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33 ラウンデル王国の王子
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ルイーズの部屋の扉が叩かれ、カートを押しながら部屋の中に入ってきたのは珍しい毛色の使用人だった。真っ黒の真っ直ぐな髪をきっちりと結わえられた髪に、すらりとした身長の使用人は静かに中に入ってくると再び頭を下げた。そして何も言わぬまま机の上に食事の用意をしていく。ルイーズは興味本位で近づくと、使用人はあからさまにびくりと指先を止めたが、再びすぐに皿を並べ始めた。なんとなく顔が見てみたくなり、ふとその肩に触れてみると、使用人は大きく身を引いて顔を上げた。
「まあ驚いた。あなた瞳も黒いのね」
すると使用人は再び顔を下げてしまう。しかしルイーズは構う事なくその頬にそっと手を添えた。
「隠さないでもっと見せて頂戴。あなたのような瞳の色はとても珍しいのよ」
しかし使用人は頑なに顔を上げようとはしない。ルイーズは手を離すと自らの髪の先を顔を下げている使用人の前に摘んで差し出した。
「これを見て。私の毛色も割と珍しいのよ。この国の者達は異国の血だと言うわ」
すると僅かに顔が上がった。
「この髪の色はね、知っていると思うけれど大精霊サラマンダーの治める隣国の血が濃いせいなのよ。私の母はこの国の出身ではないの」
使用人は何も言わずにじっとその赤い髪を見て、そっぽを向いてしまった。
「でもあなたの毛色は更に異質よ」
すると睨みつけるような、意志の籠もった瞳がルイーズに向いた。
「別に蔑んでいる訳ではないの。私、昔から思った事や気になった事は口に出さないと気がすまない質のようなのよね。気を悪くしたなら謝るわ」
すると今度は破顔したような驚いた顔でルイーズを見てきた。
「……あなた、もしかしてだけれど口がきけないのかしら?」
使用人は否定も肯定もせずにただ視線を逸した。
「そうだったらごめんなさい。私ったら一方的に話してしまったわ。名前は? 私はルイーズよ。何か書くものは……」
すると使用人はとっさにルイーズの手に触れると、掌を指した。
「掌に書いてくれるの?」
コクコクと頷く仕草に、ルイーズは手を差し出した。自分で言っておいて今更恐れ多いのか躊躇っている使用人の手を掴むと、自分の掌の上に指を持っていった。
「さあ、あなたの名前を教えてちょうだい」
――アマンダ。
侍女はゆっくりと丁寧にそう書いた。
「アマンダ、アマンダというのね。そうだ、やっぱり何か書く物を持ってくるわ。掌で会話は難しいものね」
するとアマンダは困ったようにポケットから紙の切れ端の束を出した。紙は切れ端とはいえ上質で、アマンダのような使用人が持つには高価な物に思えた。そしてそこには美しい字で単語がびっしりと書いてあり、それを指す事である程度の会話が出来るようになっている。
「凄いわアマンダ。これはとても画期的よ!」
アマンダは紙をペラペラとめくり、幾つかの単語を指差した。
――神官長、貰った。
「神官長……ハイス様があなたの為に作ってくれたの?」
再び頷くと最後のページを見せてくれた。そこには神官長の印が押してある。これで下手な嫌がらせは受けないし、この印を見せれば会話を拒む事も難しくなるだろう。
「ハイス様はとても素敵なお方なのね」
アマンダは少しだけ表情を綻ばせると机を指差した。
「あぁ食事ね。頂くわ」
その時、部屋の外を沢山の足音と叫び声が通り過ぎて行った。アマンダが自分の方を指し、見てくるという合図を送ってくる。すぐに戻ってきたアマンダは紙を差した。
――泉、事故。
「祈りの間で事故があったという事?」
頷くアマンダはどこか不安そうにした。
「大丈夫よきっと」
そうは言ったものの、精霊と繋がる泉で事故など嫌な予感しかしない。確かめようと部屋を出ようとした時、アマンダに腕を掴まれた。強張った頬で首を振っている。
「そうね、私が行った所で邪魔になるだけだわ。後でハイス様にお伺いしましょう」
ほっと安堵の色を滲ませた瞬間、扉の向こうから声が聞こえた。
「アレクがやらかしたらしいぞ!」
「死んだのか?」
激しい足音と共に離れていく声が耳にこびりついていた。
「……アレク? ねぇアマンダ、この神殿に私と同じような赤い髪の神官や使用人はいない?」
アマンダは躊躇いながら、単語を指し示した。
ーーある。神官。
「その人はアレクと言う名?」
しかしそれには分からないという表情を浮かべていた。今度こそ扉に手をかける。先程と同じようにアマンダは止めようとしたが、有無を言わせない必死の形相のルイーズにとうとう手を離した。
「アレクだったな。確か神殿に来た初日に聖騎士団に入りたいと言っていたが、その理由を聞いても?」
長く赤い前髪の隙間から覗いた瞳が揺れたのをハイスは見逃さず、真っ直ぐに見返した。これまでも沢山の神官達を見てきた。その中でもアレクには聖騎士団の才能があると思っていた。アレクが祈り出すと、水はグラグラと揺れ動き落ち着きを失う。それ程に強い力ならばきっと浄化の仕方を教えればすぐに己のものにするはず。今回の遠征では大きな戦力になるだろうと確信していた。しかし致命的に大きな足りないものがある。それは経験だった。アレクがという訳ではなく、聖騎士団は活動がなくなって八年の歳月が経っている。前回の浄化の旅の生き残りも今や五人となり、今回は邪気と対峙する事自体が初めてという初心者達を多く連れて歩かなくてはならないのだ。
「これは聖騎士団の入団面接ですか?」
真っ直ぐに返ってきたその視線に、ハイスは小さく息を吐いてからペン先で頭を掻いた。
「あくまで聖騎士を選ぶのは大精霊様だ。でもその前に君の意思を確認してから聖騎士になる試験を受けてもらいたいと思っている。そう固くならずに答えてくれればいいさ」
「俺の気持ちは変わっていません。聖騎士になる為にここへ来たんです」
「その理由を教えてほしいんだ。聖騎士は何も力だけではない。力と同時に精神力も必要なんだ。邪気との戦いは孤独だぞ。人知れずに戦い、仲間以外誰もその姿を見てはいない。邪気が発生したら皆逃げてしまうからな。それこそ聖騎士団がいる所には邪気があると言われ、心無い言葉や嫌悪をぶつけられる事もあるくらいだ。それでも聖騎士になりたいのか?」
アレクは両方の拳を握り締めて強く頷いた。
「聖騎士になりたいです。どうしても。でも理由は話せません。今はまだ」
ハイスは頷くと書類に何やら書き込んだ。それを心配そうに見つめていたアレクに向かって、手渡した。
「試験を受ける事を許可する。大精霊の御加護があらん事を」
「……ありがとうございますッ!」
「まだ受かった訳ではないからな。決めるのはあくまで大精霊様だ」
アレクを送り出して、更に数人予定していた面接をしようとしていたところで扉が激しく叩かれた。呼びに来たのはグレブは面接中にも関わらずハイスの腕を引いた。
「泉に来てください!」
「何事だ?」
「アレクが、アレクがとんでもない事をしでかしました!」
ハイスがすぐに立ち上がった瞬間、面接中だったユリウスも立ち上がった。
「私の面接はどうなるのですか!」
「一時中止だ」
ハイスは引かれるまま最深部の祈りの間へ行くと、すでに入り口には人だかりが出来ていた。そして何故だか水浸しになっている。ハイスが来たことで人だかりが割れていく中を進んでいくと、そこにはびしょ濡れで横たわるアレクがいた。そして、巨大な泉の水は僅か半分以下になっていた。
「どういう事だ! アレク、しっかりしろ!」
アレクは身動ぎはしたが意識は戻らないままぐったりとしていた。
「説明してくれ」
「……ア、アレクが祈り初めて間もなく泉の水が大きく揺れ出したんです」
自分でも信じられないとでもいうようにグレブが話し出した。
「最初は大きな水のうねりがあったので、聖騎士団への入団が叶ったのだと思いました。しかしすぐに水は荒れ始めて、いくらアレクに声を掛けて止めさせようとしても集中しているせいか届いていないようでした。そして水は泉を飛び出して上空で破裂しました。あとはこの状況です」
「降り注いだという事か」
「それともう一つ妙な事が。降り注いだ水は温かったんです」
「水が温かいだと?」
ハイスは意識を失っているアレクを抱き上げた。
「治療室に連れて行く。全てはアレクが目覚めてからだ。泉がこのような状況なのだから聖騎士団への試験は一時中止とする! 各自部屋に戻れ!」
「……俺は……」
「気がついたようだな。気分はどうだ」
カッと見開いたアレクはすぐに起き上がった。見慣れない部屋の中を見渡し、自分の身体をまじまじと見つめた。
「祈りの最中に意識を失ったんだ」
「試験は? 俺は合格ですか!?」
ハイスは椅子を引き寄せるとアレクのすぐ近くに座った。
「正直な所分からない。神殿の泉はお前の祈りで半分以上が失われてしまった。元に戻るには長い年月が掛かるかもしれない」
「そんな。ごめんなさい」
項垂れていく様子は年相応の子供のようにも見える。
「何が起きたのか自分で分かる事はないか? こんな事は前代未聞なんだ。別に責めている訳ではないんだぞ。それでも泉の水を失うなど、正直言って私には何が起きたのかさっぱり分からないんだ」
しかしアレクは返事をしない。その時、扉が勢いよく開いた。入ってきたのはルイーズは驚いた表情で近づくと無言のままアレクを抱き締めた。
「知り合いか?」
「アレク! 今までどこにいたの」
ハイスの声など聞こえていないようにルイーズは大声で叫んだ。涙でぐしゃぐしゃの顔を上げたルイーズは、泣いていても美しい顔を歪めて再びアレクに抱き付いた。アレクは無言のままルイーズの背中を、幼子をあやすように撫でていく。そのせいでルイーズは更に嗚咽を漏らして泣いた。
「……ルウがここに来た事はすぐに分かったよ。でもごめん、隠れていたんだ」
「どう、……て」
嗚咽のせいで言葉が途切れ途切れになっているせいか、アレクの方が年上のように見てしまう。ルイーズはアレクの肩をぎゅっと握り締めたまま睨みつけた。
「私がわざわざ探しに来たのにどうして隠れていたの?」
「俺の事なんか忘れてくれてよかったんだ! 俺がいるとお前達が危険な目に遭うだろ。あの時にそれが分かったんだ。どこにいってもずっと追われる身なんだよ。こんな呪われた俺なんて居ないほうが……」
その時、ルイーズは思い切りアレクの頬を叩いた。そしてすぐにもう一度きつく抱き締めた。
「誰も迷惑だなんて思っていないわよ! 私達一家はずっとあなたを探していた。ずっとよ? それなのに理由がそんなだなんて聞きたくないわ!」
顔をアレクの肩に押し付けながらルイーズはしがみつく手を更に強めた。さすがに食い込んだ爪にアレクが顔を歪める。それでもアレクはルイーズの腕を解こうとはしなかった。
「……ルウは以外と情熱的なんだな」
「こいつは昔からずっとこんなです。情緒不安定というか」
「なんですって? 誰のせいだと思っているのよ!」
「……ごめん、俺のせいだな」
「別に謝らなくていいわ。でも知っていて隠れていたのは怒っている」
「ごめん」
「でも、それも謝らなくてていいわ」
取り留めのないやり取りに居心地が悪くなったハイスは一時退出しようと椅子を引いた時だった。思い切り床をする音が響く。その瞬間、二人の視線が突き刺さってきた。
「えっと、すまん」
「お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません。私が探していた人は、このアレクなのです」
「という事は、アレクがルウの探していたラウンデル王国の王族という事でいいだろうか」
アレクとルイーズは視線を合せると、二人同時に頷いた。
「アレクは第六王子ですが、王位継承権は二位にあります。お母君の身分が高かったので生まれてすぐに命を狙わえるようになったのです。お母君の遠縁に当たるのが我が家でした為、極秘に領で匿う事になりました」
「しかしそれは大きな危険が伴うのではないか? 他国の王族を匿うという事は下手をすれば戦争になりかねない」
するとアレクは痛むように顔を顰めた。
「ですがあの時はそうする他にアレクをお守りする方法がございませんでした。でもどこから洩れたのか追手が現れたのです」
ルイーズの視線がアレクへと向く。アレクは何度か口を動かしてから小さく息を吐いた。
「あいつらに捕まってどこかに移送される途中に暴れて川に落ちたんだ。もうどうでもいいと思った。でも簡単に殺されたくなくて最後のあがきをしたんだと思う。下は落ちたら到底生き延びれる川じゃなかったから、きっと水の大精霊が守ってくれたんだと思った。そして川下で拾われたんだ」
「精霊の住処には行ったのか?」
するとアレクは首を傾げた。
「そんな所は知らない。俺を拾ってくれたのは医者をしていたばあちゃんだよ。薬草を取りに来ていた時に倒れている俺を見つけてくれて家に連れ帰ってくれたんだ」
「随分優しい人に出会ったんだな」
「ばあちゃんは俺の事が見えていなかったんだ。もちろん目が悪い訳じゃない。でも俺の事は眩しくて見えないって」
「眩しくて見えない? どういう事だ」
「理由は教えてくれなかったよ。ばあちゃんには娘がいて、今思えばばあちゃんなんて呼んでいたのは失礼だったのかもしれないけれど、ばあちゃんとその娘としばらく暮らしていたんだ。落ちた川からは大分離れた場所で倒れていたみたいだから、さすがにそこまで追手がくる事はなかった」
「それなら増々分からないんだが、どうして聖騎士になりたいと思ったんだ?」
「……聖騎士になって戦い方を学んだら城に戻ろうと思っていた」
「まさか王家に復讐するつもりじゃ。駄目よアレク!」
「そうじゃないよ、ルウ。国に危険が迫っているんだ。王位争いをしている場合じゃない」
「どういう事? 誰かが語りかけてくるんだ。力を付けて戻ってくるようにと」
「それは、誰なの?」
アレクは首を振ると拳を握り締めた。
「分からない。でも凄く熱い場所の中にいて、それ以上は近づけないんだ」
「神官長でも聖騎士でも、ましてや聖女でもない者がそこまで明確な神託を受ける事があるのだろうか」
「分からないけれどあれが夢だとも思えないんだ。だから俺は出来る事をやりたいと思っている。例え国に帰るのが危険だったとしても」
ルイーズはふと胸元から掛けていた首飾りを取り出した。
「これを返すわね。サラマンダーの息吹よ」
「……あの時、失くしたと思っていた」
「これはあなたが唯一持っていた物だもの」
「ありがとう。ありがとうルウ!」
初めてアレクからルイーズを抱き締め返すと、今度こそハイスは音を立てずに部屋を出ていった。
「これは婚約解消だな」
ぽつりと呟くと、そっと扉を閉めた。
「まあ驚いた。あなた瞳も黒いのね」
すると使用人は再び顔を下げてしまう。しかしルイーズは構う事なくその頬にそっと手を添えた。
「隠さないでもっと見せて頂戴。あなたのような瞳の色はとても珍しいのよ」
しかし使用人は頑なに顔を上げようとはしない。ルイーズは手を離すと自らの髪の先を顔を下げている使用人の前に摘んで差し出した。
「これを見て。私の毛色も割と珍しいのよ。この国の者達は異国の血だと言うわ」
すると僅かに顔が上がった。
「この髪の色はね、知っていると思うけれど大精霊サラマンダーの治める隣国の血が濃いせいなのよ。私の母はこの国の出身ではないの」
使用人は何も言わずにじっとその赤い髪を見て、そっぽを向いてしまった。
「でもあなたの毛色は更に異質よ」
すると睨みつけるような、意志の籠もった瞳がルイーズに向いた。
「別に蔑んでいる訳ではないの。私、昔から思った事や気になった事は口に出さないと気がすまない質のようなのよね。気を悪くしたなら謝るわ」
すると今度は破顔したような驚いた顔でルイーズを見てきた。
「……あなた、もしかしてだけれど口がきけないのかしら?」
使用人は否定も肯定もせずにただ視線を逸した。
「そうだったらごめんなさい。私ったら一方的に話してしまったわ。名前は? 私はルイーズよ。何か書くものは……」
すると使用人はとっさにルイーズの手に触れると、掌を指した。
「掌に書いてくれるの?」
コクコクと頷く仕草に、ルイーズは手を差し出した。自分で言っておいて今更恐れ多いのか躊躇っている使用人の手を掴むと、自分の掌の上に指を持っていった。
「さあ、あなたの名前を教えてちょうだい」
――アマンダ。
侍女はゆっくりと丁寧にそう書いた。
「アマンダ、アマンダというのね。そうだ、やっぱり何か書く物を持ってくるわ。掌で会話は難しいものね」
するとアマンダは困ったようにポケットから紙の切れ端の束を出した。紙は切れ端とはいえ上質で、アマンダのような使用人が持つには高価な物に思えた。そしてそこには美しい字で単語がびっしりと書いてあり、それを指す事である程度の会話が出来るようになっている。
「凄いわアマンダ。これはとても画期的よ!」
アマンダは紙をペラペラとめくり、幾つかの単語を指差した。
――神官長、貰った。
「神官長……ハイス様があなたの為に作ってくれたの?」
再び頷くと最後のページを見せてくれた。そこには神官長の印が押してある。これで下手な嫌がらせは受けないし、この印を見せれば会話を拒む事も難しくなるだろう。
「ハイス様はとても素敵なお方なのね」
アマンダは少しだけ表情を綻ばせると机を指差した。
「あぁ食事ね。頂くわ」
その時、部屋の外を沢山の足音と叫び声が通り過ぎて行った。アマンダが自分の方を指し、見てくるという合図を送ってくる。すぐに戻ってきたアマンダは紙を差した。
――泉、事故。
「祈りの間で事故があったという事?」
頷くアマンダはどこか不安そうにした。
「大丈夫よきっと」
そうは言ったものの、精霊と繋がる泉で事故など嫌な予感しかしない。確かめようと部屋を出ようとした時、アマンダに腕を掴まれた。強張った頬で首を振っている。
「そうね、私が行った所で邪魔になるだけだわ。後でハイス様にお伺いしましょう」
ほっと安堵の色を滲ませた瞬間、扉の向こうから声が聞こえた。
「アレクがやらかしたらしいぞ!」
「死んだのか?」
激しい足音と共に離れていく声が耳にこびりついていた。
「……アレク? ねぇアマンダ、この神殿に私と同じような赤い髪の神官や使用人はいない?」
アマンダは躊躇いながら、単語を指し示した。
ーーある。神官。
「その人はアレクと言う名?」
しかしそれには分からないという表情を浮かべていた。今度こそ扉に手をかける。先程と同じようにアマンダは止めようとしたが、有無を言わせない必死の形相のルイーズにとうとう手を離した。
「アレクだったな。確か神殿に来た初日に聖騎士団に入りたいと言っていたが、その理由を聞いても?」
長く赤い前髪の隙間から覗いた瞳が揺れたのをハイスは見逃さず、真っ直ぐに見返した。これまでも沢山の神官達を見てきた。その中でもアレクには聖騎士団の才能があると思っていた。アレクが祈り出すと、水はグラグラと揺れ動き落ち着きを失う。それ程に強い力ならばきっと浄化の仕方を教えればすぐに己のものにするはず。今回の遠征では大きな戦力になるだろうと確信していた。しかし致命的に大きな足りないものがある。それは経験だった。アレクがという訳ではなく、聖騎士団は活動がなくなって八年の歳月が経っている。前回の浄化の旅の生き残りも今や五人となり、今回は邪気と対峙する事自体が初めてという初心者達を多く連れて歩かなくてはならないのだ。
「これは聖騎士団の入団面接ですか?」
真っ直ぐに返ってきたその視線に、ハイスは小さく息を吐いてからペン先で頭を掻いた。
「あくまで聖騎士を選ぶのは大精霊様だ。でもその前に君の意思を確認してから聖騎士になる試験を受けてもらいたいと思っている。そう固くならずに答えてくれればいいさ」
「俺の気持ちは変わっていません。聖騎士になる為にここへ来たんです」
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アレクは両方の拳を握り締めて強く頷いた。
「聖騎士になりたいです。どうしても。でも理由は話せません。今はまだ」
ハイスは頷くと書類に何やら書き込んだ。それを心配そうに見つめていたアレクに向かって、手渡した。
「試験を受ける事を許可する。大精霊の御加護があらん事を」
「……ありがとうございますッ!」
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「それともう一つ妙な事が。降り注いだ水は温かったんです」
「水が温かいだと?」
ハイスは意識を失っているアレクを抱き上げた。
「治療室に連れて行く。全てはアレクが目覚めてからだ。泉がこのような状況なのだから聖騎士団への試験は一時中止とする! 各自部屋に戻れ!」
「……俺は……」
「気がついたようだな。気分はどうだ」
カッと見開いたアレクはすぐに起き上がった。見慣れない部屋の中を見渡し、自分の身体をまじまじと見つめた。
「祈りの最中に意識を失ったんだ」
「試験は? 俺は合格ですか!?」
ハイスは椅子を引き寄せるとアレクのすぐ近くに座った。
「正直な所分からない。神殿の泉はお前の祈りで半分以上が失われてしまった。元に戻るには長い年月が掛かるかもしれない」
「そんな。ごめんなさい」
項垂れていく様子は年相応の子供のようにも見える。
「何が起きたのか自分で分かる事はないか? こんな事は前代未聞なんだ。別に責めている訳ではないんだぞ。それでも泉の水を失うなど、正直言って私には何が起きたのかさっぱり分からないんだ」
しかしアレクは返事をしない。その時、扉が勢いよく開いた。入ってきたのはルイーズは驚いた表情で近づくと無言のままアレクを抱き締めた。
「知り合いか?」
「アレク! 今までどこにいたの」
ハイスの声など聞こえていないようにルイーズは大声で叫んだ。涙でぐしゃぐしゃの顔を上げたルイーズは、泣いていても美しい顔を歪めて再びアレクに抱き付いた。アレクは無言のままルイーズの背中を、幼子をあやすように撫でていく。そのせいでルイーズは更に嗚咽を漏らして泣いた。
「……ルウがここに来た事はすぐに分かったよ。でもごめん、隠れていたんだ」
「どう、……て」
嗚咽のせいで言葉が途切れ途切れになっているせいか、アレクの方が年上のように見てしまう。ルイーズはアレクの肩をぎゅっと握り締めたまま睨みつけた。
「私がわざわざ探しに来たのにどうして隠れていたの?」
「俺の事なんか忘れてくれてよかったんだ! 俺がいるとお前達が危険な目に遭うだろ。あの時にそれが分かったんだ。どこにいってもずっと追われる身なんだよ。こんな呪われた俺なんて居ないほうが……」
その時、ルイーズは思い切りアレクの頬を叩いた。そしてすぐにもう一度きつく抱き締めた。
「誰も迷惑だなんて思っていないわよ! 私達一家はずっとあなたを探していた。ずっとよ? それなのに理由がそんなだなんて聞きたくないわ!」
顔をアレクの肩に押し付けながらルイーズはしがみつく手を更に強めた。さすがに食い込んだ爪にアレクが顔を歪める。それでもアレクはルイーズの腕を解こうとはしなかった。
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「……ごめん、俺のせいだな」
「別に謝らなくていいわ。でも知っていて隠れていたのは怒っている」
「ごめん」
「でも、それも謝らなくてていいわ」
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「えっと、すまん」
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「という事は、アレクがルウの探していたラウンデル王国の王族という事でいいだろうか」
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するとアレクは痛むように顔を顰めた。
「ですがあの時はそうする他にアレクをお守りする方法がございませんでした。でもどこから洩れたのか追手が現れたのです」
ルイーズの視線がアレクへと向く。アレクは何度か口を動かしてから小さく息を吐いた。
「あいつらに捕まってどこかに移送される途中に暴れて川に落ちたんだ。もうどうでもいいと思った。でも簡単に殺されたくなくて最後のあがきをしたんだと思う。下は落ちたら到底生き延びれる川じゃなかったから、きっと水の大精霊が守ってくれたんだと思った。そして川下で拾われたんだ」
「精霊の住処には行ったのか?」
するとアレクは首を傾げた。
「そんな所は知らない。俺を拾ってくれたのは医者をしていたばあちゃんだよ。薬草を取りに来ていた時に倒れている俺を見つけてくれて家に連れ帰ってくれたんだ」
「随分優しい人に出会ったんだな」
「ばあちゃんは俺の事が見えていなかったんだ。もちろん目が悪い訳じゃない。でも俺の事は眩しくて見えないって」
「眩しくて見えない? どういう事だ」
「理由は教えてくれなかったよ。ばあちゃんには娘がいて、今思えばばあちゃんなんて呼んでいたのは失礼だったのかもしれないけれど、ばあちゃんとその娘としばらく暮らしていたんだ。落ちた川からは大分離れた場所で倒れていたみたいだから、さすがにそこまで追手がくる事はなかった」
「それなら増々分からないんだが、どうして聖騎士になりたいと思ったんだ?」
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「まさか王家に復讐するつもりじゃ。駄目よアレク!」
「そうじゃないよ、ルウ。国に危険が迫っているんだ。王位争いをしている場合じゃない」
「どういう事? 誰かが語りかけてくるんだ。力を付けて戻ってくるようにと」
「それは、誰なの?」
アレクは首を振ると拳を握り締めた。
「分からない。でも凄く熱い場所の中にいて、それ以上は近づけないんだ」
「神官長でも聖騎士でも、ましてや聖女でもない者がそこまで明確な神託を受ける事があるのだろうか」
「分からないけれどあれが夢だとも思えないんだ。だから俺は出来る事をやりたいと思っている。例え国に帰るのが危険だったとしても」
ルイーズはふと胸元から掛けていた首飾りを取り出した。
「これを返すわね。サラマンダーの息吹よ」
「……あの時、失くしたと思っていた」
「これはあなたが唯一持っていた物だもの」
「ありがとう。ありがとうルウ!」
初めてアレクからルイーズを抱き締め返すと、今度こそハイスは音を立てずに部屋を出ていった。
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