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14 実家はいいものです

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 起き上がれるようになってからは特にやる事もないので、母親に紅茶を淹れる腕前を披露し、お気に入りのお菓子を食べるのがすっかり午後の恒例となっていた。
 珍しく登城していた父親が愕然とした様子で庭の入り口に立ち尽くしている。何事かと母親と顔を見合わせたエーリカは小走りで向かった。

「走るんじゃない!」

 逆に全速力で走って来た父親に内心引きながら様子を伺っていると、恨めしそうにお茶のセットを見ていた。

「お早いお帰りですのね。陛下はお許し下さったのですか?」
「そんな事よりこれは一体どういう事だ」

 陛下の事をそんな事と片付けてしまってよいものかと思いながらも両親の会話はどんどん進んでいく。若干の言い合いを聞いている限り、エーリカは小さく吹き出しそうになるのを堪えるので精一杯だった。 
 要は父親はお茶会に参加したかったという言い分のようで、むすりとしたまま使用人が慌てて用意した椅子に腰掛けると、まだ機嫌の直っていない父親に手ずから紅茶を淹れてあげる事にした。すると不機嫌だった顔は一気に輝きを取り戻し、したり顔で母親を見つめていた。

「わたしはエーリカにこうしてお茶を淹れてもらうのは二度目なんだ。どうだ、エーリカが淹れるお茶は美味しいだろう?」

 すると母親は小さく笑って飲んでみせた。

「本当に上手ですよね。この四日間、毎日違う茶葉で淹れてもらっているけれど本当にどれも完璧よ」

 エーリカは頭を抱えて辺りを見渡した。侍女や使用人達は目を逸らし、何も聞こえていないとばかりにあさっての方向を向いている。エーリカはカップを置くと俯いた。

「私がいて二人の中がぎくしゃくするのであれば、もう体も動くようになったからそろそろ家に戻ろうと思うの」

 わざと言った言葉は効果覿面だった。

「待ってくれエーリカ! わたし達が悪かった。冗談だよ、いつもは本当に仲がいいんだ」
「そうよ、お父様の事を愛しているわ」
「おまえ……」

 父親が母親の手を取ろうとする。しかし母親はそれを避けるようにしてエーリカにしがみついてきた。

「だからあなたが出ていく必要はないのよ。ずっとこの家にいて頂戴」
「でもずっとは無理よ、お母様」

 父親は咳払いをした後、我に帰ったように椅子に座り直した。

「そう言えばとうとう夜会の日程が決まってしまったんだ。一週間後だぞ。急だと思わないか? 一週間だぞ! 陛下からの打診を私とフランツでのらりくらり躱してきたが、もう逃げられん」
「何も逃げる必要ないでしょう? 元々夜会を開くと仰っていたもの」
「いいや! あるぞ、大いにある。お前が実家に帰っているというのに、クラウス殿下は花束の一つも寄越さないじゃないか! 体調の事はもちろん言っていないが、手紙の一つでも寄越せばいいものを!」
「それなら師匠も同じよ。師匠こそ私の体調も知っているのに何も寄越さないもの」

 そうは言ったものの胸の奥がチクリと傷んだ。気にしないようにしていたのに、はっきりと言葉にされてしまうと惨めな気持ちになってしまう。人柱の調査に出る前までは上手くいっていると思っていた。好きではないにしても好意は向けられていると思っていた。いくら忙しいのだと言い聞かせても考えてしまえば苦しくなる一方だった。

「アインホルン侯爵、殿下は毎日公務でお忙しくしていらっしゃいますよ。ちゃんと夜会の事も考えておいでです」

 現れた金髪の青年に全員ぽかんとしていると、青年は慌てた様子で父親の元に近付いてきた。

「玄関で皆様はこちらにお揃いだと伺いましたものですから、勝手に失礼致しました」

「誰かと思えばアルゴじゃないか。領地へ戻ったのではないのか? あまりお父上に負担をかけるでないぞ。早く妻を娶り落ち着かないか」

 特徴のある金色の髪とやたらに顔が良い青年には覚えがある。この間ホフマン伯爵家の領地で太古の魔術を見つけた事を報告する際に同席していた青年だった。

「耳が痛いですね。さすがにそろそろ落ち着きたいと思っているのですが、世の中には美しい女性が多過ぎるのですよ」
「全く、あまり遊んでばかりではいかんぞ。妻の前に子供を紹介などしないでくれよ」

 アルゴは人懐っこい笑みを消すと、わざとらしく背筋を伸ばした。

「肝に命じておきます。実は本日はご報告があってこちらに参った次第です。突然ではありますが、この度伯爵位を継ぐ事となり、諸々の手続きの為王都に滞在しておりました」
「ホフマン伯爵が引退するのか? どこかお体の調子でも悪いのだろうか」
「父は至って元気ですよ。ただ単に僕を縛り付ける為でしょうね」
「日頃の行いのせいだな」

 呆れられてもアルゴはめげていないようで満面の笑みを女性陣に向けた。

「アインホルン夫人お久しぶりです。そして……」

 エーリカの前で片膝を着くと、手を胸に当てて礼を取ってくれた。

「アルゴ! お前は勝手に行くんじゃない!」

 後を追いかけてきたフランツィスは苛立だしい様子で中庭に飛び込んできた。

「お兄様と親しくさせてもらっております、アルゴ・ホフマンと申します」
「エーリカ誤解するなよ、親しくなんかないからな!」

 フランツィスは息を切らしながら眼鏡を押さえた。

「とにかくお前は勝手に進み過ぎだ。クラウス様の事だってまだはっきりと分かった訳では……」
「クラウス様がどうかされたの?」
「いやなんでもない。お前には関係ない話だよ」
「関係ない? むしろ当事者じゃないか。クラウス殿下は無表情だし言葉が少ないから、こういうのは友人である僕達が動いてあげないといけないんだよ。いくら二人が喧嘩中だからと言っても……」
「「喧嘩中?!」」

 家族の言葉が重なる。フランツィスは気まずそうにアルゴを睨みつけた。

「喧嘩だなんてそんな、大袈裟だよ。少し言い合いになっただけさ」
「……フランツお前。いくら殿下が気安くお付き合い下さっているといっても、お前はあくまで臣下なのだぞ。それを殿下と喧嘩など言語道断だ!」
「分かっております」

 不貞腐れたようなフランツィスに思わず笑いが込み上げてきてしまう。王城では冷静沈着の文官を装っていても、家では父親に叱られるのだと思うと笑いが堪え切れずに肩が揺れてしまう。とっさに顔を隠したが、冷えた視線を向けてくるフランツィスに見つかり、とっさに笑顔を引っ込めた。

「まあまあ。今日は良い話をエーリカ嬢に持ってきたんだよ」
「私にですか?」
「いずれ届く贈り物を楽しみにね」

 すると母親は察知したのか、手を前で組んで少女の様に喜んでいた。訳が分からずにいるとアルゴは苦笑しながら指先を握り締めてきた。突然の事で恥ずかしさと驚きが混ざり合い、無礼にも振り払ってしまった。

「あぁやはりエーリカ嬢は素敵だな。反応がなんとも可愛らしい」
「手が早いぞ。エーリカに触れるな、というか見るな」
「見るなはさすがに傷付くよ」

 フランツィスに引き離され、アルゴは手を上げてみせた。

「殿下の執務室に行ったらドレスが幾つか運び込まれていたんだ。あの中からエーリカ嬢への贈り物を選ぶんじゃないかな。さすがに今から仕立てるのは難しいからね。濃い青色のドレスと赤いドレス、それと確か白もあったな。僕の予想は濃い青色のドレスだよ。意味は分かるだろう?」
「……クラウス様の御髪の色だから?」

 アルゴは片目を瞑って微笑んできた。控えていた侍女達の中から小さな歓声が漏れる。アルゴも女性に人気なのだろう。むしろかなりモテるかもしれない。素敵だが冷たい印象のクラウス、中性的な顔立ちのフランツィスは人気はあるがどちらかというと近寄りがたく、それでいてアルゴは気さくで笑顔が多く話しやすい。来るもの拒まずの雰囲気があった。

――違っていたらごめんなさい、アルゴ様。

 過ぎった妄想を心の中で謝りながら、さっきまでの憂鬱さはいつの間にか晴れていた。エーリカから今度はアルゴの手を取り握り締めた。

「教えに来て下さってありがとうございました。本当に嬉しいです!」

 嬉しさで零れそうになる涙をどうにか堪えていると、固まっているアルゴの瞳を覗き込みながら首を傾げた。手を握り締めてしまったのがいけなかったかとすぐに離したが、アルゴは口元を手で覆い隠した。

「やばいね、これ。無自覚なの? 怖いね」

 呆れ顔の男性陣を前に、訳が分からず黙り込むしかなかった。
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