すのが最優先です。状況のご説明をしていただけますでしょうか?」
学園長は部屋へ案内しようとしたが、カールはこの場で聞く事を選んだ。
「旦那様、私がご説明致します。エミリア様は殿下と生徒会室でお話をされた後、出て来られた所で私とも少しお話致しました。しかし一人になりたいと言われ目を離してしまいました。全て私の責任です」
「ポミエ伯爵! こちらだ!」
奥から出てきたフェリドは、大手を振りながらこちらに声を掛けてきた。何か進展があったのかと急ぐ三人を待つようにして再び中へと入っていくフェリドの後を追う。学園の中はすでに静まり返っていたが生徒達には各教室に残ってもらっている。しかしそれもフェリドの権限で行使した一時凌ぎであって、すぐに生徒達は家に帰りたいと騒ぎ出すだろう。そうでなくとも、生徒達の親である貴族達がこの状況を放おって置く訳がない。隔離されているという事はエミリア失踪の犯人だと疑われているといっているようなもの。名誉が著しく傷付けられたと騒ぎ立てられてもおかしくはなかった。
フェリドは静まり返った廊下を進むと、とある一角で足を止めた。
「ここがどうかしましたか?」
ヴァートはフェリドの止まった廊下を注意深く見て小さく息を飲んだ。そこには小さな泥が転々と落ちていた。
「学園内がこんな風に汚れているなんてありえないな? 学園長」
学園長はしゃがんで泥を指で擦った。
「清掃には気を配らせております。それにまだ若干ですが湿り気がありますね」
「あそこに! あそこにまた泥があるぞ!」
カールは小さな泥の点が落ちている部屋の扉を勢いよく開け放った。部屋の中は実習室で誰もいない。視線を机の上に留めると、そこには一通の手紙が置いてあった。
表にはカール・ポミエ伯爵へと書いてある。カールは恐る恐るその手で封を開けると、そのままヴァートに手渡した。その手は僅かに震えていた。
エミリアは重たい頭を押さえながら立ち上がろうとして、動きを止めた。何故か辺りは暗い。部屋の中だと分かるのはうっすらと板の隙間から光が入り込んできているからだった。どこかの物置か納屋だろうか。手を伸ばすとばさばさと紙のようなものが落ちてきた。
「誰かいないの?」
声を掛けてみるも返事はない。転ばないように姿勢を低くし手を伸ばした時だった。ぐにゃりと何か柔らかい物に手が当たる。思わず手を引いたが、よく見るとそこには人が倒れていた。自分だけではないという安堵感と、生きているのかという不安が襲ってくる。ゆっくり手を伸ばして体を揺すると小さな呻き声が聞こえた。
「あなた、大丈夫?」
生きていた事と、声が女性だと分かりすぐにそばにより更に体を揺すってみる。すると意識を取り戻したらしいその人はゆっくりと体を起こした。
「クリスティナ様?」
起き上がって隙間から差し込む光で見えたのは、紛れもなくクリスティナだった。
「どこかお怪我はございませんか? 痛む所は?」
なぜこんな所にクリスティナがいるのかは分からない。誰かに閉じ込められたのだろうか。それとも間違えて入ってきてしまったのだろうか。どちらにしても他国の王女に何かあれば外交問題になってしまう。エミリアは急いで全身を触ろうとした時、嫌がるように体を振られた。
「大丈夫よ」
「でもどこかお怪我ないか確かめさせて下さいませ」
「大丈夫よ、本当にどこも痛みはないわ。……それにおそらくまだ殺されないもの」
最後の方に聞こえた言葉に思わず息を止める。クリスティナは長い髪を手で整えると、座り直した。
「クリスティナ様は随分と落ち着いておられますね?」
「逆にあなたには分からないの? どうしてここに自分がいるのか」
「……分かりません。急に誰かに襲われたように思います。でも何かの間違いかもしれませんし」
「間違いな訳がないでしょう! 私達はここに誘拐されたのよ」
「まさか理由をご存知なのですか!?」
「そうね、ヴァートをくれると言うなら話してもいいわ」
誘拐され、監禁もされているというのにクリスティナはまるで危機感がないように楽しげに言ってみせた。
「ふざけないで下さい。それにヴァートは物ではございません」
「おかしな事を言うのね。使用人などあげるあげない、でしょう? こちらが決めればそれに従うしかないのよ。歯向かえば死に繋がるもの」
「そんな事ありません! お互いに信頼関係を築き、尊敬していかなければ真の意味で仕えてもらう事は出来ないと思います」
「それじゃあ、あなたはヴァートに真に仕えてもらっているというの? 私が命令して連れて行っても意味がないと? それならヴァートに選んでもらいましょうよ。必要なら誓約書を書くわ。どんな選択をしてもアゲート王国にもポミエ家にも、もちろんヴァートにも関与しないとね」
「ッ」
「自信がないようね」
返事をする事が出来なかった。ずっとヴァートと一緒だと思っていた。互いに望んで側にいるのだと思っていた。それでも今となっては自信がない。もしヴァートに自由にしていいと言ったら、ヴァートはきっと離れていってしまう。そんな事しかもう思い浮かばないのだ。
その時外から近づいてくる足音がした。足音は部屋の近くで止まると鍵を開けている音がした。思わずクリスティナと身を寄せる。光と共に入って来た姿に思わず安堵の声を漏らしていた。
「先生! 良かった、助けに来てくれたんですね!」
部屋の中に入ってきたのは、歴史の女教師だった。近づこうとする腕をクリスティナに掴まれる。その表情はいつもの王女らしい完璧な笑顔でも、感情を出さない顔でもなく、女教師を見据えたまま固まっていた。
「お兄様の侍女ね。前に見た事があるわ」
「お兄様?」
「三番目の兄よ」
「幼い頃の事だというのに覚えておられたのですか」
「先生嘘ですよね? ずっとこの学校の先生でしたよね?」
「あなたが通い出した頃からのね。まさかヴァート様を連れて登校するようになるとは思わなかったわ」
とっさにクリスティナの前に腕を出して後ろに庇うようにすると、クリスティナはエミリアの腕を掴むように冷たい指先を伸ばしてきた。女教師は楽しそうに声を上げて笑った。
「どうやらこちらでも守られるだけのお姫様のようですね。陛下に守られ、こちらでも誰かの後ろに隠れておられる。それではいつ毒を盛られるか分かったものではありませんね」
するとクリスティナは指から伝わる程にびくりと体を震わせた。
「クリスティナ様? 大丈夫ですよ、必ずヴァートが助けにきてくれますから。昔からヴァートにはかくれんぼで勝てた事がないのです。本当に見つけるのが上手なんですよ」
「ヴァートとかくれんぼをした事があるの? 他にも沢山遊んでもらったのかしら」
「おしゃべりしないの! 先生がいるのに勝手に話し始めて悪い子達ですね」
「先生なんかじゃないわ! あなたなんかすぐにヴァートに見つかって牢屋の中よ!」
「ここ実は塀と一番近いのよ。もうすぐ向かえが来るわ。そうしたらすぐに国境へ向かうの。クリスティナ様、お兄様がお待ちですよ」
女教師はぞっとする笑顔を浮かべると、後ろから数人の男達が入ってきた。皆制服は来ているが明らかに学生ではない。しかしすぐに腕を後ろに縛られると口に布を巻かれる。そして顔に布を被せられた。
すぐに視界は遮られ、何も見えなくなってしまった。
外に出たらしく風の音がする。数人の急ぐ足音と、押される背中。エミリアは足をもつれさせた振りをしてその場に膝を突いた。手が付けなくて膝に響く痛みが走る。男は舌打ちをすると乱暴に腕を引き上げてきた。
――体育館裏の倉庫。
校舎から離れており校庭を抜けて林の中にある倉庫は、ほとんど人が来ない場所で人目を避けるにはうってつけの場所だ。さっき女教師はここは外の塀が近いと言っていた。という事はまだ敷地内は出ていないと言う事。学園以外の敷地は考えられないので、今はまだ学園にいると言う事になるだろう。起こされる体に痛みが走るのに声が出せない。このまま人知れずに学園から連れ出されては、あっという間にオニキス王国へ連れ去られてしまうだろう。その先にある事は考えたくなかった。
「ん――、んん!」
「騒ぐな!」
背中を押されて今度こそ受け身を取れずに倒れかけた時だった。がっしりとした腕の中に包まれた瞬間、すぐ近くにいた男のくぐもった声がして倒れた音がした。周りで争う音を耳にしながら頭に被されていた布が取られると、目の前にいたのはフェリドだった。すぐに口を覆われていた布を外され、手を縛っていた縄も解かれる。周りにはすでに三人の男達が倒されている。一人の男の腹を膝で突き、縛り上げているヴァートと目が合う。しかしヴァートは苦しそうに眉を潜めると目を逸らされてしまった。話しかける機会を失ったエミリアの横を通り過ぎてクリスティナが走っていく。事もあろうかそのままヴァートに抱き着いた。
ヴァートは驚きながらもクリスティナを受け止めると、信じられない事にその頭を撫でた。
「ヴァート! 助けに来てくれたのね。絶対来るって信じていたわ!」
「ティナ、これに懲りてお転婆も大概にしろよ」
「呼び出されたのよ。あなたを捕らえたって。あの時は頭が真っ白になってしまって」
「……ティナ?」
ヴァートがクリスティナを愛称で呼んでいる。ヴァートの腕の中にはクリスティナがいる。エミリアは呆然としたまま歩き出した。
「エミリア! どこに行くんだ」
腕を掴まれた瞬間、痛みが走った。
「怪我をしているんだろう? 見せてみろ」
「お嬢様! お怪我をなさっているのですか?」
近づいてきたヴァートから離れるのはほとんど無意識の反応だった。驚いているのはヴァートだけではない。フェリドも驚いたようにそっと腕を掴んでいた手を離してきた。
「私は大丈夫よ。それよりもクリスティナ様をお守りして」
自分で口にしてツキンと胸の奥に痛みが走る。それでも気が付かない振りをしてこの場からすぐに離れれしまいたかった。縛られていた時に腕を捻っていたのか、見た目にはなんともない腕に痛みが走るし、膝は曲げる度に痛む。泣いてしまいそうになるのを堪える為にわざと足を早めた。
「エミリア! 良かった、無事か!」
学園の門に近づいていくと、そこには兵士を連れた父親と学園長が揃っていた。フェリドとヴァートに捕らえられた男達が馬車の中に押されて入っていく。そして最後まで喚いていたのは女教師だった。
「教師が生徒を危険に晒すとは許しがたい行いですね」
「私は本当の教師ではないもの! この国の学園は簡単に忍び込めて助かったわッ」
「知っていましたよ」
「……は?」
すると学園長はニコリと上げた口元とは裏腹に、笑っていない目で女教師を見つめた。
「あなたがオニキス王国から来ていたという事は分かっていました。私も一応侯爵家の人間なので色々な情報は入ってくるのです。もちろん生徒達の身の安全の為に常に情報収集はしていますがね」
「知っていたのに、なぜそのままにしたの?」
驚いて立ち尽くすその口に長い髪の毛が口に入っている。学園長はその髪を指で払うと、いつもの生徒に掛ける声ではなく、恐ろしく冷えた声で言った。
「腐ったものは根ごと取らなくてはなりませんから。ですが今回は生徒達を危険な目に遭わせてしまいました。その事については私も反省している所です」
女教師はきつく唇を噛んだまま馬車に乗り込んでいった。
~Sideヴァート~
本当はこの手でエミリアを救いたかった。だから今目の前で誘拐犯の身体を地面に叩きつけながら、激しい焦燥感を感じていた。
またエミリアを危険な目に遭わせてしまった。それだけでも酷く後悔しているというのに、今回は自分のせいなのだ。オニキス王国から離れて十年以上経過しているというのに、第三王子は見逃してくれないらしい。どこまでも執拗に追いかけてきて命を狙ってくる。そしてその刃はとうとう一番大事な、一番傷つけたくない相手に向いてしまった。
――もう俺にはお嬢様しかいないというのに。
フェリドの腕にいるエミリアを盗み見しながら誘拐犯達に縄を掛けていく。その手がかなりきつくなるのを自分でも止められなかった。もしエミリアに命に関わるような怪我をしていれば、間違いなく今ここにいる全員を殺していただろう。男が三人に女が一人。これくらいなら一人でも片付けられる。本気で湧き出る憎しみを隠すので精一杯だった。
――このままではいつか取り返しのつかない事になるな。
王城へ向かう馬車の中、ある決意が固まっていた。
「この度は本当に申し訳ありません。大事なご息女を預かる学園で起こってはいけない事態を招いてしまいました事を本当に申し訳なく思っております」
「顔を上げて下さい。今はエミリアを探すのが最優先です。状況のご説明をしていただけますでしょうか?」
学園長は部屋へ案内しようとしたが、カールはこの場で聞く事を選んだ。
「旦那様、私がご説明致します。エミリア様は殿下と生徒会室でお話をされた後、出て来られた所で私とも少しお話致しました。しかし一人になりたいと言われ目を離してしまいました。全て私の責任です」
「ポミエ伯爵! こちらだ!」
奥から出てきたフェリドは、大手を振りながらこちらに声を掛けてきた。何か進展があったのかと急ぐ三人を待つようにして再び中へと入っていくフェリドの後を追う。学園の中はすでに静まり返っていたが生徒達には各教室に残ってもらっている。しかしそれもフェリドの権限で行使した一時凌ぎであって、すぐに生徒達は家に帰りたいと騒ぎ出すだろう。そうでなくとも、生徒達の親である貴族達がこの状況を放おって置く訳がない。隔離されているという事はエミリア失踪の犯人だと疑われているといっているようなもの。名誉が著しく傷付けられたと騒ぎ立てられてもおかしくはなかった。
フェリドは静まり返った廊下を進むと、とある一角で足を止めた。
「ここがどうかしましたか?」
ヴァートはフェリドの止まった廊下を注意深く見て小さく息を飲んだ。そこには小さな泥が転々と落ちていた。
「学園内がこんな風に汚れているなんてありえないな? 学園長」
学園長はしゃがんで泥を指で擦った。
「清掃には気を配らせております。それにまだ若干ですが湿り気がありますね」
「あそこに! あそこにまた泥があるぞ!」
カールは小さな泥の点が落ちている部屋の扉を勢いよく開け放った。部屋の中は実習室で誰もいない。視線を机の上に留めると、そこには一通の手紙が置いてあった。
表にはカール・ポミエ伯爵へと書いてある。カールは恐る恐るその手で封を開けると、そのままヴァートに手渡した。その手は僅かに震えていた。
エミリアは重たい頭を押さえながら立ち上がろうとして、動きを止めた。何故か辺りは暗い。部屋の中だと分かるのはうっすらと板の隙間から光が入り込んできているからだった。どこかの物置か納屋だろうか。手を伸ばすとばさばさと紙のようなものが落ちてきた。
「誰かいないの?」
声を掛けてみるも返事はない。転ばないように姿勢を低くし手を伸ばした時だった。ぐにゃりと何か柔らかい物に手が当たる。思わず手を引いたが、よく見るとそこには人が倒れていた。自分だけではないという安堵感と、生きているのかという不安が襲ってくる。ゆっくり手を伸ばして体を揺すると小さな呻き声が聞こえた。
「あなた、大丈夫?」
生きていた事と、声が女性だと分かりすぐにそばにより更に体を揺すってみる。すると意識を取り戻したらしいその人はゆっくりと体を起こした。
「クリスティナ様?」
起き上がって隙間から差し込む光で見えたのは、紛れもなくクリスティナだった。
「どこかお怪我はございませんか? 痛む所は?」
なぜこんな所にクリスティナがいるのかは分からない。誰かに閉じ込められたのだろうか。それとも間違えて入ってきてしまったのだろうか。どちらにしても他国の王女に何かあれば外交問題になってしまう。エミリアは急いで全身を触ろうとした時、嫌がるように体を振られた。
「大丈夫よ」
「でもどこかお怪我ないか確かめさせて下さいませ」
「大丈夫よ、本当にどこも痛みはないわ。……それにおそらくまだ殺されないもの」
最後の方に聞こえた言葉に思わず息を止める。クリスティナは長い髪を手で整えると、座り直した。
「クリスティナ様は随分と落ち着いておられますね?」
「逆にあなたには分からないの? どうしてここに自分がいるのか」
「……分かりません。急に誰かに襲われたように思います。でも何かの間違いかもしれませんし」
「間違いな訳がないでしょう! 私達はここに誘拐されたのよ」
「まさか理由をご存知なのですか!?」
「そうね、ヴァートをくれると言うなら話してもいいわ」
誘拐され、監禁もされているというのにクリスティナはまるで危機感がないように楽しげに言ってみせた。
「ふざけないで下さい。それにヴァートは物ではございません」
「おかしな事を言うのね。使用人などあげるあげない、でしょう? こちらが決めればそれに従うしかないのよ。歯向かえば死に繋がるもの」
「そんな事ありません! お互いに信頼関係を築き、尊敬していかなければ真の意味で仕えてもらう事は出来ないと思います」
「それじゃあ、あなたはヴァートに真に仕えてもらっているというの? 私が命令して連れて行っても意味がないと? それならヴァートに選んでもらいましょうよ。必要なら誓約書を書くわ。どんな選択をしてもアゲート王国にもポミエ家にも、もちろんヴァートにも関与しないとね」
「ッ」
「自信がないようね」
返事をする事が出来なかった。ずっとヴァートと一緒だと思っていた。互いに望んで側にいるのだと思っていた。それでも今となっては自信がない。もしヴァートに自由にしていいと言ったら、ヴァートはきっと離れていってしまう。そんな事しかもう思い浮かばないのだ。
その時外から近づいてくる足音がした。足音は部屋の近くで止まると鍵を開けている音がした。思わずクリスティナと身を寄せる。光と共に入って来た姿に思わず安堵の声を漏らしていた。
「先生! 良かった、助けに来てくれたんですね!」
部屋の中に入ってきたのは、歴史の女教師だった。近づこうとする腕をクリスティナに掴まれる。その表情はいつもの王女らしい完璧な笑顔でも、感情を出さない顔でもなく、女教師を見据えたまま固まっていた。
「お兄様の侍女ね。前に見た事があるわ」
「お兄様?」
「三番目の兄よ」
「幼い頃の事だというのに覚えておられたのですか」
「先生嘘ですよね? ずっとこの学校の先生でしたよね?」
「あなたが通い出した頃からのね。まさかヴァート様を連れて登校するようになるとは思わなかったわ」
とっさにクリスティナの前に腕を出して後ろに庇うようにすると、クリスティナはエミリアの腕を掴むように冷たい指先を伸ばしてきた。女教師は楽しそうに声を上げて笑った。
「どうやらこちらでも守られるだけのお姫様のようですね。陛下に守られ、こちらでも誰かの後ろに隠れておられる。それではいつ毒を盛られるか分かったものではありませんね」
するとクリスティナは指から伝わる程にびくりと体を震わせた。
「クリスティナ様? 大丈夫ですよ、必ずヴァートが助けにきてくれますから。昔からヴァートにはかくれんぼで勝てた事がないのです。本当に見つけるのが上手なんですよ」
「ヴァートとかくれんぼをした事があるの? 他にも沢山遊んでもらったのかしら」
「おしゃべりしないの! 先生がいるのに勝手に話し始めて悪い子達ですね」
「先生なんかじゃないわ! あなたなんかすぐにヴァートに見つかって牢屋の中よ!」
「ここ実は塀と一番近いのよ。もうすぐ向かえが来るわ。そうしたらすぐに国境へ向かうの。クリスティナ様、お兄様がお待ちですよ」
女教師はぞっとする笑顔を浮かべると、後ろから数人の男達が入ってきた。皆制服は来ているが明らかに学生ではない。しかしすぐに腕を後ろに縛られると口に布を巻かれる。そして顔に布を被せられた。
すぐに視界は遮られ、何も見えなくなってしまった。
外に出たらしく風の音がする。数人の急ぐ足音と、押される背中。エミリアは足をもつれさせた振りをしてその場に膝を突いた。手が付けなくて膝に響く痛みが走る。男は舌打ちをすると乱暴に腕を引き上げてきた。
――体育館裏の倉庫。
校舎から離れており校庭を抜けて林の中にある倉庫は、ほとんど人が来ない場所で人目を避けるにはうってつけの場所だ。さっき女教師はここは外の塀が近いと言っていた。という事はまだ敷地内は出ていないと言う事。学園以外の敷地は考えられないので、今はまだ学園にいると言う事になるだろう。起こされる体に痛みが走るのに声が出せない。このまま人知れずに学園から連れ出されては、あっという間にオニキス王国へ連れ去られてしまうだろう。その先にある事は考えたくなかった。
「ん――、んん!」
「騒ぐな!」
背中を押されて今度こそ受け身を取れずに倒れかけた時だった。がっしりとした腕の中に包まれた瞬間、すぐ近くにいた男のくぐもった声がして倒れた音がした。周りで争う音を耳にしながら頭に被されていた布が取られると、目の前にいたのはフェリドだった。すぐに口を覆われていた布を外され、手を縛っていた縄も解かれる。周りにはすでに三人の男達が倒されている。一人の男の腹を膝で突き、縛り上げているヴァートと目が合う。しかしヴァートは苦しそうに眉を潜めると目を逸らされてしまった。話しかける機会を失ったエミリアの横を通り過ぎてクリスティナが走っていく。事もあろうかそのままヴァートに抱き着いた。
ヴァートは驚きながらもクリスティナを受け止めると、信じられない事にその頭を撫でた。
「ヴァート! 助けに来てくれたのね。絶対来るって信じていたわ!」
「ティナ、これに懲りてお転婆も大概にしろよ」
「呼び出されたのよ。あなたを捕らえたって。あの時は頭が真っ白になってしまって」
「……ティナ?」
ヴァートがクリスティナを愛称で呼んでいる。ヴァートの腕の中にはクリスティナがいる。エミリアは呆然としたまま歩き出した。
「エミリア! どこに行くんだ」
腕を掴まれた瞬間、痛みが走った。
「怪我をしているんだろう? 見せてみろ」
「お嬢様! お怪我をなさっているのですか?」
近づいてきたヴァートから離れるのはほとんど無意識の反応だった。驚いているのはヴァートだけではない。フェリドも驚いたようにそっと腕を掴んでいた手を離してきた。
「私は大丈夫よ。それよりもクリスティナ様をお守りして」
自分で口にしてツキンと胸の奥に痛みが走る。それでも気が付かない振りをしてこの場からすぐに離れれしまいたかった。縛られていた時に腕を捻っていたのか、見た目にはなんともない腕に痛みが走るし、膝は曲げる度に痛む。泣いてしまいそうになるのを堪える為にわざと足を早めた。
「エミリア! 良かった、無事か!」
学園の門に近づいていくと、そこには兵士を連れた父親と学園長が揃っていた。フェリドとヴァートに捕らえられた男達が馬車の中に押されて入っていく。そして最後まで喚いていたのは女教師だった。
「教師が生徒を危険に晒すとは許しがたい行いですね」
「私は本当の教師ではないもの! この国の学園は簡単に忍び込めて助かったわッ」
「知っていましたよ」
「……は?」
すると学園長はニコリと上げた口元とは裏腹に、笑っていない目で女教師を見つめた。
「あなたがオニキス王国から来ていたという事は分かっていました。私も一応侯爵家の人間なので色々な情報は入ってくるのです。もちろん生徒達の身の安全の為に常に情報収集はしていますがね」
「知っていたのに、なぜそのままにしたの?」
驚いて立ち尽くすその口に長い髪の毛が口に入っている。学園長はその髪を指で払うと、いつもの生徒に掛ける声ではなく、恐ろしく冷えた声で言った。
「腐ったものは根ごと取らなくてはなりませんから。ですが今回は生徒達を危険な目に遭わせてしまいました。その事については私も反省している所です」
女教師はきつく唇を噛んだまま馬車に乗り込んでいった。
~Sideヴァート~
本当はこの手でエミリアを救いたかった。だから今目の前で誘拐犯の身体を地面に叩きつけながら、激しい焦燥感を感じていた。
またエミリアを危険な目に遭わせてしまった。それだけでも酷く後悔しているというのに、今回は自分のせいなのだ。オニキス王国から離れて十年以上経過しているというのに、第三王子は見逃してくれないらしい。どこまでも執拗に追いかけてきて命を狙ってくる。そしてその刃はとうとう一番大事な、一番傷つけたくない相手に向いてしまった。
――もう俺にはお嬢様しかいないというのに。
フェリドの腕にいるエミリアを盗み見しながら誘拐犯達に縄を掛けていく。その手がかなりきつくなるのを自分でも止められなかった。もしエミリアに命に関わるような怪我をしていれば、間違いなく今ここにいる全員を殺していただろう。男が三人に女が一人。これくらいなら一人でも片付けられる。本気で湧き出る憎しみを隠すので精一杯だった。
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