魔術師の恋〜力の代償は愛のようです〜

山田ランチ

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27 エーリカが消えた後

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 紫の離宮の改修工事が終わって一週間。
 次期王妃の為に整備された離宮は、今までの綺羅びやかな佇まいは残しながらも増築された離れは一際美しさを放っていた。花々の彫刻が施された扉を入ると、中は広い一部屋。大きな窓からは美しい庭が一望できる造りになっていた。

「陛下、そろそろ会議のお時間です」

 結界が消え去り、ヴィルヘルミナ帝国の侵略と、魔術師の山が落ちてきたのは四ヶ月前。本来は街を直撃していたであろう落下場所が逸れたのは、他でもないエーリカのおかげだった。ただその衝撃で崩れた民家や街道、落下に巻き込まれ少なからず死傷者も出た。復興と共に始めた紫の離宮改修工事には当初反発の声も上がったが、それらを抑えられたのは王位を継いだからからに他なかった。

「陛下がお越しです」

 国を動かす権力図は四ヶ月前を境に大きく変化していた。クラウスが王位を継いですぐ、アインホルン侯爵が当主の座をフランツィスに譲り宰相の任からも下りた。
 あの日、エーリカによって守られた貴族の一人が声も強めにクラウスに詰め寄った。

「紫の離宮に迎え入れる妃を早急にお決め下さい。復興に力を入れるべき時に、いもしない妃の為に国の予算を使うなど国民の暴動が起きてもおかしくありませんぞ」
「いもしない妃ではない」

 クラウスは意気揚々と発言していたバーナード伯爵を見た。口ひげを伸ばしているのは威厳の為か、剃れば若々しく見えるだろうその甘い顔を睨みつけると、バーナード伯爵は引き際を見せ押し黙った。

「ですが、バーナー伯爵の言う事も一理ありますな」

 緊張感の漂う中、沈黙を破ったのはアインホルン家と権力を二分するヴォルフ侯爵だった。貴族間の繋がりはヴォルフ侯爵家の方が上手く立ち回っている。夜会は頻繁に開催し、招待客は貴族から商家にまで至る。他国との貿易も行っているヴォルフ侯爵家には揃えられない品物はないとさえ言われていた。

「国王が独り身というのはいらぬ不安を民に抱かせてしまうものです。エーリカ様が生きているのは婚約の契約書が効力を失っていないので周知の事実ですが、側室が居ても良いでしょう」
「何度も言うが側室を持つ気はない」
「おや、てっきり紫の離宮の改築は側室の為かと思っておりました。あの娘は何という名でしたかな? 確かミラ・ベルガー。父親は男爵でしたか」
「ミラは友人だ」
「でしたら私が美しい娘を手配致しましょう。まずは民へ希望をお与えください。皆、結界が消えて不安なのですよ」

 結界を持ち出されては返す言葉がない。王族の努めは国民を守り安心させる事にあるのだから。


 クラウスは、新しくなった落ち着かない広い執務室でソファに腰掛けた。後に入ってきたフランツィスは書類の束をどさりと机に置くと、同じくソファに座った。

「疲れたな」
「あの者達は国を潰す気ですか。こちらが視察に出向く暇がないと分かっていての要望ですよ」

 二人は顔を見合わせると小さく息をついた。

「ヨシアスの容態はどうだ?」

 ぴくりと眉を動かしたフランツィスは首を振った。

「エーリカが消えた日からどんどん落ち込み、今は療養を兼ねて領地におります」
「陛下はどうです?」
「陛下は俺だが?」

 すると力なく笑った。

「まだ慣れないんですよ、国王陛下」
「父上も同じだ。生きる気力を失い、結界があった頃とは何もかもが変わってしまった」

 結界に守られていた頃は、気候は安定し一年中作物が取れていた。家畜は病気もなく育っていたし、何より守られているという安心感が人々の心を平和にしていた。しかし結界が消え去った今、各地では暴動や小競り合いが起き、その度に兵団や騎士を派遣している。今まで育っていた作物も育たなくなる事象が起き始めて、食料の確保を優先するのが最重要課題となっていた。

「間もなく出払っていた魔術師達も戻って来るが、魔術師の山がない今、城でうまくやれるだろうか」
「やってもらわないと困ります」
「しかし魔力を持たない者達は魔術師達を恐れるものだ。同じ場所で生活するのは難しいだろう?」
「いたずらに怯えているだけですよ」

 百人ほどいた魔術師達は、報告によると半数以下にまで減ったという。ヴィルヘルミナ帝国の軍隊はそれほどに強力だった。ヴィルヘルミナ帝国は魔術も使う。魔術師の数はこちらの方が多いが、魔術を織り交ぜながら武力で攻められれば、いくら魔術師達とはいえ太刀打ち出来ない。

「魔術師達の事はハンナ達に任せよう。ただ、やはり移住区は分けた方が良さそうだな」

 二人とも、もう一人の結界魔術師については口にしなかった。

「エーリカの行方はまだ分からないのか? 怪我が心配だ」
「うちの手の者を使っても手掛かりすら掴めません。やはりヴィルヘルミナ帝国に連れ去られたと考えた方がいいかもしれませんね」

 クラウスは吐き気がして口元を押さえた。エーリカがあのヘルムートの元にいると考えただけで気が狂いそうだった。しかし目を逸してはいけない。現にヴィルヘルミナ帝国はあの日、程なくして突然攻撃を止めた。あのまま進軍していれば間違いなく王都は落とされていただろう。もし目的がエーリカだったのなら納得も出来た。

「しかしあの状況で、妹を連れて姿をくらますなど出来るとも思えませんがね」
「あいつは魔術を使うし、高度な擬態が出来る魔石も持っていた。でも俺の妻はエーリカだけだ」
「そのお言葉は兄としては嬉しい限りですが、宰相としては苦言申し上げます。ヴォルフ侯爵とバーナード子爵のご提案ですが、いかが致しますか?」
「しつこいぞ」
「正妃でなくても側室を作ればしばらくは時間稼ぎが出来るでしょう」
「エーリカが戻ってきた時どう思うか考えたか?」
「今はあの者達を黙らせておく事が重要です。私もその間に少し調べたい事がございます」
「分かった」
「お話が早くて助かります。そのようにお返事をして参ります」

 わざとらしく笑みを浮かべたフランツィスを見て溜息をついた。

「二人の時くらいその話し方は止めたらどうだ?」

 フランツィスは眼鏡の奥で小さく笑った。

「やっと慣れてきた所です。嫌だというのにあなたが無理やり私を宰相に任命したのですから、嫌過ぎて思わずボロが出ないよう気を引き締めなくてはなりませんので、どうかご容赦下さい」




 薄暗い廊下の先で、二人の女は来賓用の部屋の前で止まった。

「まだ正式にご側室に迎えられた訳ではございませんので、くれぐれも内密にと仰せです」
「それなのに私を召し上げて下さるの?」
「エミリア様のお美しさは以前からお目に留まっていたようでございます」

 侍女の言葉にエミリアは満更でもない笑みを浮かべると、髪を横に流した。

「バーナード伯爵家のエミリア様をお連れ致しました」

 侍女が扉を叩くと、短い返事が返ってくる。部屋に通されたエミリアは高鳴る胸を抑えながら中に入っていった。
 いつもにも増して湯浴みを丁寧にし、綺麗に磨き上げられた肌は自分で触れてもうっとりする程の滑らかさで、綺麗に伸ばした自慢のブロンドの髪は湯上がりのよい匂いがした。部屋の中を数歩進むと、突如後ろから抱きすくめられた。

「陛下ですか?」

 後ろから覆い被さる身体は大きく熱い。腰から腹に回された腕に下腹部が痺れた。

「本日は私を召し上げて下さり感謝致します。エミリアと申します」

 エミリアは体をもぞもぞと動かしながら声を出すと、一瞬手が止まり、次の瞬間抱き上げられた。驚いて首にしがみつく。

「陛下、私は初めてでございます。あの、陛下?」

 どさりと落とされた寝台は暗く、窓から差し込む僅かな夜光もカーテンによって遮されている。不安になって身を強張らせると、思ったよりも優しい声が返ってきた。

「ちゃんと聞いている。エミリアだな」
「粗相のないよう精一杯励ませて頂きます」

 薄暗い中では顔ははっきりと見えない。起き上がり、震える手でガウンを脱いだ。
 ぼんやりと見える清潭な顔を見つめながら口付けをし、無意識に手を首に回した。ふと指先に硬い物が当たる。それは小さな緑色の石で、よく見るとじんわりと光を放っていた。

「きれい」

 手に取ると直様大きな手に攫われる。エミリアはそのまま組み敷かれると、情事の跡を色濃く残したまま意識を失ってしまった。


 朝の日差しが差し込む城の一室で、そぐわない悲鳴が響き渡った。エミリアはベッドの端でシーツに包まったままガタガタと震えていた。

「誰か来て!」

 声を聞きつけ、来賓用の部屋へ飛び込んできた侍女達は、中に入ってくるなりあからさまに顔を顰めた。エミリアの横には騎士団副団長のフーゴが眠っている。薄めを開けたフーゴはへらっと笑って、エミリアの頬に手を伸ばした。

「あぁやっぱり綺麗だな。体は大丈夫?」

 微笑むフーゴとは裏腹にエミリアは顔を真っ青にして言葉も出ないようだった。

「なんの騒ぎだ」

 フランツィスは部屋に入りかけて背を向けた。シーツを纏っているとはいえエミリアは裸のままだった。

「フランツィス様、実は……」

 侍女の一人がフランツィスに耳打ちをする。フランツィスはエミリアに何か着るように言うと、寝台まで近付き恐ろしい程に冷めた顔でエミリアを見下げた。

「陛下の側室候補でありながら、我々の目を盗んで騎士と逢引とは」
「ち、違います! 何かの間違いです!」

 しかし全員の目は哀れな者を見る、冷ややかなものだった。

「フーゴ、そのご令嬢は陛下の側室候補だがお前はそれを知っての愚行か?」

 するとフーゴは寝台から降りて頭を下げた。

「申し訳ございません! 実は私とエミリア様とは愛し合う仲でした。陛下のご側室候補になったと存じ上げておりましたが、愛する事を止められませんでした。処分は甘んじてお受け致します」
「お待ち下さい! この者の言っている事は全てでたらめです! このような男会った事も見た事ございません!」

 するとフーゴはエミリアの口を押さえた。

「俺の事を庇ってくれるんだな。愛しているよ!」

 そのまま寝台に押し倒す勢いのフーゴにフランツィスも侍女達も呆れ顔で頭を抱えた。

「起きてしまった事は仕方ないがこの件は陛下にご報告してくる。フーゴは取り敢えず謹慎処分だ」
「あの宰相様! 私は……」

 フランツィスは眼鏡を押しながら息を吐いた。

「あなたはご自分のお屋敷にお戻り下さい。後日陛下からのご処分をお伝え致します」
「陛下に会わせてくださいませ! これは何かの間違いです!」
「陛下は昨晩から徹夜で公務をされておられますので、面会は許可出来ません」

 エミリアは涙を溢しながら肩を震わせた。

「とりあえず風邪を引いてしまうから……」

 毛布を掛けようとしたフーゴの手が盛大に振り払われる。エミリアはフーゴを睨み付けた。

「あなたのせいよ! なぜ陛下の振りなどしたの!?」
「落ち着け。不利になるだけだぞ」

 最後の言葉は囁くように小さいものだった。

「離して! 何かの間違いよ!」
「でも、良かっただろう?」

 悪びれなく言うフーゴにその場にいた侍女達は顔を赤らめ、エミリアは真っ青だった顔色を真っ赤にしてフーゴの胸を力一杯叩いた。赤く跡の付いた肌が目に入る。それは昨晩自分が夢中でつけた跡だった。

「お前達はエミリア嬢に手を貸してやりなさい」




 フランツィスは執務室に入ると人払いをした。ソファで眠るクラウスは酷い顔色をしていた。

「フーゴは無事に役目を果たしました」
「悪い事をしたな」
「フーゴなら楽しんでいたようですよ。謹慎で休暇も取れるし喜んでいるでしょう」
「お前にも女の役をさせて悪かった」
「そうですね、あれだけは二度とごめんです。ですが陛下に送り込んだと思った自分の娘が送り返さえてきたら、一体どんな顔をするのでしょうか」

 満足そうに言うフランツィスとは対照的に、クライスの表情は重苦しいものだった。

「フーゴには少し謹慎してから復帰をしてもらう。それと今回の令嬢には良い嫁ぎ先を見つけてやれ」
「承知致しました」

 フランツィスと立てた作戦は上手くいった。
 貴族側から提示された要求を断り続けていてはいずれ大きな不満になってしまう。特にヴォルフ侯爵からの助言であれば尚の事。かといって差し出される娘達を受け入れられる訳にもいかない。だが今回の件を盾にし、しばらくはどの娘も受け入れられないと突っぱねる事が出来るだろう。

「エーリカ。君は本当にあいつのそばにいるのか」

 恐ろしい程の怒りと嫉妬が湧き上がってくる。その感情を押し込めるように、山積みの書類に手を伸ばした。
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