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4 モテる侍従は厄介です

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 エミリアが記憶を失っているのは学園中の知る所となっていた。

 まず最初に訪れたのは学園長室。さも当たり前の様にソファに座っていたフェリドを視界に入れると、礼をして入室した。
 学園長はまだ若いが、国王陛下から任命されただけあって教育熱心な渋いお兄様といったところだ。もちろん爵位持ちでアントネクス侯爵家の当主。後ろに撫で付けた前髪から溢れる一房が妙な色気を放っていた。それでいて三人の子持ちだというのだから完璧とした言いようがなく、女生徒達が理想とする男性の一人だった。

――これでヴァートより少し年上なだけだというんだから驚きよね。

「学園長、この度はヴァートの同伴をお許し頂きましてありがとうございます」

 日差しのよく当たる机の前で寄りかかるようにして立っていたアントネクス学園長は、人の良さそうな朗らかな笑みを浮かべている。こんなに優しそうな容姿をしていて侯爵家当主の仕事と、沢山の貴族子息や令嬢を預かる学園の責任者をしているのだから、凄いわアントネクス学園長!と心の中で呟いてみた。

「元気そうで安心したよ。殿下がエミリアが記憶喪失になったと屋敷に飛び込んできた時には、さすがに驚いたけれどね」

 驚いたように瞬きながらフェリドを見ると、ばつ悪るそうにそっぽを向かれた。

「さぞ心配だったんだろう。エミリア嬢の身辺について配慮するように仰せつかったよ」

 そう言いながら笑うアントネクス学園長にエミリアはただただ驚くばかりだった。二人の関係がいまいち掴めない。これ程までに仲が良かったのだろうか。

「殿下がこんな風な態度を取るのは気を許している証だから、どうか大目に見てあげてほしい」
「承知致しました。でも学園長とこんなにも仲がよろしいなんて驚きでした」
「ああ、殿下はよく私の家に遊びに来ていたからね。といっても王太子に任命される前の話だからずっと幼い頃だけれど。だから付き合いとしては君よりも長いかな」
「余計な事は言わなくていいからな」

 まあまあと言いながら、日差しと同じくらい柔らかな笑みを浮かべた学園長は、ずっと黙って立っていたヴァートに視線を向けた。

「君のような男は好機の目に晒されて些か居心地が悪いかもしれないが、どうか許してほしい。彼女達も別に悪気はないんだよ」
「私のような使用人にまで温かいお言葉をお掛け下さり感謝致します。ですがご心配には及びません。私はお嬢様の護衛の為にいるだけですので影に徹します。学園に通われる方々のご不快にならないよう務める所存です」
「そうか、分かったよ。……懸念の意味が違ったんだけれどな」

 アントネクス学園長は愛想笑いを浮かべると、割り切ったように頷いた。

「なにはともあれお帰りエミリア。もし不便な事があったら僕に相談するといい。といっても普段はあまり学園にはいないから屋敷に来てもいいからね」
「その前に俺に相談すればいいだろう? 婚約者なんだからな」

 涼しい顔をしてそう言ったフェリドを見てアントネクス学園長は笑った。

「私もいつでも歓迎するよ」

 エミリアが感謝の意を伝えて学園長室を出た瞬間、悲鳴が上がった。悲鳴というよりは歓声に近いその声は、明らかに男性陣へのものだろう。フェリドの姿をひと目見ようとするものも入れば、ヴァート目的の生徒達もいる。睨んで一掃してしまいたいが、中には爵位が上の令嬢も混じっており、な何より他の生徒を睨む浅ましい姿をヴァートに見られたくはない。怒りと焦りを落ち着かせる為に深い呼吸を何度か繰り返していると、目の前を覗くヴァートと目が合った。

「このまま教室へ向かいますがご体調はいかがですか?」
「大丈夫よ。それよりヴァートは教室の場所は分からないでしょう?」

 すると満面の笑みが返ってきた。

「お嬢様がご入学された時に学園の図面は全て頭に叩き込んでありますのでご安心下さい。教室から食堂、お手洗いに階段、屋上に用務員室に至るまで完璧にご案内出来ます」
「……さすがに用務員室に用はないかもしれないわね。それじゃあ教室に行きましょうか」

 ヴァートがエミリアに向かって満面の笑みを浮かべた時に一際大きな歓声と悲鳴が上がった。おそらく一人か二人は腰が抜けたのかもしれない。内心恨めしい気持ちでヴァート見上げながら歩き出した時だった。ぐいっと肩を引かれて振り返ると、王太子らしい笑みを浮かべたフェリドだった。

「殿下、お互い授業に遅れてしまいますよ」
「また殿下か。昼食を一緒に取るぞ」
「でも、お忙しいはずでは……」
「一緒に食べればいいだろ」

――いつもは生徒会室でお仲間と一緒に取るくせに、なんでそんな事言い出すのよ! 私はヴァートとの一学園初日を満喫しようと思っていたのに! 

 ヴァートとは年が離れているせいで学校に通うなんてありえない事だった。それが今、共に授業を受け、お昼を食べ、一緒に帰るという夢が叶おうとしている。もちろん制服を着せたいという願望はあるがそれは泣く泣く断念した。第一そんな尊い姿を他の生徒に見せる訳にはいかない。

「せっかくのお言葉ですが、生徒会委員でないものが生徒会の皆様とご一緒するのは分不相応かと」
「俺がいいと言っているんだ」

 ぐっと拳を握り締めて微笑んだ。

「それでは、お言葉に甘えてご一緒させて頂きますね」
「ヴァートは食堂を使ってくれ。学園に慣れる為にも丁度いいだろう?」
「いえ私はお嬢様のお側を離れぬように旦那様よりご命令を受けておりますので、私の事はお気になさらないで下さい」
「俺がそばにいるんだから滅多な事は起きないだろ。それとも俺を信用出来ないのか?」

 これ以上はさすがにまずいと思いヴァートを見上げると、小さな微笑みが返ってきた。

「もちろん殿下を全面的に信用しておりますので、扉の前で待つという程度に譲歩出来るのでございますよ」
「……まあいいさ。それじゃあ昼食でな、俺の婚約者」

 フェリドの指先が触れるか触れないかで頬を撫でていく。調子が狂ってしまい、思わず体が小さく震えた。




「エミリア! もしかして私の事も忘れたの? そんな訳ないわよね?」
「エミリア様、私の事は覚えていらっしゃいますか?」

 教室に入るなり二人の生徒が目の前に飛び込んでくる。事前にヴァートと打ち合わせてしていたように、一人一人の顔を見て出来るだけ普通に微笑んだ。

「ごめんなさい。今はまだ曖昧なの。色々教えてくださると助かるわ」

 向かって右側にいるのは同じ伯爵家の令嬢サマンサで、左側にいるのが子爵令嬢のハンナだった。サマンサは子供の事から茶会で何度も会っていたので、もちろん入学した時からすぐに友達になった。橙色の少し縮れた髪が印象的で、異国の血が混じっていると昔聞いた事がある。目の色は濃い藍色でくりっとした瞳が可愛らしい子だった。ハンナは茶色のさらりとした長い髪に線の細い儚げな子で、男ならば守って上げたくなるような美しさを持っていた。
 事故に遭ってからすぐにこの二人から面会したいと連絡が来た。しかし記憶を失っているという体の為、断り続けていたのだ。だから今知らないふりをしているのが心苦しくて仕方なかった。

「これからもお嬢様を宜しくお願い致します。サマンサ様、ハンナ様」

 ヴァートは大袈裟に頭を下げてみせた。ヴァートの姿を見て動じないのはこの二人くらいだろうか。流石に二年近くもこれくらいの距離で見ているのだ。他の生徒達よりも耐久がついているのは間違いない。

「それにしてもよりによってヴァートさんを連れて来るなんてね」

――私だって出来る事なら屋敷に閉じ込めておきたかったわよ。

「ヴァートは人気があるみたいね」

 余裕ぶって答えるとサマンサは気の毒そうに見つめてきた。

「まぁ、私達の事忘れているかもしれないけれど、今までと同じ様にするからそのつもりでよろしくね」

 サマンサはぐいっと腕を絡めてきた。正直この距離感はありがたい。それでなくとも腫れ物に触るような視線に居心地の悪さを感じていた所だ。サマンサが席まで案内してくれるとほっとして一息付くことが出来た。しかしいつも通り授業が始まったのも束の間、意外と心の平穏は短かった。

 歴史の授業を担当している女教師の様子がどうもおかしい。見た目はそこそこ。服装も清潔感のある清楚なワンピースで好印象。しかしいつもはさくさくと授業を進めていくのに、今日はやたらと言い間違いが多い。そして教科書を何度も落とし挙句の果てに顔は真っ赤になっている。いつの間にか分析するように女教師を見てしまっていた。もちろん原因は考えるまでもない。心当たりならすぐ後ろにあるのだから。なんなら今日は授業どころではないだろう。振り返って教室の一番後ろで気配を消しているヴァートを盗み見ようとした時、目が合ってしまった。目が合った瞬間ヴァートは驚いたように目を見開かせた。

――まずいわ。授業に集中していないと思われたかもしれないわね。

 それからの時間はずっとひたすらに黒板と教科書の往復に徹したのだった。

「いいことヴァート。殿下との昼食中にもしかしたらあなたには沢山の試練が訪れるかもしれないわ。でも約束して頂戴。絶対に扉の近くから離れないと。例えどんな事が目の前で起きても私を最優先にしてほしいの。それが例え見捨てたら人として道徳的に問われそうな場合だったとしてもよ」

 教室を出て生徒会室に向かう途中、エミリアは不安で仕方なかった。ヴァートはきっとどこにいても目立ってしまうだろう。これだけの美貌を持ちながら自分の見た目の良さに全く気がついていないのはいいところなのかもしれないが、こちらとしては気が気ではない。ヴァートは分かっているのかいないのか、子供を宥めるように頷いてきた。

「お久し振りの登校でご不安なんですね。大丈夫です、絶対にお嬢様から離れませんからご安心ください」
「絶対よ、いいわね? 誰にも付いて行ったりしちゃ駄目よ?」
「子供じゃないんですから」

 じっと見つめるとじっと見つめ返される。そして吹き出すようにフッと笑われた。

「なぜ笑うの? 私どこかおかしかった?」
「いえいえ。ただお嬢様は私が大好きなんだなと思いまして」

――え? えぇ!? 私もしかして好き過ぎてとうとう口から出てしまっていた? それとも好き過ぎて顔に浮かび上がっているの?

「お嬢様は昔から不安だと、付いてきてよ? そこにいるわよね? と確認していらっしゃいました。特にお花摘みに行かれる時などは。久し振りに今も昔の様に頼られていると感じたものですから少し嬉しくなってしまいました」
「そんな子供の時のお手洗いの話などしないでよ!」

 思わず大声になって口を塞ぐと、いつの間にか生徒会室に付いてしまっていた。
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