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3 魔獣という生き物

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 記憶が曖昧なエーリカでも初めて登城した時の事は、はっきりと覚えていた。
 その時はまだ侍女達がついていて、薄く化粧をし、自慢のピンクブロンドの髪を巻いてもらったのが嬉しかった。ドレスは生成りの光沢が綺麗な張りのある生地で、ふわふわのチュールの裏地が何枚も重なっており、歩く度に揺れる様がお気に入りだった。最初は面白くて母親に止められてもくるくると回っていたものだから、馬車に乗り、城に着いた頃にはドレスの重みに疲れ果てていた。
 初めての城は大きな門に綺羅びやかな広間と高い天井で、どこを見ても繊細な彫刻の柱や壁に目を奪われ、いつしか疲れも忘れて上を見ながら歩いていたのを覚えている。しかし記憶はそこから途切れ途切れだった。一際大きなホールにも行った気がする。あとは中庭にも行った。

――でも誰と?

 そう考えると記憶には靄がかかって思い出せなかった。
 突然後ろから束ねていた髪をぐいっと引っ張られる。よろけながら咄嗟に頭を押さえると、髪を掴んでいたオルフェンが更に肩を掴んできた。

「馬鹿! 前を見ろ!」

 足元にはいつの間にか地割れが現れていた。もちろんさっきまではなかった。もう一歩踏み出していれば深い地割れに足を取られていただろう。そして地割れは目の前で一気に閉じた。声も出せないままオルフェンにしがみつくと、ぐるりと当たりを見渡した。一面岩の大地に新たな亀裂が入っていく。地面は生きているかのように一気に動いたかと思えば静かにずれたりもしている。そこら中から大地の軋む音が聞こえて、次はどこがどう変化するのか分からなかった。
 オルフェンがまず調査の為に最初に目を付けたのは、土の力が色濃く出ている北東の岩山地帯だった。オルフェンはなんとなくと言っていたがなんとなくの訳がない。オルフェンの魔力はどの力にも通じているが、特に得意なのが大地と繋がる土の魔術だった。だからこそ異変があればすぐに分かるらしい。これだけの地鳴りの轟く場所にいるのに、別の事を考えて職務を放棄していた自分が一気に恥ずかしくなっていた。

「浮かれてんのは分かったが、結界魔法が破れたらどこが襲ってくるかは分かるよな? それこそ結婚どころじゃなくなるぞ。次期・王太子妃様!」

 安全な方向に放り出されて地面に手を付く。浮かれるような事を考えていた訳ではないが、今は何も言い返せないまま、付いた砂をほろった。

「すみませんでした」

 するとオルフェンは珍しいものでも見るように破顔した後、気まずそうに顔を背けた。オルフェンはエーリカ以外の人前ではマントを外さない。だからこそ今は余計にその表情に困惑してしまった。

「今は危険な任務中なんだからそれは忘れるな」
「はい、師匠」

 オルフェンは同じような地面に何度も手を付けては進んでを繰り返していく。時折大地が揺れたら避難をし、また何かを捜索するを続けて、日も傾きかけた頃だった。

「ここだな。この近く」

 覗き込んでみるが、なんの変哲もないただのひび割れた地面があるのみで他と変わりがあるようには見えない。すると腕をぐいっと引っ張られ、オルフェンの横にしゃがみ込まされた。視線と顎で地面に着いている手を差す。膝をついてオルフェンの甲に手のひらを重ねた。その瞬間思いきり振り払われた。

「何するんですか!」
「馬鹿弟子! 地面を触れ!」

 怒ったつもりだったが更に大きな声で叱られて調子が狂ってしまう。渋々少し離れた所に手を着いた。

「何も感じません」
「集中」

 息を吐きながらもう一度掌に意識を向ける。すると、チリっとした痛みが皮膚に走った。

「!?」

 驚いて顔を上げると、したり顔のオルフェンと視線がかち合った。

「建国の王は結界を張る為に四本の主となる柱を建てた。その柱が壊れかけているんだ」
「そんな話、初めて聞きました。その柱がこの下にあるんですか?」

 オルフェンは首を振った。

「力が伝わってきているだけだ。もう少し先だったか?」

 独り言のように言いながら先を行こうとするオルフェンのマントを引き止めると空を指した。

「もう夜になります。明日にしてはどうです?」
「一日でも早いほうがいい。でもお前は戻ってもいいぞ、後は俺一人でいい」
「……分かりました。それじゃあどこまでも着いて行きます」

 オルフェンを追い越していくと、後ろから肩を組まれる。年頃の男女がしていい行為ではないようにも思うがここには誰もいない。第一、オルフェンは師匠であり父であり、兄であり、友の様な存在で、今更恥ずかしがる事ではなかった。
 割れた大地を進んでいくとやがて大きな岩壁にぶつかった。ここから先は岩山地帯でその先は他国の領域。いつの間にか境界線まで来ていた事に肝が冷えた。

「何もないですね」

 もうすっかり暗くなった辺りを見渡しながら息をつく。今日は野宿だろうか、だとすれば寝られる場所を探さなくてはいけない。見渡しながら歩くと、突然辺りに周囲に咆哮が轟いた。とっさに手を前に出し、守護のマークを宙に描く。飛び掛かって来た黒いモノは見えない壁に弾かれて勢いよく後ろに弾かれた。もぞりと動いたのは巨大な熊のような姿。でも熊の倍はある巨体は見た目よりも素早く起き上がった。

「師匠! 魔獣です!」

 返事はない。オルフェンの姿を探している余裕はなく、再び突進してくる魔獣に向かい得意ではない攻撃魔法のマークを描きかけて、とっさに掻き消した。巨体から逃れるように横に飛ぶ。かすってぶつかった体が岩壁に激突すると、魔獣は再びぐるりとこちらに向き直ると立ち上がって牙を剥いた。
 エーリカはとっさに思い付いたマークを描くともう片方の手で押し出すように甲を叩いた。魔獣は目の前で止まり、後ろに思い切り飛んだ。動かない。エーリカは自分の掌を見ながら肩で息をした。

「こりゃまた、派手にやったな」

 いつの間にか突然隣りに現れたオルフェンは何故かにやりと笑った。

「だからお前を連れてきたんだよ」 

 その瞳は飛ばされた魔獣を見つめていた。つられて目を凝らすと、にょきっと何かが起き上がる。すると先程の魔獣とは比べ物にならない程に小さな生き物が“キューゥ”と鳴いた。トコトコと四足で歩いて来たのは、黒い子熊の姿をした魔獣だった。
 魔獣と判るのは魔力を感じるからだ。こちらとオルフェンを見比べた後、子熊の魔獣はオルフェンの足元に擦り寄った。中型犬程の大きさの魔獣は抱き上げられると嫌そうに身を捩って地面へと飛び降りる。今度は魔力の宿った輝く瞳でこちらを見てきた。

――か、可愛い!

 手を伸ばしかけた時、急に剥いた唇で唸り声を上げた。ぎょっとして手を引っ込めると、トコトコとどこかへ行ってしまう。オルフェンは声を上げて笑った。

「仕方ないか! ふっ飛ばしたんだからな」
「あ、当たり前じゃないですか、殺されると思ったんですから」
「じゃあなぜお前は殺さなかった? 攻撃魔法から守護魔法に切り替えただろう」
「見てたんですね! だって私は結界師ですから。むやみに命は奪いません」

 オルフェンは満足そうに豪快に頭を押さえてくる。逃れても追ってきて、更に髪の毛をぐしゃぐしゃにされた。

「着いて来いだとよ」

 魔獣は少し先を行き、岩壁の前で止まるとその中へと入って行ってしまう。後を追って着いた岩壁を前に溜め息をついた。

「まさか今回のこれって、私への試験だったりします?」
「さすがにそこまでじゃない。あの魔獣に逢えなければ、壁を片っ端から探すところだったけどな」

 いたずらっぽく言うと壁に向かって躊躇いなく入って行ってしまう。壁に触れると何もないかのように中に指が消える。そして目を瞑ると一気に通り抜けた。
 壁の内側は驚く程に明るかった。とは言っても昼間のような明るさではなく、洞窟の奥に光源があるようだった。魔獣とオルフェンはどんどん先へ進んでいく。その後を急いで追い掛けた。

「人が入っている……?」

 光の元は奥にあった巨大なルートアメジストだった。守護山にあるような磨かれた輝くルートアメジストではなく、原石のような荒々しいそれは、台座に乗る事もなく大地に刺さるようにして置かれていた。その中に幻でなければ人が入っている。黒髪の体格のよい男の人だった。目を瞑っている姿は眠っている様に見えるが、生きているのかは分からなかった。

「人柱だ」
「柱って人柱の事だったんですか!? まさか生贄ですか?」

 ごくりと息を飲むと、オルフェンは目を伏せた。
 
『そんな深刻になるなよ、これじゃあまるで俺が可哀想な奴だろ』

 声は足元からした。真下には魔獣しかいない。辺りを見渡すと、マントの裾を口で咥えられた。

『間違いないぞ。俺だ俺』

ーー魔獣が喋っている。

「知らなかったか? 話せる魔獣もいるぞ」

 けろっとして言うオルフェンに、今度こそ日頃の怒りと不満をぶつける為に拳を振り上げた。

「師匠! 言葉がいつもいつも足りません!」

 ふわりと避けられ、倒れかけた腰が掴まれる。そしてルートアメジストの目の前に立たせられた。

「よく見てみろ。人柱が朽ち始めている」

 光り輝きながら眠っているように見えたその体の端は、黒ずんでいる。このまま侵食が進んだらと思うとぞっとした。

「なぜこうなったのか原因は分かるか?」

 その問いが自分へのものではないと分かり、エーリカは息を潜めた。

『何か強い衝撃はあったがそれが何なのかは分からない。意識が戻ったのはさっきだしな』
「エーリカに弾き飛ばされた時か?」

 しかし魔獣は返事をしない。よほど弾き飛ばされたのを認めたくないのか、プイッとそっぽを向いてしまった。

「これは始まりだ」
「始まり? なんのです?」
「崩壊だよ。もう結界は保たない。そしてもう作る事も出来ない」
「なぜです? また張り直せば良いのでは?」
「ここにいるのは遥か西の国から来た強大な魔力を持つ一族だ。しかしその国はすでにヴィルヘルミナ帝国に滅ぼされている。これほど大きな力を持つ人間を探し出し、人柱にする事はもう叶わない」
「他に何か結界を張る方法はないんですか?」

 するとオルフェンは深い溜め息をついた。

「俺は一体今まで何を教えてきたんだ? 大きな力を得るには対価が必要だ。お前の力に対する対価はなんだ? 何を対価にその力を使っている?」
「分かりません」
「いずれ分かる」

 オルフェンはルートアメジストに強化の保護魔法をかけると洞窟を出た。一瞬振り返り、ルートアメジストを見る。薄紫色の中に入っているのでよく分からなかったが、なんとなくオルフェンに似ている気がした。ふと、フワフワの弾力のある毛をわざと押し付けるように通り過ぎていく魔獣にほっこりしながら、オルフェンの後を追った。




 夜明け前、控えめに扉を叩く音に返事をすると部屋を訪れた騎士は驚いたように中へ入ってきた。報告をするようには言われていたが、実際にこの時間まで執務室にいるとは思っていなかったのだろう。騎士は慌てて言いにくそうに言葉を発した。

「先程結界魔術師のオルフェン様、エーリカ様のお二人が視察から戻られました」
「他には?」
「いらっしゃいません。お二人でした」
「こんな時間までか?」

 聞いてすぐにクラウスは舌打ちをした。騎士は報告をしに来ただけ、戸惑った様子の騎士を労うと退室を命じた。顔を擦り、窓の外に目をやる。まだ外は暗いがじきに夜が明ける。窓に映る自分の顔を睨み付けながら、夕刻に国王に言われた言葉を何度も思い返していた。

『エーリカ・ルートアメジストをお前の婚約者とする。なに、もともと一度立ち消えた話が戻っただけだろう。エーリカ嬢も望んでいたぞ』

――エーリカも国王に言われたら断れる訳がないか。

「……さすがに少し眠るか」

 昼間は騎士の任に就いているので、王子としての執務はどうしても夜になってしまう。いずれ国王となる為に騎士の仕事も辞さなくてはと思っているが今のように体を動かしながら適度に頭を使う生活が合っているように感じていた。机の上の書類を片付けていると、再び国王の言葉が脳裏に蘇ってくる。

『エーリカ嬢も望んでいたぞ』

 ランプの中に入っている魔石を叩くと、光が消えて部屋の中は真っ暗になる。時折空を包む結界の優しい光の波を背に受けながらソファに横になり目をかなじた。

「……俺との結婚はあなたの足枷になりはしないか。エーリカ」

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