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6 愛を知らぬ獣

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 天幕を開けた瞬間、中を埋め尽くす濃い香の煙と男女の行為を思わせる臭いに兵士は思わず足を止めた。
 今まさに最後の女が、痙攣しながらずるりと倒れていく。膝立ちで胡乱な目を向けた男はやや細身で、お世辞にも男らしい容姿ではなかった。しかし頬で切り揃えられた白銀の髪の隙間から覗かれた視線は刃のようで、兵士は動けないまま固まり息をするのも忘れていた。

「申し訳ございません。入室の承諾を得たと勘違いしてしまいました」
「許可は出したぞ」
「一度出ますので改めてお声を……」
「出したと言ったんだ」

 男は気怠そうに首を回しながら腰に布を巻くと、そのままの格好でどかりと絨毯の上に座った。色白の肌には幾つもの赤い花弁が散っている。中性的な顔立ちから放たれる異質な狂気は、無意識から放っているものなのだろう。兵士は何とか恐れを悟られぬように唇を横に結んだ。 
 
 ヴィルヘルミナ帝国の皇太子であるヘルムートは、皇帝が距離を置く程の男だった。
 知略と剣技と最強の魔力を駆使し、常に最前線で剣を振るう。戦場でのヘルムートは返り血を浴びながらも己自身は傷一つ負わない。その鬼神振りは味方から見れば心強く、敵から見ればさぞ恐ろしいものだろう。しかし戦いの後の体の昂りを止めるのに何人もの女が犠牲になるのだった。 
 天幕の中には引き千切られた服が無惨にも散乱し、絨毯の上にも女が二人倒れている。その体の上に足を置くと、手近にあった酒に手を伸ばした。兵士が酒を注ごうと手を伸ばした瞬間、ヘルムートは乱暴にその手を払った。

「お前の仕事はなんだ」
「帝国の為に戦う事です」
「ならば自分の仕事をしろ。起きろ、誰が寝ていいと言った」

 意識を取り戻しつつあった一人の女がびくりと体を起こすと、裸のまま這うように近付き酒を注ぎ始めた。

「こいつらの仕事を奪うな」

 兵士はごくりと唾を飲むと、立ち上がった。

「それではご報告致します。帝都から連絡があり、岩山地帯に放っていた魔術が消滅したそうです。原因は現在調査中です」
「ほう、馬鹿ではなかったか。あの辺りに人柱があるのは間違いないが、魔術の消滅は探っても意味はないだろうな。どうせオルフェンに決まっている」
「結界魔術師でしょうか」
「忌々しい。結界さえなければあんな小国などすぐ手中に収められるというのに」

 勢いよく投げた器が絨毯の上で割れる。びくりと体を震わせた女は、力任せに持ち上げられた顔を痛みに歪めた。

「一度帝都に戻る。進軍の準備だ」
「しかし結界は……」

 じろりと白銀の髪から覗く瞳が兵士を射抜いた。

「人柱はあと三ヶ所、その内の二ヶ所がどうなっているか楽しみだな。そうそう、ミュラーに意地悪も程々にしろと伝えておけ」

 兵士は足早に天幕の間から体を滑らせて外に出た。


「殿下はどうだった?」

 別の天幕を開けて中に入ると、大柄の男がにやりと笑って待っていた。

「ミュラー団長はわざと私を行かせたのですか?」

 ヘルムート専属の騎士団であるマーガーヴォルフ騎士団の団長ミュラーは、ヘルムートに負けず劣らずの美しい顔をしている。しかし誰もを見下ろす程の身長に加え筋肉隆々、今着ているシャツも動いたら破れてしまいそうな程だった為、女にモテるというよりは怖がられるような容姿だった。

「お前も殿下の騎士団を目指すなら戦いの後の殿下を知っておくべきだ。今回は急遽、騎士団や兵団の寄せ集め部隊だったが殿下の遠征はこんなもんじゃないぞ」

 笑いながら顎で外を指すとつられるようにして兵士も視線を外にやる。もちろんここから外は見えないし、今回粛清となった場所からは離れていた。

「何故あんな小さな町で謀反など起こそうと思ったんでしょう」
「それだが、本当に謀反を起こす気はなかったはずだ。ただ今回は運悪く殿下のお耳に入ってしまったと言うだけさ」

 領主一族は領民の前で斬首となり、遺体は野ざらしにされた。そこには領主の幼い子供も含まれている。領民達に謀反を起こそうとした理由はあるが、幼い子供が斬首される様を目の当たりにした者達の中からは嗚咽と悲鳴が上がっていた。その中の、領主の年頃の娘は今ヘルムートのテントの中にいる。どこにいるかは分からなかったが、転がっているうちの誰かなのだろう。
 その時、ヘルムートのテントの方から悲鳴が上がった。しかしミュラーは領主の城から押収した葡萄の果実水を飲み向かう様子はない。兵士は眉を顰めながら天幕を開けた所でぎょっと動きを止めた。テントの方からヘルムートが歩いて来ていた。そのテントへ入れ替わるように数人の騎士達が入って行く。狼狽する女達を出し的確に指示をしていくその様子は手慣れているように見えた。
 ヘルムートは上に緩くガウンを着ていたが、手に持っていた剣は血に濡れている。呆然としている兵士になど目もくれず、血の付いた剣を無造作に投げ捨てるとミュラーのいるテントへと入って行った。

「うぇ、またこんな物を飲んでいるのか。お前は酒が飲めないからつまらん」

 ミュラーはヘルムートの手から果実水を奪い返していた。

「むしろ酒の何が美味いのか。動きは鈍くなるし判断力は欠けるし、私はむしろ下戸で良かったと思っていますよ」
「あの殿下、一体何が……」

 ヘルムートは意地悪そうに振り返って兵士を一瞥した。

「さっきから思っていたんだが、何だこれは」
「も、申し遅れました! 帝都兵団所属のヴァルナーと申します!」
「煩い」
「申し訳ございません」

 そう言いながらも外の騒ぎに視線を動かした。

「気になるか? 女が襲ってきたから殺しただけだ」
「まさか領主の娘ですか?」
「いちいち見ていないから分からん」

 ヘルムートとミュラーは顔を戻すと何事も無いように話し始める。ヴァルナーはいたたまれずにテントを出た。

「怯え過ぎだ。人を殺せるのか?」
「兵団にいたのですからそれなりに経験があるようですが、女子供というのには抵抗があるのでしょう」
「命を狙ってくるなら女も子供も関係ないだろ。みすみす見逃す気も、殺されてやる気もない」
「もちろんです。ところで、アメジスト王国のオルフェンに弟子がいるそうですよ」
「知っているが?」
「見目麗しいとか」
「興味ないな」
「第一王子の婚約者になったそうです」

 ミュラーはヘルムートの苛立ちを含んだ視線にも動じずに笑った。

「何が言いたいんだ」
「まだ婚約は正式には発表されていませんので、あなた様が申し込まれては?」
「は? なんで」
「侯爵令嬢だそうですよ。身分も申し分ないからです」
「申し出を断られたという口実で攻め入れと? 俺に指図するのか?」
「指図ではありません。ただその方が陛下も納得されるかと」
「別に俺はあの老いぼれを納得させる気はないがな」

 しかししばらく逡巡した後、軽く息を吐いた。

「まぁ確かに幾つか策は必要だ。それにオルフェンは気に入らないからら一泡吹かせるのには丁度いい余興かもしれん」
「しかし、万が一にも申し出が受け入れられたらどうなさるおつもりで?」

 するとヘルムートは表情を変えずに答えた。

「迎え入れた後に殺す。命を狙われたと言ってな」

 笑いながら手酌をすると濃い酒を一気に喉に流し込んだ。

「マーガーヴォルフに歯向かう者の末路は、皆等しく同じだ」
「全くあなたというお方は。幼少期に付けられたあだ名を、わざわざ自らの騎士団に付けるなんて。その名を付けた貴族達はとうの昔に粛清されているというのに」
「この名を聞く度に戒めになって丁度いいだろう? それに意外と気に入っているんだぞ」
「“痩せた狼”というよりは飢えた狼と言った方が正しそうですがね」
「それじゃあつまらん。そのままだろ」

そう言うと、いつの間にか手に跳ねていた血か葡萄酒か分からない赤い点を舐め取った。
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