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28 侍女の苦悩

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 アインホルン家から王城まで、馬車を使えばほんの僅かな間に着いてしまう距離でも、宰相と侯爵家当主を兼任するフランツィスは業務に追われていた。その合間に今朝届けられたばかりの手紙を読んでいく。手紙は母親からで、内容は領地での報告とエーリカの捜索を催促するものだった。

 エーリカが忽然と姿を消してから、手掛かりは全くと言っていい程掴めないまま、情報には懸賞金をかけ、私兵とアインホルン家独自の密偵組織‘’猫と鼠‘’を使い、独自に情報収集をさせたが、それでもエーリカの目撃情報すら得られなかった。アインホルン家の総力を結集しても見つからないなど、もう国内にはいないように思えた。

「せめてオルフェンがいたらな。こうなってみると、気に食わない奴だったが必要ではあったか」
「食わないのはお嬢様を一人占めされていたからですよね? ただの嫉妬です」

 向かいに座る侍女のグレタは、悪びれる事なく侯爵家当主に向かって毒を吐いた。侍女長の娘で、幼い頃から共にいたせいか、離れて暮らしていた実の妹よりも気安く、素の自分を見せられる数少ない人間だった。長い藍色の髪をきっちりと一つに結い、薄茶色の瞳でこちらを真っ直ぐに見つめてくる。グレタはこの顔を見ても頬を赤らめたり恥じらったりしない。それがまた、フランツィスにとっては好ましかった。

「お嬢様はご存じないんですよね? フランツ様の気持ち悪い執着について」
「執着じゃない! 兄心!」
「……気持ち悪いはいいんですか。それで、オルフェン様ならお嬢様を見つけられるので?」
「分からないがあの二人は互いの魔力を辿れるようなんだ」
「それは他の魔術師では駄目なのですか?」
「あの二人だから出来る事らしい」
「特別な関係なんですね」
「それ、陛下の前では絶対に言うなよ」
「私に陛下の前で発言する機会があるとお思いですか」
「だな。それはそうと今日は午後からヴォルフ侯爵の家を訪ねる事になったからからな」

 そう言うとグレタは強い視線でフランツィスを見た。

「なんだ?」 
「ヴォルフ侯爵様なら城でお会いになれますよね? なぜわざわざお屋敷に向かわれるのです?」
「大方陛下が側室を持つようにせっつく為だろう。だが珍しく向こうからの申し出だし、今回の目的は家にあるんだ。だからお前にも協力してもらいたい」

 怪訝そうにするグレタの頭に手を置く。するとグレタはうっとおしそうに頭を動かした。

「‘’鼠‘’の仕事ですか?」
「頼む」
「もちろんです。フランツ様が苦労して手に入れた情報なのですから、私も無駄にしないよう頑張ります」
「言い方に棘を感じるな」

 恐らくグレタはあの日の事を言っているのだろうと心当たりはある。ヴィルヘルミナ帝国の使者が来る少し前だったか……。


四ヶ月と少し前
 ピンクブロンドの髪を後ろに束ねた姿は、一見すると女性のように見られる事が多かった。しかしその姿を嫌だと思った事はない。男は中性的な容姿に安堵し軽んじてくる。女はこの容姿に色気を感じるのか、向こうからしなだれかかってくる事の方が多く、どちらにしても警戒心を持たれずに相手に近付く事が出来るこの容姿はかえって好都合だとさえ思っていた。自分の武器は使えるだけ使う。アインホルン家の強みは情報収集能力にあった。

 昔から‘’猫と鼠‘’と呼ばれる影の組織を使い、自らも暗躍する。今王城で権力を二分しているのは間違いなくアインホルン侯爵家とヴォルフ侯爵家だった。ヴォルフ侯爵家は外交を得意とし、国内外に広く人脈を持つ。その人脈と有り余る金に対抗出来るのは、アインホルン家が独自に保有する過去から積み重ねた情報の記録に他ならなかった。その中には幾つもの貴族達を一夜にして没落へと追い込める程のものまであった。

 フランツィスが連れ込まれるように入ったのは、普段は使用人の仮眠室として使われている小部屋だった。しかし本当は男女の逢瀬に使われていると知ってはいたが、今その部屋に自分が居る事が少し面白くもあった。女の目はすでにとろりとし、頬は上気していた。

――媚薬にあてられているな。

 媚薬を使いクラウスを湯殿で襲おうとした侍女。こうなる前から調べはついていた。城へ奉公にきてすぐ、何故か王子付きになった子爵家の娘に目を付けない訳がない。そして事件は起きた。城に放っている密偵の‘’鼠‘’が部屋に報告に来た時はついに動いたかと思った。廊下で待ち伏せをし、クラウスに相手にされず放心したまま部屋に戻ろとする女に声を掛けたはいいが、まさかここまで積極的だとは思いもしなかった。
 女は鼻に掛かる甘い声を出しながら、すり寄ってくる。自ら脱ぎ出しそうな勢いで寄りかかられれば、重みで簡素なベッドがギシリと鳴った。

「フランツィスさまぁ」

 甘い声は耳障りな程に高い。妹より年下であろうこの女はすでに男を知り尽くしているようだった。

「初めてなのです。優しくしてく下さい」

――これだけ乱れておいてよく言うな。

「美しいあなたの初めてを貰える栄誉を私にくれるのか」
「美しいだなんて、そんな」
「まるで全てが極上の果実のようだ」

 胸から腰、尻へと触るか触らないかで触れていくと、侍女は焦れたのか、体をくねり始めた。

「あなたを抱く前に確認したい事があるんだ」 
「なんです?」
「殿下の後に浴室から出てきただろう? 私としてはあなたが殿下の恋人だとまずいんだが」

 すると女は期待を隠さずに、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「本当はずっとフランツィス様をお慕いしていたのです! ですが、父に殿下を誘惑するよう言われて……でも誓って何もございません!」

 強請るように押し付けてくる胸を引き離す。

「私は今嫉妬に駆られているんだ。優しくできないかもしれないよ」
「乱暴でもいいから、早く私をフランツィス様のものにしてください!」
「あぁ嬉しいな」

 フランツィスは侍女を抱き寄せた。

「フランツィスさま! お早く!」
「……でも初めてならあなたを大事にしたい」
「駄目です駄目! ちゃんと欲しいんです!」
「だが初めてなのにこんな所では嫌だろう?」
「お願い欲しいの、お願いします!」

――これで生娘だと言い張るのか? そろそろ頃合いだな。

「分かってくれ、愛しいからこそ君を大事にしたいんだ」

 すると女は落胆したのか潤んだ瞳で睨み付けてきた。

「お願いします。このままでは父に叱られてしまいます」
「どういう意味だ? 大丈夫、話してごらん」
「……父は、私が殿下のお手付きになる事を望んでおりました。たまたま殿下のお部屋付きになった為、そのような事を思いついたのだと思います。言いつけは守れませんでしたが、こうしてお慕いしていたフランツィス様がお声を掛けて下さり嬉しいのです」

――殿下付きになれたのはたまたまではないと思うがな。

「だが例えお手付きになっても、側室になれなければ名に傷がついてしまうぞ」

 ぽってりとした唇を半開きにし、上目遣いですり寄ってきた頭を優しく撫でた。すると女は嬉しそうに首筋を舐めてきた。

 少し前、母方の遠い親類にあたる商家から妙な報告が上がっていた。媚薬と魔石を合わせて使う効果について聞いてきた者がいると。いち商家では魔石について分かるはずもなく答えられなかった所、高価な媚薬だけを購入していったという。魔石自体が安易に手に入る物ではない為、念の為にという報告だった。その時に、実はその子爵から金を借りていると相談された。おそらく本題としてはそちらの方だったのだろう。一時期商売がうまく行かなかった時に、アインホルン家に相談するのも憚られた所、客だった子爵に金を貸すと持ち掛けられたらしい。少額だからと侮っていたが利子は莫大になり、いよいよもって相談にきたのだ。正直フランツィスにとっては他人も同然だったが、母親に手助けして欲しいと頼まれればしない訳にはいかない。そして調べてみるとその子爵家は黒い噂が耐えなかった。
 その令嬢がクラウス付きの侍女になったのだから嫌な予感がしていたが、放置していたのもまた事実。この程度の誘惑に負けるようであれば、そもそもエーリカは任せられない。いっそ破談になってもいいとさえ思っていた。

「あなたが知っているお父上の仕事について教えてくれるか?」

 フランツィスは後ろから抱き締め、耳元で声を掛けた。

「お金を貸したり、でも、前に屋敷へ、魔石を扱うぅ、商人がぁ」
「魔石?」
「沢山、見せてもらったので、覚えて……ます」
「購入したのか?」
「多分、箱があってぇ」 

――それほど魔石を購入する金があるのか。

 侍女は媚薬の効果で朦朧とし始めているようだった。


「箱とは? どんな箱だった? 中身は?」

――そろそろか。

「黒で、三本の、羽根の紋章、の箱が素敵でした。ねえ、早くフランツィスさまぁ」
「三本の羽根だと!?」

 フランツィスは前に抱えていた侍女から手を離すと立ち上がった。状況を飲み込めていない侍女は胡乱な目で見上げてきた。

「あなたは素敵だが実は私の好みは生娘ではないんだよ。慣れたご婦人にしか反応しなくてね。どうかあなたは純潔は大切にするといい」
「待ってフランツィス様! 私本当は生娘じゃありません!」

 言った後、女は口を押さえた。

「それは残念だよ。私は嘘が何より嫌いなんだ」


 部屋を出るとグレタが待っていた。無言のまま濡れたハンカチを受け取ると手を拭く。滅多にはないが、こんな仕事の日はあまり顔を合わせようとしないグレタの頭頂部を見ながらフッと息を吹きかけた。

「止めてください!」

 いつも通りのグレタにほっとしながら歩き出した。

「朝までに彼女が城を出るのを見届けろ。馬車の手配くらいはしてやれ」
「承知致しました。フランツ様は?」
「湯浴みをしたらすぐに殿下の所に行く。全く、化粧の匂いが付いてしまったな」

 返事は帰ってこない。グレタも女なのだからきっと仕事とはいえこんな風に情報を得る事を快く思ってはいないのだろう。暫く思案した後、城に泊まる時に使用している客間の前でグレタと向き合った。

「そういえば七日後に夜会があったな。その日は屋敷にいていいからな」
「何でですか?」
「そう怖い顔するなよ、別にクビにする訳じゃないんだから。そういえばお前も女だと思ってな。こういうのは気分が悪いだろう? ほらその、漏れてくる声とか」
「別に平気です」
「でも次は休んでいいぞ」
「もしかして次のお相手のせいですか?」
「聞こえていたのか?」
「申し訳ありません。三本の羽根の紋章は、確かヴィルヘルミナ帝国の公爵家の一つにありましたよね。あの国と交易があるのはヴォルフ侯爵家のみです。確かその夜会はヴォルフ侯爵家主催でしたか」
「さすがだな。そこらの官僚よりも頭が回るじゃないか」  
「その言い方はなんだか嫌です。そういえばご令嬢も大変お美しいお方ですよね。幼い頃からずっとフランツ様を見ていらっしゃいましたし」
「家が家だからあまり話した事はないんだけどな。昔の事だから忘れてしまったよ」
「もしかして次に近付くのはそのお嬢様ですか? 私にいなくていいと言う事は、綺麗なお方だからですか?」

 言い過ぎたかと押し黙っているグレタの肩を軽く押した。

「別に今日みたいな事をしたくて女性に近づいている訳じゃないんだが? むしろ男にとってこの状態は生殺しなんだぞ」
「……あ――、そうですか」

 グレタの視線が冷たく刺さってきた。

「何だよ、何を怒っているんだ。夜会の準備は面倒だといつも文句を言うからたまには休ませてやろうと思ったのに」
「えぇそりゃ面倒ですとも! でも次の夜会もしっかりとお側にいさせて頂きます!」
「? 分かったよ」

 フランツィスは一人になった後、鏡を見て舌打ちをした。

「あの女、跡を付けたな」

 こんな情事の跡が付いては他の女性達に警戒されてしまう。時として女性の方が有益な情報を持っている事が多く、警戒されるのは一番避けたかった。

「ヴィルヘルミナ帝国とヴォルフ侯爵家か。一体何を企んでいるんだか」

 もうすぐ夜明け。全ての痕跡を洗い流した後、首の跡を隠す為に高めの衿にしたシャツを少し下げながら、まだ静かな廊下を進んで行った。
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