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10 好きな人に攫われたい

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 エミリアは入浴を済ませ一人きりになった部屋の中で、盛大に悶えていた。

――ヴァートが好き過ぎる! 格好いい、堪らない、攫ってしまいたい!

 クッションを腕の中で形が変わる程に抱きしめながら叫びたい衝動を堪えた。

 それは遡る事数時間前、晩餐会での出来事だった。
 隣国の王女を招いての晩餐会は盛大なものだった。それでいて後日夜会を開くというのだからこれがただの短期留学ではなく、外交を交えての訪問だと分かってしまう。そのせいもあるか、フェリドとクリスティナは食事を終えてお茶の時間になると席を移動し、顔を寄せて話をしている場面が幾度となくあった。その姿を応援するようにじっと見ていた時だった。

「お嬢様、少し宜しいのですか?」
「何?」
「フェリド様ですよ。あんなに風に寄り添って周囲の目があるというのに困ったものです」

 ヴァートはこちらに聞こえるだけの小さな声でそう言いながら食後のお茶を淹れてくれている。確かに婚約者がいるというのにあのように他の女性と寄り添うなど、例え自分が許しても周囲が許しはしないだろう。現に晩餐会に参加した幾人かの貴族達がこそこそとフェリド達を見ながら話し出しているのが目に入ってはいた。

「お相手は王女様なのよ? もし殿下をお気に召されたとしても私には何も出来ないわ」
「本気で仰っています?」
「本気も何も事実を言ったまでよ」
「それならお嬢様は慕っている相手が自分よりも立場のあるお方であれば譲ると?」
「そうはっきりと言われると答えづらいわね」

――第一私はフェリド様の事はなんとも思っていないんだもの。

「……慕っている相手がもしいたとして、もしその人の好きになった相手が私よりも権力者だったら、私はきっと諦めるわ。だって私個人の話ではなくなるでしょ。それこそ家に迷惑を掛けることになると思うの。私達はそういうしがらみの中で生きているのよ」

 ちらりと見上げたヴァートは一瞬寂しげに見えたが、目が合うとすぐにいつもの無表情に変わっていた。

「意外としっかりされているのですね」
「失礼ね。ヴァートはどうなの? もし好きな人が手の届ない人だったら?」
「私は攫って逃げます」
「え?」
「だから攫って逃げます。誰にも取られたくないので」
「逃げるって、どこに?」
「どこにでも。幸いな事に意外と器用なもので職には困らない自負があります」

 少し胸を張ってみせるヴァートに可笑しさ半分、切なさ半分で笑ってみせた。

「それはその相手が羨ましいわね。そこまで想われるのなら幸せよ」

 ヴァートがそこまでしたい相手がいるとしたら一体どんな人なのだろう。きっと世界一幸せな女性になるのは間違いない。ツキンと胸の奥の痛みには気が付かないようにしてまだ熱いお茶に口を付けた。

「……とりあえず、手始めにここからお嬢様をお連れしましょうか」

 聞き返す前にヴァートはフェリドの後ろ側にいくと、なにやら耳打ちをしてからすぐに戻ってきた。後ろでフェリドが驚いているがさすがに叫んではいない。ヴァートは手を差し出してきた。

「フェリド様に退出の許可を取ってきたので屋敷に戻りましょうか」

 フェリドがソファを回ってこちらに来るのが見える。エミリアはすぐにヴァートの手を取ると逃げるように王城を後にした。
 まさかヴァートに攫われるとは思わずに息を弾ませながら馬車に乗り込むと、笑いながら横を見た。ヴァートも少しだけ息を乱しながら優しく微笑んでいる。その顔を見た瞬間、胸が詰まって何も言葉が出なくなってしまっていた。

「少し清々しましたね。お嬢様」
「そ、そうね! でもなんと言って来たの?」
「そのままですよ。お嬢様を放おっておかれるのなら私が貰い受けます、と」
「そんな事を言ってきたの!? 大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ。これくらい申し上げても問題ないと思います」

 確かにフェリドならこれしきの事でヴァートに罰を与えるような事はしないだろう。それなりにフェリドとヴァートも長い付き合いなのだ。何より例え嘘だったとしてもあの時はお嬢様ではなく、ヴァートの特別になれた気がして堪らなく嬉しかった。

「ありがとうヴァート。どんな時でもあなたは私を守ってくれるのね」
「どういたしまして」




~Sideヴァート~
 ヴァートの苛立ちが頂点を迎えようとしていた。
 オニキス王国の王女を待っている間、こともあろうかフェリドがエミリアの頭を触り始めたのだ。手を握り締めて穴が開くほど見つめていると、周囲で二人の仲睦まじさをささやき出す声が聞こえ始める。それがまた苛立ちを増幅させ今にも血管が切れそうだった。我慢の限界と馬車の姿が重なり、気がつくと歩き出していた。
 今日のエミリアは王太子の婚約者として着飾っており美しさが何倍にも増幅していた。本当にエミリアしか目に入らない。こんなにそばにいるのにどうしてこんなにも隔たりがあるのか。一歩が遠く、近付こうとすれば高い壁が見えた。

 どうやっても埋められない年月がある。どれだけ思っても年齢だけは縮まらない。例えフェリドとの婚約が破談になったとしても次の相手が現れるだけ。年の近いそこそこの見目の貴族子息が。いつかそうしてポッと出の大してエミリアを想ってもいない相手に恋い焦がれる人が目の前で攫われてしまうのだ。

 エミリアに好きな人が手の届かない人だったらどうするかと問われた時、心臓の音が外まで聞こえているのではと思ってしまった。その時、ほんの少し心の声を漏らしてしまったのがいけなかった。歯止めが効かなくなる。そう分かっているのにエミリアをここから連れ去ってしまいたくなっていた。そうなると足は止まらなく、歓談中のフェリドの元に向かっていた。フェリドの耳元で早口で告げると許可を待たずに踵を返した。

――お嬢様はお疲れのようなので今日はこれで失礼致します。

 エミリアに告げた言葉とは違うもの。このまま連れ去る事も出来る。人知れずにエミリアと共に生きていく力も今の自分にはある。でもそれではエミリアを不幸にしてしまう事も分かっていた。エミリアは貴族としてしか生きてきた事がなく、きっと庶民に身分を落とすなど考えた事もないだろう。第一、年の離れた兄のように慕っている使用人に愛を告白されたらきっと困惑するに決まっている。何故エミリアが記憶を失くした時に喜んでしまったのだろう。どうやっても自分にはずっとエミリアと共にいる未来などないというのに。

――それなら、どんな形でもそばにいよう。それにもうきっと、あまりその時間は残されていないのだから。
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