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16 釦の掛け違いを直す時

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 夜会前日。
 家にはトリスタンから送られたドレス一式が届いていた。
 当日エスコートをしたいという内容とドレスを用意する旨の手紙を受け取り、すぐに丁重にお断りしたというのに何故かドレスは届いてしまった。色はトリスタンの髪と同じ赤色。一体何を考えているのか分からず、重たくなる気持ちを振り切る為にドレスが入っていた箱の蓋を閉めると、ドアの方から呆れた声が返ってきた。

「まさかそれ着ないつもり? 婚約者がわざわざ送って来たのに」

 壁にもたれるようにして立っていたのは、明日の夜会の為に王城勤めから帰ってきていたジャンだった。ジャンは、じっとりとした視線をドレスに浴びせていた。

「何を着ようと私の勝手じゃない」
「まさかとは思うけど、もしかしてトリスタン様の事冷めちゃった?」
「元々政略結婚なんだから感情なんて関係ないでしょう?」
「まあそれはそうなんだけどさ。そう言えば、トリスタン様から聞いたよ。ココから交流戦の時の話を聞いたって」
「うん、たまたま話す機会があってね」
「すっごく落ち込んでいたよ」
「落ち込むのは私の方じゃない?」
「なぜそう言ったかトリスタン様から聞いた?」
「いいえ。あの時仰った言葉が全てだもの」

 すると、ジャンはわざとらしい溜息をついた。

「これは周りがごちゃごちゃ言っても駄目だな。ちゃんと話した方がいいよ。トリスタン様も言葉が足りないけれど、ココも大概だからな?」

 何を言いたいのか分からずにジャンを見ると、憐れなものでも見るような顔でこちらを見てから行ってしまった。

「何よみんなして。私が悪いの? なんなのよ!」

 コレットはドンっとついた手をとっさに上げた。箱は少し凹んでしまっている。恐る恐る蓋を開けると、もちろんドレスは無事だった。

「この色のドレスを着て行ったら、とんだ間抜けじゃない」

 再び蓋を閉めると、別に用意していた菫色のドレスに視線をやった。




 夜会当日。
 後少しで夜会が始まるというのに、いつまで待ってもコレットの姿はなかった。屋敷の前には幾つもの馬車が到着している。それなのにロシニョール家の馬車が一行に来ない事に、窓から外を見ていたトリスタンはいても立ってもいられずに玄関を出た。

「やはり迎えに行けば良かったか」

 しかしすでにエスコートは断られている。ドレスは送ってしまえば問題ないが、迎えに行って対面で断られてしまえばもう本当に終わりのような気がした。トリスタンは挨拶をしてくる招待客を迎えながらも、視線は門から逸らせずにいた。

「トリスタン様? そろそろ中に入りましょう」

 後ろから声を掛けられてびくりと身体が跳ねる。後ろには身重のシルヴィーが立っていた。目立ち始めた腹を隠す事もなく身体の線が出るドレスを着て、肩も剥き出しになっている。するとシルヴィーは気まずさを誤魔化すように笑った。

「ずっと中にいたのよ。あなたが出ていこうとしているように見えたから追ってきたの」

 しかしぶるりと身体を震わせたシルヴィーを放おっておく事も出来ず、仕方なくその肩に上着を掛けてやった時だった。

「ロシニョール家の皆様がご到着です」

 使用人にはロシニョール家が来たら知らせるように伝えていた。しかし今は非常にまずい。取り敢えずシルヴィーを室内に入れようとした所で、後ろから声を掛けられた。

「トリスタン様、本日はお招き下さりありがとうございます」

 よく通る声のロシニョール侯爵の後ろには夫人と、ジャン、そしてコレットの姿があった。

「よくお越しくださいました。夜の風も冷たくなってきましたのでどうぞ中にお入り下さい」

 そう言いながらコレットを見て血の気が引いた。コレットは送ったドレスを着てはいなかった。それに一切こちらを見ようとしないまま目の前を通り過ぎていく。何か声を掛けなくては、引き止めなくてはと思うのに、送ったドレスを着ていない事こそがコレットの意思表示だと思うと、その場から動く事が出来なかった。

「トリスタン様? 顔色が悪いわよ」

 無言のままシルヴィーを部屋の中に入れると、上着の代わりに置いてあったショールを渡した。

「これであなたの思い通りになっただろう? 金輪際俺の邪魔はしないでくれ」

 すると寂しそうにシルヴィーは頷いた。

「嫌われているのは分かっているけれど少し位仲良くしていきたいわ。だってこれから家族になるんだもの」
「……別にあなたを嫌いな訳じゃない」

 すると、シルヴィーはパッと顔を上げて頷いた。


「本当にあのドレス着て来なかったんだな」

 ジャンは広いデュボワ家の会場となった部屋の中で、硬い表情をしているコレットの腕を小突いてきた。今更見栄を張ったところで何も良い事はない。この後は大人しく過ごして適当に姿をくらます算段を付けている。ルネには内密に馬車の手配を頼んでおり、そのままグレンツェ領に行ける準備をしておくようにとも言っていた。
 やがて音楽が止み、壇上がより明るくなる。そこにはデュボワ家当主と、トリスタン、そしてシルヴィーが立っていた。

――とうとう始まるのね。

 否応にも見なくてはいけない壇上を睨みつけながら、コレットは拳を握り締めた。

「お集まりの皆様に重大な発表がございます。この度私ルドル・デュボワは、こちらのペレス子爵家ご令嬢のシルヴィー嬢と結婚する運びとなりました事をご報告させて頂きます。また、喜ばしい事に新しい家族を授かりました。これを機に当主の座を息子のトリスタンに譲る事となりました。息子からも近いうちに良いお知らせが出来ると思いますので、これからもデュボア公爵家を宜しくお願い致します」

 そして盛大な拍手と共に、祝福の言葉が飛び交った。

「これでようやくお前達の番だな。コレット?」
「へ? なに、どういう事?」

 ジャンが不審そうに顔を覗いてくる。

「おい、まさか酒なんか飲んでないよな?」
「シルヴィー様がご結婚されるのは、トリスタン様のお父様?」
「そうだよ。一部の間じゃあ有名な話だったろ」
「それじゃあお子は?」
「もちろん当主とシルヴィー嬢のお子だろ」

 真っ青になっていくコレットに、ジャンも察したのか肩を思い切り掴んできた。

「まさかお前、トリスタン様とのお子だと思っていたのか?」
「だって普通そう思うじゃない。それにトリスタン様は何も仰っていなかったわ!」
「そりゃ正式な発表を前にはっきりと言える訳ないだろう。でもそれらしき事は話してくれていたはずだぞ?」
「トリスタン様の話のどれがそうだったかなんて分からないわ。でもちゃんとするから待っていてほしいとか、家族に関わる問題だからとか色々……仰っていた気はするけど」

 ジャンは頭を抱えるようにして辺りを見渡した。

「とにかくすぐにトリスタン様に謝りに行けよ。それにお前だって悪いんだぞ。都合が悪くなるとすぐにグレンツェ領に逃げ込む癖! トリスタン様はご多忙なんだからそうそう会いに行ける訳がないんだからな!」
「私ったら大変、すぐに帰らなくちゃ」
「待て待て、帰るってどうしてだよ!」
「着替えて来るの! あのドレスを着て来なくちゃ」
「それよりコレットが帰ったと知ったらトリスタン様は……」
「帰る? どういう事だコレット」

 ジャンはびくりとして後ろを振り返ると、愛想笑いを浮かべた。

「トリスタン様、どうやら姉はとんだ勘違いをしていたようです。どうか怒らずに聞いてやってください」
「俺がコレットに怒る訳ないだろ」
「そうですよね! それじゃあ僕はこれで」

 ジャンが意味深な言葉を残して離れていく。トリスタンは困ったように辺りを見渡しながら、耳元で囁いた。

「別室に行かないか? ここでは落ち着いて話せない」

 コレットは言われるまま部屋を出ると、喧騒から離れて次第に静かになっていく廊下を歩き続けた。辿り着いたのは温室。トリスタンは手早く温室の鍵を開けると中に入れてくれた。

「鍵を持っていらしたんですね」

 温室は暖かく、中には色とりどりの花々が咲いている。そして中には可愛らしいソファとテーブルがあり、そこには毛布も用意されてあった。

「鍵はいつも肌見放さず持ち歩いているんだ」
「まさかトリスタン様のお部屋ですか?」

 冗談半分に言ったつもりだったが、トリスタンは頷いてから少し寂しそうに俯いた。

「ここは母が大事にしていた場所なんだ。だからよく俺も幼い頃はここに入り浸っていたよ」
「トリスタン様のお母様にお会いしてみたかったです」
「俺達が出会った時にはすでに他界していたからな。でもまさか父親が自分よりも年下の女性と結婚したいだなんて、正直まだ完全には受け入れていないんだ」
「それで私達の結婚は伸ばして欲しいと仰ったのですか?」
「身内の恥だろ、父親が若い女性を身篭らせてしまうなんて。これから弟か妹が生まれるんだぞ」
「そうかもしれませんがちゃんと話して欲しかったです。そうじゃないから私、ずっとシルヴィー様はトリスタン様とのお子なのだと思っておりました」
「……は?」
「ですから、今日の発表を聞くまでトリスタン様とシルヴィー様がご結婚されるのだと思っておりました。訓練所に来ていたとも聞いた事がありますし」
「誤解だ! シルヴィー嬢が俺の所に来たのは父と会えなくなってしまったから、なんとか会わせてほしいと懇願されていたんだ。一時は父も思い留まって距離を置こうとしていた時期もあったらしい」
「あの、ただの噂だと思いますけど、シルヴィー様が色々な男性に声を掛けているという噂を耳に致しました」
「あれはシルヴィー嬢の作戦だよ。相手にされなくなって父の気を引こうとしていたらしい」
「それを聞いて安心致しました。あの、ドレスを着て来ずに申し訳ございません」

 しかしトリスタンは整えられた髪をぐしゃりと握り締めると、悔しそうに呟いた。

「全部俺のせいだな。コレットを傷つけてばかりだ」

 とっさに顔を上げると、今にも泣きそうなトリスタンと視線がぶつかった。

「……訓練所での事だが、他の男達がコレットに興味を持つのが嫌だったんだ。とはいえコレットには本当にすまない事をした。俺の考えが幼稚だったんだ。コレットの耳に入るかとしれないと考えるべきだった」
「もう気にしていません。あの件のおかげで私は自分の事が好きになれたんですから、トリスタン様には感謝しています」

 そう笑ってみせると不意で腕を引かれた次の瞬間、大きな腕の中にすっぽりと収まっていた。熱くて広い胸にぴったりと頬がぶつかる。トリスタンの男性らしいコロンの香りと混じった汗の匂いに目眩がしてしまう。そのままコレットは動けずに固まってしまった。

「コレットは可愛いよ。出会った時からそう思っていた。可愛くて愛しくて、その想いがずっと胸から溢れてしまいそうだった」
「そんな……」

 抱き締められる腕の力が強くなる。それでもこの腕の中から出たくなくて、自ら広い背中に腕を回した。

「全部本心だ。最初からもっと言葉にしておけば良かったと思っているんだ。そうしたらコレットとすれ違う事もなかった。これからはちゃんと言葉にしていく。……出来る限り」
「ふふっ、期待していますね」
「コレット、俺と結婚してくれるだろうか?」
「もちろんです。私はずっとトリスタン様だけを見てきたんですからね」

 腕の力が緩まり、二人の間に少しだけ隙間が出来る。鼻先が触れ合う距離に顔があり、コレットの心臓はもう爆発してしまいそうだった。

「結婚前に触れるとロシニョール侯爵からこの結婚は破談にすると言われているしな。今日はこれで我慢しておくよ」

 そういうとトリスタンの唇がそっと額に触れた。

「いつの間にお父様とそんな約束を?」
「いつだったかな? 確か婚約した時だ」
「そんなに前ですか?」
「この約束が出来たのはコレットのせいでもあるんだぞ。お前が大好きと言って俺の頬に口づけをするから、焦ったロシニョール侯爵がそんな事を言い出したんだ」

 コレットには記憶がない事だったが、話を聞いているだけで顔が熱くなってしまう。すると再び腕の中に抱き込められた。

「でもこれくらいは許してもらおう。……正直もう限界だったんだ」

 コレットは薄明かりの中、トリスタンの温かい胸に体を預けながら頷いた。

「私もです」
「取り敢えず早急に婚約式を挙げよう。そして俺は君から貰ったあの耳飾りを付けるよ。申し訳ないが揃いの物は準備出来るだろうか?」
「はい、もちろんお任せ下さい!」

 コレットは笑うとトリスタンの胸に身体を預けた。
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