聖女だった私

山田ランチ

文字の大きさ
上 下
10 / 40

10 裏切り

しおりを挟む
 明け方、従者は王太子の執務室の扉を叩いていた。うっすらと明るくなり始めた室内で、リアムは何をするでもなくぼんやりと窓の外を見つめていた。

「お部屋にいらっしゃらないのでこちらかと思いましたよ。少し休まれては如何ですか? 最近摂られるお食事の量も少ないと聞いていますし、寝不足まで重なってはお体に障ります」

 従者の声にも反応はない。従者はマントを外すと金色の前髪がはらりと一房溢れた。

「悪かったな。お前にそんな真似をさせて」

 マントを外したのはリアムと良く似た顔立ちの第二王子マチアスだった。

「僕を信用しているという事でしょう?」
「……どうしていた? 泣いていたか」
「とても気丈でした。兄様に脅しの伝言を頼むくらいには」
「脅しだと?」
「どこの神殿にも近寄らないのでハイス様や神殿の者達への手出しをしないようにと。大精霊の名前を出してまで必死でしたよ」

 起き上がったリアムは膝の上で固く拳を握り締めた。

「そうまでしてハイスを守りたいのか」
「まあそういう事でしょうね。でも、身体の繋がりがないのにそこまで想い合えるって、ある意味凄く強い結びつきですよね」
「身体が繋げないから余計に想いが募っただけじゃないか」
「それなら兄様もそうですよね。っと、失言でした」

 全くもってそう想っていない様子のマチアスは、わざとらしく大きく可愛らしい瞳を見開いて口を抑えた。

「それはそうとリリアンヌ嬢のご機嫌があまり宜しくありませんよ。久しぶりに会いに行かれては?」
「そんな気分じゃない。……今となってみれば、なぜ関係を持ってしまったのか不思議なくらいなんだ」
「僕が言うのもなんですけど魅力的なご令嬢ですよね? 社交界でも皆の憧れの的の女性ですよ。まあ、相手が兄様では誰が相手でも霞んでしまうでしょうけど」

 マチアスの言っている元にも興味がないように立ち上がった。

「どちらへ?」
「西の塔だ。しばらく夜は通う事にする。すまないがあの塔はしばらく借りておくぞ」
「どうぞ。というか断らなくてもいいですよ。もう塔に住む人は存在しないんですから」

 リアムは気まずそうに視線を逸らすと頷いて部屋を出ていった。




 マチアスが部屋に戻ってまもなく、部屋の前が騒がしくなった。扉を開けるとそこには白い頬を上気させたリリアンヌが立っていた。肩で息をし、ショールから覗いた胸元はきつそうに上下している。今にも泣き出しそうな顔でマチアスの前に立つと、同じ背丈の目線はぴたりと合った。

「大丈夫だから中に入れてあげて」

 そう兵士に言いながらリリアンヌを部屋に招き入れた。

「感心しないな、こんな時間に来るなんて」
「今夜も殿下は聖女の元に行ったそうですね! お約束が違います、マチアス殿下!」

 言い切った途端、目頭から大粒の涙が零れ落ちた。

「何故? 僕はちゃんと守ったよ。聖女が兄様の部屋を訪れた時だって、すぐに兵士を引かせたんだからね。だから決定的な場面を突きつけられたんじゃないか。君は兄様の婚約者になれたんだからもっと堂々としていればいいんだ」
「まだ正式にではありません! 殿下はなぜか聖女との婚約破棄を発表されないのですか? このままでは私はずっと浮気相手のまま。皆知らない振りをしているけれどそう思っているはずです!」
「落ち着いてリリアンヌ嬢。深呼吸して」

 伸ばした手は思い切り払い除けられた。
「ッ、すみません殿下。ご無礼をお許しください」
「いいよいいよ。焦っているんだよね」

 そう笑いながらマチアスはソファに座った。手招きをされたリリアンヌは近くに行って足を止めた。

「このままあの二人がやり直しでもしたら、私はどうすれば……」
「そうだね。それは大問題だ。ところで懐妊の予定はどうなの?」

 リリアンヌは小さな肩をびくりと振るわせた。

「きっと身籠っております、大丈夫です。きっと」
「嘘は良くない。君の月のものが少し前にきたと聞いているよ」
「……まさか、屋敷の中に密偵がいるのですか」
「さあどうだろうね。どう思う? でも仲のよい侍女達は沢山いるから、もしかしたら君の屋敷の者だったかもしれないかな」

 マチアスは深く息を吐くとリリアンヌの手を取った。

「白くて滑らかな肌だね。兄様が夢中になったのも分かるな。一時的だったけれど」

 最後の言葉にリリアンヌは再び涙を流した。

「君の泣き顔をもっと近くで見せて」

 マチアスが掴んでいた手に力を込めるとリリアンヌはいとも簡単に体制を崩してその胸に飛び込んでしまった。とっさに手を付いて離れようと付いた胸板に手を留める。そして無意識に頬を染めていた。

「君は兄様が好きなんじゃないの? それとも王族なら誰でもいいの?」
「そんな訳ありません! 私はリアム様をずっとお慕いしておりました!」
「でも兄様は聖女が現れてからずっと心を囚われている。今でもずっと。こうしている今も聖女のところに通っているんだから、このままだと聖女の方が先に兄様の子を身籠ってしまうかもしれないよ」

 リリアンヌの顔が強張っていく。落ちそうになるその手をぐっと引き寄せた。

「でも兄様の寵愛を受けていたのは君が先だ。そうだろう? だから君が懐妊するのが最も自然だよ。幸いな事に僕は兄様に似た容姿だし。良かったら手伝ってあげようか?」
「いけません! そんな事リアム様を裏切るだけでなく、陛下も欺く事になってしまいます!」
「そう? 父上からしたらどちらも息子の子供な訳だし、欺くとは違うような気もするけれど。でもまあそうだね。やっぱり良くないか」

 マチアスは強く握っていた手をぱっと離した。

「そうそう、さっき兄様と話したんだけれど、兄様が君のところに通う事はもうなさそうだよ。なんせ今は聖女に夢中らしいから」

 そう言って立ち上がろうとしたマチアスの服を白い手がぎゅっと掴んでいた。マチアスはさらりとした白金の長い髪を口元に寄せて匂いを嗅いだ。

「……こんなにいい匂いをさせて毎晩待っているというのに、兄様も酷い男だね。日焼けして手入れの行き届いていない庶民の肌よりも君の方がずっと抱き心地が良いだろうに」
「殿下のそれは、リアム様への裏切りです」

 声は震えている。それでも握り締めているその手が離れる事はなく、むしろ強くなった。

「むしろ兄様の為にしているんだよ。聖女も浄化をしてしまえば役目は終わり。でもその功績を笠に着て王太子妃、やがては王妃になろうとしているんだ。こんな恐ろしい事ってあると思う? なんの教育も受けていない者が聖女というだけで国を手中に収めるんだよ。これは国も為でもあると思うんだ」
「……国の為」
「君こそが国母にふさわしい。兄様と一緒に国を治める姿が僕には見えるよ」
「私が王妃」

 髪を撫でていたマチアスの手が次第にリリアンヌの頭をゆっくりと下げていく。そして手を離した。

「君に任せるよ。でも僕はこれが兄様の為だと思っている」

 リリアンヌは躊躇ったのち、マチアスのスラックスに手を掛けた。震える手でまだ柔らかいが少し芯を持ち始めたものを取り出す。

「ねえ知っていた? 夜会での君は本当に誰もが憧れる女性だったんだ」

 マチアスは満足そうに細い腕を引き上げた。

「ここに子種が欲しいんだよね。それなら君から欲しがらないと」

 手でリリアンヌの下腹部を軽く押すと、細い腰がびくりと跳ねた。

「可愛いな本当に。でも今日は僕からは触ってあげない。だって君が欲しがっているんだからね?」 

 言われた言葉を理解したのか、リリアンヌは自らドレスの裾を持ち上げると、マチアスの上に乗った。しかし肩に手を置いたまま動かないその細い腰に手を添えると、マチアスは情事の最中とは思えない微笑みで頷いた。

「うん、じゃあやめようか。僕は大丈夫だよ、これから行く宛ては幾らでもあるからね」

 リリアンヌは唇を噛みしめると一気に腰を落とした。

「あッ」

 小さな悲鳴と共にリリアンヌは身体を硬直させたまま動きを止めた。

「良かった、触れてあげなかったけれど君もちゃんと濡れていたみたいだね。でもまだだよ。最初が肝心だから今日は君が頑張って」

 嬉しそうに、今度は意地悪く笑ったマチアスは、腰に当てていた手に力を込めた。

「支えるくらいはしてあげる」

 リリアンヌは震えながら更に腰を落とすと、自ら腰を上下に揺らし始めた。次第に嬌声が上がり始める。いつの間にか部屋の中には、水音とリリアンヌの喘ぎ声が占めていた。マチアスはその腰を抱き締めると、初めて少し腰を動かしてリリアンヌの中へと子種を吐き出した。やがてぐったりとしたリリアンヌの身体を横にずらし、繋がっていたものを抜くとスラックスを引き上げた。そしてリリアンヌもドレスの裾を直せば何事もなかったように見えた。

「これから毎晩これを繰り返すよ。そうすれば必ず孕むはずだから頑張って。そうそうくれぐれも見つからないようにね。どうあっても君が孕むのは、兄様の子なんだから」

 そう言っていたずらっぽく笑った顔は、まだ十六歳の無邪気さを覗かせた表情だった。

 マチアスは放心したままのリリアンヌが部屋を出て行った瞬間、膝を突いてその場に吐き、横に倒れた。マチアスの身体からはうっすらと黒い靄が立ち昇っていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

離縁してくださいと言ったら、大騒ぎになったのですが?

ネコ
恋愛
子爵令嬢レイラは北の領主グレアムと政略結婚をするも、彼が愛しているのは幼い頃から世話してきた従姉妹らしい。夫婦生活らしい交流すらなく、仕事と家事を押し付けられるばかり。ある日、従姉妹とグレアムの微妙な関係を目撃し、全てを諦める。

愛しき冷血宰相へ別れの挨拶を

川上桃園
恋愛
「どうかもう私のことはお忘れください。閣下の幸せを、遠くから見守っております」  とある国で、宰相閣下が結婚するという新聞記事が出た。  これを見た地方官吏のコーデリアは突如、王都へ旅立った。亡き兄の友人であり、年上の想い人でもある「彼」に別れを告げるために。  だが目当ての宰相邸では使用人に追い返されて途方に暮れる。そこに出くわしたのは、彼と結婚するという噂の美しき令嬢の姿だった――。  これは、冷血宰相と呼ばれた彼の結婚を巡る、恋のから騒ぎ。最後はハッピーエンドで終わるめでたしめでたしのお話です。 完結まで執筆済み、毎日更新 もう少しだけお付き合いください 第22回書き出し祭り参加作品 2025.1.26 女性向けホトラン1位ありがとうございます

出世のために結婚した夫から「好きな人ができたから別れてほしい」と言われたのですが~その好きな人って変装したわたしでは?

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
古代魔法を専門とする魔法研究者のアンヌッカは、家族と研究所を守るために軍人のライオネルと結婚をする。 ライオネルもまた昇進のために結婚をしなければならず、国王からの命令ということもあり結婚を渋々と引き受ける。 しかし、愛のない結婚をした二人は結婚式当日すら顔を合わせることなく、そのまま離れて暮らすこととなった。 ある日、アンヌッカの父が所長を務める魔法研究所に軍から古代文字で書かれた魔導書の解読依頼が届く。 それは禁帯本で持ち出し不可のため、軍施設に研究者を派遣してほしいという依頼だ。 この依頼に対応できるのは研究所のなかでもアンヌッカしかいない。 しかし軍人の妻が軍に派遣されて働くというのは体裁が悪いし何よりも会ったことのない夫が反対するかもしれない。 そう思ったアンヌッカたちは、アンヌッカを親戚の娘のカタリーナとして軍に送り込んだ――。 素性を隠したまま働く妻に、知らぬ間に惹かれていく(恋愛にはぽんこつ)夫とのラブコメディ。

願いの代償

らがまふぃん
恋愛
誰も彼もが軽視する。婚約者に家族までも。 公爵家に生まれ、王太子の婚約者となっても、誰からも認められることのないメルナーゼ・カーマイン。 唐突に思う。 どうして頑張っているのか。 どうして生きていたいのか。 もう、いいのではないだろうか。 メルナーゼが生を諦めたとき、世界の運命が決まった。 *ご都合主義です。わかりづらいなどありましたらすみません。笑って読んでくださいませ。本編15話で完結です。番外編を数話、気まぐれに投稿します。よろしくお願いいたします。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...