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10 疑惑の夜着
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王都に戻った翌朝、国王の執務室に呼ばれると中には見知った顔の他に、初めて見る金髪の青年が端に座っていた。場に似合わぬ笑顔に警戒しつつ、クラウスと少し離れて座ろうとすると、不意にクラウスに手を引かれそのままクラウスのすぐ横に収まってしまう。なんとなく全員の視線を感じて目線を下げた。
「して、改めて聞くが昨日お前達は勝手にヴィルヘルミナ帝国との争いに向かったそうだな?」
「正確にはヴィルヘルミナ帝国の敵兵ではありません。皆武装もほとんどしていない盗賊のような格好でした。とは言っても話を聞ける者は一人もおりませんでしたが」
「だとしてもお前は騎士でもあるが王族なのだぞ。それに結界魔術師であるエーリカを勝手に同行させ、万が一にも何かあったらどうするつもりだったのだ!」
「エーリカが死んだら別の誰かが結界魔術師になるだけだ」
朝に弱いオルフェンが頬杖をつきながら言うと、珍しく厳しい目で見た国王はそのままエーリカに視線をずらした。
「結界魔術師が欠ければどうなるのか分かっているのか?」
「申し訳ございません」
国王は咳払いをすると続けた。
「小言は取り敢えずここまでだ。実際、エーリカの働きで被害が抑えられたとホフマン卿から早馬が来て報告は受けている」
クラウスも昨晩のうちに状況を報告していたようだが、魔力のないクラウスと魔力のあるエーリカでは視えていたものが違う。魔力抜きでは実際に何が起きたのかは分からないだろう。
「エーリカ、話せるか?」
頷くと、躊躇いながらもあの小さな町には不釣り合いの大きな魔術の存在を口にした。
「襲ってきた者の正体は分かりませんが、少なくともヴィルヘルミナ帝国か、ヴィルヘルミナ帝国と敵対させたい誰かの仕業だと思っています。集められた者達にはおそらく魔術が掛けられており、その姿を見た者はヴィルヘルミナ帝国の兵だと錯覚したのでしょう。それには今回は太古の魔術が関係しています」
国王とオルフェン以外は皆訝しげな顔をしていた。太古の魔術など初めて聞くのだろう。
「師匠、モフが太古の魔術だと言っていました。太古の魔術とはどういう物なんですか?」
オルフェンは目を瞑ると、諦めたように口を開いた。
「おそらく今回使われたのは太古の魔術で間違いない。でもそんなものを扱える奴はもういないんだ。俺ですらもう使うのは無理だ」
「昔は使えていたんですか?」
「それが普通だったからな。でも効率は悪いし、魔力の保有量がそのまま権力になっちまうくらいに危険だった。だから魔力の使い方が決まった訳だ。特性を見出し、その力を伸ばす事で他の力は自然と押し込まれていく。だからもう俺でも全ては使えない。その位に滅茶苦茶な力って事さ」
その場にいた全員がオルフェンの年齢に疑問を持ったが誰も口にはしなかった。
「隠しても仕方ないから言うが、結界の力が弱まっている。最初は結界を維持している柱の劣化かと思ったが今回の事で確信した。結界は外から攻撃されている。そして太古の魔術を使う者がいるなら近い内に結界は破られるだろうな」
「結界はあとどのくらい持ちそうなのだ?」
「今かもしれないしまだ持つかもしれない。要は柱次第だ」
「柱というのは、何か結界を張る為の柱があると事なのでしょうか? 我々は初耳です」
国の重要事項を知らされていなかったという苛立ちからなのだろう。騎士団長のノアイユ伯爵は苛立ちを隠さずに言った。
「代々王が受け継ぐ秘密だ」
「恐れながら、それではその柱とやらを守れません!」
「守らなくてよいのだ。知らなければ誰もそこには行かぬ。守れば何かあると分かられてしまう。わしとてどこにあるのか子細は知らされておらん」
「でもヴィルヘルミナ帝国はどうやってか、おそらく柱の場所に気が付いている。もう隠しても意味がないな」
「お前にも分からないのではなかったか?」
「分からねぇけど目星はついている。守護の魔法を強化しに行ってくる。エーリカ、お前も来い」
声を出す前にクラウスが立ち上がった。
「オルフェン殿、エーリカは俺の婚約者だ。そんな危険な場所には行かせられない」
はっと笑ったオルフェンにクラウスは眉を顰めた。
「柱が壊されたら結婚どころじゃないなるぞ」
見上げたがクラウスは一切こちらを見ようとはしなかった。
「私は師匠と共に行きます」
とっさに背ける仕草に胸が苦しくなる。それでもこの力がある限りは選ばなくてはいけない。自分の幸せか、それ以外かを。
子供の頃は魔力がある事を疎んでいた。父や母と離された寂しさで毎晩泣き、高い魔力が上手く放出出来ずに体で暴れ回り、よく高熱が出た。その度にオルフェンはそばにいて、額を冷たいタオルで冷やし手を握っていてくれた。そのオルフェンが自分の力を信頼してくれているのなら断る理由はない。きっとクラウスは婚約者の義務を果たそうとしてくれているのだろう。一見冷たそうに見えるが優しい人なのだ。それがこの数日で分かった事だった。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。でも大丈夫です。師匠もいますし、無事に戻って参ります」
安心させるつもりで言った言葉だったが、クラウスからの返事はなかった。
「そうとなればオルフェン達が戻り次第、話していた夜会を開くことにしよう。暗い話題ばかりでは皆気が滅入るだろうからな。クラウス良いな?」
「仰せのままに」
部屋を出て足早に離れていく広い背を追いかけた。廊下を走るのは令嬢らしくないかもしれないが、それよりも歩幅の大きいクラウスを見失ってしまう事の方が大問題だった。
「クラウス様! お待ち下さい」
クラウスは立ち止まったが振り返る事はない。急に近付くのが怖くなり足を止めた。
「用がないなら行くぞ」
「あの、先程はすみませんでした」
「そうしたかったのだろ。それならそうすればいい」
「本当に大丈夫なんです。この間も一つ柱を見てきたのですが、本当に守護の魔法を掛けてきただけで……」
「危険は? 何もなかったと言えるか?」
エーリカは言い淀んでしまった。
「何かあったのか」
「魔獣に会いました。モフという魔獣の話をしたでしょう?」
「手懐けたのか?」
「偶然にですが。今度機会があれば紹介しますね。とてもモフモフで可愛らしいのですよ」
「……確かに、モフモフだな」
クラウスの言葉に下を向くと、いつの間にかモフが真横に立っていた。膝までの高さの背なので、寄りかかられるとそれなりに重い。頭に手を置くと指が毛に埋もれた。
「これが魔獣? 思っていたのとは違うな」
「力もあって頼りになるのですよ。ヴィルヘルミナ帝国との争いの時も力を貸してくれました」
『やめろよ、照れるじゃないか』
「あなたでも恥ずかしがるのね」
「言葉が分かるのか?」
「分かりますが……」
そう言いかけたところで、モフの言葉は魔力を含んでいるのだと気が付いた。魔力を持たないクラウスでは聞く事は叶わないだろう。姿はおそらくモフが見せているのだと思う。クラウスの手がモフに伸びてくる。一瞬触る事が出来るのか心配になったが、大きな手がふわりと首あたりの毛に埋もれた時には、内心ほっと息をついた。
「モフありがとう」
『別に』
そう言うと、気まぐれのように姿を消してしまった。
「見た目は子熊だが性格は猫のようだな」
「私も今そう思っていた所です」
二人で視線を合わせるとふっと笑い声が漏れた。
「夜会に着ていくドレスを準備しておくが、受け取ってくれるか?」
「ありがとうございます! とても嬉しいです!」
優しい笑みを浮かべたクラウスが目尻に口付けを落としてきた。
「エーリカ! 早く来い!」
後ろでオルフェンが騒ぎ立ててくる。渋々別れを告げると腕を引かれ、後頭部に口付けが落ちてきた。驚きの連続で思考が止まりそうなまま上を向くと、クラウスは目眩がするような笑みを浮かべていた。
「気を付けて。俺達の夜会を楽しみにしている」
「はい! すぐに結界を強めて戻って参りますね」
クラウスはエーリカの背中を見送った所でふっと笑った。
「なるほどなるほど。友としてこんなに嬉しい事はないよ」
どこからいつから見ていたのか、アルゴが廊下の先から顔を出してくる。クラウスはとっさに浮かべていた笑みを引くと冷めた顔を向けた。
「領地には戻らないのか?」
「父上だけで十分さ。それよりも僕は夜会に出席してから帰る事にするよ」
「まだ招待するとは言っていないぞ」
「酷いじゃないか!」
その時、横を見ていたアルゴが誰かとぶつかった。侍女は落とした袋を大事そうに抱え直すと、盛大に頭を下げた。
「申し訳ございません! 本当に申し訳ございませんでした!」
「いやいや僕も前を見ていなかったからすまなかったね」
侍女は今にも泣きそうにしていたが、アルゴの隣りにいるクラウスを見るなり顔を真っ赤にした。アルゴが推し量るようにその顔を見た後、少し面白くなさそうにクラウスを見た。
「どうやら王子様の信者のようだよ」
「なんだその言い方は」
「誤解です! 私はアインホルン侯爵家で働かせて頂いておりますアンと申します」
「あぁ、もしやアインホルン侯爵に用かい?」
するとアンは困ったように視線を彷徨わせた。
「旦那様ではなく、エーリカお嬢様に会いに参りました。それでは急ぎますので失礼致します」
クラウスは、廊下の端を進もうとするアンに声を掛けた。
「エーリカならオルフェン殿と仕事に出たぞ」
「そんな! どうしよう」
アンは今にも泣きそうな顔をして腕の中にある包みを抱き締めた。
「それをエーリカに渡したいのか?」
びくりとして身を固くしたアンを不審に思いながら、包みに視線を落とした。
「よければ戻り次第俺から渡そうか?」
「ですが殿下のお手を煩わせる訳には参りません」
「俺なら戻ってすぐに会う事が出来るぞ」
アンは葛藤しているようだった。
「元はと言えば殿下からの贈り物の物だし? 預けるならこれ以上の方は……」
ぶつぶつの思案する顔を眺めていると、アンは包みを前に出してきた。
「それでは申し訳ありませんが宜しくお願い致します。あの、お嬢様をお叱りにならないで下さいませ。破ってしまった事にとても心を痛めておいででした。最善を尽くして修繕致しましたので、まだ十分にお使い頂けます!」
「何を言っているんだ?」
アンは、はっとアルゴに視線を向けると深く頭を下げた。
「私はアインホルン家の皆様を敬愛しております! 誓って口外しておりませんのでご安心下さいませ」
アンは顔を上げないまま後退して行く。唖然としたままその姿を見ていると、アルゴが興味深そうに包みを凝視していた。
「見せないぞ」
「少しだけ」
「預かり物だ」
クラウスはさっさと自分の執務室に向かった。中では王子付きの文官が二名、書類整理をしていた所だった。
「すぐに決裁が必要な書類がございます」
「着替えてからすぐに確認するから置いておいてくれ」
奥の仮眠室がもはや自室の寝室より馴染んでいるベッドの上に預かった包みを置いた。隣りに上着を脱ぎ捨てた重みで包みの中身がするりと落ちてくる。
――受け取った時から軽いとは思っていたが。
落ちた物を拾おうとした時、目を疑った。それは紛れもなく女性が身につける夜着だった。実用性など全くなく、ほとんどレースで出来ており、着ても全身透けるかなり扇情的な物だった。
「エーリカの物なのか?」
口振りからするに、アンはエーリカの相手が自分だと思っていたのだろう。自分の家で雇っている者に内緒で修復を頼んだと言う事は、エーリカの物で間違いない。
「相手はオルフェンか? それとも魔術団の誰かか」
エーリカが男達に人気があるのは知っていた。美しい容姿に加え、少し天然で愛嬌のある性格は見ていて好ましいものだった。しかし相手は侯爵家出の結界魔術師。力も権力も申し分ない令嬢に声をかける勇気のある者はいないと思っていた。
「やはりオルフェンか」
オルフェンとエーリカは柱の捜索に出掛けたばかり。結界を強めるという事は魔術を使う事になるだろうし、今日は間違いなく泊まりになるだろう。掴んでいた夜着を包みに押し込むと、頭を掻き毟って手に当たった上着を床に叩き付けた。
「して、改めて聞くが昨日お前達は勝手にヴィルヘルミナ帝国との争いに向かったそうだな?」
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「だとしてもお前は騎士でもあるが王族なのだぞ。それに結界魔術師であるエーリカを勝手に同行させ、万が一にも何かあったらどうするつもりだったのだ!」
「エーリカが死んだら別の誰かが結界魔術師になるだけだ」
朝に弱いオルフェンが頬杖をつきながら言うと、珍しく厳しい目で見た国王はそのままエーリカに視線をずらした。
「結界魔術師が欠ければどうなるのか分かっているのか?」
「申し訳ございません」
国王は咳払いをすると続けた。
「小言は取り敢えずここまでだ。実際、エーリカの働きで被害が抑えられたとホフマン卿から早馬が来て報告は受けている」
クラウスも昨晩のうちに状況を報告していたようだが、魔力のないクラウスと魔力のあるエーリカでは視えていたものが違う。魔力抜きでは実際に何が起きたのかは分からないだろう。
「エーリカ、話せるか?」
頷くと、躊躇いながらもあの小さな町には不釣り合いの大きな魔術の存在を口にした。
「襲ってきた者の正体は分かりませんが、少なくともヴィルヘルミナ帝国か、ヴィルヘルミナ帝国と敵対させたい誰かの仕業だと思っています。集められた者達にはおそらく魔術が掛けられており、その姿を見た者はヴィルヘルミナ帝国の兵だと錯覚したのでしょう。それには今回は太古の魔術が関係しています」
国王とオルフェン以外は皆訝しげな顔をしていた。太古の魔術など初めて聞くのだろう。
「師匠、モフが太古の魔術だと言っていました。太古の魔術とはどういう物なんですか?」
オルフェンは目を瞑ると、諦めたように口を開いた。
「おそらく今回使われたのは太古の魔術で間違いない。でもそんなものを扱える奴はもういないんだ。俺ですらもう使うのは無理だ」
「昔は使えていたんですか?」
「それが普通だったからな。でも効率は悪いし、魔力の保有量がそのまま権力になっちまうくらいに危険だった。だから魔力の使い方が決まった訳だ。特性を見出し、その力を伸ばす事で他の力は自然と押し込まれていく。だからもう俺でも全ては使えない。その位に滅茶苦茶な力って事さ」
その場にいた全員がオルフェンの年齢に疑問を持ったが誰も口にはしなかった。
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「結界はあとどのくらい持ちそうなのだ?」
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「柱というのは、何か結界を張る為の柱があると事なのでしょうか? 我々は初耳です」
国の重要事項を知らされていなかったという苛立ちからなのだろう。騎士団長のノアイユ伯爵は苛立ちを隠さずに言った。
「代々王が受け継ぐ秘密だ」
「恐れながら、それではその柱とやらを守れません!」
「守らなくてよいのだ。知らなければ誰もそこには行かぬ。守れば何かあると分かられてしまう。わしとてどこにあるのか子細は知らされておらん」
「でもヴィルヘルミナ帝国はどうやってか、おそらく柱の場所に気が付いている。もう隠しても意味がないな」
「お前にも分からないのではなかったか?」
「分からねぇけど目星はついている。守護の魔法を強化しに行ってくる。エーリカ、お前も来い」
声を出す前にクラウスが立ち上がった。
「オルフェン殿、エーリカは俺の婚約者だ。そんな危険な場所には行かせられない」
はっと笑ったオルフェンにクラウスは眉を顰めた。
「柱が壊されたら結婚どころじゃないなるぞ」
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「私は師匠と共に行きます」
とっさに背ける仕草に胸が苦しくなる。それでもこの力がある限りは選ばなくてはいけない。自分の幸せか、それ以外かを。
子供の頃は魔力がある事を疎んでいた。父や母と離された寂しさで毎晩泣き、高い魔力が上手く放出出来ずに体で暴れ回り、よく高熱が出た。その度にオルフェンはそばにいて、額を冷たいタオルで冷やし手を握っていてくれた。そのオルフェンが自分の力を信頼してくれているのなら断る理由はない。きっとクラウスは婚約者の義務を果たそうとしてくれているのだろう。一見冷たそうに見えるが優しい人なのだ。それがこの数日で分かった事だった。
「ご心配をお掛けして申し訳ございません。でも大丈夫です。師匠もいますし、無事に戻って参ります」
安心させるつもりで言った言葉だったが、クラウスからの返事はなかった。
「そうとなればオルフェン達が戻り次第、話していた夜会を開くことにしよう。暗い話題ばかりでは皆気が滅入るだろうからな。クラウス良いな?」
「仰せのままに」
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「クラウス様! お待ち下さい」
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「用がないなら行くぞ」
「あの、先程はすみませんでした」
「そうしたかったのだろ。それならそうすればいい」
「本当に大丈夫なんです。この間も一つ柱を見てきたのですが、本当に守護の魔法を掛けてきただけで……」
「危険は? 何もなかったと言えるか?」
エーリカは言い淀んでしまった。
「何かあったのか」
「魔獣に会いました。モフという魔獣の話をしたでしょう?」
「手懐けたのか?」
「偶然にですが。今度機会があれば紹介しますね。とてもモフモフで可愛らしいのですよ」
「……確かに、モフモフだな」
クラウスの言葉に下を向くと、いつの間にかモフが真横に立っていた。膝までの高さの背なので、寄りかかられるとそれなりに重い。頭に手を置くと指が毛に埋もれた。
「これが魔獣? 思っていたのとは違うな」
「力もあって頼りになるのですよ。ヴィルヘルミナ帝国との争いの時も力を貸してくれました」
『やめろよ、照れるじゃないか』
「あなたでも恥ずかしがるのね」
「言葉が分かるのか?」
「分かりますが……」
そう言いかけたところで、モフの言葉は魔力を含んでいるのだと気が付いた。魔力を持たないクラウスでは聞く事は叶わないだろう。姿はおそらくモフが見せているのだと思う。クラウスの手がモフに伸びてくる。一瞬触る事が出来るのか心配になったが、大きな手がふわりと首あたりの毛に埋もれた時には、内心ほっと息をついた。
「モフありがとう」
『別に』
そう言うと、気まぐれのように姿を消してしまった。
「見た目は子熊だが性格は猫のようだな」
「私も今そう思っていた所です」
二人で視線を合わせるとふっと笑い声が漏れた。
「夜会に着ていくドレスを準備しておくが、受け取ってくれるか?」
「ありがとうございます! とても嬉しいです!」
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「エーリカ! 早く来い!」
後ろでオルフェンが騒ぎ立ててくる。渋々別れを告げると腕を引かれ、後頭部に口付けが落ちてきた。驚きの連続で思考が止まりそうなまま上を向くと、クラウスは目眩がするような笑みを浮かべていた。
「気を付けて。俺達の夜会を楽しみにしている」
「はい! すぐに結界を強めて戻って参りますね」
クラウスはエーリカの背中を見送った所でふっと笑った。
「なるほどなるほど。友としてこんなに嬉しい事はないよ」
どこからいつから見ていたのか、アルゴが廊下の先から顔を出してくる。クラウスはとっさに浮かべていた笑みを引くと冷めた顔を向けた。
「領地には戻らないのか?」
「父上だけで十分さ。それよりも僕は夜会に出席してから帰る事にするよ」
「まだ招待するとは言っていないぞ」
「酷いじゃないか!」
その時、横を見ていたアルゴが誰かとぶつかった。侍女は落とした袋を大事そうに抱え直すと、盛大に頭を下げた。
「申し訳ございません! 本当に申し訳ございませんでした!」
「いやいや僕も前を見ていなかったからすまなかったね」
侍女は今にも泣きそうにしていたが、アルゴの隣りにいるクラウスを見るなり顔を真っ赤にした。アルゴが推し量るようにその顔を見た後、少し面白くなさそうにクラウスを見た。
「どうやら王子様の信者のようだよ」
「なんだその言い方は」
「誤解です! 私はアインホルン侯爵家で働かせて頂いておりますアンと申します」
「あぁ、もしやアインホルン侯爵に用かい?」
するとアンは困ったように視線を彷徨わせた。
「旦那様ではなく、エーリカお嬢様に会いに参りました。それでは急ぎますので失礼致します」
クラウスは、廊下の端を進もうとするアンに声を掛けた。
「エーリカならオルフェン殿と仕事に出たぞ」
「そんな! どうしよう」
アンは今にも泣きそうな顔をして腕の中にある包みを抱き締めた。
「それをエーリカに渡したいのか?」
びくりとして身を固くしたアンを不審に思いながら、包みに視線を落とした。
「よければ戻り次第俺から渡そうか?」
「ですが殿下のお手を煩わせる訳には参りません」
「俺なら戻ってすぐに会う事が出来るぞ」
アンは葛藤しているようだった。
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「何を言っているんだ?」
アンは、はっとアルゴに視線を向けると深く頭を下げた。
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――受け取った時から軽いとは思っていたが。
落ちた物を拾おうとした時、目を疑った。それは紛れもなく女性が身につける夜着だった。実用性など全くなく、ほとんどレースで出来ており、着ても全身透けるかなり扇情的な物だった。
「エーリカの物なのか?」
口振りからするに、アンはエーリカの相手が自分だと思っていたのだろう。自分の家で雇っている者に内緒で修復を頼んだと言う事は、エーリカの物で間違いない。
「相手はオルフェンか? それとも魔術団の誰かか」
エーリカが男達に人気があるのは知っていた。美しい容姿に加え、少し天然で愛嬌のある性格は見ていて好ましいものだった。しかし相手は侯爵家出の結界魔術師。力も権力も申し分ない令嬢に声をかける勇気のある者はいないと思っていた。
「やはりオルフェンか」
オルフェンとエーリカは柱の捜索に出掛けたばかり。結界を強めるという事は魔術を使う事になるだろうし、今日は間違いなく泊まりになるだろう。掴んでいた夜着を包みに押し込むと、頭を掻き毟って手に当たった上着を床に叩き付けた。
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