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38 第二王子の恋
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「アレク?」
朝方、父親の私室近くで弟の背中を見つけたクラウスは迷ったが声を掛けた。アレクは声を掛けたられただけで飛び跳ねた。
「そんな所で何をしている? 父上の様子を見に来たのか?」
「僕は別に、ただ通りすがっただけです」
足早に離れていこうとするアレクの腕を掴むと壁際に寄せる。久しく見ない間にぐっと背は伸びたがまだまだクラウスの肩程だった。
「もういい加減にしろ。いつまでそうやって不貞腐れているつもりだ? 母上にこれ以上ご心労を掛けるな」
「あんな女どうでもいいじゃないか!」
はっとしたようなアレクは顔を顰めると、掴まれていた腕を勢いよく振り切って走り出した。
「……まさか、知っているのか?」
すでに行ってしまった暗い廊下をただ見つめていた。
「クラウス? まさかアレクがいたの?」
部屋から覗いた顔は、先日よりも更に老け込んでしまったように見えた。
「まだ部屋に入る気はないようです」
「アレクは知っているのかもしれないわね。アレクの父親が違うかもしれないという噂を」
「母上!」
まさか本人から聞く事になるとは思っていなかった禁断の話にクラウスは駆け寄った。
「なんて事をおっしゃるのですか」
「その様子だとあなたも知っているのね? もう隠しても仕方ないけれど、あの子が生まれた時から飛び交っていた噂よ。本人が知っていてもおかしくないわ」
ショールを引き寄せて痛々しく笑う姿に胸が痛む。
「真実ではないでしょう? それならばアレクにちゃんと話してやるべきです。あの位の年頃は特にそういった話には敏感のはず。自分の中だけで割り切れるものではありません」
憤って思わず強まった語尾に、義母は泣きそうな笑顔を浮かべただけだった。
「なんで僕ばかり責めるんだ! 悪いのは不貞を働いた母上じゃないか! なんで、なんで!」
アレクは速度を落とさずに廊下を曲がった瞬間、ぶつかった衝撃と共に悲鳴を聞いた。自身も前に転んだがその下は柔らかい。恐る恐る目を開けると、そこには女性が倒れていた。
「ごめん! 僕ったら前も見ないで」
急いで掴んだ腕は細く、思ったよりも軽かった。引いた勢いで女が腕の中に飛び込んでくる。甘く、酩酊するような匂いがした。
「大丈夫? 怪我はない? 本当に申し訳ない」
怪我がないか探るように見つめると、大きな瞳と目が合った。
「どこも怪我はございません。どうかお気になさらないで下さいませ」
そう言い頭を下げた瞬間に、さらりと長い髪から漂うよい香りが鼻を掠めていく。その香りに気を取られている間に女はいつの間にか通り過ぎてしまった。我に返り追いかけたが、すでにその姿はどこにもなくなっていた。
「名前、聞きそびれたな。ここに居るという事は貴族の娘だろうか。使用人には見えなかったな」
女は美しい所作に清楚な乳白色のドレスを着ていた。陽射しから守られた美しい白い肌の胸元が脳裏に蘇る。その途端アレクは頭を思い切り振った。
「駄目だ駄目だ。エーリカがいるだろ!」
そうは言ってはみたものの、エーリカが行方不明になりすでに四ヶ月が経過している。第一もう兄と婚約しているのだ。
――手に入らない人をいつまでも想い続けるなんて。
高揚した気分は一気に落ち、そのまま自室へと戻っていった。
「アレク殿下? お久しぶりですな。最近はお姿を拝見せずに心配しておりましたぞ」
「ヴォルフ侯爵か。大丈夫、ちゃんと生きているぞ」
そのまま通り過ぎようとした時、後ろにいた女に目が釘付けになった。
「君は……」
数日前に廊下でぶつかった女は、僅かに驚いた目をしたがすぐに令嬢らしく美しい礼を取ってみせた。
「おや、まさかお知り合いですかな?」
「そういえばあの後は大丈夫だった?」
「お優しいのですね。本当に大丈夫ですからお気になさらないで下さい」
「それなら良かった」
恥ずかしそうに俯いた表情にアレクも思わず顔を逸らす。
「ゴホンッ、どのようなお知り合いか伺っても宜しいですかな?」
「先日廊下でぶつかって倒してしまったんだ。あの時は本当に申し訳ない事をした」
「そうでしたか。お気遣いありがとうございます。さあ、改めて殿下にご挨拶しなさい」
「パールと申します。今はヴォルフ侯爵様のお屋敷で見聞を広げるべくお世話になっております」
「他国の貿易相手のお嬢さんで、我が国をどうしても見てみたいとご興味を持って下さったのです。こんな時でこそ交流は必要かと思いましてな」
「貴族なのか?」
「貴族ではなく商家の娘ですよ」
「それにしては美しい……」
無意識に出た言葉に思わず口を噤むと、パールも恥ずかしそうに俯いてしまった。
「殿下、パールはまだアメジスト王国に来て日が浅いのです。我が家の者と過ごすだけというのもつまらないでしょうし、もしお時間がございましたらお相手いただけませんか? 本来なら殿下にこの様なお願いは不敬でしょうが、年の近い殿下とならパールもより多くを学べると思うのです」
「学べると言っても僕は兄上と違って特に秀でた所もないし、僕が教える事はなにもないよ」
「パールは殿下より二つ程年上のはずですが、王子であるアレク殿下から学べる事は多いはずです」
「私からもお願い出来ませんか? もっとアレク殿下とお話がしてみたいです」
白い頬が赤く染まっている姿は好ましく、僅かに見下げる視線も新鮮だった。
――エーリカを追いかけていた頃は常に見上げていたからな。
この数ヶ月で背が伸びたというのもあるし、エーリカとはそもそも七歳も年が離れているのだ。現実を考えれば相手にされる訳がない。パールを見ていると、何故かそういう事もすとんと胸に落ちたのだった。
「アレク殿下は博識でいらっしゃるのですね。私の知らない事ばかりです」
この数日というもの、ヴォルフ侯爵と登城するパールを待って図書館や庭、王都の見渡せる場所へ連れて行っては自分の知る知識で説明をするというのを繰り返していた。その度にパールは楽しそうに目を輝かせては話の続きを強請ってくるのだった。庭のテラスに一息つく為に用意された紅茶で喉を潤すと、嬉しそうに庭に視線を向けているパールを見つめた。陽の光を遮る為に屋根があるとはいえ、白い肌が焼けてはと思い選んだテラスは少し奥まっていて、横向きに並んでいる椅子は柱の影になり、付き添う侍従からは僅かに見えるだけになっている。ここならば少しは気を抜いてもいい気がした。
「この国で少しは楽しめているか?」
「殿下といるととても楽しくて時間が経つのがあっという間です」
「僕もこんなに楽しい時間は久しぶりだよ」
するとパールは今まで見た中でとびっきりの笑顔を向けてきた。しかしその顔もすぐに沈んでしまう。覗き込んでみると、大きな目には涙が浮かんでいた。
「どうした? 何か悪い事を言ってしまったかな?」
ふるふると首を振り、パールはふっくらとした唇を噛んだ。
「アレク様はもう少しで成人の儀式があると伺いました。そろそろ婚約者が決まる頃だとも」
「ヴォルフ侯爵から聞いたのか?」
返事はないがそれしかない。確かにまもなく成人の儀式がある。本当はすでに婚約者がいてもおかしくないが、兄に婚約者がいないのに弟にいてはいらぬ火種を撒くだけだとして、今まで縁談の話が持ち上がりかけては消えていた。今まではエーリカがいいと我儘を良い突っぱねていたが、正直実感がないのも事実だった。エーリカでなくては誰でもいいというのも本音だったが、今はパールを見ていると不思議と胸が苦しくなった。
「なぜお前は貴族ではないんだ」
はっとして上がる顔と顔が同じ高さになる。細まる瞳に、アレクは思わず口づけをしていた。勢いでぶつかりとっさに離れる。しかし失敗したはずの口づけにもパールは嬉しそうにはにかんでいた。そのまま腕を引くと、甘く良い匂いと共に細い体を抱き締めた。後ろから足音が聞こえてくる。名残惜しくもその体を手放すとすぐに声がかかった。
「もう間もなくパール様のご帰宅のお時間でございます」
「あぁそうだね。それじゃあまた明日」
パールを見送った後、アレクは高揚感を胸に抱いたまま立ち尽くしていた。
馬車の中に乗り込むとヴォルフ侯爵は窓のカーテンを閉めた。一拍置くと少し離れて座ったパールの腕を引き、無造作に形の良い唇を吸うと、空いている手を胸に手を滑らせた。小さな口の中を何度も舐め、最後に舌を吸って離れると、互いの口から銀の糸が伸びていく。片手で小窓を叩き、御者に「別邸へ行く」と伝えた。
「なんだ、散々抱かれたというのに反抗的な目だな。まさかアレク殿下に絆された訳でもあるまい?」
「そんな訳ありません。それよりもヘルムート殿下の居場所はまだ見つからないんですか?」
するとヴォルフ侯爵は飽き飽きしたようにパールの頭を撫でた。
「いい加減に諦めて、私の物になった方がいいとは思わないか? ヘルムート殿下の元にいた時よりもずっと贅沢をさせてやると言っているではないか」
「見つけられないのなら他を当たるまでです」
離れようとした体に覆い被さるように抱き締めると、再び小さな口を吸った。
「私に見つけられないのなら他の者には到底無理だろうな。焦らなくてもしっかりと手は打っているから安心しろ」
馬車はやがてゆっくりと止まり、王都にあるヴォルフ侯爵の別邸へと停まる。王都に幾つかあるうちの別邸は当主の命令で僅かな使用人しかおらず、玄関で迎える事を許されてはいなかった。ヴォルフ侯爵は荒々しくパールを連れて玄関の中に飛び込むと、ドレスを捲り上げて下着を下ろし、そそり勃っていたものを力一杯に捩じ込んだ。玄関にはパールの悲鳴にも似た甘い声が響き渡る。支える場所がないまま後ろから突かれた体は倒れないよう必死に腹に絡まる腕にしがみついている。降ろされたドレスの胸元から溢れた乳房が振動でばらばらに揺れる煽情的な光景に、ヴォルフ侯爵はごくりを喉を動かした。
「こんなに若く、美しい女が自ら飛び込んでくるとは。どうだ、ヘルムートよりもいいか? どうだッ!」
息を乱しながら年甲斐もなく若い女を抱く姿を見ないよう、使用人達は情事が終わるまで息を顰めて待つしかなかった。
「せっかくアレク殿下と引き合わせたのだから、お前もしっかり働くのだぞ」
「あの可愛らしいお方を頂いても?」
「あんな子供にお前のような娼婦を満足させられるとは思わんがな」
「満足する為ではありませんから」
「そうだったな。その体で必ずアレクを手中に収めるのだ。褒美は何がいい?」
「ご褒美はヘルムート様です」
「ぶれない女だ。それにしてもこの体、アレク殿下のような子供に差し出すのは実に惜しい」
ぱしりと小さなお尻が叩かれる。そのあと慈しむように撫で上げ、向きを変えられると抱き抱えられるようにして更に揺すられた。
「いずれ他の者も交えて可愛がってやるのもよいかもしれん」
最後とばかりに抱きすくめられた身体が上下に激しく揺れる。パールはその背に爪を立てながらきつく握り締めた。その顔は、とても男女の睦み合いをしているとは思えない程に歪んでいた。
朝方、父親の私室近くで弟の背中を見つけたクラウスは迷ったが声を掛けた。アレクは声を掛けたられただけで飛び跳ねた。
「そんな所で何をしている? 父上の様子を見に来たのか?」
「僕は別に、ただ通りすがっただけです」
足早に離れていこうとするアレクの腕を掴むと壁際に寄せる。久しく見ない間にぐっと背は伸びたがまだまだクラウスの肩程だった。
「もういい加減にしろ。いつまでそうやって不貞腐れているつもりだ? 母上にこれ以上ご心労を掛けるな」
「あんな女どうでもいいじゃないか!」
はっとしたようなアレクは顔を顰めると、掴まれていた腕を勢いよく振り切って走り出した。
「……まさか、知っているのか?」
すでに行ってしまった暗い廊下をただ見つめていた。
「クラウス? まさかアレクがいたの?」
部屋から覗いた顔は、先日よりも更に老け込んでしまったように見えた。
「まだ部屋に入る気はないようです」
「アレクは知っているのかもしれないわね。アレクの父親が違うかもしれないという噂を」
「母上!」
まさか本人から聞く事になるとは思っていなかった禁断の話にクラウスは駆け寄った。
「なんて事をおっしゃるのですか」
「その様子だとあなたも知っているのね? もう隠しても仕方ないけれど、あの子が生まれた時から飛び交っていた噂よ。本人が知っていてもおかしくないわ」
ショールを引き寄せて痛々しく笑う姿に胸が痛む。
「真実ではないでしょう? それならばアレクにちゃんと話してやるべきです。あの位の年頃は特にそういった話には敏感のはず。自分の中だけで割り切れるものではありません」
憤って思わず強まった語尾に、義母は泣きそうな笑顔を浮かべただけだった。
「なんで僕ばかり責めるんだ! 悪いのは不貞を働いた母上じゃないか! なんで、なんで!」
アレクは速度を落とさずに廊下を曲がった瞬間、ぶつかった衝撃と共に悲鳴を聞いた。自身も前に転んだがその下は柔らかい。恐る恐る目を開けると、そこには女性が倒れていた。
「ごめん! 僕ったら前も見ないで」
急いで掴んだ腕は細く、思ったよりも軽かった。引いた勢いで女が腕の中に飛び込んでくる。甘く、酩酊するような匂いがした。
「大丈夫? 怪我はない? 本当に申し訳ない」
怪我がないか探るように見つめると、大きな瞳と目が合った。
「どこも怪我はございません。どうかお気になさらないで下さいませ」
そう言い頭を下げた瞬間に、さらりと長い髪から漂うよい香りが鼻を掠めていく。その香りに気を取られている間に女はいつの間にか通り過ぎてしまった。我に返り追いかけたが、すでにその姿はどこにもなくなっていた。
「名前、聞きそびれたな。ここに居るという事は貴族の娘だろうか。使用人には見えなかったな」
女は美しい所作に清楚な乳白色のドレスを着ていた。陽射しから守られた美しい白い肌の胸元が脳裏に蘇る。その途端アレクは頭を思い切り振った。
「駄目だ駄目だ。エーリカがいるだろ!」
そうは言ってはみたものの、エーリカが行方不明になりすでに四ヶ月が経過している。第一もう兄と婚約しているのだ。
――手に入らない人をいつまでも想い続けるなんて。
高揚した気分は一気に落ち、そのまま自室へと戻っていった。
「アレク殿下? お久しぶりですな。最近はお姿を拝見せずに心配しておりましたぞ」
「ヴォルフ侯爵か。大丈夫、ちゃんと生きているぞ」
そのまま通り過ぎようとした時、後ろにいた女に目が釘付けになった。
「君は……」
数日前に廊下でぶつかった女は、僅かに驚いた目をしたがすぐに令嬢らしく美しい礼を取ってみせた。
「おや、まさかお知り合いですかな?」
「そういえばあの後は大丈夫だった?」
「お優しいのですね。本当に大丈夫ですからお気になさらないで下さい」
「それなら良かった」
恥ずかしそうに俯いた表情にアレクも思わず顔を逸らす。
「ゴホンッ、どのようなお知り合いか伺っても宜しいですかな?」
「先日廊下でぶつかって倒してしまったんだ。あの時は本当に申し訳ない事をした」
「そうでしたか。お気遣いありがとうございます。さあ、改めて殿下にご挨拶しなさい」
「パールと申します。今はヴォルフ侯爵様のお屋敷で見聞を広げるべくお世話になっております」
「他国の貿易相手のお嬢さんで、我が国をどうしても見てみたいとご興味を持って下さったのです。こんな時でこそ交流は必要かと思いましてな」
「貴族なのか?」
「貴族ではなく商家の娘ですよ」
「それにしては美しい……」
無意識に出た言葉に思わず口を噤むと、パールも恥ずかしそうに俯いてしまった。
「殿下、パールはまだアメジスト王国に来て日が浅いのです。我が家の者と過ごすだけというのもつまらないでしょうし、もしお時間がございましたらお相手いただけませんか? 本来なら殿下にこの様なお願いは不敬でしょうが、年の近い殿下とならパールもより多くを学べると思うのです」
「学べると言っても僕は兄上と違って特に秀でた所もないし、僕が教える事はなにもないよ」
「パールは殿下より二つ程年上のはずですが、王子であるアレク殿下から学べる事は多いはずです」
「私からもお願い出来ませんか? もっとアレク殿下とお話がしてみたいです」
白い頬が赤く染まっている姿は好ましく、僅かに見下げる視線も新鮮だった。
――エーリカを追いかけていた頃は常に見上げていたからな。
この数ヶ月で背が伸びたというのもあるし、エーリカとはそもそも七歳も年が離れているのだ。現実を考えれば相手にされる訳がない。パールを見ていると、何故かそういう事もすとんと胸に落ちたのだった。
「アレク殿下は博識でいらっしゃるのですね。私の知らない事ばかりです」
この数日というもの、ヴォルフ侯爵と登城するパールを待って図書館や庭、王都の見渡せる場所へ連れて行っては自分の知る知識で説明をするというのを繰り返していた。その度にパールは楽しそうに目を輝かせては話の続きを強請ってくるのだった。庭のテラスに一息つく為に用意された紅茶で喉を潤すと、嬉しそうに庭に視線を向けているパールを見つめた。陽の光を遮る為に屋根があるとはいえ、白い肌が焼けてはと思い選んだテラスは少し奥まっていて、横向きに並んでいる椅子は柱の影になり、付き添う侍従からは僅かに見えるだけになっている。ここならば少しは気を抜いてもいい気がした。
「この国で少しは楽しめているか?」
「殿下といるととても楽しくて時間が経つのがあっという間です」
「僕もこんなに楽しい時間は久しぶりだよ」
するとパールは今まで見た中でとびっきりの笑顔を向けてきた。しかしその顔もすぐに沈んでしまう。覗き込んでみると、大きな目には涙が浮かんでいた。
「どうした? 何か悪い事を言ってしまったかな?」
ふるふると首を振り、パールはふっくらとした唇を噛んだ。
「アレク様はもう少しで成人の儀式があると伺いました。そろそろ婚約者が決まる頃だとも」
「ヴォルフ侯爵から聞いたのか?」
返事はないがそれしかない。確かにまもなく成人の儀式がある。本当はすでに婚約者がいてもおかしくないが、兄に婚約者がいないのに弟にいてはいらぬ火種を撒くだけだとして、今まで縁談の話が持ち上がりかけては消えていた。今まではエーリカがいいと我儘を良い突っぱねていたが、正直実感がないのも事実だった。エーリカでなくては誰でもいいというのも本音だったが、今はパールを見ていると不思議と胸が苦しくなった。
「なぜお前は貴族ではないんだ」
はっとして上がる顔と顔が同じ高さになる。細まる瞳に、アレクは思わず口づけをしていた。勢いでぶつかりとっさに離れる。しかし失敗したはずの口づけにもパールは嬉しそうにはにかんでいた。そのまま腕を引くと、甘く良い匂いと共に細い体を抱き締めた。後ろから足音が聞こえてくる。名残惜しくもその体を手放すとすぐに声がかかった。
「もう間もなくパール様のご帰宅のお時間でございます」
「あぁそうだね。それじゃあまた明日」
パールを見送った後、アレクは高揚感を胸に抱いたまま立ち尽くしていた。
馬車の中に乗り込むとヴォルフ侯爵は窓のカーテンを閉めた。一拍置くと少し離れて座ったパールの腕を引き、無造作に形の良い唇を吸うと、空いている手を胸に手を滑らせた。小さな口の中を何度も舐め、最後に舌を吸って離れると、互いの口から銀の糸が伸びていく。片手で小窓を叩き、御者に「別邸へ行く」と伝えた。
「なんだ、散々抱かれたというのに反抗的な目だな。まさかアレク殿下に絆された訳でもあるまい?」
「そんな訳ありません。それよりもヘルムート殿下の居場所はまだ見つからないんですか?」
するとヴォルフ侯爵は飽き飽きしたようにパールの頭を撫でた。
「いい加減に諦めて、私の物になった方がいいとは思わないか? ヘルムート殿下の元にいた時よりもずっと贅沢をさせてやると言っているではないか」
「見つけられないのなら他を当たるまでです」
離れようとした体に覆い被さるように抱き締めると、再び小さな口を吸った。
「私に見つけられないのなら他の者には到底無理だろうな。焦らなくてもしっかりと手は打っているから安心しろ」
馬車はやがてゆっくりと止まり、王都にあるヴォルフ侯爵の別邸へと停まる。王都に幾つかあるうちの別邸は当主の命令で僅かな使用人しかおらず、玄関で迎える事を許されてはいなかった。ヴォルフ侯爵は荒々しくパールを連れて玄関の中に飛び込むと、ドレスを捲り上げて下着を下ろし、そそり勃っていたものを力一杯に捩じ込んだ。玄関にはパールの悲鳴にも似た甘い声が響き渡る。支える場所がないまま後ろから突かれた体は倒れないよう必死に腹に絡まる腕にしがみついている。降ろされたドレスの胸元から溢れた乳房が振動でばらばらに揺れる煽情的な光景に、ヴォルフ侯爵はごくりを喉を動かした。
「こんなに若く、美しい女が自ら飛び込んでくるとは。どうだ、ヘルムートよりもいいか? どうだッ!」
息を乱しながら年甲斐もなく若い女を抱く姿を見ないよう、使用人達は情事が終わるまで息を顰めて待つしかなかった。
「せっかくアレク殿下と引き合わせたのだから、お前もしっかり働くのだぞ」
「あの可愛らしいお方を頂いても?」
「あんな子供にお前のような娼婦を満足させられるとは思わんがな」
「満足する為ではありませんから」
「そうだったな。その体で必ずアレクを手中に収めるのだ。褒美は何がいい?」
「ご褒美はヘルムート様です」
「ぶれない女だ。それにしてもこの体、アレク殿下のような子供に差し出すのは実に惜しい」
ぱしりと小さなお尻が叩かれる。そのあと慈しむように撫で上げ、向きを変えられると抱き抱えられるようにして更に揺すられた。
「いずれ他の者も交えて可愛がってやるのもよいかもしれん」
最後とばかりに抱きすくめられた身体が上下に激しく揺れる。パールはその背に爪を立てながらきつく握り締めた。その顔は、とても男女の睦み合いをしているとは思えない程に歪んでいた。
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