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 ベビーフェイスはいつものファミリーレストランに入り、いつもの男を探した。
 もっとも、昼食の時間帯から二時間過ぎた今では、店内は閑寂としており、客は数えるほどしかいないため、一通り見渡しただけですぐに彼の姿を発見する。
 くたびれた背広に、緩めたネクタイ。
 脇にはハーフコートを適当に畳んである。
 どこにでもいるような中年の男だが、そのためか顔の印象が残らない。
「ここ、いいですか?」
 向かいの席を指差してベビーフェイスは一言断ったが、男は返事をしなかった。
 通称が示すとおり、ベビーフェイスは童顔だ。
 実年齢は誰も知らないが、小柄な体格と可愛らしい顔立ちは、時折中学生に間違えられることもある。
 それが気に入らない者は大勢いるし、嗜虐心を刺激される者もいる。
 逆に過度に可愛がってくる者いるのだが、そういった手合いは同性愛に誘う傾向にあるので、できる限り避けている。
 しかし、なんの反応をよこさなかった目の前の彼は、自分を嫌悪して無視しているわけではなく、勿論なんらかの恋愛感情、あるいは欲情を持っているわけでもなく、単に面倒臭いだけなのだと思われる。
 真偽は確かめたことはないが、確認するほどのことでもないので、曖昧にしたままでも不都合はない。
 男が許可を出さないまま、ベビーフェイスは椅子に座った。
 男の食事は終わっており、食後のお茶も飲んだ後なのか、テーブルに残っているティーカップは空だ。
 残留している微量の液体は茶色だが、珈琲なのか紅茶なのか、判別は付かない。
 他の飲み物でも似たような色はある。
 だから彼がなにを飲んだか不明だ。
 食器も片付けられた後なので、食事もなにを摂ったのか推測する要素や材料もない。
 そもそも彼から食事という生活感を想像すること自体、ひどく困難なのだ。
 女性店員が営業用の笑顔で注文を取りに来た。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
「あ、珈琲を」
 女性店員はドリンクバーを手で示した。
「お飲み物はセルフサービスとなっております。あちらでどうぞ」
 そしてそれ以上注文を聞かずに去った。
 ベビーフェイスはしばらく呆然とする。
 あの態度は接客としては問題があると思うが、しかし彼女が自分に嫌悪感を持っているわけではなく、単にやる気がないだけだ。
 ベビーフェイスは居心地の悪さを感じながら、律儀にドリンクバーへ行き、珈琲を入れ、男のテーブルに戻った。
 傍から見ればひどく間抜けに見えるに違いない。
 しかし男は全く笑わなかったし、視線も向けなかった。
 多分興味がないのだ。
 自分に対してというより、基本的に人間に関心かないのだとベビーフェイスは考えている。
 男は黙々と新聞に目を通している。
〈松川商事社長自殺。
 昨夜未明、松川商事社長松川氏が自宅にて遺体で発見された。争った形跡がないところから自殺ではないかと当局は見ているが、松川氏は違法金融を行っていた疑いが持ち上がっており、それらの関連の調べを進めている〉
〈日本代表選手、人気アイドルと交際発覚?!
 先日、日本代表に選抜された柳田選手が、テレビドラマ・二人の距離に出演中の……〉
 男の仕事関係の記事が裏に小さく載っている。
 ちょうどベビーフェイスから見える位置だ。
 少し前に彼が行った仕事の後の話だ。
 松川は暴力団組織の組員だったが、十桁の金額を損失したことによって、責任を取らされたようだ。
 勢力争いも関係しているのかもしれないが、確定する必要もない。
 自分たちが所属している組織は特定しているかもしれないが、自分たちにとってはもう関係のなくなった話だ。
 ベビーフェイスは珈琲を一口すすり、書類封筒をテーブルに置いた。
「書類をどうぞ。次の仕事が入りました」
 男はそこでようやく新聞から顔を上げて、ベビーフェイスに視線を向けた。
 その瞬間がベビーフェイスにはどうしても慣れない。
 印象のない男で、特に恫喝も睨んでいるわけでもないのに、相対していると、静かな沈黙と底冷えするような視線から、威圧されるような異様な雰囲気を感じるのだ。
 本人が意図したのではなく、そもそも意識してできるようなことでもないのだろうが、なぜかそう感じる。
 本能的に相手の強さを感知しているためかもしれない。
 そう、単純に戦って自分が勝てる相手ではない。
 そもそも、彼が勝てる人間がいるのかどうかも怪しい。
 そして職業柄、彼を倒す方法を考え続けているが、いまだに思いつかない。
 組織最強の男に、ベビーフェイスは畏敬の念を持っている。
 男は沈黙したまま、テーブルの書類を手にし、中身を取り出した。
 一般的に使われる書類封筒の中身も、普通の事務的な書類のようだったが、携帯電話が一つ入っていた。
 男は書類に目を通し、すべてその場で暗記し、携帯電話だけをポケットに入れて、書類を返し、了承の意をベビーフェイスに伝えると、立ち去って仕事に取り掛かる。
 いつもならばそうなるはずだが、今回だけは男は必ず質問をしてくると予想していた。
 そしてベビーフェイスの予想は正しかった。
「一つ質問だが、これは私を試しているのか?」
「いいえ」
 この男でも疑問というものが発露されるのだと、普通の人間と同じ感情があることを知って、安堵に似た気持ちをベビーフェイスは感じた。
「あなたにそんな必要はないと思います。僕の私見ですが、組織でも似たような見解だと考えて差し支えないと思いますよ」
「ロートルなので再試験ということも考えられるが」
「まだまだ現役ですよ。少なくとも、あと十年は」
 それから先はわからないが、それは男も理解していることだろう。
 ふと、余計なことまで口走ったのではないかと、男の機嫌を損ねた可能性に微かに慄然としたが、男はベビーフェイスに関心を持たずに書類に集中している。
 書類内容を吟味しているのか、あるいは真実なのか正否を判断しようとしているのかもしれない。
 しばらくして男は書類を封筒に戻し、ベビーフェイスに返した。
「わかった。仕事に入る」
 そして連絡用の携帯電話だけを持って、ファミリーレストランを出た。
 質問内容が少ないことに、ベビーフェイスはなぜか残念に思ったが、しかし彼が必要以上に言葉を話さないのはいつものことなので気にしないことにした。
 ベビーフェイスは書類を取り出し一読した。本来ならばすぐに焼却処分しなければならないのだが、今回だけは彼自身興味があった。
〈業務内容。護送。
 詳細。pm11:00。金坂大学研究員、浜崎《はまさき》純也《じゅんや》の案内にて金坂大学第三研究所内に侵入。
 被験者№57・南条《なんじょう》彩香《さやか》。
 №58・春日《かすが》歩《あゆむ》。
 両名を確保の後、金坂大学第三研究所を脱出。秦港まで護送し、秦港第十倉庫にて交代要員と合流。
 am06:00出航貨物船に護送対象者を乗船させること。
 付随。金坂大学第三研究所にて非合法の人体実験が行われている模様。
 研究内容。人間の潜在能力の発現、並びに制御、成長、発展。
 目的、戦闘における有効能力保有者の生産技術の確立。
 被験者の五名が実戦、並びに戦闘実験段階に投入されている。
 なお、潜在能力発現とその能力の保有者は、いわゆる超能力、並びに超能力者であることを記しておく。
 個人能力。№13……〉
 その後も詳細計画や大学の図面、秦港への地図など色々続いているが、ベビーフェイスはあまり読まなかった。
 重要なのは、一箇所だけだ。
〈いわゆる超能力、並びに超能力者であることを記しておく〉
 この情報源《ソース》は依頼者、もしくは金坂大学研究所員の浜崎純也という人物、あるいは両者は同一人物である可能性もあるが、少なくともこの二つの選択肢に絞られるだろう。
 しかし、それを組織は信じたのだろうか。
 それとも金は支払われたので、依頼者の要求に従って動いているだけなのか。だが、裏は取っただろうし、組織の中でも最強と呼ばれる、あの男を実行者として選択したのだ。
 だから真実かもしれない。
 そして、一番の気がかりだが、これらが真実だとして、あの男は任務を遂行できるのだろうか。
 組織で最強と称される一人だが、彼は超能力者ではない。
 普通の人間だ。
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