聖女だった私

山田ランチ

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35 隠された物

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――ブリジット! 戻っているか!?

 勢いよく神殿に入ってきたリアムは、両腕を広げてきつく抱きしめていた。町で邪気が出たと報告があったのは昨晩。夜通し探して邪気を祓い、神殿に戻ったのはつい先程の事だった。
 結局一人を飲み込んだ邪気はそのまま林へと逃れた為、真っ暗な林の中を松明の灯りを頼りに探し続け、見つめたのは小さな木の根元だった。町で人間を一人襲ったその邪気はまだその者の形をしていた。すでに取り込まれたその人間は生きてはいない。身体を好きなように使われているだけだ。そう頭では分かっていても人の姿をしている者を殺すのには抵抗があった。そんな時は気分も沈むし疲れた顔をしている。何より汗をかいており、とてもリアムに会える格好ではなかった。

――リアム様、こんなに朝早くどうされました?

――心配で来てしまった。どこも怪我はしてないか? 夜中でも知らせてくれれば私も同行したのに。

――危険ですからそれは駄目ですよ。聖騎士の皆様がご一緒だったので問題ありませんでした。

 周りにいた聖騎士はリアムの溺愛ぶりにニヤニヤとした表情を浮かべながら散り散りになっていく。恥ずかしい気持ちと、臭いが心配になり僅かにリアムの身体を押すと、あからさまに不機嫌そうに顔を覗き込んできた。

――そんなに離れたいのか?

――そんな事はありません! でも……、その。 

――でも?

――汗の臭いが……。

 するとリアムはブリジットの首筋に顔を埋めて深呼吸をしてきた。

――お止めください!

――ブリジットの香りだ。生きている。ちゃんとここにいるんだな。

――リアム様、心配をお掛けして申し訳ありません。

――君が邪気の浄化に出たと聞く度に気がおかしくなりそうなんだ。私が側にいてもなんの力にもなれない事は分かっている。それでも側にいたいと思うんだよ。離れている時にもしも君に何かあったら生きていけない。

――大げさです。聖騎士団の皆様もおりますし、大精霊様のご加護もありますからご安心下さい。

 すると首筋に埋めていた顔を甘えるように、更に擦りつけてきた。

――それでも心配なんだ。聖騎士団はその、男ばかりだろう?

 ブリジットは数拍遅れて小さく吹き出してしまった。とっさに離れたリアムが背を向ける。その前に回りこもうとして、更に向きを変えられた。

――リアム様? こちらを向いて下さい。

――嫌だ。

――お願いですから。

――笑っただろう。どうせ私を小さな男だと思ったはずだ。

――そんな事ありませんよ。

 後ろから腕に触れると、振り向きざまに抱き締められる。そして見つ合ったリアムの顔は真っ赤になっていた。

――笑いましたが嬉しくて笑ったのですよ。でもリアム様がご心配なさるような事は何もありませんから。

 そっと手を伸ばし髪触れると、リアムは困ったような顔をして抱き締めてきた。

――愛している、ブリジット。愛しているよ。

――私もです。リアム様を愛しています。




 真っ暗な中、うっすら目を開けるといつの間にか涙が溢れていた。涙で耳の中まで濡れている。そのまま腕で目の上を押さえた。
 遠い記憶のはずなのに夢の中の二人は鮮明で、一瞬にしてあの頃に戻ったように胸が苦しくなってしまう。もう絶対に戻る事の出来ない二人。きっとリアムに再会したから昔の夢を見てしまったのかもしれない。決して戻る事は望んではいない。それでも懐かしくて苦しくて悲しくて、切なくて、しばらく起き上がる事が出来なかった。横ではネリーの規則正しい寝息が聞こえてきている。その音を拠り所にするようにして、再び目を閉じた。


 城内を探し始めてからすでに1ヶ月半が過ぎていた。
 リアムの言葉には効力があるのだろう。城を一人で歩き回っても誰も表立って訝しげに見てはこない。最初の数日こそまだ浸透していなかったせいか官僚らしき男性に呼び止められる事もあったが、名前を名乗ると気まずそうに解放された。
 リアムも探してくれてはいるようだったが、本来王太子というのは激務。特にそろそろ王位を継ぐという話も出ているようで、公務が昔よりも増しているように思えた。そしてもう一つ気がかりな事。それは城のどこかにリリアンヌが住んでいるという事だった。幸いな事にまだ出くわしてはいない。それでもいつ鉢合わせするかと思うと気が気ではなかった。出来る事ならもう顔は見たくない。いくら昔の事とはいえ、愛していた人を奪った相手に会いたい者などいるだろうか。それにリリアンヌも、もう罰を受けているようだった。リアムとの関係は随分前に破綻しているらしく、王太子妃といっても公の場にはリアム一人で出席するのだと噂好きの侍女達の集まりから偶然洩れ聞こえてしまったのだ。そしてそこへ昔の恋人である自分の登場。噂好きの城の人々がこの話題を放っておく訳もなく、きっとリリアンヌの耳にも入っているのだろうと思うと気が重たくなった。

 今日は宝物庫の中を調べる為にリアムと約束をしていた。それこそすでに気になる箇所は全て調べた。廊下に飾ってある壺や絵画、それに置物まで、どこかに水の石が使われていないかと目を凝らした。リアムは高位の貴族達だけではなく、宝石商にもそれとなく聞き取り調査をしてくれているようで、それは国王も例外ではない。最も持っている確率として高かった国王は、リアムが欲しがっているという体で持ち出した石の特徴に関してあまり興味がないようだった。それなら国王も忘れている秘宝があるかもしれないとリアムが宝物庫への入室の許可をなんとか取ってくれた。待ち合わせの場所に着いたはいいが、リアムの公務が長引いているらしく、待ち合わせの昼になっても現れなかった。流石に人の往来の邪魔にならないように、待ち合わせの場所が見える細い廊下の方へと歩いて行く。その廊下の先は、ぴたりと線を引いたように誰も行く事はない。しかしその先には階段があり、捜索にあたり城の建物の構造を頭に入れていた記憶から場所を引っ張り出すと、この先は別塔へと続いている廊下だった事を思い出した。そもそも城の見取り図の取り扱い自体が厳重なので、あくまで記憶の範疇を出ない為、何があるのかまでは分からない。リアムに何があるのか聞いてみようと思い壁に背中を預けたところで、突如廊下の奥から悲鳴が上がった。
 とっさに振り向くと、そこにはリリアンヌと少年が立っていた。

「リリアンヌ様……」

 名前を呼んだ瞬間、リリアンヌはその場にしゃがみ込んで頭を抱え出した。近づこうとするよりも早く、隣りにいた少年が数歩こちらに近づいてくる。しかし間隔を開けて少年はぴたりと足を止めた。

「あの、誰か人を呼んできましょうか?」
「大丈夫です。母が驚かせてしまい申し訳ございません」 
「でも具合が悪いようですし」
「亡霊よ! 私を殺しに来たんだわ! 誰か助けて、リアム様!」

 ブリジットは堪らずに足を踏み出した時だった。腕を思い切り掴まれる。そこには息を切らしたリアムが立っていた。

「近づかない方がいい。何をされるのか分からない」
「でもリリアンヌ様が……」
「だから危険なんだ。あの状態を見れば分かるだろう。早く連れて行け!」

 リアムは少し離れて立つ少年に言い放つと、腕を思い切り引かれた。振り返りながらその場を離れていく。程なくして少年もくるりと背を向けるとリリアンヌを立たせて元来た廊下を戻っていく。そして二度と振り返る事はなかった。

「リアム様、もしかしてあれはダニエル王子ではありませんか?」

 返事はない。どんどん進んでいくリアムに付いていくのが精一杯で、不意に絨毯に躓いてしまった。

「ッと、すまない。大丈夫か?」
「リリアンヌ様はどうされたのですか? もしやご病気なのでしょうか」

 宝物庫の前は警備が厳重な為、使用人達は歩いていない。立っているのは見張りの兵士だけだった。リアムはブリジットを廊下の端に寄せると、言いづらそうに口元を押さえた。

「あれはお前の影にずっと怯えているんだ。八年前にお前が死んでしまったと思い、責任を感じたんだろう。以来ずっとああなのだ」
「それなら私が生きていると分かれば治る事では?」

 するとリアムは力なく首を振った。

「もう壊れている。だからきっとお前がいくら生きていると告げてもあれを追い込むだけだろう」
「……まさかリリアンヌ様のご面倒はあのダニエル王子がされているのですか?」
「ちゃんと侍女を付けて不自由ない暮らしをさせているから案ずるな。それよりも今日まで石の情報について収穫がないのだろう? 私もだ、すまない」
「そんな事ございません! 殿下はご公務のお忙しい中にも関わらずこうしてお力をお貸しくださり、本当に感謝しております」
「本来私がやらなくてはならない事だ。国の命運が掛かっているというのに、いつもお前にばかり負担を強いてすまないと思っている」

 少し前を歩くリアムの表情は分からない。それでも八年前よりもがっちりした背中に、ここでも時の流れを感じぜずにはいられなかった。そしてまさかこうしてリアムと普通に会話が出来るという事もまた、時の流れを感じさせるものだった。

「さあ、ここが宝物庫だ」

 そこはいかにも宝物庫というような大きな扉ではなく、意外と普通の扉だった。一見すると見過ごしてしまいそうな作りは敢えてなのかと思う。扉の前に立っていた兵士は頭を下げると、前に出た。

「何も持ち込まず、持ち出す事も禁じられております。よってここで身体を検めさせて頂きます。まずは殿下からです」

 リアムは言われるままに兵士に身体を触られていく。そして滞りなく終わると、今度はこちらに向き直った。

「お次はブリジット様の番でございます」

 ちらりとリアムと視線が合う。何も所持していないかの確認なのだから恥ずかしがる必要はない。兵士の手が近づいてくる。ぐっと唇を噛み締めた時、その腕をリアムが掴んでいた。

「確認は私がする。心配ならばそばで見ていてくれて構わない」
「……承知致しました」
「それでいいだろうか?」

 ブリジットは小さく頷いた。安堵したリアムの表情の胸の奥が苦しくなる。リアムは手早く軽く叩くように触ると、兵士に向かって言った。

「怪しい所はなにもない」

 そばで見ていた兵士は頷くと、ランプを手渡してきた。

「中は暗いので十分にお気をつけ下さい」

 そう言って扉を押し開いていく。そしてもう一つ、一本の鍵を寄越された。鍵は見るからに太く、重厚感があった。

「宝物庫は更に奥の部屋になります。その鍵を使ってお入りください」

 鍵を受け取ったリアムは、ゆっくりと中に入っていった。手前の部屋には綺麗に並べられるようにして大きな宝石のついた首飾りや、腕輪に指輪、金で出来た細かい細工の王冠や、置物、それに一際目を引いたのは奥の扉近くにある白乳色の大きな石の彫刻だった。人形を用いたその姿は、白い石の表面が驚く程に滑らかで、触れてみたくなる艶を帯びている。そしてその身体に流れるように巻き付いているのは長く美しい髪の毛が流美に掘られていた。

「どうやったらこんな風に美しい物が作れるのでしょうか」
「これは大精霊シルフを象ったものと言われている。大昔に大精霊を祀る彼の国から献上品として受け取ったものらしい。もし盗賊が入れば大抵の者はこの部屋で満足するくらいには財宝が隠されているな。この部屋も見ていこう」

 リアムの提案通り、部屋の中を隅々まで見ていく。一つ一つ探していくが石らしき物は何一つなかった。

「全く分からないな」
「そんな! それなら見つかる訳がありません」
「落胆するのはまだ速いぞ。この中に進んでみよう」

 リアムが無骨な鍵を鍵穴に差し入れると、ごとりと大きな音を立てて扉は開いた。中は階段になっており、下へと続いている。リアムは躊躇う事なく歩き出した。階段は十段程。兵士の言う通り、ランプ一人では足元を照らすのが精一杯で、とても辺りを見渡す余裕などない。中は思ったよりも狭く、所狭しと本が置かれていた。

「ここが宝物庫ですか? そのようには見えませんが」
「いや、間違いなくここが宝物庫だ。宝はこの本の山のようだな。古すぎて題名が読めない物まである。だから敢えて暗い場所に保管しているのか」
「本が財宝という事は……それなら石はどこにあるの」

 独り言のように呟くと、リアムが振り返りランプを向けてくる。とっさに顔をそむけるとリアムも再び前を向いた。

「こんなに暗くては本を読む事も出来ないし持ち出す事も出来ない。まさに門外不出の宝物だな。昔は知識こそが財産だった。もちろん金品も必要だが、国を創り繁栄させていくにはここにある知識はまさに財宝そのものだった事だろう」
「それでも今は石を探さなくてはなりません。早くしないと間に合わない……」
「まだ何かを隠しているのか? 私が言えた義理ではないが話して欲しい。きっと力になると約束する」
「殿下は何も悪くありません。人の心は移ろうものですから」

 リアムは何か言いたげに振り返ったが、口を噤むと階段を上がり始めた。

「こんな暗がりに私と二人では恐ろしいだろう。まずは部屋を出よう」

 地下の世界から戻り鍵を閉めようとした所で白乳色の彫刻の腕に引っ掛かり、リアムの手に持っていた重厚な鍵が床に落ちてしまった。ブリジットはとっさに鍵を拾ったが、鍵は嘘のように真っ二つに割れていた。音は敷き詰められた絨毯が吸収してくれたが、悲惨な状態の鍵を見て呆然としたままそれを手に持った。

「大変です、鍵が壊れてしまいました」

 シっと口を塞がれる。とっさに扉の方を見たが兵士には聞こえていないようだった。鍵は縦二つに割れている。そしてどうしていいのか分からないブリジットはその場に蹲ってしまった。

「陛下にお叱りを受けてしまいますよね。私がこんなお願いをせいです。申し訳ございません!」
「いや待て。ブリジットこれを見ろ!」

 肩を掴まれ無理やり顔を上げさせられる。最初は割れた鍵を見せられたのかと思ったが、リアムが言っていたのはその中にある物だった。片方に綿が詰まっている。恐る恐るその綿を取り出すと、ころんとした石が中から出てきた。それは淡い青色をじんわりと放ち、若干冷たさを感じた。

「この鍵は壊れたんじゃなくて最初から外れるようになっていたんだ。ほら、噛み合うように出来ている。この石を隠していたんだ。まさか鍵の中にあるとは誰も気が付かない訳だな。宝物庫の鍵だからまさか鍵事態が重要だとは思わないな」
「ウンディーネ様、見つけました。水の石……」

 リアムは石をブリジットに隠すように言うと、鍵を元の形に戻した。重なってみると紙切れ一枚入らない程にぴたりとくっついている。

「この鍵自体にも相当な技術が詰まっているようだな。まさか誰もこれ程貴重な物が宝物庫ではなく、鍵の中にあるとは思うまい」
「頂いても宜しいのですか?」
「その為に協力して来たんだが?」

 ふっとリアムが笑う。それはブリジットの記憶の中にあるよく知ったリアムの笑顔だった。

「殿下! 大変です!」

 扉がとっさに開かれ兵士が入ってくる。リアムはとっさにブリジットを背中に庇った。

「すぐに王の間にお越し下さい! 陛下と神官長がお呼びです!」

 ブリジットとリアムは顔を見合わせると、急いで宝物庫を後にした。
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