魔術師の恋〜力の代償は愛のようです〜

山田ランチ

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8 世界はあなたで埋め尽くされました

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 興奮してベッドの中で何度も寝返りを打ち、朝方に眠りについたはずなのに恐ろしいくらいにばっちりと目が覚めてしまっていた。
 いつの間にか毛布の上にいたモフはまだ眠っている。その正体が岩山地帯で見つけたルートアメジストの中にいる男の人なのだと思うと正直複雑だったが、この際可愛らしい同居人?を歓迎して中の人の事は考えない事にした。

 着替えを済ませ化粧をし、髪も巻いてみた所で派手になってしまい元に戻す。ピンクブロンドの長い髪はそれだけでも目立つし、顔も少し化粧をするだけで濃くなってしまう。結局、いつものマントは羽織らず、白のブラウスとレースのショール、黄身色のロングスカートの組み合わせにした。どこに行くのかは分からないが派手にはしたくない。かといって地味でつまらない女だとも思われたくない。悩みに悩んだ結果、髪はハーフアップにし、スカートと同じ色の小ぶりのシトリンのイヤリングを付ける事にした。

――これだけで華やかな見た目になるのだから、容姿は両親に感謝ね。

 鏡の前で最後の確認をし、オルフェンの部屋に向かう。この時間まで起きないのであれば朝ご飯と昼ご飯は一緒になるだろう。用意をしていった方がいいかを聞こうと思い、扉を叩こうとした時だった。
 勢いよく扉が開き、半裸の女が飛び出してきた。相手も大層驚いていたがこちらも驚いている。一瞬口を開きかけた女は思い切り睨み付けてくると、廊下を走って行ってしまった。訳が分からないまま恐る恐る部屋の中を覗くと、オルフェンが毛布を抱きしめながら薄目でこちらを見ていた。大股でオルフェンの前に行き、毛布を引っ張り上げた。

「師匠! 誰ですか今のは!」

 しかしオルフェンは毛布を手放して再び寝始める。黒い髪がぐしゃぐしゃになるまで叩くと、いよいよもって起きたオルフェンに手首を捕まれ、再びベッドに倒れ込むと後から抱えられるようにして横になってしまった。

「し、師匠!? 寝ぼけています!?」
「……うるさい。まだ寝かせろ」
「じゃあもう存分に寝てて下さい! もう二度と起きなくていいですから! 私はもう出掛けますからね!」

 するとオルフェンは面倒くさそうに片目だけを開けた。しかし押さえつけられた力は強いまま。顔に掛かる黒髪と朝の気怠さを纏い、壮絶な色気を放っていた。

――いやいや、オルフェンに色気を感じるとかおかしいでしょ。

 半裸の女性を見たからか余計な想像をしてしまい妙に意識してしまう。

「お前のせいで女が出て行った」
「私が来た時にはすでに出ていこうとしてましたけど?」
「……お前、マントはどうしたんだ?」
「これからクラウス様と出掛けるんです」
「なにしに?」
「聞いていませんけど」

 するとオルフェンは急に首筋に顔を埋めてきた。

「ひゃっ!」

 エーリカは堪らず髪の毛を握っていた。

「やめろ馬鹿! 禿げるだろ!」
「師匠なんか禿げちゃえ!」

 ようやく緩んだ腕から逃れると、いたずらっ子のようにぺろりと舌を出した。

「俺はお前の師匠だから、クラウスとのあれやこれの前に指導してやろうと思ってな」

 顔が見る見る赤くなっていくのが分かる。首筋を押さえながら枕を投げつけようと持ち上げた。その瞬間、ビリっと何かが破れた音がした。枕と一緒に掴んでいた女性物のレースの夜着が指に絡まり、盛大に裂けていた。

「やっちまったな。お前が弁償しろよ?」
「何で私が! 師匠でしょう!」
「俺は破ってないもん。買っても直してもいいが問題は場所だな」

 意地悪な笑みを浮かべたオルフェンに今度こそ枕を投げつけると、レースの夜着を勢いよく掴み取った。

「!」

 ベッドから出ようとした足首が掴まれる。睨み付けると、今度は頭に手を置かれた。

「なんなんですか?」
「もしもこうしてクラウスにどこかに連れ込まれたらどうするつもりだ?」
「クラウス様はそんなことしません! 手の早い師匠とは違うんです!」 

 言ってはみたものの、実際オルフェンが寝室に女性を連れ込んでいるところなど初めて見た。反撃に身構えると、頭に置いてあった手はするりと離された。

「お昼は自分でちゃんと食べて下さいね! それじゃあ私はもう行きますから!」 

 オルフェンは欠伸をしながら再び毛布の中に入っていく。エーリカは腕の中にあるレースの夜着を持ちながら途方に暮れた。

「こんな物どうしたらいいのよ、全く」

 裁縫は苦手だ。簡単な刺繍も全く出来ない。魔術師だからそれでいいと思っていたが、こんな形で裁縫という壁にぶつかるとは思いもしなかった。

「何が悲しくて師匠の夜の後始末までしなくちゃならないのよ!」

 その時、ふとアンの事を思い出した。婚約が決まった今なら実家に帰っても怪しまれない。信用出来る者に頼むのが一番だった。

「今から行けば間に合うかしら」

 早起き出来た自分を褒めながら急いで転送装置で城に降りる。馬車は父親の乗って来ている侯爵家の馬車を使う事にした。御者は突然現れたエーリカに驚いてはいたものの、怪しまれてはいないようでほっと胸を撫で下ろした。侯爵家の邸宅が城に近い事も幸運だった。


「アン! アンはいる?」
 広間から声をかけると使用人と母親が飛び出してくる。

「エーリカ! お帰りなさい!」

 本当は母を追い越してすぐでもアンを部屋に引き入れたかったが、怪しまれる訳にはいかない。でもちゃんと馬車の中で言い訳も考えていた。

「お母様突然ごめんなさい。アンにお願いがあって来たの」
「謝る必要なんてないわよ。いつでも帰っていらっしゃい。でもなぜアンに?」

 自分の髪を触ってみせる。さっきオルフェンにぐしゃぐしゃにされたせいで、ハーフアップの髪は外れていた。

「これからクラウス様とお出掛けなんだけど、髪を上手に結えなくてアンにお願いしたいの」

 すると母親は頬を緩ませて背中を押してきた。

「それじゃあドレスも選びましょう! あなたの為に沢山用意していたのよ」
「お母様、時間がないの。今日は髪だけでいいわ」
「そお? でもクラウス殿下とお会いするなら着飾らないと。その格好は少し地味じゃないかしら」
「どこかに行くと仰っていたから動きやすい方がいいわ」

 母親をなんとか引き離すとアンを自室に連れ込んだ。本当に髪を結おうとするアンの手を取り、すぐさま胸元からレースの夜着を取り出す。なんで見ず知らずの女性が身に付けた夜着を胸元に忍ばせなくてはならないのか。考えただけで再びオルフェンに沸々と怒りが湧き上がってきたが、今はそんな時間すら惜しい。

「お嬢様、それはなんですか?」
「何も聞かないでこの破れたレースを直して欲しいの。出来るかしら?」

 アンはレースを開き、形から夜着だと分かると顔を上げて口をはくはくと動かしていた。

――気持ちは分かるわよ。

「何も聞かないで。でもこれだけは言わせて頂戴。私にやましい事はないわ」
「や、やってみます。でも、お時間を頂いても宜しいでしょうか?」
「もちろんよ! でも出来るだけ早いと助かるわ」
「お嬢様のお頼み事ですので頑張ります!」

 アンは可愛らしい笑顔を浮かべて夜着を抱きしめた。

――あぁ、そんな物を抱き締めないで。 

 純粋なアンに渡してしまった事を今になって後悔しながら、レースの夜着を見つめた。髪は簡単に一つに結んでもらい急いで王城に戻ると、すでに時刻は昼になっていた。
 転送陣の部屋に向かうクラウスの姿が見える。エーリカは見苦しくない程度に早歩きをすると、転送装置の部屋に入った。今まさに魔術師がクラウスを守護山に送ろうとした所で間に合った。

「クラウス様!」

 転送装置の光に包まれかけていた神々しいクラウスに見惚れながら近づくと、クラウスは驚いたように駆け寄ってきた。

「エーリカ嬢、どうしてここに?」
「家に用があり先に用事を済ませて参りました」
「もう用事は大丈夫?」

 少し砕けた言い方に頬が緩む。頷くと半歩クラウスに近付いた。

「じゃあ行こうか。外に馬車を用意している」
「城を出るのですか?」

 頷くクラウスの後を付いて行くと、微かに感じる清涼感のある香りして堪らずに唇を噛んだ。クラウスが会いに来てくれた。その瞳に自分を映し、話してくれている今この時が奇跡のようで不覚にも泣いてしまいそうだった。

「その格好で来てくれて助かった。実は外に行くと伝えていなかったからドレスだったら着替えが必要だと思っていたんだ」
「実はドレスと迷いました。それに少し地味過ぎたかと反省していた所です」
「そんな事はない。よく似合っている」

 クラウスはそう言いと少し足を早めた。なんとなく頬が赤く見えるのは気のせいだろうか。数歩走るとクラウスの横に追いついく。このやり取りですら全てを記憶しておけたらどんなにいいかと思った。

「多忙だったろうにすまなかったな」
「そんな事ありません! 私の多忙の原因は大体は師匠のせいですから」
「オルフェン殿とは相変わらず親しくしているようだな」
「何でも私にやれに命じますけど、そのお陰で家事全般が出来るようになりました。普通の貴族令嬢には不要の能力ですけれど」
「いや、何でも出来るに越したことはないと思うぞ」

 王家の馬車かと思っていたが用意されていたのは騎士団の馬車だった。騎士団の紋章を見ていると、まずかったかとクラウスが足を止めた。

「すまない、つい乗り慣れているものを用意してしまったようだ」
「いいんです! 普段お使いのものに乗せてくださりありがとうございます」

 黒い手袋を嵌めた手が差し出される。遠慮がちにその手に手を乗せると馬車に乗り込んだ。離れてしまった指先を見つめながらそっと包み込む。広い馬車の中も、クラウスが向かいに座ると膝先が触れてしまいそうな程に近かった。

「今日もこれから騎士団に戻らるのですか?」

 クラウスは制服を着たままで腰にも帯刀している。いつもの姿ではあるが、今はそれが少し悲しい気がした。

「この格好が落ち着くし慣れているんだ」
「クラウス様はどんな時でもどんな姿でも素敵です」

 クラウスは照れたように大きな手で口元を隠しながら窓枠に肘を付いた。その姿が本当に素敵だった。窓から差し込む光で青色が引き立つ髪も、流す様に見つめる瞳も、窓枠につく肘も、何もかもが眩し過ぎた。

「あまり見つめないでくれ」
「も、申し訳ございません。あまりに綺麗でしたので」
「綺麗など女性から言われたのは初めてだよ」


 馬車ががたりと止まり、御者が声を掛けてくる。クラウスの後に続いて広がる景色に言葉を失った。

「ここは一人になりたい時によく来る場所だ」

 足が竦む程の高い崖の上、眼下にはアメジスト王国の街並みが一望出来る。今は空に掛かる結界の光も近い気がした。

「これだけの広い国を君達が守護しているんだ。今日はいち国民として礼を言いたくてここへ連れて来た」
「お礼など必要ありません! この力は国を守る為に授けられたのですから」

 クラウスはおもむろに向き直ると目の前で片膝を付いた。驚いたまま共にしゃがもうとするとフッと笑われ、立たせられる。手袋を取り、初めて手と手が触れた。指先を掴まれてクラウスが見上げてくる。薄青色の瞳に射抜かれたように動けないでいると、クラウスはその薄い唇を触れるか触れないかで甲に当てた。

「エーリカ嬢、俺と結婚してほしい。共にこの国を守っていこう。君にとって良き夫になると誓うよ」

 涙が頬を流れていく。クラウスを見つめていたいのに溢れる涙を止められなかった。

「エーリカ嬢? 大丈夫か?」
「嬉しくて、ずるいですクラウス様」
「ずるい?」
「不意打ちで心臓が持ちません」
 
 硬い大きな手が頬を包んでくる。親指で涙を拭かれた。

「すでに決められた事でもちゃんとしたいと思ったんだ。返事をもらえるだろうか?」
「もちろんです、宜しくお願いします」

 例え心の中に別の人を想っていても、これから好きになってもらえればいい。胸の中には温かさと冷たさが同時に沸き起こっていた。すっぽり広い腕の中に抱き締められる。匂いも、硬さも、温かさも、何もかもが幸せ過ぎて、今このままこの腕の中で死んでもいいと本気で思えた。

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