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2 拗らせた初恋

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 一体何がどうしてこんな状態になったのか、エーリカは目の前の好物ばかりを乗せた皿を前に固まっていた。
 オルフェンは目の前で我関せずに次々と口へじゃがいものサラダとソーセージを交互に口に放り込んでいる。他に並んでいるのは小ぶりな野菜のパイ包みくらいだろうか。エーリカはオルフェンを凝視しながら、ごくりと息を飲んだ。

「なんだ? こっちが食いたいのか?」

 オルフェンが切り分けたソーセージをフォークに刺し、目の前に突き出してくる。ほらほらと突き付けれれたフォークすらも気にならない程、エーリカは隣りに座っている男の気配だけを感じていた。
 右半身の皮膚が痛い。熱い。動けない。体は半分石化してしまったのではないかと思う程に硬直していた。

「嬉しいなぁ! 魔術師の方々とご一緒できるなんて。ねぇクラウス副団長?」

 クラウスは一瞬フーゴに視線を向けたものの、無言のまま野菜サラダから食べ始めた。薄切り肉も何枚か取られており、チーズと共に硬めのパンに乗せて口に運ぶ姿は優美そのものだった。

「お前な、好きな物ばかり取るんじゃねぇよ」

 今すぐにその可愛らしい野菜のパイ包みと交換して欲しいと思うくらいに、隠してしまいたかった自分の皿の内容にオルフェンが触れ、エーリカは一瞬にして血の気が引いた。
 城の食堂は好きな食べ物を好きなだけ皿に盛ることが出来る。だから城に来たら決まってミンチ肉を丸くして煮込んだ肉団子料理を食べるのだ。一口大にされた肉団子は口に入れるとソースのトマトの酸味と甘さが際立ち、余ったソースをパンに浸ければ飛び切り美味しい別料理へと変化する。エーリカの皿には見事な肉の塊が六つは載っていた。

「フッ」

――笑った? 今笑われた?

 隣から聞こえた小さな声に顔が一気に赤くなる。横を見る事も出来ずにひたすら俯いていると、隣りで動く気配がした。

「食堂がこんなに混むとは今日は珍しいですね。今朝の儀式でお疲れでしょうから、ゆっくりして下さい。我々はすぐに行きますので」 
「そんな……」

 とっさに横を向くと、流れるように視線が離れ、口元には笑み残っていた。

「食わないなら食うぞ」

 オルフェンは不躾に皿にフォークを伸ばすとエーリカの肉団子を奪っていく。クラウスの冷たい視線にも臆せず、オルフェンはもぐもぐと口を大きく動かしながら飲み込んだ。

「こんなのばっかり食っているから最近肉付きだけは良くなりやがって。ほら、少しは野菜も食え」

 クラウスの前で太ったと同義の事を言われるとは思いもせず、エーリカは泣きたくなる思いでオルフェンを睨み付けた。周りがぎょっとしたのは別の意味でとは知りもせずに。

 魔術師の格好は独特で、白い光沢のあるマントを羽織る事で統一している。マントは体を覆い隠しているので、もちろん体の形はほとんど分からない。二人はそのマントを外すような時もそばにいるのかと、食堂にいた者達は聞き耳を立てていた。

「俺達はこれで失礼します」
 
 エーリカは立って挨拶をしようとしたが手で制された。

「冷めてしまいますよ。ゆっくり召し上がって下さい」

 美しいがやや傷のある戦う男の手に釘付けになっていると、唐突に口に何かが押し当てられた。オルフェンが性懲りもなく肉団子を口に捩じ込もうとしてきていた。

「いい加減にさっさと食え。食ったら執務室に行くぞ」
「私もですか?」
「当たり前だ。お前は俺の弟子だろ。離れるんじゃねぇ」
「私に身の回りの世話をさせたいだけですよね? だから従者を付けて下さいといつも言っているじゃないですか。志願者ならきっと沢山いますよ」
「知らない奴は嫌だ」

 その後エーリカはオルフェンを苛立たせる為にわざとゆっくり食事をした。その日は珍しく姿を現した結界魔術師二人をひと目見ようと、騎士や若い官僚達で食堂の席はいつまでも空く事はなかった。




 王の執務室は結界魔術師を迎える為に人払いされ、部屋で待っていたのは国王と宰相のみ。お茶の用意はワゴンの上にあったがそれを淹れる侍女はいなかった。

――私にやれと言う事よね。

 だからオルフェンは来いと言ったのだとまた腹立たしさが増していく。しかし宰相であり父のヨシアスは嬉しそうに娘の入れた紅茶を受け取っていた。八歳で魔術団に入り、共に暮らした記憶があまりないせいからか父親といっても妙な距離を感じてしまう。しかしヨシアスはお構いなしに、それはもう極上の酒を飲む様に味わっていた。居た堪れずにオルフェンの横に大人しく座った。

「して、何があった? お前から会いに来るなど珍しいじゃないか」
「結界が弱まっている」

 短く単刀直入で配慮のない言葉だったが、国王は分かっていたかのように驚きはしなかった。
 国王にも魔力はある。しかし魔術団に入る程ではないと聞いていた。だから微細な結界の変化を感じ取れるとは思いもしなかった。

「理由は分かっているのか?」

 オルフェンはただ首を振るだけ。しかしそれで十分だった。国一番の魔術師に分からないのならば他に分かる者はいない。

「結界を張る頻度を増やすか?」
「そうしたら弱まっていると公言するようなものだ。混乱を招く」
「確かにそうだな。しかし多かれ少なかれ魔力を持つ者は多い。結界の異変に気付く者も出てくるだろう。それで、どうするつもりだ?」
「原因を探しに行く」

 その言葉には国王も驚いたようだった。

「エーリカを連れて行く」
「なんだと?」

 ヨシアスは立ち上がりかけて国王に腕を抑えられた。

「申し訳ありません陛下。しかしエーリカを連れて行くとはどういう了見だ、オルフェン殿」

 地を這うような声にも動じず少し冷めた紅茶を一気飲みすると、オルフェンはエーリカの肩を抱いた。

「決まっているだろ、弟子だからだよ」
「そんな事で……」
「そんな事だと?」

 黒い双眸に睨まれたヨシアスは拳をにぎりしめたまま黙った。

「俺が弟子に取るって事は俺が認めているって事だ。そばに置いておくならこれ以上の適任はいない」
「確かに正論だな」

 国王は納得したように頷いた。

「それではあの話はどうなさるおつもりですか」

 こちらに向き直った国王がしわの深くなった目尻を細めた。

「久しいな、エーリカよ。元気にしていたか?」
「はい陛下。何事も不便なく過ごさせて頂いております」
「それは何よりだ。ところでエーリカよ、魔力の方はどうだ?」

 そう聞かれてどきりと心臓が高鳴った。エーリカには魔力団に入るきっかけともなった魔力暴走という消したい黒歴史がある。その時の影響でそれ以前の記憶が曖昧だった。確か、魔力の暴走が起こったのは城での事だったと聞いていた。

「今の所特に乱れる事はございません。師匠にも安定していると言われております」
「そうなのか? オルフェン」
「一度全開まで放たれ回路を開いた魔力はそう簡単に暴走はしない。あとは出力次第だな」
「そうなのか」

 国王は宰相と視線を合わせると、居住まいを正した。真っ直ぐに見つめてくる薄い青い瞳はクラウスに似ている。もちろん縁者なのだから容姿は似ていて当たり前なのだが、青い髪に白や灰色の毛が混じり始めた姿は渋く、クラウスも年を取ったらこうなるとかと思うと胸が熱くなった。

「エーリカよ、そろそろ結婚は考えているか?」

 唐突な質問に呆けているとヨシアスが言葉を繋いだ。

「他の令嬢達は皆、婚約もしくは結婚している年だろう? もちろん魔術師なのだから無理にとは言わない」

 ここまで言われれば鈍いエーリカでも分かる。陛下と父親は自分に縁談を持ってきたのだ。魔術団に入ったのだから貴族のしがらみから逃れられたつもりだった。しかしいくら誓約魔法を交わし魔術団に入っだとはいえ、侯爵家の娘としての責務は果たさなくてはいけないのだろう。

――跡継ぎを産めと言う事よね。

 心が冷える感覚に表情を消す。オルフェンを見るとソファに深く座ったまま黙り込んでいた。

「本当はヨシアスの仕事なのだろうが、国の為に尽くしてくれているお前にはとびきりの縁談を準備してやりたいのだ」
「……は?」
「エーリカ! 口の聞き方に気を付けなさい」

 慌てて口を閉じると、口を押えてしばらく黙り込んでしまった。

「エーリカ? 聞いているか?」
「は、はい。聞いています陛下。ありがたいお言葉に感動してしまいました」
「希望はあるか? 容姿や家柄など、出来るだけお前の希望通りにしてやりたい」

――希望通りになるの?

 頭に浮かんだのはただ一人。
 でもその名を口にしていいのかは憚られた。探るように国王を見る。今は温厚な眼差しを向けてくれていてもその名を聞いたら怒り出してしまうかもしれない。不敬罪にならないだろうか? 父親を見ると不安そうな、情けない顔でこちらを見ていた。

――私だって常識くらいあるわよ。オルフェンに育てられたも同然だから、もちろんオルフェンの持つ常識だけれど。

 暫く膝の上で指を動かした後、ぐっと握り締める。

――最初で最後の我儘を言ってみよう。どうせ断られるのだから言うだけタダよ。

 顔を上げると目が合った国王は言葉を発するよう促してくる。カラカラの喉に息を吸うと、後は勢いだけだった。

「私は王子との婚約を望みます」

 国王は瞠目した後ちらりとヨシアスを見た。ヨシアスも驚いていたが観念したように頷いた。

「して、どちらの王子なのだ?」
「どちら? どちらとは」

 恐る恐る問い掛けた言葉に、肝心のクラウスの名が抜けていた事に血の気が引いていく。これでは王子ならどちらでも良いと言ったも同然ではないか。慌てて口を開くと国王は手を上げると大声で笑った。

「アレクでもいいが、あれはまだ十四だからな。クラウスで良いか?」

 驚きのあまりオルフェンを振り見たが、つまらなそうにふいっと顔を背けられた。

「クラウス様と結婚しても宜しいのですか?」
「私は良い。ヨシアスはどう思う?」

 黙って聞いていたヨシアスは感慨深い表情で頷いた。

「お前は立派などこに出しても恥ずかしくない娘だ。魔術団で過ごしたから多少お転婆ではあるかもしれんが、クラウス様は一つ年下でいらっしゃるがしっかりしたお方だから何も問題はないだろう。王妃教育は過酷なものだが、頑張るのだぞ」
「でもクラウス様はなんて仰るでしょうか」
「あいつは二つ返事で承諾するだろう。王子としての務めを理解しているからな」
「ありがとうございます、陛下」

 立ち上がると深くお辞儀をした。


 呆然としたまま部屋を出たエーリカはオルフェンの制止も聞こえずに足早に歩き出していた。手の震えが止まらない。心臓がうるさく鳴って泣きたくもないのに目が熱くなっていく。どこか、どこでもいいから誰も人のいない所に行きたかった。城内には詳しくない。とにかく人の目を逃れるように歩き回り、いつしか塔の上に来ていた。
 風が体を通り過ぎ髪が舞い上がる。どこまでも突き抜ける青空を見上げると、とうとう堪えていた涙が溢れてきた。

 ずっと想っていた。

 遠くから見かけるあの広い背中が私のものだったならすぐに追いかけて抱きしめるのに。でも近付けばきっと、あなたの視線に私はいないと思い知らされてしまうだろう。 

 私はあなたの何者でもない。

 何か行動を起こして傷付くくらいなら何も起こさずに、心の中でずっとあなたに恋をしていたい。それだけでいいとずっとそう思っていた。

「……私、明日を変えたの!」

 誰に言う訳でもない。自分自身に言った言葉が耳から戻ってきて胸を締め付けてくる。溢れる涙はそのままにした。

――クラウス様の妻になる。

 何度も心の中で噛み締めてみる。しかし、嬉しさの後で急に不安が押し寄せてきた。クラウスはこの縁談をどう思うのだろう。国王から言われれば断る事は出来ないだろう。嬉しかった思いは一変して、お腹の奥に重たいものがどろりと溜まった気がした。


 その後、オルフェンが言っていた調査に出るのはオルフェンが場所を絞ってからと言う事になった。しかしこの時のエーリカには結界が弱まっているという事よりも、クラウスと結婚出来るという事実で頭が一杯になっていた。

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