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9.命の天秤
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三年後
「ウィノラさん? 起きていらっしゃいますか?」
控えめに叩かれた扉の向こうへ入室の許可をすると、扉は遠慮がちに開かれた。今まさに眠りにつこうと灯りを消す所だったが、ウィノラはなんでもない事のように後輩娼婦を室内に招き入れた。
入って来たのは数ヶ月前に館にに来たばかりの新人で名をロラと言う。ロラはとても気が弱く、先日も流されるままに客と関係を持ってしまい、以降その客がロラを追い回していると護衛達がピリピリしていた。しかしロラ自身が嫌がった素振りを見せていないからと、護衛は引き離すに引き離せないとぼやいていた。
ガウンを引き寄せて椅子に座らせると、腿の上で組まれた指は僅かに震えているのが視界に入った。
「まさかお客に何かされたの?」
「違います! あの、そうじゃなくて……」
ロラは言いにくそうに視線を彷徨わせていたが、ようやく意思を固めたのか細い指先をキュッと握ると顔を上げた。
「誰にも言わないと約束してくれますか?」
「内容によるね。もし何か危険な事なら女将に話すと思うわ」
するとロラは悲しそうに目を伏せてしまった。思わずその手に手を重ねる。そして気づかれない程度に癒やしの力を注いだ。ロラの顔色は酷いものだった。元々色白の肌は血の気がほとんど感じられず、おっとりとした目元もどこか虚ろで、睡眠不足なのか目の下には隈が出来ている。それでも毎日仕事には行っているのだから心配せずにはいられなかった。
「まずは話してみて。どうしたらいいか分からないからここへ来たんでしょ?」
「……わ、私、好きな人が出来てしまって」
「好きな人? ヒューの人間? それとも街の人?」
するとロラはフルフルと首を振った。
「好きな人っていうのは、その、お客さんなんです」
ウィノラは一瞬何を言われているのか分からなかった。
ロラが最近相手にした客といえば、流されて関係を持ってしまったという客以外知らない。相手は男爵位を持つ地方貴族で、帝都へはたまたま来ていたという男性。年は確かロラよりも一回り以上、上じゃなかったか。考え込んでしまうとロラは無言に耐えきれなくなったのか、ポロポロと涙を流し始めてしまった。
「誤解しないで! 大丈夫だからほらほら、話を続けて」
「男爵様はとても良いお方なんです。皆は男爵様が私に執着していると言いますがそんな事はないんです。ただもう領地に帰らなくてはならないから焦っておいでなだけで」
「焦るって、ロラと会えなくなるから?」
ロラは指先で鼻を押さえながら何度も頷いていた。
「男爵様の領地は帝都からとても離れているようで、どちらかというとエミル王国に近いようなんです。一度戻ると次に来るのはもういつか分からないと。だから、その、一緒に行かないかって……」
その瞬間ウィノラは立ち上がっていた。
「まさか領地に行く気なの?」
「お受けしたいと思っています。でもどう皆に話したらいいのか分からなくて……」
ウィノラは全身から力が抜けて再びソファに座り込んだ。ロラはもっと大人しい人だと思っていた。しかし一人で男爵の領地に行くと決めたという事は、意外と意思が強いのかもしれない。そしてなぜウィノラにこんな話をしてきたのかもなんとなく想像が付いてきていた。
「もしかしてここをこっそり抜けるつもりなのね?」
自分で言っても寒気がする。ヒュー娼館はここに住む者にとっては故郷であり家であり、家族がいる大事な場所のはず。それなのにたった数日、それも数回しか会った事のない男に惚れてその大事な全てを捨てようとしているロラにウィノラは慰めたいのか諌めたいのか、もしくは怒りたいのかもう分からなくなっていた。
「ウィノラさんは自由に外出出来ますよね? その外出に同行させて頂きたいんです。皆さんには私が勝手にはぐれたと言って下さればご迷惑はお掛けしません!」
思わず強い口調になりそうなのをぐっと堪える。
「そんな事をすればここの皆はロラが見つかるまできっと捜索するわよ」
「私どうしても彼と一緒に行きたいんです!」
今度は手をがっちりと掴まれ、身動きの取れない状況に待ってしまう。
「とにかく連れて行けない。その男爵様の素性も分からないし、何より私達がバラバラに暮らすのはよくないもの。きっと女将も許しはしないわ」
「それは私達が魔女だからですか? そもそも魔女って一体何なんですか? 私は愛し愛されて普通に暮らしたいだけなのに。母が亡くなってここに連れて来られた事には感謝していますが、でも私、女としても幸せも諦めたくはないんです!」
「まさかその男爵様にここの秘密を話してはいないでしょうね?」
「もちろんそんな事はしていません。でもあの御方ならきっと分かってくれると思っています」
「帝国の外なら或いはそれも出来たかもしれないけれど、相手はこの国の貴族なのよ。正体を知ったらどうなるか分からないわ。それに男爵様は確か年が離れていたみたいだけど、奥様はいるんだよね?」
その瞬間、ロラは唇を深く噛み締めた。
「……今は別居中のようです」
言葉にならない想いが思わず溜息となって漏れ出てしまう。その瞬間、ロラはとても傷ついたような顔をして部屋を飛び出してしまった。
「はぁ~~。怪し過ぎるのよ、その男爵様」
ウィノラは溜息を吐きながら、ロラを追う為に部屋を出た。
「オーティス殿下、少しお休みになられてはいかがでしょうか」
ローザは二日間まともな睡眠を取らずに第六皇子のエデルに付き添っているオーティスを促すように言葉を掛けた。エデルは生まれた時から身体が弱かった。もともとは母親であるリナの身体が丈夫でなかったというのもある。三年前に奇跡的に回復はしたものの、エデルの体調不良の度にリナは心を砕いていた為に、今では心労が重なりベッドで過ごす事も多くなっていた。
「問題ない。それよりもあの医者が持ってきた薬を飲んで半日以上経つが、一行に熱が下る気配がないんだ。本当に効く薬だったかもう一度聞いてきてくれ」
ずっと寝ていないとは思えない表情でオーティスはエデルの額にそっと触れた。
「エデル殿下は昔から薬を常用しているので効きにくくなっているのかもしれません。もう少し様子を見ましょう」
「ここまでの高熱を出し続けて、小さい身体が耐えられると思うか?」
「ですが今はどうしようもありません」
「いい機会だからずっと聞きたかった事を質問させてもらうが、三年前に死の淵から母上が助かったのは薬のおかげか?」
ローザはハッとして顔を上げた。真っ直ぐに紫がかった深い色の瞳がローザを捉えている。目を逸らす事もごまかす事も出来なかった。
「言い方を変えよう。母上を助けた者は誰だ。あの後私なりに調べてみたが、あの日はエミル王国の者達が来ていて大規模な舞踏会が開かれていたから人の流れが以上だった。それを狙ったんじゃないのか?」
「それは……」
「別にそれでお前を罰しようというんじゃない。ただ優秀な医者か薬師を知っているなら連れて来て欲しいんだ」
「出来ません! もう二度とあの御方に頼む事は出来ません。どうかお忘れ下さい」
「どういう意味だ? そんなに危険な相手なのか?」
ローザは答えずにただ黙り続けた。
「ならば母上に聞いてくるぞ。母上もその者に会っているだろう? 何か覚えていらっしゃるかもしれない」
「なりません! リナ様にだけは絶対に聞かないで下さい、お願いしますオーティス殿下!」
オーティスは表情を曇らせると、椅子から立ち上がった。
「夜まで待つ。それでもエデルの容態が変わらなかったら母上にお伺いする。もし母上に聞かれたくなかったらお前が話すんだ」
「オーティス殿下! どうかそれだけはご勘弁下さい」
「駄目だ! もし話さなければお前は皇族をみすみす見殺しにしたという事になるぞ。……少しだけ休むからよく考えろ」
オーティスは仮眠も取らずに医学書を読み込んでいた。部屋の中には国内外から取り寄せた薬草や医術、医学に関わるありとあらゆる専門書が散乱している。しかしバタンと大きな音を立てて本を閉じると、分厚い専門書をソファに投げた。
「何度読んでも仕方ないか」
そろそろエデルの容態を見に行こうと、上着を掴んだ所で扉が叩かれた。
「オーティス殿下、ローザです」
エデルに何かあったのかと扉を開けると、ローザは真っ青な顔で立っていた。オーティスはローザを部屋の中に招き入れるとソファへと促した。
「お前を追い詰める為にああ言った訳じゃない。それでもエデルには必要な事だったんだと理解して欲しい」
「本来なら話して良い内容ではありません。墓場まで持って行こうと思っていた事でございます」
話し始めたローザの声は震えていたが、もう意思を固めているようにも見えた。
「三年前にリナ様を癒やしたのは、魔女でございます」
オーティスは言葉を失ったまま立ち尽くした。
きっとそう簡単には会えない者だとは思っていた。隠居している偏屈な年寄りの薬師か、帝国に医者の許可を取っていない闇医者の類いか、それとも犯罪者か。広い帝都には裕福な者もいればもちろんそうでない者もいる。裕福でない下層の国民を救えるならと、ちゃんとした医者じゃなくてもと黙認してきた部分もあった。しかしローザが明かした正体は、オーティスが予想していた者達のどれにも当てはまらない者だった。
「……魔女が帝都にいるのか?」
「はい、おります」
「お前は何故それを知っているんだ? 居場所も……」
「それは私が魔女だからです。ですが誓って皇族に害をなそうとは思っておりません」
「母上はご存知なのか?」
「はい。リナ様は身寄りのない私をお側に置いて下さり、分け隔てる事なく接して下さいました」
「魔女が帝都にいるなど知られれば大変な事になるぞ」
「ですから口を閉ざしておりました。ですがエデル殿下の命には変えられません」
「その魔女は今どこにいるんだ」
ローザは乾いて張り付く喉で短い言葉を発した。
「ヒュー娼館です」
「魔女は娼婦なのか?」
「三年前は違いました。でも今は分かりません。娼館は魔女達の生きる術の一つですから」
「もしやヒュー娼館は魔女達の巣窟なのか?」
そう言ってオーティスはとっさに口を塞いだ。ちらりと見たローザは相変わらず酷い表情をしている。それでも今のオーティスの言葉で曇ったという訳ではないようだった。
「ヒュー娼館は居場所を追われた魔女達が拠り所にする大切な場所でございます。どうされますか? 相手はこの国が忌み嫌う魔女達です。それでも治療を頼みますか?」
「だが私は皇族だ。魔女達にとっては最悪な相手だろう」
その瞬間、ローザは目を見開いた。
「魔女だとしても母上の命を救ってくれた事には感謝している。そしてエデルを救えるのなら私は魔女でも構わないと思っている」
「もし陛下や他の貴族の方々のお耳に入れば必ずや処罰されます」
「だがお前は三年前にそれを承知で魔女を連れて来たんだろう? しかも私にも話さなかった。何かあった時、自分一人で責任を取ろうとしたんだな」
「責任だなんてそんな大それた事ではございません。ただ魔女が関わっているというのは誰も知らない方が良い事だと思ったのです」
「母上はなんと?」
またローザの表情が曇る。そして小さく首を振った。
「きっとエデル様のご治療を望まれるはずです」
「……母上もエデルの為なら、例え魔女の力だったとしても頼ったはずだ」
ローザはまだ何か言いたそうだったが、口を閉ざしたきり動かなかった。
「私がヒュー娼館に行ってくる。私の方が万が一ヒュー娼館に行ったと知られても問題ないだろう。まさか誰も魔女に会いに来たとは思うまい」
「……それならば、今からお伝えする合言葉を裏門にいる門番に伝えて下さい」
「合言葉か。お前は本当に魔女なんだな」
「ウィノラさん? 起きていらっしゃいますか?」
控えめに叩かれた扉の向こうへ入室の許可をすると、扉は遠慮がちに開かれた。今まさに眠りにつこうと灯りを消す所だったが、ウィノラはなんでもない事のように後輩娼婦を室内に招き入れた。
入って来たのは数ヶ月前に館にに来たばかりの新人で名をロラと言う。ロラはとても気が弱く、先日も流されるままに客と関係を持ってしまい、以降その客がロラを追い回していると護衛達がピリピリしていた。しかしロラ自身が嫌がった素振りを見せていないからと、護衛は引き離すに引き離せないとぼやいていた。
ガウンを引き寄せて椅子に座らせると、腿の上で組まれた指は僅かに震えているのが視界に入った。
「まさかお客に何かされたの?」
「違います! あの、そうじゃなくて……」
ロラは言いにくそうに視線を彷徨わせていたが、ようやく意思を固めたのか細い指先をキュッと握ると顔を上げた。
「誰にも言わないと約束してくれますか?」
「内容によるね。もし何か危険な事なら女将に話すと思うわ」
するとロラは悲しそうに目を伏せてしまった。思わずその手に手を重ねる。そして気づかれない程度に癒やしの力を注いだ。ロラの顔色は酷いものだった。元々色白の肌は血の気がほとんど感じられず、おっとりとした目元もどこか虚ろで、睡眠不足なのか目の下には隈が出来ている。それでも毎日仕事には行っているのだから心配せずにはいられなかった。
「まずは話してみて。どうしたらいいか分からないからここへ来たんでしょ?」
「……わ、私、好きな人が出来てしまって」
「好きな人? ヒューの人間? それとも街の人?」
するとロラはフルフルと首を振った。
「好きな人っていうのは、その、お客さんなんです」
ウィノラは一瞬何を言われているのか分からなかった。
ロラが最近相手にした客といえば、流されて関係を持ってしまったという客以外知らない。相手は男爵位を持つ地方貴族で、帝都へはたまたま来ていたという男性。年は確かロラよりも一回り以上、上じゃなかったか。考え込んでしまうとロラは無言に耐えきれなくなったのか、ポロポロと涙を流し始めてしまった。
「誤解しないで! 大丈夫だからほらほら、話を続けて」
「男爵様はとても良いお方なんです。皆は男爵様が私に執着していると言いますがそんな事はないんです。ただもう領地に帰らなくてはならないから焦っておいでなだけで」
「焦るって、ロラと会えなくなるから?」
ロラは指先で鼻を押さえながら何度も頷いていた。
「男爵様の領地は帝都からとても離れているようで、どちらかというとエミル王国に近いようなんです。一度戻ると次に来るのはもういつか分からないと。だから、その、一緒に行かないかって……」
その瞬間ウィノラは立ち上がっていた。
「まさか領地に行く気なの?」
「お受けしたいと思っています。でもどう皆に話したらいいのか分からなくて……」
ウィノラは全身から力が抜けて再びソファに座り込んだ。ロラはもっと大人しい人だと思っていた。しかし一人で男爵の領地に行くと決めたという事は、意外と意思が強いのかもしれない。そしてなぜウィノラにこんな話をしてきたのかもなんとなく想像が付いてきていた。
「もしかしてここをこっそり抜けるつもりなのね?」
自分で言っても寒気がする。ヒュー娼館はここに住む者にとっては故郷であり家であり、家族がいる大事な場所のはず。それなのにたった数日、それも数回しか会った事のない男に惚れてその大事な全てを捨てようとしているロラにウィノラは慰めたいのか諌めたいのか、もしくは怒りたいのかもう分からなくなっていた。
「ウィノラさんは自由に外出出来ますよね? その外出に同行させて頂きたいんです。皆さんには私が勝手にはぐれたと言って下さればご迷惑はお掛けしません!」
思わず強い口調になりそうなのをぐっと堪える。
「そんな事をすればここの皆はロラが見つかるまできっと捜索するわよ」
「私どうしても彼と一緒に行きたいんです!」
今度は手をがっちりと掴まれ、身動きの取れない状況に待ってしまう。
「とにかく連れて行けない。その男爵様の素性も分からないし、何より私達がバラバラに暮らすのはよくないもの。きっと女将も許しはしないわ」
「それは私達が魔女だからですか? そもそも魔女って一体何なんですか? 私は愛し愛されて普通に暮らしたいだけなのに。母が亡くなってここに連れて来られた事には感謝していますが、でも私、女としても幸せも諦めたくはないんです!」
「まさかその男爵様にここの秘密を話してはいないでしょうね?」
「もちろんそんな事はしていません。でもあの御方ならきっと分かってくれると思っています」
「帝国の外なら或いはそれも出来たかもしれないけれど、相手はこの国の貴族なのよ。正体を知ったらどうなるか分からないわ。それに男爵様は確か年が離れていたみたいだけど、奥様はいるんだよね?」
その瞬間、ロラは唇を深く噛み締めた。
「……今は別居中のようです」
言葉にならない想いが思わず溜息となって漏れ出てしまう。その瞬間、ロラはとても傷ついたような顔をして部屋を飛び出してしまった。
「はぁ~~。怪し過ぎるのよ、その男爵様」
ウィノラは溜息を吐きながら、ロラを追う為に部屋を出た。
「オーティス殿下、少しお休みになられてはいかがでしょうか」
ローザは二日間まともな睡眠を取らずに第六皇子のエデルに付き添っているオーティスを促すように言葉を掛けた。エデルは生まれた時から身体が弱かった。もともとは母親であるリナの身体が丈夫でなかったというのもある。三年前に奇跡的に回復はしたものの、エデルの体調不良の度にリナは心を砕いていた為に、今では心労が重なりベッドで過ごす事も多くなっていた。
「問題ない。それよりもあの医者が持ってきた薬を飲んで半日以上経つが、一行に熱が下る気配がないんだ。本当に効く薬だったかもう一度聞いてきてくれ」
ずっと寝ていないとは思えない表情でオーティスはエデルの額にそっと触れた。
「エデル殿下は昔から薬を常用しているので効きにくくなっているのかもしれません。もう少し様子を見ましょう」
「ここまでの高熱を出し続けて、小さい身体が耐えられると思うか?」
「ですが今はどうしようもありません」
「いい機会だからずっと聞きたかった事を質問させてもらうが、三年前に死の淵から母上が助かったのは薬のおかげか?」
ローザはハッとして顔を上げた。真っ直ぐに紫がかった深い色の瞳がローザを捉えている。目を逸らす事もごまかす事も出来なかった。
「言い方を変えよう。母上を助けた者は誰だ。あの後私なりに調べてみたが、あの日はエミル王国の者達が来ていて大規模な舞踏会が開かれていたから人の流れが以上だった。それを狙ったんじゃないのか?」
「それは……」
「別にそれでお前を罰しようというんじゃない。ただ優秀な医者か薬師を知っているなら連れて来て欲しいんだ」
「出来ません! もう二度とあの御方に頼む事は出来ません。どうかお忘れ下さい」
「どういう意味だ? そんなに危険な相手なのか?」
ローザは答えずにただ黙り続けた。
「ならば母上に聞いてくるぞ。母上もその者に会っているだろう? 何か覚えていらっしゃるかもしれない」
「なりません! リナ様にだけは絶対に聞かないで下さい、お願いしますオーティス殿下!」
オーティスは表情を曇らせると、椅子から立ち上がった。
「夜まで待つ。それでもエデルの容態が変わらなかったら母上にお伺いする。もし母上に聞かれたくなかったらお前が話すんだ」
「オーティス殿下! どうかそれだけはご勘弁下さい」
「駄目だ! もし話さなければお前は皇族をみすみす見殺しにしたという事になるぞ。……少しだけ休むからよく考えろ」
オーティスは仮眠も取らずに医学書を読み込んでいた。部屋の中には国内外から取り寄せた薬草や医術、医学に関わるありとあらゆる専門書が散乱している。しかしバタンと大きな音を立てて本を閉じると、分厚い専門書をソファに投げた。
「何度読んでも仕方ないか」
そろそろエデルの容態を見に行こうと、上着を掴んだ所で扉が叩かれた。
「オーティス殿下、ローザです」
エデルに何かあったのかと扉を開けると、ローザは真っ青な顔で立っていた。オーティスはローザを部屋の中に招き入れるとソファへと促した。
「お前を追い詰める為にああ言った訳じゃない。それでもエデルには必要な事だったんだと理解して欲しい」
「本来なら話して良い内容ではありません。墓場まで持って行こうと思っていた事でございます」
話し始めたローザの声は震えていたが、もう意思を固めているようにも見えた。
「三年前にリナ様を癒やしたのは、魔女でございます」
オーティスは言葉を失ったまま立ち尽くした。
きっとそう簡単には会えない者だとは思っていた。隠居している偏屈な年寄りの薬師か、帝国に医者の許可を取っていない闇医者の類いか、それとも犯罪者か。広い帝都には裕福な者もいればもちろんそうでない者もいる。裕福でない下層の国民を救えるならと、ちゃんとした医者じゃなくてもと黙認してきた部分もあった。しかしローザが明かした正体は、オーティスが予想していた者達のどれにも当てはまらない者だった。
「……魔女が帝都にいるのか?」
「はい、おります」
「お前は何故それを知っているんだ? 居場所も……」
「それは私が魔女だからです。ですが誓って皇族に害をなそうとは思っておりません」
「母上はご存知なのか?」
「はい。リナ様は身寄りのない私をお側に置いて下さり、分け隔てる事なく接して下さいました」
「魔女が帝都にいるなど知られれば大変な事になるぞ」
「ですから口を閉ざしておりました。ですがエデル殿下の命には変えられません」
「その魔女は今どこにいるんだ」
ローザは乾いて張り付く喉で短い言葉を発した。
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「魔女は娼婦なのか?」
「三年前は違いました。でも今は分かりません。娼館は魔女達の生きる術の一つですから」
「もしやヒュー娼館は魔女達の巣窟なのか?」
そう言ってオーティスはとっさに口を塞いだ。ちらりと見たローザは相変わらず酷い表情をしている。それでも今のオーティスの言葉で曇ったという訳ではないようだった。
「ヒュー娼館は居場所を追われた魔女達が拠り所にする大切な場所でございます。どうされますか? 相手はこの国が忌み嫌う魔女達です。それでも治療を頼みますか?」
「だが私は皇族だ。魔女達にとっては最悪な相手だろう」
その瞬間、ローザは目を見開いた。
「魔女だとしても母上の命を救ってくれた事には感謝している。そしてエデルを救えるのなら私は魔女でも構わないと思っている」
「もし陛下や他の貴族の方々のお耳に入れば必ずや処罰されます」
「だがお前は三年前にそれを承知で魔女を連れて来たんだろう? しかも私にも話さなかった。何かあった時、自分一人で責任を取ろうとしたんだな」
「責任だなんてそんな大それた事ではございません。ただ魔女が関わっているというのは誰も知らない方が良い事だと思ったのです」
「母上はなんと?」
またローザの表情が曇る。そして小さく首を振った。
「きっとエデル様のご治療を望まれるはずです」
「……母上もエデルの為なら、例え魔女の力だったとしても頼ったはずだ」
ローザはまだ何か言いたそうだったが、口を閉ざしたきり動かなかった。
「私がヒュー娼館に行ってくる。私の方が万が一ヒュー娼館に行ったと知られても問題ないだろう。まさか誰も魔女に会いに来たとは思うまい」
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