悪役令嬢は腐女子である

神泉灯

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156・ベーゼルドルファー

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「それじゃあ 吉祥院さん、その、いきなりで悪いんだけど、もしこれから時間があったら、さっそく研修を受けていかないかしら?」
 と、水原さんが おもむろに そんなことを切り出してきた。
「え? 今からですの?」
「あ、もちろん吉祥院さんの都合が良ければで良いんです。でも、ほら、オーディション本番まで もう あんまり日にちがないし、幾ら人数合わせとはいっても、吉祥院さんに恥をかかせるわけにはいかないし。受けられるのなら、早めに少しずつでも受けてくれると嬉しいかなって……」
 さっき言っていた五回ほどの事前研修ってやつか。
 確かに本番が十日後で、それまで最大五回の研修ってのなら、あまり時間は無いかもしれないな。
 その申し出にセルニアはうなずいた。
「はい、わたくしは大丈夫ですわ。でも……」
 ちらりと こちらを窺うように見てくる。
 一人だと不安だと感じているらしい。
 まあ、俺の予定と言えば、自炊もできない自堕落なくせに なぜかやり手秘書の姉の玲と、最近うちに入り浸っている上永先生に飯を作ってやるくらいだからな。
 まったく支障は無い。
「俺も平気だ。セルニアの都合が悪くないなら、俺も付き合うよ」
「そうですか。よかった」
 ほっとしたような表情でセルニアは、水原さんの方へ向き直って、
「では、お願いしますわ」
「ホント? ありがとう! はあ、さっそくレッスン室へ案内するわね。二人とも、こっちに来てくれるかしら」
「はい」
「わかりました」
 先導する水原さんの後について、俺達は歩き出す。


 事務所が入っているビルの中は、どこも整然としていた。
 お洒落な感じのインテリアで まとめられた、フロア内では、あちこちでモデルっぽい人や、アーティストっぽい人たちの姿が目に入ってくる。
 いかにもそう言った芸能事務所という雰囲気だった。
「あ、ここのビルはね、一階から五階まで、全部うちの事務所のフロアになっているの」
 水原さんがそう説明してきてくれる。
「それぞれに階ごとにセクションが分かれていて、一階が受付とか細かい手続きとかのフロア。二階が声優さんとかのナレーション関係のフロア。それで、今から私たちが向かう三階が、主にレッスン室とかスタジオとかのフロアになってる感じね」
「まあ、声優さんですの」
「あら、興味あるの?」
「ええ、少し。わたくしもアニメは少しは視聴していますので。やはり流行は押さえておかねば」
 そんなことを話しながら進んで行く。
 観葉植物などが置かれた広めの廊下を通り抜け、エレベーターで上へと上り三階へ。
「はい、着いたわ。ここがレッスン室よ」
「まあ……」
「おお……」
 俺達が通されたのは、テレビで見るレッスン室をそのまま再現したような部屋だった。
 ちょっとしたホールくらいの広さで、おそらく自分の演技とかを確認するためなのだろう、壁には一面に鏡が張られている。
 さらに部屋の奥の部分には、伴奏などに使われるのか、黒光りする大きなグランドピアノが置かれていた。
「まあ、素敵なピアノですわ」
 セルニアは、それを見て目を輝かせた。
「これはベーゼルドルファーのインペルアルモデルですわね。おそらくはオーストリアから直輸入されたものでしょう」
「え? あ、そうね。多分そうだと思うわ」
「やはり、すごいですわ」
 欲しかったオモチャを前にした子供みたいな目で弾んだ声を上げる。
 セルニアはピアノが本当に好きなんだな。
「あ、よかったらなにか弾いてみる?」
 そんなセルニアを見て、水原さんがそう言ってきた。
「え? よろしいのですか」
「もちろんよ。まだ講師の先生は来ていないし、吉祥院さんなら全然オッケー。思いっ切り弾いちゃってちょうだい」
 その申し出に、セルニアは顔を輝かせた。
「ありがとうございます。でしたら……」
 ぺこりと頭を下げてピアノの前の椅子に座った。
 一瞬の静寂。
 そして鍵盤に手を載せると、一度深呼吸した後に、指を動かし始めた。
 同時にゆっくりとした旋律が流れ始める。
 辺り一面を包み込むような耳心地の良い演奏。
 一瞬にして部屋の中を空気がガラリと違うものになるのがわかった。
 曲名はわからないけど、その透明な音色の質は、音楽センスが皆無の俺が聞いても、即座に違いがわかる。
 やはりセルニアのピアノは超一流だ。
「やっぱりスゴいは、吉祥院さん。こんなに上品で綺麗で、さらにこんなにピアノが弾けるなんて。
 うん、私の眼に狂いはなかったって事ね」
 隣で、水原さんがそんなことを呟いていた。
 その後も、何曲か引いたセルニアは、演奏を終えると、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございました」
 自然とその場にいた全員から拍手が巻き起こる。
 そして俺の背後から不意に、
「あらぁーん、ずいぶんとエレガントな演奏だったじゃなぁーい」
 そんな声が響いた。
 トーン高めのハスキーな声。
 同時に俺の耳にふぅーと生温かい吐息がかけられた。
「おわぁふっ!?」
 思わず変な声が出ちまった。
 今のは何だ!?
 驚きと共に振り返ってみると、
「はぁーい、睦月。お・ま・た・せ」
 そこにいたのは……


 続く……
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