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46 エーリカの秘密

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「エーリカ!」

 部屋に飛び込んた男達は入口で足を止めた。エーリカは寝台に寝かされ、その上には白い狐が腹の辺りに座っていた。じっとエーリカを見つめたまま動かないその姿は僅かに光り、誰が見ても魔獣だと分かる。フランツィスが近づきかけるとマリウスがその腕を引いて首を振った。

「魔力が移動している」
「どういう事だ?」
「マリウスは少しだけ魔力を扱えるんだよ。魔術団に入れる程ではなかったけれどね。だから魔力の流れが視えるんだ」
「エーリカの身体に、特に腹の辺りにあの魔獣の魔力が流れ込んでいる。さっき魔力を失っていると聞いた時は結界魔術師だったのだから魔力の残穢を視ているのかと思っていたが、どうやらそうではないらしいな」
「それじゃあエーリカは魔力を失ってはいないという事か? また魔力が戻ってしまうのか?」
『ヘルムートのところへ連れて行って』

 マリウスは目を見開いて白い狐のような魔獣を見た。

「今しゃべったのは、お前か?」

 マリウスも魔獣の声を初めて聞いたらしい。幼さの残る女の声でそれはそうはっきりとそう言った。 

「そうだ、魔力があるならシロの言葉が聞こえるはずだ! シロはなんと言っているんだ?」

 マリウスは今聞いた言葉を半信半疑で口にした。

「早くヘルムートのところへ、と」
「ヘルムートだと? 何故だ!」
『ヘルムートと離れたからエーリカの命が消えかけている、はやく……』

 シロの姿が段々と薄くなっていく。フランツィスは捉えるように手を伸ばした。しかし透けた身体には触れる事が出来ずに、ベッドに手を付いただけだった。

『二人の命は繋がっているの。こんなに離れるべきじゃなかったのに……』

 シロは物言いたげな顔をしたまま今度は完全に姿を消してしまった。

「二人の命は繋がっている。こんなに離れるべきではなかったと」

 互いに顔を見合わせた後、フランツィスはすぐに毛布でエーリカの身体を包むと廊下に飛び出した。

「すぐに馬車の準備をしろ! 最速で王都に帰る!」
「私達はここでやる事があるから残るが、エーリカを頼んだぞフランツィス!」

 フランツィスは返事もそこそこにエーリカを抱えたまま走ると、真夜中の馬車へと飛び込んだ。

「だからヘルムートはここを離れようとしなかったのか? エーリカと命が繋がっていたから!」

 膝の上にエーリカを置くとグレタの持ってきた毛布を更に上から掛ける。身体はどんどん冷たくなっていき、顔色は青白かった。

「フランツ様、交代致しますから少しお休み下さい」

 フェーニクス家を出て二日。寄った町では無理を言って馬を変え、夜通し馬車を走らせて三日目に入ろうとしていた所で、夜更けの空を見上げてからグレタは疲れ切った主の顔へ視線を向けた。

「少し休まなくてはフランツ様が倒れてしまいます」

 エーリカを抱きしめたまま動かないフランツィスの肩にそっと触れると、びくりと大袈裟に動いた。

「本当に冷たいんだ。皆でフェーニクス家の屋敷に居た時には元気にしていたのに!」

 グレタは堪らずにフランツィスの腕を引き離した。それでも離そうとしないフランツィスとエーリカの奪い合いにある。頑ななフランツィスに向かって拳を振り上げた。避けるだろうと思った身体は拳を受け止めて座面に倒れる。その隙にエーリカを横抱きにして奪うと、膝の上に乗せた。

「少し冷静になってください。お嬢様はまだ生きておいでです。それよりもフランツ様の方が酷い顔色ですよ。少しは私の事を信用して下さいと申したでしょう!」

 項垂れたままのフランツィスは、そのまま前に倒れて膝に額をつけると小さく鼻を啜った。

「とにかく朝まで休んで下さい。疲れていては良からぬ考えが浮かぶものです。今起き上がったら強制的に寝かしますからね」

 するとフランツィスはようやく顔を上げた。

「ようやくフランツ様に戻ったな」

 フランツィスは毛布を被ると男には狭い座席で身体を丸めた。

「どうしていつもいつもお嬢様ばかり危険な目に遭うんですか。お嬢様がいなくなってしまったら、フランツ様は壊れてしまいますよ」

 グレタは膝の上のエーリカの顔を覗き込む。その頬にはぽたりと水滴が落ちた。




――意識には膜が張ったようにぼんやりとしている。エーリカはその膜を突き破るように手を伸ばした。

「……ヘルミナ様! ヴィルヘルミナ様! その者はもう死んでおります」

 眼下には、真っ赤に染まった夫だった者の動かない遺体。手はべたつく血でどっぷりと濡れていた。両手は短剣をきつく握り締めたまま夫の腹深くまで拳を突き入れていた。生暖かい穴が開いた腹から手を抜くと、だらりと力を抜いて立ち上がった。

「ヴィルヘルミナ様、湯浴みのご用意が出来ております」

 年嵩の侍女は一糸纏わぬ身体を布で包むと、促すように腕に触れた。扉近くに待機していた侍女達に視線で遺体を指すと、部屋から続く湯殿に向かった。

「昨晩は遅くに戻られてお疲れでしたでしょう」

 年嵩の侍女は座らせたヴィルヘルミナの身体にゆっくりと湯を掛けながら、布で優しく血を洗い流し始めた。血を流した後は湯に浸からせて、その間に黒く艷やかな髪を梳きながら洗っていく。ヴィルヘルミナはじっと天井を見上げたまま大人しくしていた。

「お痛みのある箇所はございませんか?」
「私が怪我をすると思うか? 誰もこの身に触れる事なく、魔術で皆殺しにしてやったわ」
「お手は斬れてしまっているようですので、後でお手当をさせていただきます」

 ようやく天井から視線を外したヴィルヘルミナは、湯に沈めた自分の手を見つめた。

「あの者には悪い事をした。確かどこぞの貴族の息子だったろう」
「遺体は内密に処理致しますのでご心配には及びません」
「魔力を使い過ぎたかもしれん」

 すると年嵩の侍女は洗い終わった髪の毛を絞り、布を側へと引き寄せた。その時、黒い瞳が振り返った。

「あれはどうしている? もう久しく目にしていないように思うが」
「ヘルムート様ならよく学び、よく身体を動かし、良き王になるよう精進されております」

 するとふと視線が戻された。

「お前は嘘が下手だ。あれは王の器ではない。きっと滾る魔力に乱され悶えているのだろう」
「良き王になろうとしているのは本当でございます。そこまでお分かりなら、なぜ教え導かれようとされないのですか?」
「そう言ってくれるな。あれを見るとどうしてもあの男を思い出す」

 年嵩の侍女はぐっと押し黙った。

「憎い男の子供をそばに置くのは精神を病む。しかし私は強い魔力のせいでもう子を産めない。あれにほんの僅かでも王の素質があるのなら、この小国もやがて大きなものとなろう」
「ヘルムート様はまだ八つ。まだまだヴィルヘルミナ様のお力が必要なのです。ヘルムート様にもこの国ににも。虐げられていた女達を集め助けて下さったヴィルヘルミナ様には、皆感謝してもしきれません。何があろうとも私達はヴィルヘルミナ様と共にあります」
「私にはお前たちにはない魔力があった、ただそれだけだ。男を強く憎むのに、この身体は男なしでは収まらぬ。まるで呪いのようだな」
「貴族から夫を娶っては何かと面倒な事になりますゆえ、こちらでお手配を致しましょうか?」
「そうだな。頼む」

 湯から上がった身体に布を巻き、部屋に戻った時には先程の惨劇などなかったかのように寝台は綺麗になっていた。




「エーリカ? 気がついたか? エーリカ!」

 エーリカは薄目を開けた瞬間、とっさに手を見た。毛布に邪魔されながら取り出した手は、赤く染まる事もなく綺麗だった。無意識に鼓動は早くなっており、汗をびっしょりとかいている。生々しい肉を突く感覚に、ぞっとして身を震わせた。 

「エーリカ? 大丈夫か?」

 覗き込んできたのはフランツィスで、その顔には心配が色濃く浮かんでいる。状況が理解できずにぼんやりと辺りを見渡すと、いつの間にか王都の自分の部屋に帰ってきていたのだと気がついた。
 フランツィスは深く息を吐くとベッドの縁に浅く腰掛けた。

「とにかく目覚めて良かったよ。この一週間生きた心地がしなかったぞ」
「一週間?」

 その瞬間、声が掠れて咳が出る。差し出されたぬるま湯をゆっくり飲むと、改めてフランツィスを見た。

「一体何が、あったの?」
「お前が意識を失って、フェーニクス家の領地から急いで王都に戻ってきたんだ。……ヘルムート殿下が助けてくれた」
「ヘルムートが? どうやって?」
「知らん。ただあの者はお前がこうなる事が分かっていたようだった。さほど驚きもせずにお前を預けろと言ってきた。あいつと暮らしていた二ヶ月の間にもこんな事があったのか?」
「何もなかったわ。ヘルムートは私に何をしたの?」
「お前はただ丸一日以上、あの者の腕の中で眠っていただけだよ。誓って変な事は何もされていない。シロが言っていたようだが、お前とあの者との命は繋がっているようだ。何か心当たりはあるか?」
「さっぱり意味が分らないわ。でも、凄く体調は良いみたい」
「何か食べられそうか?」
「それなら飲み物を頂戴。それと、ヘルムートに会いたいんだけど」

 するとフランツィスは口ごもって視線を逸らした。

「もう少し時間をくれ。奴は今取り込み中だ」
「監禁されているのに取り込み中だなんて」
「確認なんだが、お前は本当にあいつの事は何とも想っていなんだよな?」
「当たり前じゃない。お兄様変よ?」 

 訳が分からずに怪訝に思ってフランツィスを見上げると、無理やり毛布を首まで引き上げてきた。

「とにかく食事と飲み物を持ってくるからお前はまだ休んでいろ。近々必ず会わせてやるから」




フランツィスはヘルムートの部屋の前に行くと、見張りをしていた護衛の前に立った。扉の前でも激しい声と音が響いてきている。魔石で守られている部屋とはいえ防音ではない事を残念に思いながら部屋の扉を開いた。

「そろそろ交代するよう伝えて来てくれ」

 ヘルムートの昂りを処理する為に王都の娼館の一つを丸々借りたフランツィスは、使用人を走らせた。高額な値段で借り入れた娼館には、この家で起きた事は他言無用という趣旨の魔術が込もった誓約書を交わし、数時間毎にヘルムートへ三人ずつあてがっていた。
 元々体調が悪そうだったヘルムートはエーリカを治療してからというもの目に見えて衰弱し、高熱を出してしまった。そしてその症状に心当たりがあったフランツィスは、ヘルムートの部屋に娼婦を向かわせた。意識が朦朧としているヘルムートは女を抱く力もないようだったが、娼婦の手腕で何度か射精すると少しだけ意識を取り戻したようだった。しかしその後が酷かった。女を抱けば体調は良くなるとこちらから見ても分かるのに、ヘルムートは抱こうとしない。結局縛る形でヘルムートを縛り付け、もう半日が過ぎていた。
 新しい女達が到着すると、フランツィスは部屋の前で再度確認を取った。

「この中で見る事は部屋を出たら忘れるように」

 言わなくとも誓約書の効力で話そうとしても話せないのだが、そこはあえて肝に命じさせるように口にした。
 女達は皆美しかった。王都でも最上級の貴族専用の娼館で働く女達なのだ。美しくない訳がない。その女の内の一人が物欲しそうにフランツィスを見ながら通り過ぎて行ったが、その視線には気付かない振りをして部屋の中に送り込んだ。

「また性懲りもなく来たか」

 女達は寝台に縛られる中性的な顔立ちの美しい男にすぐに見惚れているようだった。

「私ばかりいいのか? お前もどうだ?」

 軽口を叩くヘルムートの頬は痩けている。女達はヘルムートの美しさに戸惑いながら寝台へと進んでいく。その中で一人、ちゃんと部屋の中を確認している女を見つけると囁いた。役目を果たそうとする聡い女は嫌いではない。

「水分補給を忘れずにさせてやってくれ」

 その背をやんわりと押すと扉を閉めた。グレタは閉まった扉の中を心配そうに見つめていた。
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