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57 魔力と愛と
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「本当に公務は宜しいのですか?」
泉へ着いて行くというクラウスに押し切られる形であれよあれよという間に馬車に乗せられたが、王都から離れるにつれて、今頃フランツィスが発狂しているのではないかと気が気ではなかった。
クラウスの公務に終わりはない。だからといって働き詰めなのはよくないが、そもそもこうして勝手に抜け出していい訳がない。しかしそんな心配をよそにクラウスの表情は穏やかさに満ちていた。
「たまにはこうして二人きりで外出するのも良いものだな」
嬉しそうなクラウスにつられてその肩に頭を預けると、ふわりと胸が切なくなる大好きなクラウスの匂いがした。本当はまだ二人きりだと緊張してしまう。それでも最近では、緊張の中にも例えば今みたいにしっかりとした肩のぬくもりや微かな匂い、ふとした表情など普段のクラウスを感じられる幸せを噛み締めていた。
戴冠式の後大々的なお披露目をした為クラウスの顔は割と知れ渡っているらしく、突然国王が町の宿屋に泊まる訳にもいかず、泉に着くまでの宿泊は馬車の中となった。とはいってもさすがは王家の馬車。広くフカフカの内装は夜もしっかりとベッドとしての役割を果たしてくれる。それでもクラウスは護衛達と見張りをすると言って外に出てしまった。
寂しい馬車の中で、ふと外から楽しそうな声が聞こえてくる。連れてきた護衛はクラウスの信頼の置ける騎士達らしく、時折談笑する声が中まで聞こえてきていた。
結界が消えてから昼と夜の気温差が目立ってきたように思う。ぶるりと体が震え目が冴えてしまってはもう寝付けない。毛布の中に潜ってみたが迷った末、肩にショールを掛けると馬車から降りた。
「どうかなさいましたか?」
「眠れないだけよ。少し散歩してくるわ」
「エーリカ! どうしたんだ?」
すぐにこちらに気が付いたクラウスはショールを更に類い寄せると、更に上着を掛けてくれた。
「何か温かい物での飲むか?」
「大丈夫です。それよりもクラウス様は休まれないんですか?」
焚き火の周りを囲んでいた騎士達は何故かソワソワと居心地悪そうに顔を見合わせている。
「交代で休むから大丈夫だ。さあ、外は冷えるからもう中に入った方がいい」
「それならクラウス様もです。国王陛下を夜営させて私だけ中で眠るなんて出来ません」
「俺は馴れているから大丈夫だ」
「……そんなに私と二人きりはお嫌ですか」
思っていた事が口をついて出た瞬間、エーリカはすぐに馬車の中に戻ろうとした。勢いよく手首が掴まれる。すると何故かクラウスは耳まで真っ赤になっていた。
「二人きりはまずいんだ。特に馬車だし、周りには男ばかりだしな」
騎士達はいよいよ身の置き場を変えようとして立ち上がり始めた瞬間、クラウスの言葉の意味を理解した。
「む、無理を言って申し訳ありませんでした!」
一刻も早く立ち去りたくて掴まれている手を離してもらおうと力を入れた。しかし反対に引かれ一気にクラウスとの距離が近くなる。目の前で指先に口づけが落ちてきた。
「お休み。良い夢を」
「……お休みなさい」
そっと扉を開けられるままに中に戻っていく。寒かったはずの体は何故か熱くて仕方がなくなっていた。
護衛は森の入り口で待たせ二人きりで森に入って行く。初めて来る場所に興味津々なのか葉っぱを触ったり、あちこち歩き回ったり、少年の探検さながらの姿につい笑みが溢れてしまった。
「魔獣の森というくらいだから少し位は魔獣に出くわすと思っていたが、本当に穏やかな場所のようだな」
「名前の由来は分かりませんが、もしかしたら誰かが魔獣を保護する為にそう名付けたのかもしれませんね。そうすれば滅多な事がない限り立ち入ろうとはしないでしょうから」
「確かに無害な魔獣が迫害されてきた過去の事例もある。どちらにしても両者の為に関わらない方がいいのかもしれないな」
「それは少し寂しい気もしますね。あ、もうそろそろ泉に着きます」
石碑を見つけて足を踏み入れると、その場所は自然と開けていった。
「ここがエーリカが二ヶ月も沈んでいた場所なのか。なんてことない泉に見えるが、そう思うと感慨深いな」
エーリカが泉を覗くと、水は以前よりも透明に見えた。前はもっと青かったように思う。そう思いながら指先を水につけると、ぐんと中へ引っ張られた。
「エーリカ!」
「大丈夫です!」
短く言ったのを最後に泉の中に引き込まれていった。渦に吸い込まれるように体はあっという間に沈んでいく。泉の中には、ヘルムートの言った通り魔力が満ちていた。しばらくその懐かしい魔力の中を漂ってから、受け入れるように両腕を開いた。水の中に広がって浮遊していた魔力が臍の辺りから一気に身体の中に入ってくる。血液が巡るように指先につま先に、そして頭のてっぺんに到達すると折り返すようにしてお腹の辺りで落ち着いた。それら全てを閉じ込めるように腕を閉じると、今度は押し上げられるように体は自然に浮上していく。輝く水面が目に入る。ぼんやりとクラウスの影が見えた瞬間、お腹の辺りに手が触れた気がした。
――この魔力を持って、どうか幸せに。
不意に声が聞こえた気がして下を見る。しかし漏れ出た空気が気泡となって周りを覆い隠していた。
「エーリカ! 大丈夫か?」
水に濡れた重い身体の事よりも懐かしい感覚が体を満たしており、言葉が出てこない。あれだけ手放したいと思っていた。こんな力があるから自分は幸せになれないのだと思い込んでいた。でも今なら分かる。魔力はすでに自分の一部で手放す事など出来るはずもなく、魔力を持つ自分を否定しているうちは幸せには決してなれないのだと気が付いた。
「エーリカ? どこか辛くはないか?」
無意識に流れていた涙を拭き、首を振る。そして自分で自分を抱き締めた。
「おかえりなさい」
呟いた。
「魔力は戻ったのか?」
「戻りました。とても懐かしい感覚です」
「良かったな。それじゃあ魔術師エーリカのご帰還だ」
そう笑ったクラウスを抱き締めた。
「魔力は戻りましたが、この体に満ちている魔力は命を繋ぐもので、もう今までのように魔術は扱えません。だからただのエーリカです」
その瞬間、痛いくらいに抱き締め返される。でもその体は小刻みに震えていた。
「クラウス様?」
「ッ、……くッ」
「クラウス様!?」
抱き締められている体を思い切り引き離すと、クラウスの姿に言葉を失った。
「え……」
クラウスは目を赤くし、涙を堪えていた。
「情けないな。こんな姿を見せてしまって。覚悟はしていたつもりだったんだ。エーリカが生きる為には魔力が必要だと。でも魔力を取り戻せばエーリカはまた魔術師になってしまう。自分勝手だと分かっているがずっとそばにいて欲しかった」
「魔術師の私はお嫌いでしたか?」
「好きだ! 好きに決まっている!」
その瞬間、二人で息を呑んだ。どちらともなく顔が赤くなっていく。そして少し離れたまま手を握った。
「どんな私も好きでいて下さってありがとうございます。私もクラウス様が大好きです」
泉へ着いて行くというクラウスに押し切られる形であれよあれよという間に馬車に乗せられたが、王都から離れるにつれて、今頃フランツィスが発狂しているのではないかと気が気ではなかった。
クラウスの公務に終わりはない。だからといって働き詰めなのはよくないが、そもそもこうして勝手に抜け出していい訳がない。しかしそんな心配をよそにクラウスの表情は穏やかさに満ちていた。
「たまにはこうして二人きりで外出するのも良いものだな」
嬉しそうなクラウスにつられてその肩に頭を預けると、ふわりと胸が切なくなる大好きなクラウスの匂いがした。本当はまだ二人きりだと緊張してしまう。それでも最近では、緊張の中にも例えば今みたいにしっかりとした肩のぬくもりや微かな匂い、ふとした表情など普段のクラウスを感じられる幸せを噛み締めていた。
戴冠式の後大々的なお披露目をした為クラウスの顔は割と知れ渡っているらしく、突然国王が町の宿屋に泊まる訳にもいかず、泉に着くまでの宿泊は馬車の中となった。とはいってもさすがは王家の馬車。広くフカフカの内装は夜もしっかりとベッドとしての役割を果たしてくれる。それでもクラウスは護衛達と見張りをすると言って外に出てしまった。
寂しい馬車の中で、ふと外から楽しそうな声が聞こえてくる。連れてきた護衛はクラウスの信頼の置ける騎士達らしく、時折談笑する声が中まで聞こえてきていた。
結界が消えてから昼と夜の気温差が目立ってきたように思う。ぶるりと体が震え目が冴えてしまってはもう寝付けない。毛布の中に潜ってみたが迷った末、肩にショールを掛けると馬車から降りた。
「どうかなさいましたか?」
「眠れないだけよ。少し散歩してくるわ」
「エーリカ! どうしたんだ?」
すぐにこちらに気が付いたクラウスはショールを更に類い寄せると、更に上着を掛けてくれた。
「何か温かい物での飲むか?」
「大丈夫です。それよりもクラウス様は休まれないんですか?」
焚き火の周りを囲んでいた騎士達は何故かソワソワと居心地悪そうに顔を見合わせている。
「交代で休むから大丈夫だ。さあ、外は冷えるからもう中に入った方がいい」
「それならクラウス様もです。国王陛下を夜営させて私だけ中で眠るなんて出来ません」
「俺は馴れているから大丈夫だ」
「……そんなに私と二人きりはお嫌ですか」
思っていた事が口をついて出た瞬間、エーリカはすぐに馬車の中に戻ろうとした。勢いよく手首が掴まれる。すると何故かクラウスは耳まで真っ赤になっていた。
「二人きりはまずいんだ。特に馬車だし、周りには男ばかりだしな」
騎士達はいよいよ身の置き場を変えようとして立ち上がり始めた瞬間、クラウスの言葉の意味を理解した。
「む、無理を言って申し訳ありませんでした!」
一刻も早く立ち去りたくて掴まれている手を離してもらおうと力を入れた。しかし反対に引かれ一気にクラウスとの距離が近くなる。目の前で指先に口づけが落ちてきた。
「お休み。良い夢を」
「……お休みなさい」
そっと扉を開けられるままに中に戻っていく。寒かったはずの体は何故か熱くて仕方がなくなっていた。
護衛は森の入り口で待たせ二人きりで森に入って行く。初めて来る場所に興味津々なのか葉っぱを触ったり、あちこち歩き回ったり、少年の探検さながらの姿につい笑みが溢れてしまった。
「魔獣の森というくらいだから少し位は魔獣に出くわすと思っていたが、本当に穏やかな場所のようだな」
「名前の由来は分かりませんが、もしかしたら誰かが魔獣を保護する為にそう名付けたのかもしれませんね。そうすれば滅多な事がない限り立ち入ろうとはしないでしょうから」
「確かに無害な魔獣が迫害されてきた過去の事例もある。どちらにしても両者の為に関わらない方がいいのかもしれないな」
「それは少し寂しい気もしますね。あ、もうそろそろ泉に着きます」
石碑を見つけて足を踏み入れると、その場所は自然と開けていった。
「ここがエーリカが二ヶ月も沈んでいた場所なのか。なんてことない泉に見えるが、そう思うと感慨深いな」
エーリカが泉を覗くと、水は以前よりも透明に見えた。前はもっと青かったように思う。そう思いながら指先を水につけると、ぐんと中へ引っ張られた。
「エーリカ!」
「大丈夫です!」
短く言ったのを最後に泉の中に引き込まれていった。渦に吸い込まれるように体はあっという間に沈んでいく。泉の中には、ヘルムートの言った通り魔力が満ちていた。しばらくその懐かしい魔力の中を漂ってから、受け入れるように両腕を開いた。水の中に広がって浮遊していた魔力が臍の辺りから一気に身体の中に入ってくる。血液が巡るように指先につま先に、そして頭のてっぺんに到達すると折り返すようにしてお腹の辺りで落ち着いた。それら全てを閉じ込めるように腕を閉じると、今度は押し上げられるように体は自然に浮上していく。輝く水面が目に入る。ぼんやりとクラウスの影が見えた瞬間、お腹の辺りに手が触れた気がした。
――この魔力を持って、どうか幸せに。
不意に声が聞こえた気がして下を見る。しかし漏れ出た空気が気泡となって周りを覆い隠していた。
「エーリカ! 大丈夫か?」
水に濡れた重い身体の事よりも懐かしい感覚が体を満たしており、言葉が出てこない。あれだけ手放したいと思っていた。こんな力があるから自分は幸せになれないのだと思い込んでいた。でも今なら分かる。魔力はすでに自分の一部で手放す事など出来るはずもなく、魔力を持つ自分を否定しているうちは幸せには決してなれないのだと気が付いた。
「エーリカ? どこか辛くはないか?」
無意識に流れていた涙を拭き、首を振る。そして自分で自分を抱き締めた。
「おかえりなさい」
呟いた。
「魔力は戻ったのか?」
「戻りました。とても懐かしい感覚です」
「良かったな。それじゃあ魔術師エーリカのご帰還だ」
そう笑ったクラウスを抱き締めた。
「魔力は戻りましたが、この体に満ちている魔力は命を繋ぐもので、もう今までのように魔術は扱えません。だからただのエーリカです」
その瞬間、痛いくらいに抱き締め返される。でもその体は小刻みに震えていた。
「クラウス様?」
「ッ、……くッ」
「クラウス様!?」
抱き締められている体を思い切り引き離すと、クラウスの姿に言葉を失った。
「え……」
クラウスは目を赤くし、涙を堪えていた。
「情けないな。こんな姿を見せてしまって。覚悟はしていたつもりだったんだ。エーリカが生きる為には魔力が必要だと。でも魔力を取り戻せばエーリカはまた魔術師になってしまう。自分勝手だと分かっているがずっとそばにいて欲しかった」
「魔術師の私はお嫌いでしたか?」
「好きだ! 好きに決まっている!」
その瞬間、二人で息を呑んだ。どちらともなく顔が赤くなっていく。そして少し離れたまま手を握った。
「どんな私も好きでいて下さってありがとうございます。私もクラウス様が大好きです」
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