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6 廃れた町
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夜に差し掛かった突然の訪問に、町の人々は怪訝そうな顔をしながら馬車の周りに集まってきた。
町というよりは村という方が近いかも知れない。よそ者を受け入れず拒絶を隠そうともしない様子から、この辺りはほとんど旅人が通らないのだろうと思えた。
すぐにロジェがロイを抱き抱えて降ろすと集まった人々を見渡した。
「医者はいないか? 怪我人なんだ!」
しかし閉鎖的な町では誰も自ら厄介事を関わろうとはしない。遠巻きに野次馬が集まるだけで、医者が名乗り出る事も、医者を連れてくる気配もなかった。ロジェは苛立ちを顕にしながら更に叫んだ。
「医者はいないのか? 頼む、弟を助けてくれ!」
「もう死んでいるんじゃないか? 凄い血だぞ」
「死んでない! 適当な事を言うな!」
ロジェが足を踏み込むと腰の剣が揺れた。それを見た町の人々は小さな悲鳴を上げて後ろに下がった。
レティシアはロジェの腕に触れるとそっと後ろに下がらせた。
「怖がらせるつもりはありません。仲間の治療をして下さったらすぐにここを出て行きます。お礼も致しますのでなんとか診ていただけませんか?」
「お礼ってなんだい? どこぞの令嬢に見えるが、ここじゃ金や宝石なんかなんの価値もないからな」
野次馬の中の男がそういうと、周りも次々にそう言い出した。
「食料はあるのかよ!」
レティシアは暗くなり始めた中でぐるりと辺りを見渡した。家はまばらに並び、畑も家畜小屋も小さなもの。第一印象はただただ静かな、閉鎖された地だった。
おそらくこれから寒くなる季節に向かい、食料も暖を取る燃料も、薬も何もかもが足りていないのだろう。ここは領地と王都を繋ぐ本来の道ではない。迂回する為に選んだ普段は通らない場所。という事は他の者達も同じで、ほとんど人の流れはないのだろう。本来通るはずだった道には宿屋や飲食店、それ以外にも人の行き交う場所らしく色々な店が並んで活気ある町が形成されている。レティシアは細く息を吐くと、真っ直ぐに前を見据えた。
「今の私達は盗賊に襲われてあなた方にお渡しするような食べ物はありません。でも必ずあなた方が望む物をお渡しすると約束します」
「俺達が望むものだと? そんな事お嬢ちゃんに分かるのか? いい加減な事言いやがって」
「ここを通って王都に向かう為の道を整備するのはどうでしょう? もし仕事が必要ならその工事に雇い入れますし、働く者達の拠点としてこの町に宿屋や食堂を作ってはいかがでしょうか? もちろんあなた達が切り盛りして構いません。人の流れを作れば仕事が出来て、お金を稼ぐ事も出来るようになるでしょう。それにあの峠……」
誰ともなくびくりと身体を震わせる。それだけで、あの峠がこの者達の不安の一つであるという事もよく分かった。
「あの峠を盗賊の現れない拓けた場所にしましょう。私達もあの峠の惨状は今日身を持って体験しましたからよく分かります」
「そう簡単にいうけどな。峠の盗賊を一掃したり、道を整備したり、あんたみたいな小娘に出来る訳がないだろ!」
「必ず果たすと約束します。ですがまずはこの者の手当てが先です」
「証明してくれないとそれは出来ないね!」
レティシアは証明になる物を考え、そして一歩前に出た。
「私はレティシア・サンチェス。このサンチェス領の領主の娘です」
周囲は一気にどよめき出す。
「……サンチェスは確かに領主様のお名前だ。いやいや! でも名前くらいなんとでも言えるじゃないか!」
「貴族の名を名乗る責任はその一族全てに及びます。もし私が約束を違えれば、一族はそれ相応の罰を受けるでしょう」
男達はこそこそと幾つか言葉を交わしてから、僅かに身体を横にずらした。
「こっちだ。医者の所に案内するよ。いいか? 妙な真似をすればすぐに捕らえるからな!」
レティシア達は頷くと、男の後を付いて行った。
案内されたのは町外れの小さな家だった。
「ばあちゃん起きてるか? 患者だぞ」
男はぶっきらぼうにドアを開けると、中には老女が何やら作業をしている所だった。部屋の中には薬草の匂いが充満している。男は鼻を摘みながら部屋の中を顎で指し、自らはそのまま出て行ってしまった。
「頭を打っているみたいなんだ。助けてくれ!」
ロジェはロイを老女の前に差し出すと、老女は何も言わずに絨毯の敷かれた床を指した。
老婆の処置は手早いものだった。家の壁に備えてある棚には幾つもの引き出しがついている。全て同じように見えるその引き出しを幾つか引くと、ロイの頭に巻かれた物を丁寧に外した。
「ああ、この血はこめかみ辺りと耳を切っているようだね。だが頭の中は見えないからなんとも言えないね。気がつくまで待つしかないよ」
老婆はどろりとした緑色の液体を生成り色の生地に塗ると、そっと切れている耳を押さえながら包帯を巻いていく。その後は折れている場所はないか、打ち身はないかを丁寧に確認していき、治療は終わった。
「これで助かったとはまだ言えないけれど、取り敢えず出来る事はしたさ」
老女は一息ついて顔を上げた時だった。
「あんた……」
レティシアは訳が分からず老女を見下ろすと、老女ははっとして顔を逸らしてきた。
「どこかでお会いしました?」
「いや、人違いだよ。忘れておくれ」
「治療のお礼なのですが……」
「金はいらないよ! 大した事はしていないんだ。それにこう見えて暮らしに困ってはいないからね」
「ですがそれでは……」
「いらないったら!」
老女は立ち上がると奥の部屋に閉じ籠もってしまった。
「何なのでしょう、あの態度は」
アンナは怪訝そうに閉められたドアを見ながら首を傾げた。
「取り敢えずここはあのお医者に任せて私達は町へ戻りましょう。出来れば食事をさせてもらえると良いんだけれど」
部屋を出ていこうとするとロジェは一人、ロイのそばに座り込んだ。
「兄さん? 行かないの?」
「こんな状態のロイを置いて行ける訳ないだろ。俺がそばにいるからお前達だけで行って来い。くれぐれも気を付けろよ」
「それじゃあ何か食べ物を貰ってくるわ」
ロジェはじっとロイの顔を見つめたまま、返事はしなかった。
町の中はやはり静まり返っていた。もう夜も更けどの家も暗くなっている。レティシア達は立ち尽くしながら一つの家の扉を叩いてみた。しかし反応はない。仕方なく馬車に何か残っていないか確かめる為に踵を返した時だった。
町の出口で医者の所へと案内をしてくれた男が立っていた。
「あんたが本当に領主の娘なら、なんでわざわざこの地を選んだりしたんだ?」
レティシアは言われている意味が分からず言葉を返せないでいると、男は苛立ったように更に力を強めた。
「まさか知らないのか?」
「悪いけれどあなたが何を言いたいのか分からないわ」
しかし舌打ちが返ってくるだけで、その後の返事はなかった。
「何か食べ物を分けてくれると助かるのだけれど」
「あんた達にやる食い物はないね! さっさと出ていってくれ」
しかし翌日もロイが目覚める事はなく、レティシア達はこの町に留まるしかなかった。
町に滞在して二日目。レティシア達は結局医者の家で厄介になるしかなく、狭い家でのひしめき合いながらいつロイが目覚めるかと気が気でない思いに疲労が蓄積され始めていた。
「いずれ旦那様もまだ領地についていない事に気づかれるでしょうが、きっとまだまだ先ですよね。早く帰りたいです」
アンナが呟く言葉になんとなく相槌をしていると、ロジェはごそごそと出発の準備を始めた。
「何をしているの? ロジェ?」
「もう屋敷に向かいましょう。弟の為にありがとうございました。もうロイは置いていきます」
「兄さん何を言っているのよ! ロイを置いていくだなんてそんなの出来る訳ない!」
「いつ意識が戻るかもしれないロイの為に、いつまでもお嬢様をこんな所に置いておく訳にはいかないだろ! ロイは後で俺が迎えに来るから大丈夫だ。きっとその頃には目を覚ましているさ」
「駄目よ。絶対に置いていけない!」
「フラン言う事を聞け! 医者に見せる事が出来たんだ。お嬢様に感謝して今は一刻も早く屋敷にお嬢様をお届けするんだ」
涙を堪えてぐっと唇を噛み締めたフランを見て、レティシアはロイの元に膝を着いた。
「顔色が随分良くなっているわ。あと一晩様子を見ましょう。それでもまだ意識が戻らなければ、馬車に乗せて一緒に連れていきます」
「ですが、ご迷惑では……」
「何言っているのよ。ここまで待っていたのに迷惑だなんてあるわけないわ」
ロジェはそのまま俯いてしまった。その側にフランが寄りかかる。レティシアは堪らずに家を出て行った。
頭の中には二年前に失踪したミランダの事が蘇っていた。あれからどこで何をしているのか、そもそも生きているのかさえ分からない状況の中で、あのような兄弟の姿を見るのは辛いものがある。どうしてもロイを助けたい。それと同時に領地の屋敷に早く帰らなくてはという思いにも駈られていた。
結局、翌朝になってもロイが目覚める事はなかった。
領地まではあと一日はかかる。馬車の中で出来るだけロイを横にならせる為に、医者から譲り受けた木材と藁を敷き詰め、その上に荷物と毛布を敷いた。少し凹みはするが真っ直ぐに寝かせる事が出来た。アンナはロジェと共に御者台に座り、レティシアとフランでロイを看病する事になった。アンナはむしろその方が酔わなくていいと言い、意気揚々と御者台に登っていった。
医者が用意してくれた替えの薬と包帯を受け取ると、レティシアは医者の手を握り締めた。
「ありがとう助かったわ。このお礼は必ずしに戻って来るわね」
医者は俯きながら銀貨を三枚寄越してくれた。
「これは?」
「過剰分だよ。前は貰い過ぎたと思っていたから。それでも引っ越しやなにやらで金を使ってしまったからあまり残っていないくてね。ここに住む代わりに金も払い続けなくちゃいけないし。悪いね」
「もしかして、あなた……」
しかし医者はシっと口に手を当てた。
「絶対に口外しない、そう言われたんだよ。だから何も言わないでおくれ」
「もしかしてこの町に移り住んだのは、あの事が原因なの?」
医者は否定も肯定もしなかった。ただそれ以上話す気はないという意思表示のように背中を向けると、町から少し離れた家へと戻って行ってしまった。
静かに馬車のドアを締めて小窓を叩くと出発の合図に馬はゆっくりと動き始める。その時、窓に並走するようにして、医者の所へ送ってくれた男性が走っていた。
「おい! あんたがもし本当に領主の娘なら必ず最初に言った事を実現してくれよ! そうじゃないと俺達はいつかひっそりと滅んじまう!」
レティシアは何度も頷くと、離れていく男の姿を見つめた。
町というよりは村という方が近いかも知れない。よそ者を受け入れず拒絶を隠そうともしない様子から、この辺りはほとんど旅人が通らないのだろうと思えた。
すぐにロジェがロイを抱き抱えて降ろすと集まった人々を見渡した。
「医者はいないか? 怪我人なんだ!」
しかし閉鎖的な町では誰も自ら厄介事を関わろうとはしない。遠巻きに野次馬が集まるだけで、医者が名乗り出る事も、医者を連れてくる気配もなかった。ロジェは苛立ちを顕にしながら更に叫んだ。
「医者はいないのか? 頼む、弟を助けてくれ!」
「もう死んでいるんじゃないか? 凄い血だぞ」
「死んでない! 適当な事を言うな!」
ロジェが足を踏み込むと腰の剣が揺れた。それを見た町の人々は小さな悲鳴を上げて後ろに下がった。
レティシアはロジェの腕に触れるとそっと後ろに下がらせた。
「怖がらせるつもりはありません。仲間の治療をして下さったらすぐにここを出て行きます。お礼も致しますのでなんとか診ていただけませんか?」
「お礼ってなんだい? どこぞの令嬢に見えるが、ここじゃ金や宝石なんかなんの価値もないからな」
野次馬の中の男がそういうと、周りも次々にそう言い出した。
「食料はあるのかよ!」
レティシアは暗くなり始めた中でぐるりと辺りを見渡した。家はまばらに並び、畑も家畜小屋も小さなもの。第一印象はただただ静かな、閉鎖された地だった。
おそらくこれから寒くなる季節に向かい、食料も暖を取る燃料も、薬も何もかもが足りていないのだろう。ここは領地と王都を繋ぐ本来の道ではない。迂回する為に選んだ普段は通らない場所。という事は他の者達も同じで、ほとんど人の流れはないのだろう。本来通るはずだった道には宿屋や飲食店、それ以外にも人の行き交う場所らしく色々な店が並んで活気ある町が形成されている。レティシアは細く息を吐くと、真っ直ぐに前を見据えた。
「今の私達は盗賊に襲われてあなた方にお渡しするような食べ物はありません。でも必ずあなた方が望む物をお渡しすると約束します」
「俺達が望むものだと? そんな事お嬢ちゃんに分かるのか? いい加減な事言いやがって」
「ここを通って王都に向かう為の道を整備するのはどうでしょう? もし仕事が必要ならその工事に雇い入れますし、働く者達の拠点としてこの町に宿屋や食堂を作ってはいかがでしょうか? もちろんあなた達が切り盛りして構いません。人の流れを作れば仕事が出来て、お金を稼ぐ事も出来るようになるでしょう。それにあの峠……」
誰ともなくびくりと身体を震わせる。それだけで、あの峠がこの者達の不安の一つであるという事もよく分かった。
「あの峠を盗賊の現れない拓けた場所にしましょう。私達もあの峠の惨状は今日身を持って体験しましたからよく分かります」
「そう簡単にいうけどな。峠の盗賊を一掃したり、道を整備したり、あんたみたいな小娘に出来る訳がないだろ!」
「必ず果たすと約束します。ですがまずはこの者の手当てが先です」
「証明してくれないとそれは出来ないね!」
レティシアは証明になる物を考え、そして一歩前に出た。
「私はレティシア・サンチェス。このサンチェス領の領主の娘です」
周囲は一気にどよめき出す。
「……サンチェスは確かに領主様のお名前だ。いやいや! でも名前くらいなんとでも言えるじゃないか!」
「貴族の名を名乗る責任はその一族全てに及びます。もし私が約束を違えれば、一族はそれ相応の罰を受けるでしょう」
男達はこそこそと幾つか言葉を交わしてから、僅かに身体を横にずらした。
「こっちだ。医者の所に案内するよ。いいか? 妙な真似をすればすぐに捕らえるからな!」
レティシア達は頷くと、男の後を付いて行った。
案内されたのは町外れの小さな家だった。
「ばあちゃん起きてるか? 患者だぞ」
男はぶっきらぼうにドアを開けると、中には老女が何やら作業をしている所だった。部屋の中には薬草の匂いが充満している。男は鼻を摘みながら部屋の中を顎で指し、自らはそのまま出て行ってしまった。
「頭を打っているみたいなんだ。助けてくれ!」
ロジェはロイを老女の前に差し出すと、老女は何も言わずに絨毯の敷かれた床を指した。
老婆の処置は手早いものだった。家の壁に備えてある棚には幾つもの引き出しがついている。全て同じように見えるその引き出しを幾つか引くと、ロイの頭に巻かれた物を丁寧に外した。
「ああ、この血はこめかみ辺りと耳を切っているようだね。だが頭の中は見えないからなんとも言えないね。気がつくまで待つしかないよ」
老婆はどろりとした緑色の液体を生成り色の生地に塗ると、そっと切れている耳を押さえながら包帯を巻いていく。その後は折れている場所はないか、打ち身はないかを丁寧に確認していき、治療は終わった。
「これで助かったとはまだ言えないけれど、取り敢えず出来る事はしたさ」
老女は一息ついて顔を上げた時だった。
「あんた……」
レティシアは訳が分からず老女を見下ろすと、老女ははっとして顔を逸らしてきた。
「どこかでお会いしました?」
「いや、人違いだよ。忘れておくれ」
「治療のお礼なのですが……」
「金はいらないよ! 大した事はしていないんだ。それにこう見えて暮らしに困ってはいないからね」
「ですがそれでは……」
「いらないったら!」
老女は立ち上がると奥の部屋に閉じ籠もってしまった。
「何なのでしょう、あの態度は」
アンナは怪訝そうに閉められたドアを見ながら首を傾げた。
「取り敢えずここはあのお医者に任せて私達は町へ戻りましょう。出来れば食事をさせてもらえると良いんだけれど」
部屋を出ていこうとするとロジェは一人、ロイのそばに座り込んだ。
「兄さん? 行かないの?」
「こんな状態のロイを置いて行ける訳ないだろ。俺がそばにいるからお前達だけで行って来い。くれぐれも気を付けろよ」
「それじゃあ何か食べ物を貰ってくるわ」
ロジェはじっとロイの顔を見つめたまま、返事はしなかった。
町の中はやはり静まり返っていた。もう夜も更けどの家も暗くなっている。レティシア達は立ち尽くしながら一つの家の扉を叩いてみた。しかし反応はない。仕方なく馬車に何か残っていないか確かめる為に踵を返した時だった。
町の出口で医者の所へと案内をしてくれた男が立っていた。
「あんたが本当に領主の娘なら、なんでわざわざこの地を選んだりしたんだ?」
レティシアは言われている意味が分からず言葉を返せないでいると、男は苛立ったように更に力を強めた。
「まさか知らないのか?」
「悪いけれどあなたが何を言いたいのか分からないわ」
しかし舌打ちが返ってくるだけで、その後の返事はなかった。
「何か食べ物を分けてくれると助かるのだけれど」
「あんた達にやる食い物はないね! さっさと出ていってくれ」
しかし翌日もロイが目覚める事はなく、レティシア達はこの町に留まるしかなかった。
町に滞在して二日目。レティシア達は結局医者の家で厄介になるしかなく、狭い家でのひしめき合いながらいつロイが目覚めるかと気が気でない思いに疲労が蓄積され始めていた。
「いずれ旦那様もまだ領地についていない事に気づかれるでしょうが、きっとまだまだ先ですよね。早く帰りたいです」
アンナが呟く言葉になんとなく相槌をしていると、ロジェはごそごそと出発の準備を始めた。
「何をしているの? ロジェ?」
「もう屋敷に向かいましょう。弟の為にありがとうございました。もうロイは置いていきます」
「兄さん何を言っているのよ! ロイを置いていくだなんてそんなの出来る訳ない!」
「いつ意識が戻るかもしれないロイの為に、いつまでもお嬢様をこんな所に置いておく訳にはいかないだろ! ロイは後で俺が迎えに来るから大丈夫だ。きっとその頃には目を覚ましているさ」
「駄目よ。絶対に置いていけない!」
「フラン言う事を聞け! 医者に見せる事が出来たんだ。お嬢様に感謝して今は一刻も早く屋敷にお嬢様をお届けするんだ」
涙を堪えてぐっと唇を噛み締めたフランを見て、レティシアはロイの元に膝を着いた。
「顔色が随分良くなっているわ。あと一晩様子を見ましょう。それでもまだ意識が戻らなければ、馬車に乗せて一緒に連れていきます」
「ですが、ご迷惑では……」
「何言っているのよ。ここまで待っていたのに迷惑だなんてあるわけないわ」
ロジェはそのまま俯いてしまった。その側にフランが寄りかかる。レティシアは堪らずに家を出て行った。
頭の中には二年前に失踪したミランダの事が蘇っていた。あれからどこで何をしているのか、そもそも生きているのかさえ分からない状況の中で、あのような兄弟の姿を見るのは辛いものがある。どうしてもロイを助けたい。それと同時に領地の屋敷に早く帰らなくてはという思いにも駈られていた。
結局、翌朝になってもロイが目覚める事はなかった。
領地まではあと一日はかかる。馬車の中で出来るだけロイを横にならせる為に、医者から譲り受けた木材と藁を敷き詰め、その上に荷物と毛布を敷いた。少し凹みはするが真っ直ぐに寝かせる事が出来た。アンナはロジェと共に御者台に座り、レティシアとフランでロイを看病する事になった。アンナはむしろその方が酔わなくていいと言い、意気揚々と御者台に登っていった。
医者が用意してくれた替えの薬と包帯を受け取ると、レティシアは医者の手を握り締めた。
「ありがとう助かったわ。このお礼は必ずしに戻って来るわね」
医者は俯きながら銀貨を三枚寄越してくれた。
「これは?」
「過剰分だよ。前は貰い過ぎたと思っていたから。それでも引っ越しやなにやらで金を使ってしまったからあまり残っていないくてね。ここに住む代わりに金も払い続けなくちゃいけないし。悪いね」
「もしかして、あなた……」
しかし医者はシっと口に手を当てた。
「絶対に口外しない、そう言われたんだよ。だから何も言わないでおくれ」
「もしかしてこの町に移り住んだのは、あの事が原因なの?」
医者は否定も肯定もしなかった。ただそれ以上話す気はないという意思表示のように背中を向けると、町から少し離れた家へと戻って行ってしまった。
静かに馬車のドアを締めて小窓を叩くと出発の合図に馬はゆっくりと動き始める。その時、窓に並走するようにして、医者の所へ送ってくれた男性が走っていた。
「おい! あんたがもし本当に領主の娘なら必ず最初に言った事を実現してくれよ! そうじゃないと俺達はいつかひっそりと滅んじまう!」
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