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7 不釣り合いな相手

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「モフ? モフどこにいるの?」

 クッションの下やベッドの下を覗きながら広くない部屋をウロウロしていると、ソファの上から呆れた声が帰ってきた。

「ふざけた名前つけやがって」

 岩山地帯から連れ帰った魔獣の飼育許可を陛下に貰いに行っていたオルフェンは、子熊のような見た目の魔獣を見た目そのままに呼ぶエーリカに呆れた視線を向けていた。

「陛下はなんて仰ってました?」

 ソファで横になったオルフェンは大欠伸をしながら言った。

「ちゃんと見張ればいいってよ」
「それだけですか? 魔獣なのに?」
「あいつの正体を知るのは俺達と国王だけだし、それを除けば魔獣なんて珍しくないだろ」
「それにモフは可愛いですからね」
「いいからさっさと探しに行け。見た目は小さいがここじゃ誰の目にも魔獣だと分かるんだ。早く捕まえないとそれなりに騒ぎにはなるぞ」

 そう言うとマントを鼻まですっぽり被り、腕組みをしながら寝入ってしまった。オルフェンはこの所よく眠る。そしてすこぶる機嫌が悪い。とりあえず魔獣を見つける為に部屋を出た。

 魔術団に所属する者は皆、魔術師の山にあるこの住居兼仕事場がある建物に住んでいる。ルートアメジストのある塔からは少し離れているこの場所は、入り口から見て住居が向かって右側、仕事場は左側にあり、オルフェンとエーリカの部屋は隣同士だった。と言ってもオルフェンはよく勝手に部屋に入ってきては、食事をしたり昼寝をしている。子供の頃はその逆の生活だったので仕方ないと半ば諦めるしかなかった。
 廊下を歩きながら魔獣の姿を探すがやはりどこにもいない。騒ぎにもなっていない所を見るとまだ誰にも見つかってはいないのだろう。あまり不審に思われないように建物の入口まで行くと、幾人もの魔術師とすれ違った。その時こちらを見て何かを言われている気がしたが、何を話しているかまでは聞こえなかった。

――きっとクラウス様との婚約の事よね。

 すれ違った魔術師達は年頃の女性達。クラウスは貴族の娘や侍女達だけでなく、あまり関わりのない魔術師の女性達にも人気があるのは十分に知っていた。なにせ自分もクラウスの姿を目で追う内の一人だったからだ。たまたま結界魔術師になるほどの力があったから訪れた幸運。それ以外に何もない事は自分自身がよく分かっていた。

――それに婚約を受け入れてはくれたけれど、愛されている訳じゃないもの。

 クラウスの事は考えないようにしているというのに不意に頭を過ぎってしまう。するとじんわりと涙が出そうになった。
 入口と門の間は広い練習場になっており、それぞれ魔術師達が魔術を放ち練習をしている。練習場の周囲には結界が張られている為、ここでは存分に魔術を使う事が出来るのだった。もしかしたらモフはここに紛れ込んだのかと思い視線を巡らせていると、目の前に二人の火の魔術師達が現れた。この二人はオルフェンがいないと決まって絡んでくる厄介な男達だった。最初は普通に話をしていたが、次第に食事に誘われたり部屋に来ないかと言われたりするようになり困り果てていた。本当はオルフェンに相談したかったが、そうするとこの二人は魔術団を追われるかもしれない。

 冗談ではなく。  

 なんとかやり過ごそうとして無理に笑みを顔に貼り付けた時だった。周りがざわめき出し、目の前の火の魔術師達はこちらを、厳密にはこちらの奥を見たまま固まっていた。

「どうしました?」

 二人は気まずそうに首を振ると、愛想笑いを浮かべて走り出してしまった。

「エーリカ嬢、少しいいか?」

 振り向いた先にいたのはクラウス。固まってしまい言葉が出てこない。するとクラウスも困ったように黙ってしまった。

「もしかしてお一人ですか?」
「あぁ、一人だが……」
「危険です! ここは色々な魔術が飛び交っているんですよ!」
「すまない。普段は来ないんだが、エーリカ嬢に用があったんだ」
「陛下の仰っていた夜会の事でしょうか? それなら誰かに伝言を頼めば宜しいのでは?」
「……君はそれでいいのか?」

 よく聞こえなかったが聞き返すのも憚られていると、クラウスは眉根を寄せた。

「夜会の事じゃない。その前に少し時間をもらえないだろうか」

 内心どきりとする。もしかしたら婚約は無かった事にしてくれとでも言われるのだろうか。それとも結婚はするがあの男爵令嬢を愛妾に迎えたいとでも言ってくるのか。エーリカは首を振ると少し離れた。

「今は時間がありません。とても忙しいんです」
「そうか。ああは言ったが夜会前に一度二人で出掛けたかったんだが、君の邪魔はしたくない。今のは忘れてくれ」

 エーリカは気が付くと向けれた背中に手を伸ばしていた。ぎゅっと掴んだ上着にしわが出来ている。慌ててしわを押すように伸ばすと、驚いていたクラウスが小さく笑った。

――笑顔!?

 男爵令嬢と居た時に見た笑顔には及ばないが、それでも初めて見せてくれた素の表情に胸が締め付けられた。

「やっぱり少しなら時間はあります。今からですか?」
「いや、この後は騎士団に行かなくてはならないから明日はどうだろうか」
「大丈夫です! 明日の何時頃ですか?」
「今くらいに迎えに来るよ。少し出掛けようと思っているからそのつもりでいてくれ」

 エーリカは熱くなる頬を抑えながら頷いた。


 部屋に戻った瞬間、顔の緩みが止まらずに叫び声を上げた。オルフェンが飛び起きるのと同時に、その腹の上からいつの間にか戻ってきていたモフも驚いて飛び降りていた。

「モフ! 今までどこに行っていたの? でもあなたのお陰よ!」
『どこだっていいだろ』
「おかげで探し回ったわ」
『俺の勝手』

 そう言うと再びソファの上によじ登った。

「おい、腹が減った」
「食堂に行って下さい。自由に食べ放題ですよ」
「面倒だから嫌だ。お前が作れ」

 まだ微睡んでいるオルフェンの頭をポンポンとすると微笑んだ。ギョッとした顔で腕を払われても今は腹も立たない。

「仕方ないですね。厨房を借りて何か作ってきます。モフは? というかあなた何を食べるの?」
『魔力。さっき食った』
「どこで?」

 モフはフカフカの前足を舐めながら満足そうに毛繕いをしている。食べたと言うのは本当なのだろう。動きに合わせて揺れている毛を触ろうとしたところで気付かれたのか、するりと避けると窓辺に逃げられた。日差しを浴びて寛ぐ姿は堪らなく可愛い。無意識に手を伸ばし掛けた所で、オルフェンの「飯っ!」という言葉が飛び、急いで部屋を出た。
 



「まさか、山に行っていたのかい?」

 転送陣の近くにいたのはクラウスの友人、アルゴ・ホフマンだった。学友として城で過ごしていた時期もあったが、将来的に伯爵位を継ぐべく、領地へ帰ってから二年。久しぶりに会う友人は一瞬怪訝そうにしながらも、廊下に出ると遠くにいたフーゴに手を上げた。

「捜索終了だ!」
「もしかして俺を捜索していたのか?」

 気恥かしさと公務の合間に姿を消した少しの罪悪感で、クラウスはアルゴと視線を合わせずに歩き出した。

「婚約したそうだね。まさかエーリカ嬢の所にいっているとは思いもしなかったな。でも上手くいっているみたいで安心したよ」

 後ろから面白がるような声が聞こえてくる。返事をせずに歩くとアルゴは更に続けた。

「恥ずかしがらずに婚約者に会いに行くと言えば良かったじゃないか」
「そんなんじゃない。少し用があっただけだ」
「用ねぇ。なんの用?」
「面白がっている奴には話さない」

 すると緩くうねった金色の髪を揺らしながら前に出てきた。

「いいだろう? 今は僕達しかいないんだから。久しぶりなんだから娯楽のない場所で可哀相に過ごしている友人に面白い話をしてくれよ」
「俺はお前を楽しませる為に婚約した訳じゃないぞ」

 楽しそうに屈みながら覗いているアルゴの姿を見て、回廊の向こう側を歩いている侍女達は小さく堪えたような歓声を上げていた。

「相変わらず無駄に人気がある奴だ」
「それより! あのエーリカ嬢だろう? 僕だって近くで拝見したいし言葉を交わしてみたい。城にいた頃にはオルフェン殿が番犬のように四六時中そばにいて全く話しかけられなかったから」
「今は俺の婚約者なんだが?」
「まだ正式に発表はしていないじゃないか」
「誓約書は交わした」

 アルゴを置いて歩き出すと、再び楽しそうに後を追ってきた。

「俺の婚約者だから手を出すなと?」
「そういう訳じゃないが、そういう訳だ」

「まさか牽制の為にわざわざ山に行ってきたのか? これはますますエーリカ嬢に興味が湧いてくるな」

 じろりと睨みつけると、降参とばかりに手を上げた。

「それでミラ嬢はどうするんだ? 側室にでもするの?」

 クラウスは突然の言葉に足も思考も全てが止まった。

「エーリカ嬢の許しは得たのかい? まあ政略結婚だから関係ないかな?」
「待て待て待て。なぜミラが出てくるんだ」
「なぜって、ミラ嬢とお前はそういう関係だろう?」
「そういう関係? 俺とミラが!?」

 アルゴは怪訝そうに見てくるが、そんな顔をしたいのはクラウスの方だった。

「なぜそう思われているのか理解できない」

 するとアルゴの表情が段々と曇っていく。

「あぁ、えっと、違うの?」
「違う」
「仲良いだろう?」
「仲は悪くないと思う。子供の頃から一緒にいるから」
「そう言えばミラはノアイユ伯爵の従兄妹だったな」
「……アルゴ」

 低い声にアルゴは姿勢を正した。

「えっと、周知の事実というか。クラウスはミラ嬢以外の女性とは親しくしないし笑いもしないし、誰がどう見てもそうとしか取られないというか。もしかしてこの噂、聞いた事なかった?」

 クラウスは盛大に溜め息をついた。

「その噂はもしかしてエーリカ嬢も知っているか?」
「さぁ、分からないよ。聞いてみたらいいだろう?」
「俺とミラの噂を知っているかと? エーリカ嬢に直接聞くのか?」
「確かめる術はそれしかないじゃないか。違うなら誤解を解かないと」 
「知らなかったら余計な事になる」

 アルゴは笑いを堪えるように顔を背けた。

「何だ、何が言いたい」

 アルゴは口を抑えたままフルフルと首を振る。クラウスに口を覆っている手を剥ぎ取ると観念し、声を震わせながら言った。

「恋する乙女みたい」

 そう言うなり吹き出した。クラウスは掴んでいた手首を投げ捨てると早足で歩き出した。
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