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16 酷い言葉
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エミリアが登校すると、生徒達から遠巻きに見られている気がしていた。しかし居心地が悪いのはそれだけのせいではない。
少し後ろにいるヴァートとは家を出てから一言も話してはいない。昨日はクリスティナの訪問後に部屋に来たが、結局まともな話は出来ないまま終わってしまった。あれから何度も話をしようとしてけれど、何故か視線が合わず、その後は帰宅した父親の怒りを宥めるのに必死でそれどころではなかった。
「おはようございます」
目の前に現れたフェリドは制服は着ていない。きっと公務の合間に立ち寄っただけなのだろう。忙しいフェリドが最近学園に来ている事の方が珍しい事だったのだと思い出しながら挨拶をすると、思い切り腕を掴まれた。
「どうなさいました?」
「フェリド様! お嬢様をどちらに……」
「お前は付いて来るな!」
ヴァートを引き離すようにどんどん進んでいき、生徒会室に押し込まれた時にはすでに多くの生徒達に目撃されていた。
「こんな事して何を考えているのですか?」
「お前は婚約を無くしたいのか?」
「ど、どうしてそんな事を」
すると金色の髪をがしがしと掻いて苛立ったように睨み付けてきた。
「クリスティナ様からお聞きになったのですか?」
「夜会での事には理由があるんだ。終わったら全て話すから妙な考えを起こすのは止めろよ」
「妙とは? 婚約を望まない事ですか?」
はっとして見開かれた目を真正面から見据える。そして掴まれていた手を手で押し退けた。
「この際ですからはっきり申し上げます。私はこの縁談を望んではおりません」
フェリドが息を飲んだのが分かる。思えばこうしてはっきりと意見を言ったのは初めてだったかもしれない。いつも強気な瞳の奥が揺らいだのが分かった。
「殿下が私にこだわる必要はないのではありませんか?」
「……どれだけヴァートを想っても手に入らないぞ」
驚くのはこちらの番だった。いつから知っていたのだろう。自分の婚約者が使用人を想っているなど決して許せる訳がない。それなのに今までフェリドはずっと普通に接してくれていた。だからこの想いは誰にも気づかれていないと、そう思っていた。でもとっくに気づかれていたのだ。
――それならヴァートには? ずっとそばにいたヴァートが気付かない訳ない。受け止められない気持ちに気づきながら、ずっと知らない振りをしていたのだとしたら?
恥ずかしさと悲しさで胸が締め付けられる。思わず俯くとその顎を掬われた。
「クリスティナ王女からヴァートの事を聞いたか?」
「国に連れていくというお話でしょうか?」
「王女に気に入られたら伯爵家のお前では止められない。手放すしかなくなるな」
「みすみす渡せと仰るのですか?」
「相手は王女だ。それにオニキス王国はヴァートが生まれた国なんだ。国に帰るのが普通だろう? ずっと縛り付けておく気か?」
「縛り付けてなんかいません!」
でもヴァートの考えを聞こうともせずに婿に取ろうとしていた。酷く傲慢で身勝手な考えだと、思いもしなかった。
唇を思い切り噛むと掴まれていた顎が更に上げられる。その瞬間、冷たく乾いた物が唇に当たった。一瞬思考が固まった後、それが唇だと気づいた時には思い切り胸を押し返していた。しかし思いの外鍛えているフェリドの体はびくりともせず腕が体に巻き付いてくる。抗議しようとして開いた唇に湿った物が遠慮がちに滑り込んでくる。その瞬間、口を閉じていた。
「ッ」
思い切り弾かれて体が離れる。口元を拭うと、どちらのものともしれない血が薄く伸びていた。
「結婚したらこれ以上の事もするんだから少しは慣れろ」
やれやれというように親指で口を拭っているフェリドはぺろりと唇を舐めると、意地悪い笑みを浮かべた。これ以上この部屋にいたくなくて扉に手を掛けると後ろからもう片方の手首を掴まれる。思いの外熱い手は何かを伝えたいように何度か力が込められた後、するりと離された。
廊下の少し離れた所にヴァートが立っていた。ヴァートとは反対の方向に歩き始める。今は授業中で廊下には誰もいない。少し足を早めた時だった。
「お嬢様、その先は階段です!」
はたとして足を止め、掴まれた腕の方向のまま上を見上げると、ヴァートの目が驚いているのが分かった。
「怪我をされているのですか?」
とっさに俯くと乾いた唇を押さえた。
「大丈夫よ、ちょっとぶつけただけなの」
「失礼」
そういうと下を向いていた顔を上げされられる。そしてハンカチの端でそっと撫でてきた。
「お嬢様の唇は切れていないようですね。一応医務室に行きましょう」
エミリアは掴まれた腕を乱暴に振り払っていた。
「もう放っておいてよ! どうせあなたはクリスティナ様と一緒にオニキス王国へ行ってしまうんでしょう!」
こんな風には告げたくなかった言葉が口を滑り出していく。後悔してももう遅い。
「そうだとしても、今はまだ私はあなたの使用人ですから」
「やっぱり行ってしまうのね」
ゆっくりと歩き出す。
「お願いだから今は付いて来ないで。もうこれ以上私を失望させないで!」
――最低だ。なんて最低な事を言っているのだろう。
ヴァートは自分の嫌がる事はしない。分かっているから滑り出た言葉。ただの八つ当たりに過ぎない言葉は、きっと今ヴァートを傷付けているに違いない。謝ろうと今来た廊下を振り返った時だった。後ろには今までいなかった男子生徒達がいる。しかしそれは見た事がない顔で、後ろから口元を何かで覆われていた。
少し後ろにいるヴァートとは家を出てから一言も話してはいない。昨日はクリスティナの訪問後に部屋に来たが、結局まともな話は出来ないまま終わってしまった。あれから何度も話をしようとしてけれど、何故か視線が合わず、その後は帰宅した父親の怒りを宥めるのに必死でそれどころではなかった。
「おはようございます」
目の前に現れたフェリドは制服は着ていない。きっと公務の合間に立ち寄っただけなのだろう。忙しいフェリドが最近学園に来ている事の方が珍しい事だったのだと思い出しながら挨拶をすると、思い切り腕を掴まれた。
「どうなさいました?」
「フェリド様! お嬢様をどちらに……」
「お前は付いて来るな!」
ヴァートを引き離すようにどんどん進んでいき、生徒会室に押し込まれた時にはすでに多くの生徒達に目撃されていた。
「こんな事して何を考えているのですか?」
「お前は婚約を無くしたいのか?」
「ど、どうしてそんな事を」
すると金色の髪をがしがしと掻いて苛立ったように睨み付けてきた。
「クリスティナ様からお聞きになったのですか?」
「夜会での事には理由があるんだ。終わったら全て話すから妙な考えを起こすのは止めろよ」
「妙とは? 婚約を望まない事ですか?」
はっとして見開かれた目を真正面から見据える。そして掴まれていた手を手で押し退けた。
「この際ですからはっきり申し上げます。私はこの縁談を望んではおりません」
フェリドが息を飲んだのが分かる。思えばこうしてはっきりと意見を言ったのは初めてだったかもしれない。いつも強気な瞳の奥が揺らいだのが分かった。
「殿下が私にこだわる必要はないのではありませんか?」
「……どれだけヴァートを想っても手に入らないぞ」
驚くのはこちらの番だった。いつから知っていたのだろう。自分の婚約者が使用人を想っているなど決して許せる訳がない。それなのに今までフェリドはずっと普通に接してくれていた。だからこの想いは誰にも気づかれていないと、そう思っていた。でもとっくに気づかれていたのだ。
――それならヴァートには? ずっとそばにいたヴァートが気付かない訳ない。受け止められない気持ちに気づきながら、ずっと知らない振りをしていたのだとしたら?
恥ずかしさと悲しさで胸が締め付けられる。思わず俯くとその顎を掬われた。
「クリスティナ王女からヴァートの事を聞いたか?」
「国に連れていくというお話でしょうか?」
「王女に気に入られたら伯爵家のお前では止められない。手放すしかなくなるな」
「みすみす渡せと仰るのですか?」
「相手は王女だ。それにオニキス王国はヴァートが生まれた国なんだ。国に帰るのが普通だろう? ずっと縛り付けておく気か?」
「縛り付けてなんかいません!」
でもヴァートの考えを聞こうともせずに婿に取ろうとしていた。酷く傲慢で身勝手な考えだと、思いもしなかった。
唇を思い切り噛むと掴まれていた顎が更に上げられる。その瞬間、冷たく乾いた物が唇に当たった。一瞬思考が固まった後、それが唇だと気づいた時には思い切り胸を押し返していた。しかし思いの外鍛えているフェリドの体はびくりともせず腕が体に巻き付いてくる。抗議しようとして開いた唇に湿った物が遠慮がちに滑り込んでくる。その瞬間、口を閉じていた。
「ッ」
思い切り弾かれて体が離れる。口元を拭うと、どちらのものともしれない血が薄く伸びていた。
「結婚したらこれ以上の事もするんだから少しは慣れろ」
やれやれというように親指で口を拭っているフェリドはぺろりと唇を舐めると、意地悪い笑みを浮かべた。これ以上この部屋にいたくなくて扉に手を掛けると後ろからもう片方の手首を掴まれる。思いの外熱い手は何かを伝えたいように何度か力が込められた後、するりと離された。
廊下の少し離れた所にヴァートが立っていた。ヴァートとは反対の方向に歩き始める。今は授業中で廊下には誰もいない。少し足を早めた時だった。
「お嬢様、その先は階段です!」
はたとして足を止め、掴まれた腕の方向のまま上を見上げると、ヴァートの目が驚いているのが分かった。
「怪我をされているのですか?」
とっさに俯くと乾いた唇を押さえた。
「大丈夫よ、ちょっとぶつけただけなの」
「失礼」
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「お嬢様の唇は切れていないようですね。一応医務室に行きましょう」
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こんな風には告げたくなかった言葉が口を滑り出していく。後悔してももう遅い。
「そうだとしても、今はまだ私はあなたの使用人ですから」
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――最低だ。なんて最低な事を言っているのだろう。
ヴァートは自分の嫌がる事はしない。分かっているから滑り出た言葉。ただの八つ当たりに過ぎない言葉は、きっと今ヴァートを傷付けているに違いない。謝ろうと今来た廊下を振り返った時だった。後ろには今までいなかった男子生徒達がいる。しかしそれは見た事がない顔で、後ろから口元を何かで覆われていた。
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