魔術師の恋〜力の代償は愛のようです〜

５３ 変わりゆく世界〈前編〉

　アメジスト王国・紫の離宮

　四ヶ月前に魔術師の山が落下し、ほとんどが瓦礫となった場所から無傷で取り出されたルートアメジストは、守られるようにして紫の離宮に作られた離れの奥部屋に安置されていた。
　結界を張る事がなくなったルートアメジストだが、それだけで宝石としての価値がある。しかしその事実を魔術師達は知らない。改築をする際に先に離宮を作りその奥部屋へとしまい込んだ為、知っているのはクラウスとフランツィス、それと運び入れる際に手伝った大工の数名。その者達には口封じの為に、ハンナが魔力の籠もった誓約書を作ったのだった。

　その部屋の奥から物凄い破壊音が聞こえてきている。離宮に残っていた数名の魔術師達は急いでハンナを呼びに走った。ハンナは今まさに王都の周囲に保護の魔石を置くべく出発しようとしていた。警備自体は騎士団がする。しかし大公領が落とされた時の為に、幾重にも対策は必要だった。
　フランツィスにも報告が上がり、丁度回廊の角でハンナと鉢合わせる。向かっている間にも紫の離宮の方から爆発音が聞こえてきていた。急いで門を過ぎ、庭の方へと走って行く。魔石を駆使して建てられた離れの建物はものの見事に破壊されていた。
　砂埃が上がる中、僅かに残っていた魔術師達は離れの前に立ち戦闘態勢を取っている。ハンナは急いで手を降ろさせると、指を滑らせるようにして動かしながら宙にマークを描くと雨を降らせた。砂埃が雨で落ち着いていく。崩れた建物の瓦礫が動き出す。そして巨大なルートアメジストが不自然に崩れた場所から出来てきたのは、この国で唯一、漆黒の姿のオルフェンだった。　

「全く、魔術師長殿が離宮を破壊してしまったぞ」
「これは弁償ものですね」

　ハンナとフランツィスは互いの顔を見合わせて笑うと、オルフェンの元に走った。




　オルフェンはだるそうに転送装置から出ると、エーリカを見つけて気まずそうに笑った。エーリカは走り出して抱き着くと、オルフェンは押されるように再び元の位置に戻ってしまう。それでも構わずに泣いているエーリカの背中を面倒そうに叩いたり擦ったりした。

「いいんですか？」

　ユリウスが横で囁いたがクラウスは面白くなさそうに頷いた。

「今だけは仕方ないだろう」

　エーリカはオルフェンのマントを両手で掴んだまま睨みつけた。

「どこにいたんですか？　あの石像は？　身体を壊してしまったのになんで生きているんですか？」
「質問が多い。一個だけ答えてやる」
「……師匠だぁ！」

　再び抱き着き、顔をマントに擦り付ける。

「俺はあの二人の関係を疑っていたなんて、前の自分を殴ってやりたいよ。あれじゃあまるで飼い主と飼い犬じゃないか」
「どちらが飼い犬ですか？」

　笑いを堪えるように聞いてくるユリウスの首根っこを掴んだハンナは氷でその頬を撫でた。

「意地悪を言ってやるな。陛下はこれでも耐えているんだろうからな。だか、そろそろだぞ」

　ハンナの言葉にオルフェンはエーリカを引き離した。

「話は後だ。あの者だけでは押し返せないだろう。モフ、シロ、出て来い」

　するとオルフェンの横にモフが現れる。エーリカは四ヶ月過ごした町で離れてからずっと姿を見られなかったモフの姿に飛び付いた。しかし触れる事は出来ずにそのまま床に手をつく。それを呆れたように見ながらオルフェンはエーリカの身体を視て言った。

「シロも早く出てこい」

　すると、シロはエーリカの腹部からするりと出てきた。

「シロちゃん！　こんな所にいたの？　ずっとずっとあなたに謝りたいと思っていたの。私を助けてくれたから、もう消えてしまったと思っていたのよ！」
「シロはお前を気に入っているんだ。素直じゃないだけでな」

　白い尾がオルフェンの足を叩く。そしてオルフェンは歩き出した。　

「どこに行くの？」
「ヴィルヘルミナ帝国からこの国を守る。俺達の約束を果たす為にな」
「約束？」
「アメジスト王国の初代ベルムート王との誓いさ」

　クラウスはオルフェンに一歩近づいた。

「……ヘルムートの名を聞いた時から、俺も拝命した初代王ベルムートの名に近い事が気になっていた」
「ベルムートはヴィルヘルミナの唯一の子だった。本当の名はヘルムート。そしてヴィルヘルミナの侵略によって虐げられる人々を守る為、国を捨て名を変えアメジスト王国を作った。俺達兄妹はそんな国を守る為に人柱となったんだ。四体目の人柱はベルムート自身だ。ベルムートは結界の礎を創る為に犠牲となってその力を国中に散らばせた。俺達が見ていたあの結界の輝きはベルムートの魔力そのものだったんだ」
「オルフェンも人柱だったの？　でも、だって、普通に暮らしていたじゃない。身体だって人のままでしょ！」
「俺は魔術師の山にあったルートアメジストに宿る人柱だ。本体はずっとあの中にあった。モフやシロのように肉体とは別の魔力で具現化した姿で動いていたが、あの馬鹿に壊されたから仕方なく肉体を取り出したんだよ。とはいってもルートアメジストから出るのは苦労したがな。あのルートアメジストには国の魔力が貯まっていたから俺は人の姿を保つ事が出来ていたんだ。それと引き換えに兄妹達には悪い事をした」

　見つめるモフとシロは返事をする代わりに身体をオルフェンに押し付けた。

「でも魔術師の山にあったルートアメジストの中に人の姿はなかったわ。そうよね？」

　ハンナも分らないと言いたげに首を振った。

「隠していたんだから気付かなかったなら何より。さぁ、ハンナが転送装置を動かして皆を避難させろ！　エーリカは大公領に残れ」
「俺も残る。国王として見届けたい」
「少しはマシな面になったじゃないか。勝手にしろ」




　大地を動いていた竜巻は勢いを失いかけていた。ヘルムートの周りに魔獣の群れが集まっている。オルフェンが壁の外に出て足元に手を向けると、地面にマークを描いた。地面が波打ちオルフェンの足元を動かしていく。あっという間にオルフェンは辛うじて立っているヘルムートの横に現れた。

「無茶な戦い方をするな。誰かさんにそっくりだ」

　血の混じった唾を吐き出したヘルムートは、隣りに立つオルフェンをじっと見つめたまま立ち尽くしていた。

「どうした？　俺に会いたかったんじゃないのか？」
「会いたかったさ。会って殺したかった。俺の血がそうさせるんだ。ヴィルヘルミナもヴィルヘルムもお前を憎んでいるッ！」
「全く執念深い奴らだ。でもお前はどうだ？　俺が憎いか？　会った事もないのに？」
「会った事なら何百回もある！　何度も生まれ変わり、前世の記憶の中で二人の過去を何度も見てきた。常にお前を呪い憎んでいた。お前さえいなければヴィルヘルムは闇に堕ちる事はなかった。そうすればヴィルヘルミナも歪んでいったりはしなかったんだ！」

　吐き出すように叫んだ後、ヘルムートは膝を突いた。ドバドバと血を吐き、その場に手をつく。その光景を見下ろしながらオルフェンは一際大きな黒い魔術を感じていた。ヘルムートも気がついたのか血で濡れた口元を拭きながら大地を見据える。

「上には上がいるぞ。お前が最強ではない。そしてそれは俺でもない。常に強者は入れ替わっていくんだ」
『チガウチガウチガウ！　オレガコノセカイノキョウシャナノダ！』

　ヘルムートの声が二重になっていく。自らの声に驚き、ヘルムートは更に血を吐いた。　

「それ以上魔力を使うな。今は無理やりヴィルヘルムの魔術で搾り取られているんだ」
「魔術？　違うな、これは呪いだ」
「いいや、魔術と呪いは似ていて異なるもの。そして呪いにそこまでの力はない。お前が自らの力でその魔術を跳ね返せばお前は解放される」
「そんな事、出来るのか？」
「お前がヴィルヘルムを拒絶しろ」

　しかしすぐにヘルムートは激しく頭を振った。

「無理だ！　何百年もあいつと共に生きてきたんだ。何度生まれ変わってもあいつに支配されている。私に強者になれという。世界の頂点に立てとずっと命令してきている！」

　黒い塊がどんどん近付いてきている。オルフェンはヘルムートの身体を後ろに投げた。

「それなら隠れていろよ。足手まといだ」
「あんな化け物に勝てない。私も、お前でもな」
「あれは誰なんだ？　知っている奴か？」
「二番目の兄だ。もう魔力が暴走していて止まらない」
「いつの時代も血縁というのは厄介なものだな。不要だと切り離せないから面倒だ」
「勝てるのか？」
「勝てるのかじゃなく勝つんだ。俺はヴィルヘルミナ帝国を止めなくてはいけない。ヴィーの為に」
「ヴィルヘルミナ帝国を止める……」

　オルフェンの横にモフとシロが現れる。

「お前達……」
「俺の兄と妹だ」

　その瞬間、モフはオルフェンよりの背の高い男に変わり、シロは少女と女性の中間くらいの美しい女に変わった。その三人が僅かに後ろを向く。ヘルムートは三人の背中を見つめたまま呆然としていた。

「あの時、守れなくてすまなかった。ヴィー」

　オルフェンは大地に向かって文字とマークを描いていく。そしてその手に重ねるようにしてモフとシロも手を合わせた。大地は波のように立ち上がり、黒い大きな塊を飲み込んでいく。逃れるように大地の波よりも大きくなろうとしていく。ヘルムートは慌てて立ち上がると三人の甲の上に自らの手も押し当てた。身体の全ての力が吸い取られる感覚に悲鳴を上げる。血液が湧き立ち、穴という穴から吹き出しているような感覚に陥っていた。大地の波は高さを上下左右に伸ばし、黒い魔力の塊を飲み込んでいく。そして大地に吸い込まれるように消え去った。

　振動の音が耳の中で激しく鳴っている。息が出来なくて喘ぎながら横を見ると、モフとシロの姿は今にも消えようとしていた。オルフェンは二人と視線を合わせると頷いた。その瞬間、二人の姿は空気に溶けるように消え去っていった。ヘルムートは声を出せないままオルフェンを見上げた。

「お前に一つ頼みがある。エーリカに伝言を……」

　オルフェンはエーリカへの言葉を残すと、その場にばたりと倒れて動かなくなった。
　竜巻が止み、大地が捲れ上がって起こした砂塵も消えていく。ヘルムートはオルフェンの遺体を抱き上げて、近くて遠い壁へと向かって歩き出した。

「オルフェン！　ヘルムート！」

　霞む視界に人が映る。ヘルムートはオルフェンの遺体を差し出すようにして、その場で意識を失った。




　一角が崩れた王宮の玉座の間。
　魔力の暴走と身体の限界を越えた使い方のせいで、ネグルは真っ直ぐ前に倒れると動かなくなった。その肌は、たった今亡くなったとは思えない程に砂のようにボロボロになっていた。
　玉座の前には最後までネグルを皇帝にする事を拒んでいた元老院の者達の死体が積み重なっている。更に崩壊を始める王宮から脱出しようと、逃げ惑う人々の悲鳴で辺りは混乱していた。

「まあいいわ。とにかく今回はヘルムートさえ殺せれば良かったもの。後はゆっくり……」

　その瞬間、ルイーザは脇腹に衝撃を受けてよろけた。
　ゆっくり視線を下に向けると、脇腹には短剣が突き刺さっていた。

「イメルダ……、お前！」

　伸ばした手が躱される。震える手を僅かに赤く染め、イメルダは一歩ずつ後退していく。

「よくも、よくも裏切ったわね！　ヘルムートに捨てられたお前を拾ってやったのに！」

　その瞬間、ルイーザはごふりと血を吐いて膝を突いた。

「ヘルムート様を殺させはしません、絶対に、ヘルムート様はお戻りになりますから……」

　イメルダはそう言うと、踵を返して走り出した。