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21 決別の覚悟

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 体調不良を理由にクラウスからの面会の申し入れを断り続けて三日。その結果、扉の向こうにはとうとうクラウス本人が立っていた。

「エーリカ、体調はどうだろうか? 一度城の医師に診察をしてもらったらどうだ? 俺から話を通しておくから今日にでも……」
「体調は回復しておりますのでご心配には及びません。クラウス様もお忙しい御身なのですから、私の事にまでお気を回されなくても結構ですよ」
「気にするなと言うのは無理だろ。俺達は婚約しているんだから心配はさせてくれ」
「責任感が強くていらっしゃるのですね」

 こんな態度は不敬だと分かっているのに冷えた言葉しか出てこない。扉の向こうから溜息が聞こえると、体がびくりと跳ねた。

「本当は顔を見て謝りたかったんだが、今ここで言わせてもらいたい。ほかでもないミラの事だ」
「……なんでしょうか」

 指先が寒くもないのに震え出す。

「この間ミラからエーリカと話した内容について聞いたんだ。ミラが執務室で俺と過ごすと言っていたようだがそれは誤解だ。確かにミラは執務室に来る事もあるが、誓って二人じゃない」
「気にしておりません。仲が宜しいご友人がいらっしゃるのは良い事じゃありませんか」
「そうなんだ! ミラは俺が陛下に引き取れてすぐからの友人なんだ」
「……それなら、あの時にはすでにミラ様を知っていたのね」

 深い落胆が襲ってくる。魔力酔いで垣間見た世界。あの光景を見てからは、せめて出会いは自分の方が早いと思っていた。でもそれ以前にすでにミラとは出会っていて、共に遊び、学び、過ごしてきたのだとすれば、ミラは自分の知らないクラウスをさぞ沢山知っているのだろう。何があると落ち込み泣き、どんな事で機嫌を直し、何に喜び、どんな食べ物が好きで、他愛ない会話の時はどんな表情なのかを知り尽くしている。
 子供の頃のクラウスはとても愛らしく自分の気持ちを素直に話す子供だった。おそらくミラにも同じような事をしていたのかもしれない。それでは互いに心惹かれていくのも仕方ない。何もかも、出会いから遅過ぎたのだ。

――敵う訳がないわ。

「エーリカ、やっぱり少しでいいから顔を見て話せないか?」
「この先もミラ様とのご関係は変わらないのですよね?」

 最低な事を考えている自覚はある。長く友人関係にある人を捨てて欲しいと願っている自分がいるという事に驚きだった。

「変わらないと思う。ミラは友人だし団長の縁者でもある。これからも付き合いを絶つつもりもない」
「分かりました。それで結構です」
「結構とは?」
「そのままです。私も捨てられないものがありますからおあいこですね」

 扉の向こうで気配が変わった気がした。

「それはオルフェン殿の事だろうか?」

 なぜ今ここでオルフェンの名が出てくるのだろうか。今は思い出すだけでも苛立ってくる気持ちを押し込めた。

「師匠は関係ありません」 
「そうか。それじゃあまた明日様子を見に来るよ」

 扉の向こうで足音が遠ざかって行く。こんな事をしたい訳じゃない。クラウスと険悪になりたい訳ではなく、ただ自分を見て欲しかっただけなのに。それでもこの力が本当は自分の物ではなかったと知ってしまった今、もうクラウスにふさわしくない気がしてしまう。それでもまだクラウスを手放す気にはなれなかった。
 気が付くとクラウスを追い掛けて部屋を出ていた。廊下を曲がり玄関へと向かう背中を見つけた瞬間、足を止めた。廊下の先にはミラがいた。壁に付いていた背を離すと、心配そうに近付きクラウスの腕に触れた。とっさに身を引き隠れたが声は聞こえてくる。盗み聞きなど良くないのに二人が話しす内容が気になって仕方なかった。

「やはり一緒に来なくて良かった。多分怒っていたと思う」

――勝手な事を言わないでよ。

「私は嫌われているみたいね。仲良くしたかったけれど難しいかしら」

――何よ、私が悪いみたいじゃない。

「いずれミラを受け入れてくれるさ。きっと仲良くやっていけるはずだ」
「あなたがそう言うなら待ってみるわ。それに私もエーリカ様に心を開いて頂けるように努力するわね!」

 二人の慰め合う声がする。

――まさかミラ様を側室にするという事? そんなの嫌、絶対に嫌よ!

 そう思った瞬間、一気に腹に重苦しい感覚が広がった。もうこれが何なのかは分かっている。

――クラウス様、私はもうお側に居られないかもしれません。

 魔力が暴走しないように抑え込みながら、そっとその場を離れた。

「お前も早くあいつに想いを伝えろ。そうじゃないと俺も動きにくい」
「私だけの問題じゃないからもう少し慎重になりたいのよ。でもエーリカ様にならお話してもいいわ。私の事で気まずくなるくらいなら……本当は四人で仲良くしたいけれど、このままじゃそれも難しそうだもの」

 クラウスは小さい頭に手を乗せてグリグリと押した。

「お前が言わないのに俺が誰かに話す訳ないだろ。もちろんエーリカにも言わないよ。これは俺とエーリカの問題だからなんとかするさ」




 最初から決まっていた。どう抗ってもミラには勝てない。最初から妻になるのはお前だが、想い人がいると言われていたら、きっとなんの期待もせずにただ恋い焦がれていたクラウスのそばにいられると喜んだかもしれない。腹で蠢くものを外へ逃がさないように必死で抱え込む。毛布を被り体を丸くしてとにかく耐えるしかなかった。

 どのくらい経っただろう。気が付くと部屋の中は暗くなっていた。いつしか眠ってしまっていたようで、その間に腹の底に渦巻いていたものは落ち着きを取り戻し、そこにはあるが穏やかだった。

「もう、これ以上は無理ね」

 体は限界にきている。クラウスがミラと仲睦まじく過ごす姿を見ながら、この魔力が大人しくしているとはとても思えない。何よりそんな二人を見ていたくはない。
 数日振りにオルフェンの部屋を訪れると、夜中にも関わらずまるでこちらが来るのを待っていたかのように起きていた。




 王の間には国王と父親のヨシアスだけが待っていた。謁見の申込みをしてすぐに通されたのはヨシアスの計らいなのは分かっている。しかし何を話すまでは伝えていなかったので、二人とも心配そうにこちらを見ていた。礼をして二人の顔を見つめ、にこりと笑みを浮かべた。

「陛下に置かれましては突然の謁見にも関わらず、快くご承諾下さいましたこと、誠にありがとうございます」
「どうした急に改まって。クラウスは呼ばずに話とは余程の事なのか?」
「まずはお二人にお伝えしたく存じます。先日のヴィルヘルミナ帝国のヘルムート殿下からの申し出ですが、私はお受けする所存にございます。今からでも早馬を送って頂けませんか?」

 返事が返ってこない。二人は固まったように呆けていた。

「やはりこの縁談を断るのは国害以外の何ものでもないと思ったんです。結界魔術師として国を守ってきたのに、この決断で戦争の火種を作る訳にはいかないと、そう思いました」
「……貴族令嬢としては立派だがそれで良いのか? クラウスを好いてくれていたのではないか?」

 ずくりと痛む胸の痛みには気付かない振りをした。

「私の意思は関係ないと思います。これは貴族に生まれた者の務め。皆そうして婚姻を結び暮らしているのですから」
「分かった」
「陛下!」
「ヨシアス、お前は娘の覚悟を踏み躙るのか」
「本当にそれでいいのか? エーリカ! 幼い頃から魔術師として戦ってきたお前には望む相手と結婚んして幸せになってほしいんだ!」
「大丈夫ですお父様。幸せになるのを諦めたつもりはありません。必ず幸せになってみせますから」
「しかし、それでは結界魔術はどうする?」
「詳しくはオルフェンからお話頂きますが、結界魔術師は私でなくとも良くなるかもしれません」

 オルフェンは魔力の核を授けたと言っていた。ルートアメジストが反応したのがその核にだったとすれば、他の者でも結界魔術師になれるかもしれない。そう思い昨晩オルフェンの元へ話し合いに向かったが、その推測は正しかった。オルフェンが魔力の核を取り出してくれれば普通の人間になる。そう思うと悲しくなったが、それしか方法がないとも思っていた。

 偽物の魔術師だと分かった今、このままクラウスの側にいる事など出来ない。魔力もない、愛されてもいない現実をきっと受け止める事は出来ないだろう。クラウスを好きになった事を後悔する前に出て行きたかった。

「その子細はオルフェンに確かめるとしよう。その件が確かならエーリカの申し出を受け入れる事とする。クラウスにはわしから……」
「それについてもお願いがございます。クラウス様のお耳に入れるのは、全てが決定してからにして頂きたいのです。これ以上ご心配事を増やしたくございません」
「しかしそれでクラウスが納得するかどうか」
「クラウス様もきっと分かって下さいます。全ては国民の為に成される事なのですから」
「確かにエーリカの言う通りだな。さすがは結界魔術師だ。オルフェンから説明を受けた後、速やかに早馬を出しヴィルヘルミナ帝国に向かわせる。それで良いか?」
「お聞き入れ頂き、感謝致します」
「そうとなればすぐにオルフェンを呼べ!」


 エーリカはそのままの足でクラウスの執務室を訪れていた。いなければ騎士団まで赴くつもりだったが、クラウスは執務室で公務をこなしていた。快く通された部屋の机には書類が幾つも仕分けられ、クラウスの表情には疲れが浮かんでいる。王族として、騎士団副隊長として、やる事は山積みのようだった。

「突然の訪問をお許し下さい」
「むしろ今日は来てくれて助かった。体調はもういいのか?」

 侍従は紅茶だけ出すとクラウスの合図で外に出ていく。エーリカは話し出しにくくなる前に前を見据えた。

「この度はご心配をお掛け致しました。せっかくご訪問下さいましたのに、数々の不敬をお許し下さい」
「謝る事は何もない。そうだ、快気祝いに何か贈りたいが何がいい?」

 正直驚いていた。こんなにもこれから話そうと思っていた事が言いやすくなるとは思いもしなかった。

「それならお願いしたい事がございます。どうかお断りなさらないで下さいね」 

 クラウスは小さく笑うと、紅茶を飲みながら頷いた。

「クラウス様のお時間を少しだけ頂きたいのです」
「そう言えば先日もそう言っていたな。結局流れてしまってすまなかった。エーリカの欲しいものは俺との時間か?」
「その通りです。出来れば本日。難しければ明日いかがでしょうか」

 クラウスはしばらく思案した後、頷いた。

「構わないが今日か明日だと公務がまだ残っているから、夕食を取る頃の時間になってしまうな」
「それで構いません。それともう一つお願いがございます」
「今日のエーリカは欲張りだな」

 しかしそう言うクラウスはちっとも嫌そうではなく、むしろ笑みが浮かんでいた。

「ヴィルヘルミナ帝国の使者様達が滞在された紫の離宮ですが、あそこにもう一度クラウス様と行きたいのです。夕食をそちらで取る事は叶いませんか?」
「紫の離宮で?」
「とても綺麗な場所でしたからクラウス様と二人で訪れたいと思っておりました」
「そういう事なら、今は特に紫の離宮を使用する客人もいないし、問題ないと思うが一応陛下にお伺いを立ててみよう。後で使いを出すから待っていてくれ」
「ありがとうございます」

 クラウスは微笑んだままこちらを見てくる。気恥ずかしくなり、何となく頬を押さえた。

「今日のエーリカはなんだか穏やかでいいな」 
「私はそんなに苛立っていましたか? いえ、心当たりはあります」
「そう言う訳じゃないが、でもそうだったとしても俺のせいだろう」 
「クラウス様もう止めましょう。私はただクラウス様に幸せになって頂きたいのです」

 すると、薄青の快晴を思わせるような瞳が驚いたように見開いた。

「俺もだ。エーリカを幸せにしたい」

 出された紅茶を飲んでから部屋を出る。クラウスと会い、こんなにも心安らかだったのは初めてかもしれない。これがミラの日常で、自分には奇跡のひとときだった。
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