国の英雄は愛妻を思い出せない

山田ランチ

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24 幸せの瞬間

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 王都の掲示板には六年前に城内で発見された物に関わる事件の真相が、最近になって動いた事を示す内容が書かれていた。
 集まった人々は口々に貴族達の横暴を罵り、悪態を吐いている。その群衆から小さな荷物を持った一人の青年が抜け出ると、反対側に歩き出した。人通りの少なくなった脇道に立っていたモルガンはすれ違い様に、小さな袋を押し渡した。

「とある高貴な御方からです」 

 男は袋に触れかけて中に入っている物に気が付いたのか、手を引っ込めた。

「そんなものもらえない! あんた達一体何を考えているんだ」
「私も下層の生まれですから、高貴なお方のお心は分かりません。ですがどんな運命の悪戯か爵位を賜ったものですからこれから領地に出発します。あなたも共に来ますか? 今までのあなたは死んだのです。もし共に来るのなら新たな名を与えますよ?」
「あんた達、本当に何を考えているんだよ! 俺を恨んでいないのか?」
「怒ってはいます。私の大切な主を危険に晒したのですから。でも幸いな事に生きています。今までの私なら許さなかったでしょうが、人は変わるものです」

 男は眉を寄せて荷物を抱くように歩き出した。モルガンはその荷物の上に小袋を乗せた。

「いつか必要になる辺境伯領への旅費だとでも思って下さい」

 淡々と言うとモルガンは踵を返して、暗い路地から騒がしく明るい大通りへと出ていった。




 ディミトリ・ギレム侯爵家の大広間には大きな笑い声が響いていた。この大豪邸の女主人であるアイリスは、全員の戸惑いを物ともせず両脇に子供達を抱えてながら涙を流して笑っていた。その後に背後霊のように立っているディミトリはニコニコとアイリスの肩を撫でている。
 フレデリックは意識を遠くに飛ばしたい思いで笑い声が収まるのを待っていた。今にして思えば何故ディミトリがアナスタシアと男女の関係になるのではと不安だったのか分からない。この二人は幼馴染で恋愛結婚だった。そもそもアイリスに熱を上げているのはディミトリの方で、それは何年経っても変わる事なく、現にアイリスはすでに四人目を妊娠中だった。すでに三人産んでいるはずのアイリスの見た目は変わらずにずっと美しい。だからこの喋り出した時の違いが誰をも困惑させるのだった。

「まさか旦那様とアンちゃんの仲を疑うなんて戦い過ぎて頭まで筋肉になってしまったみたいね」
「……面目ない」
「私もこのお腹だから会いに行けなくて、あなた達の力になれなかった事が悔やまれるわ。ごめんなさいね」
「そんな事ありません! ディミトリ様がお気に掛けて下さっていたので本当に心強かったです」

 隣りでフレデリックがぎくりとしているのが横目に入り、アナスタシアは焦ったように横を振り見た。

「あの、フレデリック様がお側にいて下さったのもとても心強くて、その……」

 その時大きな手が頭を撫でてくる。そして困ったように笑われた。

「気を使わせてすまない。本当の事だから大丈夫だ」
「そうよ! ずっと寂しい思いをさせられたんだからどんどん我儘を言って好きな物を沢山買って貰うといいわ」
「フレデリック様からは十分過ぎる物を頂いております! それに私はフレデリック様がいて下さるだけで本当に幸せなんです」

 尻すぼみになってしまって俯くと、ぎゅっと肩を抱き締められた。

「兄上、もう部屋に戻ってもいいですか?」
「あ? あぁ構わないが夕食までは出てくるだろう?」
「分かりません。おそらく無理だと思います。でもアンが食べられる軽食の準備はお願いします」

 そう言うや否やアナスタシアを横抱きにすると大広間を出て行った。

「まだまだ新婚という訳だね、羨ましいよ」
「結婚してすぐに戦場に向かったんだから少しくらい大目に見ないと駄目よ。いつまでも仲が良いのは喜ばしい事じゃない。ねぇ、旦那様?」

 そう上目遣いでディミトリを見上げたアイリスは、艷やかな黒髪から覗く細い首元から豊かな胸元までを撫でてみせた。

「アイリス、僕達も……」
「お母様! 叔父様達どこに行ったの? つまんないよ!」
「馬鹿だな、お前は。叔父様達は子供を作りに行ったんだよ。だからそんなにすぐは戻って来ないんだ」

 アイリスの両脇を陣取っていた兄弟達はマセた会話をしながら兄は本を読み、弟の方はブラブラと足を動かしている。そして遠くからはお昼寝から目覚めた長女の泣き声が響いていた。

「奥様、お嬢様がどうしても奥様がいいと仰っております」

 足早に向かえに来た侍女は困ったように頭を下げた。

「という事で旦那様は夜までお預けですね」

 アイリスは妖艶な笑みを浮かべると、ディミトリの頬を撫でながら大広間を出て行く。

「お父様、僕はこれ以上兄弟達が増えるのは望んでいませんからね」

 長男は本のページを捲りながらそう呟いた。

「……お前は何を読んでいるんだい?」

 おもむろに長男が呼んでいる本の背表紙を覗き込んだ。

――侯爵家当主の座を巡る骨肉の争い~四女の私が当主になる方法~

「……その本はどこで?」
「お母様の本棚です。自由に読んでいいと言われているので」
「そうか。お母様はそんな本も読んでいるのか」
「お父様も読まれますか?」
「いや、いいよ。良かったら私の書斎にある本も読んでいいからね?」
「お母様の本棚の方が面白い本があるので結構です」

 ディミトリは長男の頭を撫でると、自分は撫でられなかったと騒ぐ次男を足に絡めながら大広間を出て行った。




 ウトウトと浅い眠りを繰り返し、ふと珍しくフレデリックの寝顔が目に入る。夜なのか朝になったのかも分からない薄暗い部屋の中で、アナスタシアの心は幸せで震えていた。
 モルガンが辺境伯領に旅立ってからというもの、フレデリックはどこか気が抜けたような元気のない様子に、こうしてディミトリの所に遊びに来たのは数日前。それでもそのほとんどをこうして部屋で過ごしてしまっているが、この家の者達は生暖かい目で見てくるだけで何も言ってはこない。何も考えず、ただフレデリックの事だけを考えて過ごす日々がこんなに幸せなのかと噛み締めていた。

「アン? どうした」

 寝ぼけているのか薄目を開けたままぐいっと引き寄せられればあっという間にフレデリックの胸に埋められてしまう。その湿って熱い肌の感覚に、アナスタシアは目を瞑った。

「こんなに幸せでいいのでしょうか」
「俺達は幸せになる為に生きているんだ。アンといてそう思えるようになったよ」
「私もフレデリック様から沢山の幸せを頂いたので、これからもっと頑張れるような気がします。ヴァレリー家の協力もなくなった今、事業をこのままお父様だけに任せる訳には……」

 その瞬間、ぐいっと上に持ち上げられてしまった。外気に触れた素肌が寒さで震える。しかしフレデリックの大きな掌で撫でてくると体は一気に熱くなった。

「まずは何も考えずにもっと俺の事だけを考えてくれ」

 促されるままフレデリックの上に覆い被さると、全ての隙間がなくなるように抱き合った。
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