隠された第四皇女

山田ランチ

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19 消え去った娼館

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「ばあさん入るぞぉ。肉肉うるさいから今日はステーキにしてもらったからな。でも年なんだから食い過ぎは……」

 昼食の乗ったトレイを持ったまま扉を開けたマイノは、誰もいない部屋の中を見渡して固まった。見渡せば全てを把握出来てしまう程の部屋の中。ベッドはもぬけの殻で、毛布は床に落ちていた。そして窓の鍵は何かに握り潰されたようにぐしゃりと変形し、開いた窓から柔らかな風が室内に入り込んでいた。

「た、大変だ……」

 マイノは持っていたトレイをすぐ横の棚に放り置くと部屋を後にした。

「ああもう次から次へと! ディアンヌは捕まるわ、ばあさんは脱走するわ、ウィノラは帰って来ないわ。あぁクソッ! 一体どうしたら良いんだよ!」

 マイノはアデリータの部屋に飛び込むやいなや、部屋の中にいた人物に足を止めた。

「なんだい騒々しい! お客様がいるんだよ! 全くお前は幾つになったら落ち着くんだか」

 アデリータの向かいには、もうすっかりヒュー娼館内にいても馴染んでいるオーティスが座っていた。

「オーティス殿下、アディを少し借りてもいいでしょうか」
「構わないが……」
「またお前は! 皇子様相手にもそんな言葉を使って!」

 オーティスの了承を得て、文句を言いながらも来てくれるアデリータの腕を掴むなりマイノは消えた産婆の事を耳打ちした。しかし興奮していたマイノの声はとても内緒の話をするような音量ではなかった。

「その部屋を見せてほしい」
「ぎゃあッ!」

 マイノは大きな身体をびくりと跳ねさせて後ろを振り向けば、真顔のオーティスが立っていた。

「すまない。聞こうと思っていた訳ではないんだが」
「良いんですよ! この子の声が大きいのが悪いんですから」
「ええと、部屋を見せるのは構いませんが? 皇子様をお連れするような部屋ではありませんよ?」

 アデリータの顔色を伺いながら途切れ途切れに返事をしていると、アデリータはこちらですと言いながら産婆が療養していた部屋へと歩き出してしまった。

 マイノの言った通り、窓の鍵は潰されたように壊れていた。

「これは一体……どうやったらこんな風に壊れるんだよ」

 鍵をまじまじと見ながら手を伸ばしたアデリータは、鍵に触れそうになって不意に手を引っ込めた。鍵の近くには砂利のような欠片が落ちている。ハンカチで軽く触ると色々な色に鈍く光った。触れてはいけないと思ったのは本能のような感覚。アデリータはハンカチで直接触れずにその欠片達を脇に避けて手をかざした。小さな炎が欠片に移る。しかし欠片は燃える事なく振動するように揺れていた。

「石だから燃えないのだろう?」
「違います殿下。これは魔女の力に間違いありません。もちろん石は燃やせませんが、こんな風に震えたりはしませんから」
「それなら産婆の力の可能性があるんじゃないのか?」
「どうでしょうか。除々にですが回復はしていましたが、こんな風に出ていくのは無理があるように思いますがね。それにこの石は……いえ、なんでもありません。きっと見間違いでしょう」
「怪我もしているだろうに、ここを出てどこに向かったんだろうか」
「探しに行って参ります。マイノ、お前はここに残って皆を逃しておやり」
「それってまさか、ここを解体するって事かよ」
「それしかないね。皆を守る事が第一さ。手遅れになる前に手筈通りに頼んだよ!」
「アデリータ殿、私も一緒に行こう」
「でも……」
「人手はあった方がいいだろう。それに何か力になれるはずだ」

 アデリータを越してオーティスが歩き出す。アデリータはマイノに頷くと後を追った。




 帝都の街は魔女の捕縛が始まってからというもの、上辺だけの平穏に満ちていた。店はいつも通り営業している。それでも今まで威勢良く店先に立っていた女達は姿を消し、男達が目立つようになっていた。
 妻や恋人を隠す為に店に出さない者もいれば、万が一にも妙な疑いを掛けられない為に雇っていた女達を一斉に解雇した店主もおり、これを機に気に入らない従業員を解雇した雇い主もいたという。どちらにしても女達の仕事が一気に減ったのは明白で、それは生きるか死ぬかの問題に直結していた。
 マントを頭から被りながらオーティスと護衛騎士の一人と共に街の路地や人影の少ない場所を選んで産婆を探す。路地にはすでに行き場を失った者達が座り込んでおり、同じ年の頃の老婆を何人か見つけはしたが、探している産婆ではなかった。皆騎士達を見るとびくりとしてその場を離れていく。本来騎士は捕縛に関与していないが、それ程に皇帝が出した魔女の命令は帝都中に恐ろしい影を落としていた。
 少しでも疑われれば捕まる。悪意ある誰かの密告で捕まる事もある。そして潔白を証明する確固たる証拠は、そもそも誰も何一つとして持ち合わせていなかった。

「ここにもいませんね」

 街を歩き回りもうかなりの時間が経過した頃。路地の隙間から日が暮れ始めていく空を見上げた。アデリータは捜索中止を持ち掛けようと、前を歩くオーティスに声を掛けようとした時だった。

「キャ――ッ! 化け物ッ!」

 声を聞いたアデリータ達は路地から広場へ飛び出して行った。
 言葉を失ったのはアデリータだけではない。騎士もオーティスもとっさに剣を手にしたが、その異様な光景に剣を抜くか否かで止まっていた。広場には尻もちを付いている若い女性。

 その前には人。

 あるいは人に見える者。

 しかしその者は身体を掻き毟るように身悶えながら身体が変化し始めていた。




 ライナーとバラードが騎士団の団長室に入ると、部屋で待っていたマイヤーは敬礼をした。

「わざわざお二方にご足労頂き申し訳ございません。本来ならばこちらから出向かなくてはならない所を……」

 長々しく口上を述べようとする相手に向かって手を上げると、ライナー達は部屋の中にいた人物に目を留めた。

「リーヴィス殿下、太陽の光にご挨拶申し上げます」

 二人揃って敬礼をするとリーヴィスは居心地悪そうに顔を背けた。

「今の私は騎士としてここにいるのだからそんな事はしなくていい。それよりも団長の名を借りてこの場に呼んだ事を説明させて欲しい」
「リーヴィス殿下が我々を?」

 マイヤーは白髪のまじった髭を撫でながら、小さく息を吐いた。

「私はまだ反対ですよ。軍団と同じ事件を追ったりしたら、少なからずガリオン殿下のお怒りを買う事になりましょう。我々は構いませんが、リーヴィス殿下のお立場が危うくなるかもしれないのです」
「それじゃあ団長はこの件は軍団に任せていればいいとそうお考えですか?」
「ただガリオン殿下が動いているなら任せるべきですだと申しているのです」
「私はそうは思いません。……お二人に話したいという内容ですが、実は帝都で惨殺死体が発見されたのです」
「惨殺死体?!」
「皇宮からさほど離れていない路地で、巡回中の警備隊の男達が二名犠牲となりました」
「本来警備隊の者が事件に巻き込まれたなら警備隊か兵団が動くものです。やはりマイヤー団長の仰る事に間違いはないように思いますが」
「その者達はどうやら魔女に殺されたようなのです。現在調査は兵団が指揮をとっておりますので我々が動く事はありません。ですが魔女の捕縛は宰相様が指揮を取られておりますので、ライナー様のお耳に入れておいた方がいいかと判断しました」

 ライナーは一瞬ひくりと頬を強張らせた。いくらライナーに帝位継承権があるとは言ってもリーヴィスは皇帝と皇妃の実子の為、継承権の順位では一番帝位に近い存在だった。しかしその現実には誰も触れず、皇帝すらもガリオンが皇太子に一番近い皇子だと思っている。そんなリーヴィスが自身よりも身分の低い自分に敬称を付けて呼ぶ事が、いかに己の価値を低く見ているかが見て取れた。

「そもそも魔女が人を襲うなど聞いた事がありません」
「ですが目撃者がいるのです。老婆が恐ろしい怪物に変化して男達を襲っていたと」
「変化ですか? 見間違いではなく?」

 一瞬の沈黙の後、リーヴィスは震える声で言った。

「その目撃者というのは私です。でも正直この目で見たのに信じられないのです」
「もう少しお詳しくお願い致します、殿下」
「街を見回っていた時に悲鳴が聞こえて、到着した時にはすでに襲われていた後でした。魔女はそのままどこかに走り去ってしまい、僕は驚いたままで後を追えませんでした」
「懸命な判断だと思います。その場所に案内して頂けますか?」
「バラード!」

 リーヴィスと共に行くという事はガリオンと相対する勢力に付くという事になる。ライナーはバラードの腕を掴んだが、バラードはその腕を払い除けた。

「俺はリーヴィス殿下と共に行くがお前は付いて来るな。理由は分かるな?」
「むしろお前の方が大人しくしていた方がいいんじゃないか? それでなくてもお前はヒューとの関係が深いんだ。怪しまれる行動は控えた方がいい」
「こんな時に動かなかったら後でデルマにがっかりしたと言われてしまいそうだよ」

 その時、扉が勢いよく開いた。

「っと、すみませんお話中でしたか。マイヤー団長にご報告がございます」
「ここで話せ」
「それでは申し上げます。警備隊が襲われた場所からほど近い広場で変異した魔女が発見されたとの事です」

 マイヤーとリーヴィスは立ち上がると部屋を走って出て行く。

「俺達も向かおう。もう迷っている場合ではないようだな」




 広間には奇声が響き渡っていた。耳を覆いたくなるような激しい叫び声は、強弱を付けて永遠に止まる事はないかのような泣き声に聞こえた。魔女だったのかさえ分からないその姿は巨大化し、溶けかけている。オーティスとアデリータはとっさに物陰に隠れた。そこに馬に乗った第1師団がガリオンを先頭にし、広場へと突っ込んでいた。
 馬は一瞬怯んだがガリオンの掛け声と合図にそのまま突進していく。アデリータが手を伸ばし、オーティスの手がその手を抑え込んだ瞬間、アデリータは産婆と目が合った気がした。ガリオンの振りかざした剣は悶ている魔女の背中に突き刺さり、耳を覆いたくなる程の一際大きな悲鳴が上がった。


「クソッ、間に合わなかったか!」

 バラードは馬の速さを緩めると、少し遠くで倒れていく魔女の姿を捉えながら舌打ちをした。

「珍しい奴らが揃いも揃ってゾロゾロと見物か?」

 ガリオンは剣を振りながら血を払った。ガリオンは馬を操るとリーヴィスはびくりと身体を震わせた。しかしガリオンはリーヴィスの前ではなく、ライナーの前に向かった。

「兵団でも騎士団でもないお前達が首を突っ込もうとするとはな。一体何の用だ? それとも女達への点数稼ぎか?」

 蔑むような視線がバラードを捉える。しかしバラードはそんな事などお構いなしに、倒れている魔女の死体の側で片膝を突いた。見物人達の中から悲鳴が上がり、それと同時に顔を顰める者達の声が聞こえてくる。ライナーはバラードの肩に触れたがすぐに振り払われた。その瞬間、周囲から怒声にも似た激しい罵倒の声がバラードを罵った。

「アデリータ殿、今は行かない方がいい。アデリータッ!」

 オーティスの静止を振り切ったアデリータはもの凄い勢いで、膝を突くクラウゼを横から押した。

「離れておくれよ! 死んでもなお傷付けようとする気かい!」

 血塗れで倒れている身体を抱き起こすと、アデリータはその腕に遺体を抱いた。

「……おい、どういう事だ? というかあれって、ヒュー娼館の女将じゃないか?」

 周囲の声があっという間にアデリータに向く。押されたクラウゼは驚いたままアデリータを見上げていた。

「これはこれは、自ら尻尾を出してくれるとは。手間が省けた」

 ガリオンが剣を持ち直し、切っ先をアデリータに向けた。

「この女を連れて行け。たった今からヒュー娼館の人間は一人残らず捕縛しに行く! 抵抗する者は殺して構わん! 奴らは帝国を滅ぼす魔女だ!」

 号令と共に兵士だけではなく周囲の人々からも歓声が上がる。アデリータは乱暴に立たせられると、腕の中にあった遺体はごろりと地面に戻った。腕を後ろで縛られるとそのまま引き摺られるように連行されていく。地面に倒れた魔女の遺体は乱雑に包まれると荷台に乗せられた。ガリオンは向かおうとする先にいる者の姿を見て頬を歪ませた。

「ライナー、そこをどけ」

 ガリオンは馬上からライナーを見下ろしたまま、つま先でライナーの肩を小突いた。

「ヒュー娼館の者共を捕らえて魔女だと証明出来れば、今度はクラウゼ伯爵も捕らえる事になるだろうよ」
「もし捕らえた者達を魔女だと証明出来なければどうされるおつもりですか?」

 その時、ガリオンの眉がぴくりと上がった。

「魔女だと証明するのさ」

 ライナーが驚いた顔を楽しむかのように馬の足を早めていく。オーティスはライナーの横に行くと、こっそりと耳打ちをした。

「ヒュー娼館は大丈夫です。すでに逃げるように話をしてあります」
「ですがきっとすぐに捜査網が敷かれ捕まるのは時間の問題でしょう」
「あの、小公爵様……」

 声を掛けてきたのは、街の男達だった。気がつくとライナー達の周囲に十人程の人だかりができ、言いにくそうに頭から外した帽子を握り締めていた。

「先程は兵団の方々がおられてとても口に出来なかったのですが……」
「言ってみろ」
「実は私の妻が二日前に兵団に連行されまして、まだ戻らないのです」
「うちは妻と娘です」
「うちも娘が連れて行かれたままなんですッ! もしや拷問などされていないですよね? うちの娘は魔女である訳がないんです!」

 一人が声を上げれば次々悲痛が声が上がっていく。

「妻は魔女じゃないんだからすぐに誤解が解けて戻ってくると思っていたんです。私はもう、心配で心配で……」

 夫は涙声にそう言いながら目元を擦った。ライナー自身、兵団がどのように魔女だと証明しようとしているのかは分からない。それでもいい方法でない事は安易に想像が出来る。安心させる為の言葉ならいくらでもある。それでもそれを伝えた所でこの者達の妻や娘が戻ってくる訳ではない。その瞬間、少し離れた所から大きな火花が上がった。

「なんだあれは……」
「ヒュー娼館の方だ」

 バラードはそのまま勢いよく走り出していく。ライナー達もその後を追って走り出した。
 ヒュー娼館は赤い火柱を上げて燃えていた。
 周囲には兵団の兵士が数名残っているだけ。その手には剣を持っている。

「こんな事までするのか」

 しかし命令したであろうガリオンの姿はもうどこにもなかった。

「バラード、これからお前はどうするんだ?」
「デルマの所に行くさ」
「今動くのは危険だぞ」
「今探さなくてはきっともう二度と会えない気がするんだ」
「……気をつけろよ」

 気迫に満ちたバラードを止める事が出来ず、ライナーはその背を見送った。

「もう少しだけウィノラをお願い出来ますか? 出来ればヒューの事は耳に入らないように配慮して下さると助かります。この事は私の口からウィノラに話をしますから」
「分かりました。ですが黙っていればウィノラは騙されていたと思うかもしれません」
「そうかもしれませんね。でも後で罵られようともウィノラが一番大切なんです。母も弟もウィノラを受け入れる準備は出来ています」
「オーティス殿下はウィノラを娶るおつもりですか?」
「娶る? まさか」
「それなら愛妾ですか? 受け入れる準備をしていると言っておいて、それではあまりにウィノラが不憫ではありませんか?」
「待って下さい! ここでは目立ち過ぎます。一旦離れて……」
「結構です。準備が整ったら連絡を下さい。それまではしっかりウィノラを守りますから」

 苛立ちを隠さずにライナーは燃え盛るヒュー娼館を背にして離れて行った。
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