妹が子供を産んで消えました

山田ランチ

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8 婚約解消

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「こら! 待ちなさい! エミリー!」

 浴室を出てそのまま部屋の中を走り出すエミリーを、タオルを持って追いかけたレティシアはとうとうベッドの前で捕獲するとそのままタオルの中にすっぽりと収めた。キャッキャという笑い声を上げながら捕まったエミリーは、それでも腕の中から逃れようとして暴れる。レティシアは交代するというアンナを断って自らエミリーの髪を梳くためにソファの上で抱きかかえた。

「さあもう降参なさい。風邪を引いてしまうわよ」

 エミリーは腕の中でコロコロと動きながらじっとしていてくれない。その時、くちゅんという可愛らしいくしゃみが聞こえた。

「湯冷めしてしまったのね、大変! 今すぐ温かいミルクを貰ってきましょう」
「お嬢様私が行って参ります」
「いいのよ。アンナはエミリーを見張っていて頂戴。すぐに逃げだそうとするんだから」
「みるくッ、みるくッ。甘くしてね」

 楽しげに歌いながらアンナに髪を拭いてもらうご満悦なエミリーを見ながら、レティシアは水場の方へと向かった。玄関を開けて掃き掃除をしている使用人が何やら固まっている。その前を通り過ぎた時、呼び止められた声にレティシアの身体は硬直してしまった。

「レティシア!」

 恐る恐る玄関の方を見ると、そこには感極まったように立ち尽くすユリウスの姿があった。

「ユリウス、どうして……」

 ユリウスは使用人を押し退けると、駆け寄ってくる。レティシアも思わず手を伸ばしかけた時だった。

「おかあさまッ」

 上から声がする。とっさに振り向くと、エミリーが手すりを掴みながら階段を降りて来たところだった。まだおぼつかない足取りに肝が冷えすぐに階段に向かうと、エミリーの後を追っていたアンナは困ったように笑っていた。

「お母様のお姿が見えないと出てきてしまったので……」

 そういう言いながら顔を上げたアンナは玄関で立ち尽くしているユリウスに気がついたようだった。

「おかあさまどこにいくの?」

 エミリーを抱き上げたレティシアは、後ろを振り返る事が出来ずに立ち尽くした。

「お母様?」

 ユリウスの声にぎくりと身体が震える。深呼吸をすると、ゆっくりと振り返った。

「レティシア、その子は? 親類の子かい?」
「おかあさま、これだれ?」

 ユリウスの顔が見られない。小さな手がレティシアの頬に触れた。

「レティシア、その子は……」
「私の子です」

 アンナが後ろで小さな悲鳴を上げた音以外、誰も言葉を発しなかった。ちらりとユリウスを見ると、ユリウスは無表情のままレティシアとエミリーを見ていた。

「くちゅんッ」

 エミリーが本日二回目のくしゃみをする。レティシアはアンナにエミリーを渡した。

「私の帰りをカウチで寝て待っていたみたいだから風邪を引いたのかもしれないわ。温かい飲み物をお願い。それとお医者様が来たらロイの後でいいから診察してもらって頂戴ね」
「かしこまりました。あの、お嬢様……」
「少しユリウスと話をしてくるわ」




 ユリウスと共に庭へ向かう間、互いに一言も話さなかった。使用人達は気を利かせて離れていく。するとユリウスは後ろから抱き締めてきた。

「会いたかった。陛下から色々言われたみたいだけれど、何も心配する必要はないからね。ちゃんと話をつけるから、それまで待っていて欲しいんだ」

 レティシアはユリウスの腕にそっと触れると、抱きしめてくる腕を解いた。

「さっきの子供の事は聞かないの?」
「聞くも何も使用人か誰かの子だろ?」
「いいえユリウス。あの子は私の子よ」

 するとユリウスは困ったように笑った。

「悪かったよ。破談になるかもしれないからと怒っているんだろう? 俺も知らなかったんだ。まさか留学している間に別の婚約者を探されていたなんて。でも大丈夫だよ。サンチェス家との結婚が我が家にとって最良のものであるとちゃんと説明してみせるよ。レティシア以外と結婚する気はないと父上にもそう話してあるんだ」
「ユリウス、あの子は私の子なのよ。こんな私と結婚するよりも、他の方と結婚した方があなたの為になるわ」

 すると、ユリウスの表情がみるみる内に強張っていくのが分かった。

「だって、あの子は何歳だ?」
「二歳よ」
「二歳って、ありえないよ。絶対にありえない!」
「出産前にここに来たんだもの。あなたは私のお腹が大きいところを見ていないわ」
「だって会いに来たじゃないか。ここで君と会っただろ!」

 レティシアは震える唇で答えた。

「あの数日前に出産は終えていたの」
「それじゃあミランダの療養というのは、嘘?」
「ミランダは元気そうだったでしょ?」
「……それじゃあ王都にいた頃から俺を……俺を裏切っていたのか?」

 胸が抉られるように痛む。

「いつから、なんだ」

 今すぐに逃げ出してしまいたい衝動をぐっと堪えた。答えられない。ユリウスはただ傷ついた顔をして、黙った。

「ユリウス……」

 伸ばしかけた手と同時にユリウスが身を引く。ユリウスも自分自身で驚いているようだった。

「陛下のご進言通りに新しいお方と結婚した方がいいわ。ごめんなさいユリウス。こんな形で傷つけてしまって、本当にごめんなさい」
「意味が分からない。父親は誰だ? なんでそうなったんだ? 俺達は順調だっただろう!」

 レティシアを問いただしているというよりも、過去を遡っているように見えるその姿はあまりにも痛々しかった。

「私達がこうして会っている事さえ本当は許されないのよ」
「父親は? この地にいるから領地に引きこもっているのか?」
「父親はいないわ」
「いない? 何故!」

 びくりとして肩を震わせると、ユリウスも自分で自分の声に驚いたようだった。

「レティシアお嬢様?」

 庭の先からアレッサが出てくる。レティシアはとっさに走り出していた。

「待って! レティシア!」

 しかしその前にアレッサが立ち塞がる。ぎろりと睨み付けてくるユリウスにも物怖じせず、アレッサは門の方を指差した。

「お帰りはあちらです。今後一切、勝手に屋敷に足を踏み入れないようお願い致します」
「私に意見する気か? 婚約破棄の理由があの子供なら、サンチェス家側の重大な過失だろう。どう責任を取るつもりか当主に聞かなくてな」
「全て含めて今後のやり取りは旦那様とお願い致します。二度とこの地にはお越しになりませんように」

 ユリウスが門を出て行くところを窓の上から見ていたレティシアは、カーテンを引いて蹲った。
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