悪役令嬢は腐女子である

神泉灯

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161・青春ダイナマイト

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「セルニア、大丈夫か?」
 そう声をかけながら、側まで行くと、セルニアは顔を上げた。
「自信をなくしてしまいましたわ。演劇は初めてですが、まさかここまで才能がないとは」
「まあ、失敗しても別に何かあるわけじゃないんだ。一旦 深呼吸して落ち着こう」
「はい」
「まあ、とりあえず、俺もやることになったから、遊びだと思ってやってみよう」
「ええ、そうですね」
 そこで岩永先生が両手を胸の前で可愛らしく言ってくる。
「はーい、それじゃぁ、二人ともそろそろ準備は良いかしらぁ」
「はい」
「大丈夫です」
「うん、よーし、じゃあじゃあ、次は気分を一新する意味で、違った題目のをやってみましょうねぇーん」
 そう言って岩永先生が箱に手を入れる。
 出てきたのは、
「はい、これねぇ。ええと、遊園地での初デートを終えたばっかりの初々しいカップル。観覧車から降りたばかりの女の子が、別れ際に思いを抑えきれずに、ベンチから立った瞬間につい男の子の服の裾を掴んじゃうシーン、だって。
 うふ、いいじゃない、青春ぽくって」
「え?」
「あ……」
 俺とセルニアが同時に声を上げる。
「どぉしたのぉ?」
「いえ、何でもありませんわ」
 不思議そうな顔をしてくる岩永先生に、セルニアは慌てて首を振った。
 いや、なんか狙ってるんじゃないかと疑うようなカードだった。
 この前のアミューズメントパークにデジャブを覚えるシチュエーション。
「はい、それじゃあ、始めましょうかぁ。スタートは麗華ちゃんたちに任せるから、好きなタイミングでやってくれていいわよぉーん」
 岩永先生が楽しげに言う。


 そして二人でのエチュードが始まった物の、
「……」
「……」
 なんか、沈黙していた。
 ここ最近、オーディションだなんだでゴタゴタしていたから忘れ気味だったというか、棚上げ状態だったんだけど、俺達はついこの前に、デートしたばかりだ。
 その時の余韻がまだ残っているような、この狙い澄ましたかのような題目でリフレインさせられたというか。
 それはセルニアも同じなのか、
「あ、え、ええと……」
 頬を赤らめながら、戸惑ったように顔を逸らす。
「あ、あーっと……」
「えと、その……」
 声は出るけど、その後の言葉が続かない状態。
 ベンチの代わりに用意されたパイプイスの脇で、二人揃って顔を見合わせていると、
「ほら、ちょっと二人とも、なにしてるのぉーん? タイミングは任せるって言ったけど、あんまり遅いのは男女関係で色々世の中、損するわよぉ」
 さすがに待ちきれなくなったのか、岩永先生がそう急かしてくる。
 なんか、人前でやるのに微妙な抵抗感がある。
 セルニアが、なんで演劇の才能がないのか、理解できたような気がする。
 とにかく、やってみよう。
「あー、セルニア……」
「あの……」
 セルニアは顔を上げて、
「わたくし、今日はまだお別れしたくありませんわ。もう少しだけ、貴方に触れていたいのです」
「セルニア……」
「いけないでしょうか? わがままなお願いだと言うことは分かっていますが、でも……」
 そっと制服の裾を握りながら、真っ直ぐにこっちを見てくる。
 セルニアのほうから即興劇が始まった。
 俺が相手で、少しやりやすくなったのかな。
「いや、ダメって事はないよ。むしろ嬉しい」
「ほんとうですか?」
「ああ、ほんとうだ」
「うふふ、嬉しいですわ」
 そう言ってじっとこっちを見てくるセルニアの顔は、これ以上ないくらい愛らしい物だった。
 思わずそのまま力いっぱい抱き締めて頬擦りしたくなるような……
 いかん! 落ち着け!
 これはあくまで演技だ。
 エチュードの一環でリアルにそういうシチュエーションに遭遇しているわけじゃない。
 おかしな勘違いは色々と余計な事態を招くだけ。
 ここは冷静に、冷静に。
「貴方が側にいてくださると、それだけで安心できますわ。まるで寒い冬の夜に、日中太陽で干した布団に包まれているような……」
 ……
「だから、ついつい甘えてしまいたくなりますの」
 胸に直接染み入ってくる科白。
 真に迫った、というか、まるで普段のセルニアが素でそういった行動をしてくるかのように、俺の顔を見上げてくる。
「貴方の胸、とても温かいです」
 これ、ホントに演技なの?
 ふわりと鼻元をくすぐるいつものセルニアの香り。
 少しだけ上気した頬。
 どこか潤んだように見える瞳。
 その全てが、すさまじいまでの攻撃力を持っている。
 まずい、このままだと理性が……
 しかし俺の青春ダイナマイトな葛藤など知らずに、脇では岩永先生たちが、
「すごい、さっきとは見間違えたわぁ。想いのこもった科白。自然に甘える動作、一時の別れすら惜しむ女の子の微妙な表情。全てが絶妙よ。
 それにあの安心しきった笑顔は何なのかしら。ボイトレの時も、ピアノを弾いているときでさえ、あそこまで素敵な表情じゃなかったのに」
「そうなのよね。やっぱり彼が近くにいれば、吉祥院さんは何でもできるのよね。それ自体は喜ぶべき事なんだけど、ちょっと複雑な気分」
 などと言っていたが、そんなもんは俺にとってはどうでもよかった。
 俺の意識は全身全霊、おはようからお休みまで余すところなく、目の前で見つめるセルニアに注がれていた。
「わたくし、貴方のことが……」
 そう小さく声を上げると、何かの決意をしたかのように、セルニアは身を寄せてきて、全身を預けてくる。
 思わずビクンと体を動かしちまった。
 これはなんだ?
 エチュードの一環だとは分かってるけど、その中でもこの行為が意味するところは……
「あ、ごめんなさい。貴方の顔を見ていたら、こうしたくなってしまって。いけなかったでしょうか?」
「いや、そんなことない」
 天地がひっくり返ってもあるはずない。
 するとセルニアは胸を撫で下ろしたような顔になって、
「そうですか。よかったですわ。ホントはずっと前からこうしたくて」
 セルニアはこういうことを以前から積極的にやりたかったって事なのか?
「それが今日、叶いましたわ。だから嬉しくて。うふふ」
 セルニアはさらに甘えるようにして顔を埋めてきた。
 どこまでも安心しきった仔犬のような表情。
 その魅力は、一日の限界摂取量をとうにこえ、致死量に達しているレベルだった。
 そして、次の瞬間セルニアは、そっと目を閉じた。
 こ、これは!?
 前回 湖瑠璃ちゃんから吹き込まれた、お兄さまと二人きりになったときに、目を瞑ると良いことがありますよ、をまた実践しているのか?
 それとも何か違うことを吹き込まれたのか、あるいはエチュードのことで何かの意図があるのか。
 ふっ。
 愚問だった。
 俺はなんて頭が弱いんだろう。
 このセルニアの淡い桜色の唇は、ミツバチを誘う花の蜜の如く、俺の視線と意識を引き付けまくっている。
 この意味することは唯一つ。
 オッケーのサイン。
 人前だとか人の視線だとか気にしてはいけない。
 ここでアクションを起こさないのは、日本男児ではない。
 そう、忘れている人も大勢いるだろうけど、俺は転生者。
 前世の記憶を持つ男。
 その二つの人生において一度としてキスをしたことがない。
 ならばやるべき事は一つ。
 行くぞ!
 前世、今世を合わせて初めてのファーストキスを!


 俺は、目を閉じるセルニアの肩を両手で掴んだ。
 ぴくん、と僅かにだけその華奢な体が震える。
 だが、振り払おうとする動きだとか嫌がる素振りだとかは見せない。
「セルニア……」
 俺は顔をセルニアに向けて動かそうとした。


「すみません! 遅れちゃいましたっ!」
「「!」」
 レッスン室に誰かの声が響き渡った。
 慌てて俺もセルニアも、電磁石が反発したかのように、ばっと離れる。
「ごめんなさいっ! 遅れてしまってっ」
「あら、美海ちゃんじゃなぁーい」
 見てみると、ドアの所にいたのは、俺達と同じか少ししたくらいの感じの女子だった。
 どこかの高校の制服姿で、困ったようにオロオロと辺りを見渡している。
「どうしたの、そんなに慌ててぇ。なにか忘れ物でもしたぁ」
「え、その、忘れ物というか、レッスンが」
「レッスン? 今日はあなたのレッスン日じゃないわよぉーん」
「え?」
 その言葉に女子が驚いたような顔になる。
「あなたのレッスンは明日でしょう? 一昨日 言ったじゃない、今日は臨時で特別レッスンが入るかもしれないから延期にするって」
「あ……」
 どうやらここの事務所の練習生らしい。
 そして、レッスンの曜日を間違えて今日ここにやって来たと。
 女子は慌てたようにわたわたと俺達の方を見渡すと、。
「あ、すみませんでしたっ! 私、すっかり勘違いしてて。し、失礼します!」
 ぺこんと頭を下げると、逃げるように出ていった。


「「……」」
「あ、二人ともゴメンねぇー。良いところで中断させちゃってぇ。さ、続けてくれていいわよぉーん」
 いや、そんなこと言われても。
 セルニアも顔を真っ赤にしてモジモジしているし、なんかもうキスできる雰囲気じゃないんですけど。
 すると、岩永先生は首を傾げて、
「あらぁーん、もうお終いなの? もうちょっとだけ二人の甘酸っぱいスィートタイムを見ていたかったような気もするんだけどぉ。でもいいわぁー。今のだけでも、ス・テ・キなシーンが見れたから。うふ」
 意味ありげに笑う。
「……」
 セルニアは顔を真っ赤にしたまま。
 まあ、お終いにせざるを得ない。
 しくしく。
 なんで、いつも良いところで邪魔が入るんだよ……
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