魔術師の恋〜力の代償は愛のようです〜

山田ランチ

文字の大きさ
上 下
49 / 63

49 後悔しても

しおりを挟む
 優しい水音と共にアレクとパールは何度も舌を絡ませていた。息が上がり、パールが胸元の釦を外そうとした所で、アレクにその手首を掴まれた。

「駄目だよ。この先へ進むのはきちんと婚約をしてからじゃないと」

 しかし駄々をこねるように首を振りながら、パールはアレクの首筋に吸い付いた。

「パール! 本当に駄目だよ」
「どうして駄目なのです? 好きなのは私だけですか?」
「そうじゃない! 僕もパールが大好きだ。だからこそちゃんと正式に婚約を結びたいんだよ」

 しかしパールの手が下肢に伸びていく。びくりと身体を震わせたアレクは、強引にパールの肩を押した。急性に引き離されたパールは不満そうに唇を尖らせた。 

「ここへ来てからアレク様は口付けしかして下さいません。そんなにお嫌ですか?」

 するとアレクは痛々しい顔で俯いた。

「そんなにしたがると言う事は、その、パールはもうすでに、その……」
「純潔じゃないと? そうお聞きになりたいのですか?」

 アレクは顔を上げると、すぐに頬に触れた。

「疑っている訳じゃないんだ! でも平民はそういった経験が早いと聞くから、その、もしかしたら相手がいたのかもって」

 パールは下から掬うような口付けをすると、アレクの胸に飛び込んだ。

「私は誰も受け入れた事はございません! こんな事もアレク様とが初めてです。ただ、友人達の話などは聞いた事があるので、貴族のご令嬢の方々よりは知識があるかもしれません。お嫌ですか?」
「知識……そうか。でもこういう事はここまでにしよう。僕は君を大事にしたいんだ。必ず陛下のお許しを頂くよ」

 パールはアレクの胸に無表情で擦り寄った。その時、部屋の扉が叩かれる。最初は返事をしなかったアレクだったが、扉を叩く音は次第に激しくなりとうとう扉を開けた。

「良かったアレク! 部屋にいたのね!」

 母親は開いた部屋の隙間から見えた女に目を見開いたが、それには何も言わずにアレクの腕を掴んだ。

「ヴィルヘルミナ帝国と戦争が始まるのよ!」
「陛下がどうにかなさるでしょう。そんなに一大事なら、僕の所じゃなくてもっと行きたい場所あるんじゃないですか?」 
「あなたは誤解をしているわ。いいえ、私が悪いのだけれど……」
「認めるんですね! 僕には構わずどうぞ逃げて下さい。ああ、父上にも構わないで下さいね。きっと死に際まであなたの顔など見たく……」

 激しい平手打ちが飛ぶ。アレクの身体がよろけて扉にぶつかった。

「アレク様! 大丈夫ですか?」
「あなたも早くヴォルフ侯爵家に戻り、家に返してもらいなさい。娘が一人敵国にいるなどご家族もさぞご心配しているわよ」
「!?」
「あなたの事は調べました。ヴォルフ侯爵が囲っているヴィルヘルミナ敵国からの間者だという事をね」

 その時、今度アレクの平手打ちが飛んだ。母親は廊下に倒れすぐに護衛の騎士が支える。驚いたまま固まっている母親の横を大股で通り過ぎると、アレクはパールお腕を掴んで歩き出した。

「アレク様、あの方は?」
「……母だった人だよ」

 パールが後ろを振り返り掛けた所で手を引くアレクの力は強くなった。

「あんな女、君が気にしなくていいよ。汚らわしい!」
「汚らわしいとはどういう事です?」

 すると大股で歩いていた足は突如止まってパールの両肩に手を置いた。

「あの女は不貞行為を働いていたんだ。夫がいるのに」
「でも珍しい事ではないのでは?」

 すると驚いたようにアレクは目を見開いた後、ふっと息を吐いた。

「確かに珍しい事ではないよ。でもあの女は王妃だったんだ。だからそれは国を裏切る行為なんだ。だからこそ僕は貞淑な妻を望むし、相手にもそうありたいと思う」
「私を抱かれない理由はそれですか?」

 怒りで強張っていたアレクの頬にさっと赤みが指す。年相応に恥ずかしがった態度でそっとパールの身体を包み込んだ。

「大事にしたいんだ。落ち着いたらアメジスト王国に住まいを移してくれないか? 何不自由ない暮らしを約束する」

 返事のないパールの顔を覗き込もうとした時、パールの視線はアレクの肩越し、廊下の先へと釘付けになっていた。アレクも不審に思いながらその視線を追う。そこにはクラウスを先頭とした、今のこの国の中枢を担う者達が回廊を進んでいた所だった。

「陛下達だ。君を紹介したい所だけど、今は止めた方がいいみたいだね」

 その瞬間、パールは走り出していた。




 突然現れた見ず知らずの女はクラウスの前に飛び出した。護衛達が一斉に構えるがその前を通り過ぎると、後ろでマントを被っていた者の前に膝を着いた。

「必ず生きていらっしゃると信じておりました!」

 気怠そうにマントが外され、さらりとした白銀の髪が流れる。パールは眩しいものでも見るように目を細めながら小刻みに身体を震わせていた。

「パール? 何をしているんだ!」

 無理やりパールの腕を引いたアレクは、マントを被っていた男の姿を見て言葉を失っていた。

「……お前はあの時に城を襲ってきた奴だ。パール、まさかこの男を知っている訳じゃないよね?」
「ヘルムート様、よくぞご無事で!」

 もうアレクなど見えていないかのような態度にアレクはパールの身体を思い切り引き寄せた。細い身体は軽々と腕の中に収まる。しかしパールは今までに見た事のないような顔で睨みつけてくると、その腕から逃れようと身を捩った。

「殿下が行方不明と知り居ても立っても居られずこうして秘密裏に入国していたのです! さあヘルムート様、共に帰りましょう!」
「お前はもっと賢いと思っていたんだがな。状況をよく見ろ、どうやったら帰れるように見える? 私は囚われているんだぞ」

 手錠を掛けられた手を上げて見せると、パールは激しい怒りを湛えてクラウスを睨みつけた。

「この方がどなたか分かっているの? ヴィルヘルミナ帝国の皇太子殿下よ!」
「馬鹿者、お前こそ二度目はないぞ。この方はアメジスト王国の国王陛下だ。お前ごときがそう話しかけてよい相手ではない」
「も、申し訳ございません! なんでもお言いつけを守りますからどうかパールを捨てないで下さい!」

 騎士がパールの腕を掴むと強引に引き離した。

「その女も密入国者のようだな。牢に入れておけ」
「パールの身分は僕が保証します! 牢などあんまりです兄上!」

 すると、ヘルムートは鼻で笑った。

「お前も随分上手く入り込んだものだ。おっと、私の指示ではないぞ。何せずっとエーリカと暮らしていたんだからな」
「エーリカ?」

 パールの視線がクラウスの隣りにいたエーリカに向く。強い視線で睨み付けられた時、クラウスの背がその視線を遮った。

「これ以上は意図的な足止めとみなすぞ!」

 一行から切り離されるように騎士に連行されていくパールの腕を掴んだアレクは、今まで向けられていた優しい顔とは似ても似つかない表情を向けられ、その場に立ち尽くした。




 アレクは気がつくと父親の病室の前に立っていた。
 開ける事もせずただ部屋の前に立ち尽くしていると、扉が静かに開く。

「来てくれたのね」

 母親の頬は赤くなっており、その痛々しさに顔を歪める。その瞬間、優しい腕が背中に回っていた。

「中へ入りましょう。お父様がお待ちよ」

 数ヶ月振りに入る部屋の中、ベッドの上で父親は眠っていた。

「先程息を引き取られたの。ずっと頑張っておられたからもういいわよね?」
「いいも何も、僕は」

 言葉にならない言葉が出ない代わりに視界が歪み、涙が次から次に溢れてくる。そのまま膝から崩れ落ちた。

「私のせいでこの人にもあなたにも誤解を招いたまま苦しめてしまったわ。本当にごめんなさい」
「誤解?」
「あなたは紛れもなくこの人の子よ。それは断言出来ます」
「それなら何故! 何故はっきりとそう言ってくれなかったのです!」
「それは半分真実で、半分が嘘だったからよ。あなたはこの人の子。でも不義を働いたのも事実だったわ」
「父上を愛してはいなかったのですか?」
「あの時は周囲の目に耐えきれなくなってしまったの。このまま子が出来なければ側室を、妾をという声が日に日に大きくなり、寝所へ女が送り込まれる事態も何度も起きたわ。私はそれで心が壊れてしまったの。なんとしても子を授からなければと追い詰められてしまった。その時、ふと近付いてきた者と関係を持ってしまった。今思えば策略だったのかもしれないけれど、あの時の私には正常な判断が出来ていなかった」
「相手、とは?」

 言い淀んでいたが、アレクはふと呟くようにその名を口にした。

「ヴォルフ公爵ですか?」
「あの男はお前が自分の子だと思っている。だからお前を王位につけようとしているのよ」
「だから僕に近付いてきたのか」

 アレクはゆらりと立ち上がると、部屋を出て行こうとした。

「どこへ行くの? アレク?」
「僕はここに居るべき人間ではありません。少しだけ、時間を下さい」
「アレク危険な事はしないで。お願いだから!」

 その言葉には返事も振り返る事もなく、静かに部屋を出て行った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

【完結】お前とは結婚しない!そう言ったあなた。私はいいのですよ。むしろ感謝いたしますわ。

まりぃべる
恋愛
「お前とは結婚しない!オレにはお前みたいな奴は相応しくないからな!」 そう私の婚約者であった、この国の第一王子が言った。

【完結】彼を幸せにする十の方法

玉響なつめ
恋愛
貴族令嬢のフィリアには婚約者がいる。 フィリアが望んで結ばれた婚約、その相手であるキリアンはいつだって冷静だ。 婚約者としての義務は果たしてくれるし常に彼女を尊重してくれる。 しかし、フィリアが望まなければキリアンは動かない。 婚約したのだからいつかは心を開いてくれて、距離も縮まる――そう信じていたフィリアの心は、とある夜会での事件でぽっきり折れてしまった。 婚約を解消することは難しいが、少なくともこれ以上迷惑をかけずに夫婦としてどうあるべきか……フィリアは悩みながらも、キリアンが一番幸せになれる方法を探すために行動を起こすのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも掲載しています。

愛しき夫は、男装の姫君と恋仲らしい。

星空 金平糖
恋愛
シエラは、政略結婚で夫婦となった公爵──グレイのことを深く愛していた。 グレイは優しく、とても親しみやすい人柄でその甘いルックスから、結婚してからも数多の女性達と浮名を流していた。 それでもシエラは、グレイが囁いてくれる「私が愛しているのは、あなただけだよ」その言葉を信じ、彼と夫婦であれることに幸福を感じていた。 しかし。ある日。 シエラは、グレイが美貌の少年と親密な様子で、王宮の庭を散策している場面を目撃してしまう。当初はどこかの令息に王宮案内をしているだけだと考えていたシエラだったが、実はその少年が王女─ディアナであると判明する。 聞くところによるとディアナとグレイは昔から想い会っていた。 ディアナはグレイが結婚してからも、健気に男装までしてグレイに会いに来ては逢瀬を重ねているという。 ──……私は、ただの邪魔者だったの? 衝撃を受けるシエラは「これ以上、グレイとはいられない」と絶望する……。

いつか彼女を手に入れる日まで

月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

魔法のせいだから許して?

ましろ
恋愛
リーゼロッテの婚約者であるジークハルト王子の突然の心変わり。嫌悪を顕にした眼差し、口を開けば暴言、身に覚えの無い出来事までリーゼのせいにされる。リーゼは学園で孤立し、ジークハルトは美しい女性の手を取り愛おしそうに見つめながら愛を囁く。 どうしてこんなことに?それでもきっと今だけ……そう、自分に言い聞かせて耐えた。でも、そろそろ一年。もう終わらせたい、そう思っていたある日、リーゼは殿下に罵倒され頬を張られ怪我をした。 ──もう無理。王妃様に頼み、なんとか婚約解消することができた。 しかしその後、彼の心変わりは魅了魔法のせいだと分かり…… 魔法のせいなら許せる? 基本ご都合主義。ゆるゆる設定です。

処理中です...