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30 結界のない世界

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 王都は音楽と国民の歓声に包まれ、声は風に乗り、城門の方まで届いていた。
 ヴィルヘルミナ帝国の侵攻を食い止めた功労者である魔術師達の帰還を喜び、国民は家の上から花弁を舞わせて歓迎していた。魔術師達の一行は歓迎ぶりに戸惑いながらも、手を挙げて答えながら城へと続く坂道を馬車で登って行った。

「最近のお前は妙だぞ」

 クラウスは王の間で魔術師達を迎えるべきだという官僚達を無視して城の前に立ち、魔術師達の帰還を待っていた。命を賭けて戦ってきた者達を王座で座りながら待ちたくはなかった。
 隣りにいるフランツィスは、他の者達からすれば変わりなく見えるだろうが、クラウスから言わせればうざったいの一言に尽きた。眉を寄せたかと思えば晴れた顔をし、つまりは落ち着きがない。

「仰っている意味が分かりかねます」
「早く仲直りしろ。どうせあの侍女だろう? 昔から俺には会わせようとしないがな」
「喧嘩する訳がありません。至って普通のよくある主従関係ですから」
「なんだその言い草は。どうせとうとう手でも出したんだろう?」

 フランツィスは僅かに片眉を動かした。

「陛下とミラ嬢のように昔から一緒にいるだけです」
「俺とミラとは全然違う」
「確かに、陛下はミラ嬢ではなく、ずっと妹を追い回してしましたからね」
「俺がいつ追い回したんだ!」

 思わず大きくなった声に周りの視線が集まる。咳払いをすると真っ直ぐに前を見たまま続けた。

「俺はエーリカを追い回していない」
「視線が追い回していました。もっとも、幸いな事に妹は気付いていませんでしたが」
「エーリカのそばにはいつもオルフェンがいたんだ。俺の事など見ていなかっただろう」

 するとフランツィスが呆れるような息を吐いた。

「全くあなた達は、見ている方が苛々しますよ」
「どこがだ?」
「言いません。私としてはいまだ破談になってもいいと思っているので」
「妹を王妃にしたくないのか?」

 切れ長の目が眼鏡の奥で細まる。そして冷ややかにクラウスを見た。

「大事な妹にそんな大役を望むとでも? 魔術団に奪われ、今度はあなたに奪われるのですから」
「……別に奪った訳じゃない」
「ッチ」
「お前今、王に向かって舌打ちをしたな?」
「ほら英雄達のご帰還ですよ、もう黙ってください」

 帰還した魔術師達の人数は僅かに二十人足らず。もともとは百人以上いた魔術師達は半数が戦死し、残りは各防衛線に残った。一度帰還した者達も、数日休んだら残った者達と交換する為にまた国境へと赴く。兵士と違い人数が少ない分、魔術師達の方が過酷な長期戦になるだろう。しかし結界がない今、魔術師達には堪えてもらうしかなかった。
 結界魔術師のルーとハンナが膝を付き、その後ろに魔術師達がそれに習う。クラウスの声で皆一斉に立ち上がった。

「そなた達の働きに心からの礼を言う。後日戦死した者達の追悼式を執り行うが、まずはゆっくりと体を休めるといい。何か要望があれば出来る限り聞き入れよう」
「暖かいお言葉をありがとうございます。そして御即位の祝辞が遅くなり申し訳ございません。クラウス・ベルムート・アメジスト王の治世が長く幸せと繁栄に満ち溢れたものでありますように、ささやかながら贈り物をさせていただきます」

 そう言うと、魔術師達は空に手を上げて魔術を放った。炎の形をした鳥が一斉に飛び立ち、その後を氷の鹿が追い駆ける。追いついた鹿と鳥は溶け合い雨となって降り注ぐ。いつの間にか空にはいくつもの動物が駆け回り、虹が架かっていた。最後に一掃するような強烈な風が吹くと、王都全体が霧のような雨に包まれた。街の方から歓声が聞こえてくる。目を見張って空を見上げていたクラウス達は誰ともなく手を叩き出し、あっという間に盛大な拍手となった。

「凄いなこれは。こんな事も出来たのか」
「守護を込めて放ちましたので、気休めにはなりましょう」
「お前達も帰るべき場所を失い、辛かっただろう。王都に実家がある者はそちらに帰り、残りの者は紫の離宮を使うといい。魔術団の今後については後程話し合おう」

 魔術師達が紫の離宮の方に歩いていくのを見送っていると、横からフランツィスが呟いた。

「宜しいのですか? せっかく改修した紫の離宮を魔術師達に明け渡しても」
「魔術師達の住居にするならば誰も文句は言うまい。明日は皆の為に慰労会を開こう」
「それはきっと皆喜びます」

 クラウスは歩きながらフランツィスに目配せをした。

「俺は牢に行ってくる」
「護衛を付けて下さいよ」

 離れていく背中は振り返らずに手を上げただけだった。




 地下牢はほとんどが空いていた。しかし結界が消えたこれからは増えていくだろう。現に王都でも争い事は多くなっていた。

「話す事はないぞ、国王様」

 牢の中には大きな男が床に座っていた。四ヶ月前よりは少しやつれたが、それでも目に宿る力は薄れてはいなかった。

「ミュラー、お前もそろそろ祖国に帰りたくはないか? 我が国の遠征に出ていた者達は戻ってきたぞ」
「戻っても処刑されるだけだ」
「その割には少しも恐れていないように見えるな」
「あんたらのように守れてきた国じゃない。俺達ヴィルヘルミナ帝国の騎士が死を恐れることは無い!」

 クラウスは腕を組むと格子に近づいた。

「結界魔術師達が帰還した。ヘルムートを探せるかもしれないぞ」
「殿下が帝国に帰ったとは思わないのか?」
「それならとうに攻め入っているだろう? 向こうもヘルムートの行方が分からないから動けない。違うか?」

 ミュラーは押し黙っていた。

「ヘルムートの居場所次第ではこちらに分があると思っている」

 それでもミュラーは黙ったままだった。

「見当違いだったか。お前はヘルムートを敬愛していると思っていたが、所詮都合のいい主に付き従っていただけなのだな」

 クラウスが背中を向けると、格子を叩く乾いた音が響いた。

「もしも結界魔術師達が殿下の行方を見つけられたら教えてくれ」
「何の為に?」
「……殿下がいなければあの国はすぐに分裂し、各地で戦争が起こるぞ。この国にも難民や飢えた野盗が押し寄せるはずだ」
「……考えておこう」

 クラウスは表情を変えずに牢を後にした。




「あの国は皇帝よりもヘルムートが実権を握っているのだろうか」
「ミュラーの口振りだとそうとも取れますね」
「それよりもなんでヘルムートを探せるなんて言ったのかな?」

 紫の離宮の応接間で、ハンナは盛大な溜め息をついた。髪は濡れ、ガウンを羽織っただけの姿に誰もが目のやり場に困り床を見ていた。冷えた声が空気を伝うと、部屋の温度が下がった気がした。

「出来ないか?」

 クラウスは物怖じせずに言うと、ハンナは更に冷ややかな視線を送った。

「出来るがそれで私は魔力を失うかもしれない。今になって分かった事だが、結界は魔力を国内に溜める役割も担っていたらしい。だから今は魔力を使わなくてもこの身から緩やかに逃げていっている。やがていつかは枯渇するだろう」
「ハンナが魔力を失うのは困るな」

 椅子に座っていたルーは、腕を頭の後ろで組みながら背もたれに寄りかかり、椅子の足を動かしていた。

「他の魔術師では無理か?」
「探った時点で吸い尽くされるだろうな」

 意味の分からない者達は互いに顔を見合わせた。面倒そうにハンナが足を組み替えると、ガウンがずれて白い太腿が露わになった。

「魔力は世界と繋がっているんだ。大地に水、風に火に、全てに魔力が通っている。結界魔術師くらい魔力がないと、魔力を流した所で力は世界中を回っている魔力と合流してしまい奪われるだけ。その流れに逆らい押し進めて探るには、それなりに大きな魔力が必要と言う訳だ」
「俺達は魔力に守られて暮らしていたのに、何も知らなかった」
「仕方がないさ。わざと隔てていたのだからね」

 今までは目に見える形で魔術師と非魔術師は分け隔てられていた。国の守りの要を全て魔術師に丸投げしていたツケが今になって回ってきている気がする。魔力を失うかもしれないのに、ヘルムートを探せというのは酷な話だ。しかしそれでも引く事は出来なかった。

「ヘルムートの居場所が分かれば、エーリカの居場所も分かるかもしれない」
「何も自分の身可愛さに言っている訳じゃないよ。今は一人でも多くの魔術師が必要なのさ」
「分かっている」

 その時、勢いよく扉が開いた。入ってきたのは兵団長のユリウスだった。肩で大きく息をし、厚い胸が上下している。どこから走ってきたのか、首筋からは汗が流れていた。ユリウスは目を見開きハンナの元に大股で近付いた。

「なんて格好で男どもの前に出ているんだ! お前ら見るなよ!」

 周りが不憫そうな視線をユリウスに向ける中、ハンナは楽しそうに笑っていた。

「相変わらずだな、旦那様。こんな格好でも襲ってくる馬鹿はいないよ。私に指が届く前に氷漬けになるからね」

 襲う気はないが、改めて言われると恐ろしくなるのがハンナの怖いところでもある。ユリウスは無造作にハンナを立たせると横抱きにした。

「私は風呂に入ったばかりなのだけどね」
「お前は少し俺を軽んじ過ぎている。仕置きが必要だな」

 するとハンナはごくりと喉を鳴らした。

「お仕置きの前に風呂に入ろうか?」
「お前が洗うなら入ってやる」

 白い腕が太い首に回る。ハンナは嬉しそうにその首に顔を埋めた。

「……良かったら離れを使うといい。魔石を埋めて音を吸収するよう作ってある」
「ご自分が使う為に作った部屋をいいんですか?」

 悪びれないユリウスの言い方に、若干気まずさを感じながら頷いた。

「いいんだ、戦争の功労者に報いたい」

 ハンナはユリウスの首に流れる汗を舐め取りながら、応接間に集まる男達を見下げた。

「あなた達もたまには本気で愛し合ったらとうだ? 意地を張っても良い事はないぞ」

 意味ありげな視線をそれぞれに向けると、ハンナはユリウスに抱かれながら部屋を出て行った。二人の背中を見送りながら、心当たりのある男達は互いを見やった。

「あの調子だと二日は出てこないな。これで話し合いは中断だろ? 俺ももう行くぞぉ」

 背伸びをしながら立ち上がったルーは、眠そうに目を擦りながら部屋を出ていく。クラウスは息をつきながらソファの背もたれに沈み、ぽつりと呟いた。

「完全に遊ばれているな」
「年下だが奥方の方がうわ手のようだ」




「父上のお加減はいかがですか?」
 クラウスは紫の離宮を出た足で前王の私室へと来ていた。付きっきりの養母は疲れ切っている様子で顔を上げた。寝台には隈を深くし、頬のこけた養父の姿が痛々しい。部屋の中には優しい匂いの香が炊いてあり、枕元には常に綺麗な花が生けられていた。

「先程少しだけ起きていたけれど、またすぐに眠ってしまったわ」
「アレクと交換しては? 呼んできましょうか?」

 すると力なく首を振った。

「全くこの部屋に寄り付こうとしないのよ。父親が病気なのに顔も見に来ないの」
「俺もアレクと話してみます。でもどうやら俺も避けられているようで、この所ずっと顔を見ておりません」

 クラウスは眠っている養父の顔を覗き込んだ。

ーーアレクは我が子ではない。

 四ヶ月前にそう言われた時の衝撃は大きかった。養父は子供が出来なくとも側室を迎える事はせずに、兄の息子である自分を養子とした。想い合っている二人なのに、どこで釦を掛け違えてしまったのか。もしエーリカが別の男との子供を孕んでも、受け入れられるだろうか。それは考えなくても分かる。二人の間に何があったのか、誰にも分からないからこそ踏み込むべきではないと思った。
 部屋を出ると廊下で動いたものが目に入る。クラウスは勢いよく厚いカーテンをはいだ。

「ッ、兄上」

 ジアレクは剥ぎ取られたカーテンに縋るようにして顔を強張らせていたが、すぐに開き直ると歩き出した。その腕を掴むと、驚いて振り返った顔は真っ青だった。

「大丈夫か?」
「どういう意味です? 至って健康ですよ」

 額を軽く弾くと、睨み付けた目が涙目になる。

「止めてください!」
「顔を見せに行っていないようだな」
「……どうせ僕が行っても意味はないでしょう?」

 言葉の意味を測りかねていると、アレクは叫ぶように言った。

「兄上がお顔を見せていれば喜ばれるはずです!」
「アレク待て!」

 呼び止めても止まらない背を見つめながら踵を返した。

「見舞いに行くのが気恥ずかしい年頃なのか? 弟というのも難しいな」

 一瞬振り返ったが、追いかけてもかける言葉は見つからないだろうと思い、執務室へと足を向けた。
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