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一章
111・なにもできなかった
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商店街大通りを抜けて住宅街に入ると、そこにも多くの餓鬼がいた。
道は餓鬼で溢れており、人間を食い漁っている。
ここを正面から抜けるのは無理だ。
私は屋根を見上げる。
住宅は密接して建てられている。
なら屋根伝いに移動できるだろう。
私たちは一軒家に入ると、台所で誰かが騒いでいた。
「止めるんだ! 食い物ならそこにあるだろ! ほら! 母さんが作ってくれた美味い飯だ!」
「そうよ! 足りないならもっと作ってあげるから!」
若い夫婦が幼い子供を取り押さえようとしている。
「ギミャアアア!」
だけど、子供は滅茶苦茶に暴れて、両親を食べようと歯を剥き出しにしている。
「今 助けます!」
私たちは子供を取り押さえるのに加わる。
「縄はありますか! あれば持って来てください!」
そして子供を縄で縛り上げる。
「しばらくこうして置いてください。事態が収束するまでなにも食べさせないで。あと、家の出入り口も窓も、家具などで塞いで、あいつらが入れないようにしてください」
「わ、わかった」
「屋根に上がれる所はありますか?」
「屋根裏の天窓から上がれるが」
「ありがとうございます」
私たちは屋根の上へ。
屋根の上から見ると、事態は暴動よりも酷いことが分かる。
多くの人々が逃げまどい、それ以上の数の餓鬼が人肉を貪る。
ここまで広がってしまっては、もう餓鬼魂を見つけることなんて……
「おい、クレア。剣が……」
ラーズさまが、私が手にしている業炎の剣ピュリファイアを指した。
見ると朧な炎を纏っている。
「これは?」
その炎は、風の流れを無視して、特定の方向に靡いていた。
「もしかして、餓鬼魂のいる方向を教えてくれているの?」
餓鬼魂を倒せるのは、破滅の剣ベルゼブブと業炎の剣ピュリファイアだけだと、ミサキチは言っていた。
その剣の力が餓鬼魂のいる場所に反応しているのだとしたら。
「みなさん。炎の指し示す方角へ向かいましょう」
炎の導きに従って、私たちは移動し、やがて倉庫街へ到着した。
人間も餓鬼の姿もない。
でも、剣の炎はさらに強くなっていた。
そして私たちは一つの倉庫の前にきた。
業炎の剣ピュリファイアの炎が強く反応している。
「ここに、餓鬼魂がいる」
私たちは警戒して、倉庫の鎧戸を開ける。
「えいっ……えいっ……」
中に男の子がいる。
お守りの販売所にいたあの男の子、マティだ。
「えいっ……えいっ……」
マティは自分で自分の胸に包丁を何度も突き刺していた。
「なにをしているの!? やめなさい!」
私は声を上げて、マティへ駆け寄ろうとした。
だけど、マティはそれを制止する。
「ダメ! 僕に近寄らないで! お姉さんたちまで怪物になっちゃう!」
私はその言葉に足を止めた。
「僕に近付いちゃダメだよー。僕に近付いた人は、みんな怪物になっちゃうんだー。お姉さんたち、ここに来るまでに見たでしょー。人間が人間を食べてるのをー」
この子、餓鬼魂に支配されているわけじゃない。
ちゃんと自分の意思を保っている。
「あなた、あれが自分に原因があると思っているのですか?」
「うん。いくらなんでも気付くよー。みんなが、僕に近付いた人たちが、みんなおかしくなるんだー。みんな人を食べ始めて、お腹があんなに膨れ上がってもまだ食べ続けて。
始めはなにがなんだか分からなかった。怖くて逃げ回ってたんだー。でも気付いたんだー。あの鳥居から出てきたものが僕の中にいるって。こいつは僕の中にいて、みんなをあんな怪物に変えてるんだーって。
だから、こいつを殺そうとしてるんだー。でも死なないんだー。何度もやってるのに、僕もこいつも死なないんだー。ほら、見てよー」
マティは自分の腹に包丁を刺した。
その刺し傷が、見る見るうちに治っていく。
「ねえー、どうしよう? どうすればいいのかなー? どうすればこいつを殺すことができるのかなー?」
わからない。
業炎の剣ピュリファイアなら餓鬼魂を倒せる。
きっとマティごと業炎の剣ピュリファイアで刺せば。
でも、そんなことをしたら、憑かれているマティまで死んでしまう。
だから、マティから餓鬼魂を引き剥がさないと。
でも、どうやって?
突然マティの体から、黄と紫の斑模様の瘴気の様な物が朧に立ち上り始めた
「逃げて! こいつがまたやろうとしてる! お姉さんたちを怪物にしようとしてるんだ!」
私たちまで餓鬼に変えようとしている。
飢餓感で理性を失い、人肉を内臓が破裂しても食べ続ける餓鬼に。
私まであんなふうに。
その事に恐怖を感じて後退ってしまった。
黄と紫の瘴気が私たちへ向かって来る。
いったん退避しないと。
このままじゃ私たちまで!
業炎の剣ピュリファイアから立ち昇る炎が激しい焔となり、瘴気を焼き払った。
「え?!」
剣が餓鬼魂の力を焼いた。
助かったの?
マティが私の持つ剣を見つめている。
「その剣を……怖がってる……僕の中のものが、その剣を怖がってる……」
マティは私へ向かって走ってきた。
「なにを!?」
マティは私の持つ業炎の剣ピュリファイアの刃を素手で掴む。
「まさか!? やめて!」
マティはやめなかった。
自分から自分の胸に業炎の剣ピュリファイアを刺した。
「マティ……なんてことを……」
マティは天真爛漫と言った無邪気な笑顔。
「えへへー。これでもう大丈夫」
そしてマティの体が燃え上がった。
「マティ!」
私は膝をついてマティの体が燃え尽きるのを見ているしかなかった。
同時に、マティの中にいた餓鬼魂が消滅したのだと、業炎の剣ピュリファイアの反応から分かった。
マティは被害をこれ以上拡大させないために、自分の命を顧みずに餓鬼魂を滅ぼした。
気高い自己犠牲の精神。
そんなマティの灰塵と化した遺体が、風に吹かれて消えて行くのを、私たちはただ見ていることしかできなかった。
私たちは結局、なにもできなかった。
私たちが街に戻ると、多くの人が死んでいた。
死んでいるのは、餓鬼に食べられた人たちだけじゃなかった。
餓鬼たちも死んでいた。
それも、内臓が破裂するまで食べ続け、明らかに手遅れだと分かっていた餓鬼だけではなかった。
酷い惨状の街を進んでいると、住宅街で屋根に上がる時に入った家の母親が、どこかおぼつかない足取りで道を歩いていた。
彼女は私たちに気付く。
「……あ……あなたたち。よかった……無事だったのね」
「ええ。貴女は大丈夫ですか」
「私は大丈夫。あなたたちのおかげで助かったわ。でも……でも……あああ!」
彼女は号泣しはじめた。
「あの子が死んじゃったのお!」
死んだ?
私はその言葉に愕然とする。
「そんな……どうして?」
「わからないわ。凶暴になった人たちが急に死んでいって、そうしたら……そうしたら……あの子まで! あの子まで死んでしまったのお!
ああぁあ! どうして?! どうしてこんなことに?! あの子はなにも食べなかったのに! あんな風になってからなにも食べさせなかったのに!」
死んだのはもう手遅れの餓鬼だけじゃない?
餓鬼になった人は全て死んだ?
私たちはそれを確かめるために餓鬼魂神社に戻った。
神社で縛り付けて置いた、名前が分からないままの女性の所へ行き、確認するために。
そして彼女も死んでいた。
「……餓鬼魂を倒せば……餓鬼も一緒に死ぬ……餓鬼になった人はみんな……」
私は呆然と、死んでいる女性を見ているしかなかった。
その後、カノイ皇国軍が本格的に救助に出動し、事態は沈静化していった。
被害者の数はまだ分かっていない。
私たちは、餓鬼魂の封印が解かれていたという報告を、冒険者組合カノイ皇国支部に出した。
破滅の剣ベルゼブブを旅装束の若い女が抜いたという、名前の分からないままの女性の言葉と一緒に。
そのことは冒険者組合からカノイ皇国に伝えられ、皇国は剣を抜いた若い女の行方を追っている。
冒険者組合にも依頼が出され、剣の特徴と一緒に、指名手配された。
だが、手掛かりとなる特徴が少ないので、見つけるのは不可能に近いだろうと、支部長は言っていた。
餓鬼魂の惨劇から三日後、ムドゥマさまから鍛冶屋に来てほしいと連絡がきた。
行ってみると、ムドゥマさまは沈痛な面持ちだった。
「すまねえが、剣は打てなくなった」
理由を聞くと、弟子が二人、餓鬼に成り、そしてその二人に他の弟子が一人、犠牲になったのだと言う。
三人とも、もうすぐ独り立ちできるほどの腕を持っており、神金の剣を打つのに助手をさせるつもりだったそうだ。
その三人がいなくなっては、もう剣を打つことはできない。
他の鍛冶師に手伝いを頼むこともできない。
剣を打つには阿吽の呼吸が絶対に必要で、いくら腕の良い鍛冶師でも、これだけは長年一緒に働かないと不可能だそうだ。
「残ってるやつらは未熟者でな。あいつらのようになるまで何年かかるか。
ったく。あいつらを育て上げるのに、どれだけ時間をかけて苦労したことか。あいつらには才能があった。まだ若くて将来もあった。これからって時だったんだ。それなのによぉ……」
涙こそ流さなかったムドゥマさまだが、その声には悲しみが滲んでいた。
「……申し訳ありません」
私がミサキチの話を聞いていれば、なんとかなったかもしれないのだ。
ムドゥマさまは私が謝ったことを当然理解できずに、
「あ? ああ、すまねえ。あんたたちを責めてるみたいになっちまったな。
謝るのは俺の方だ。せっかく来てくれたのに、剣を打てなくなっちまったんだから。
それにしても、いったい何が起きたってんだ? 魔王が復活したとかっていう話を聞いたが、そいつの仕業か?」
その可能性は私も考えた。
魔王バルザックがカノイ皇国を混乱させるために、破滅の剣ベルゼブブを抜き、餓鬼魂を解放したのではないかと。
だけど、バルザックの目的は、一応は人間を滅ぼすことではなく、人間を支配すること。
惨事がどこまで広がるか分からない餓鬼魂を使うとは思えない。
それに餓鬼魂は食べられる物はなんでも食べる。
好んで人間を餌食にするが、その人間を食い尽くせば、次はほかの生き物へ標的を変える。
つまり、魔物も。
魔物を救うことを目的としている彼女が、魔物にまで危険が及ぶことをするだろうか。
魔王バルザックの仕業である可能性が全くないわけではないけれど、とても低いと思う。
「破滅の剣ベルゼブブを抜いたのはいったい誰なの?」
私は疑問を呟いた。
答えられる人は誰もいないと分かっていたけれど。
道は餓鬼で溢れており、人間を食い漁っている。
ここを正面から抜けるのは無理だ。
私は屋根を見上げる。
住宅は密接して建てられている。
なら屋根伝いに移動できるだろう。
私たちは一軒家に入ると、台所で誰かが騒いでいた。
「止めるんだ! 食い物ならそこにあるだろ! ほら! 母さんが作ってくれた美味い飯だ!」
「そうよ! 足りないならもっと作ってあげるから!」
若い夫婦が幼い子供を取り押さえようとしている。
「ギミャアアア!」
だけど、子供は滅茶苦茶に暴れて、両親を食べようと歯を剥き出しにしている。
「今 助けます!」
私たちは子供を取り押さえるのに加わる。
「縄はありますか! あれば持って来てください!」
そして子供を縄で縛り上げる。
「しばらくこうして置いてください。事態が収束するまでなにも食べさせないで。あと、家の出入り口も窓も、家具などで塞いで、あいつらが入れないようにしてください」
「わ、わかった」
「屋根に上がれる所はありますか?」
「屋根裏の天窓から上がれるが」
「ありがとうございます」
私たちは屋根の上へ。
屋根の上から見ると、事態は暴動よりも酷いことが分かる。
多くの人々が逃げまどい、それ以上の数の餓鬼が人肉を貪る。
ここまで広がってしまっては、もう餓鬼魂を見つけることなんて……
「おい、クレア。剣が……」
ラーズさまが、私が手にしている業炎の剣ピュリファイアを指した。
見ると朧な炎を纏っている。
「これは?」
その炎は、風の流れを無視して、特定の方向に靡いていた。
「もしかして、餓鬼魂のいる方向を教えてくれているの?」
餓鬼魂を倒せるのは、破滅の剣ベルゼブブと業炎の剣ピュリファイアだけだと、ミサキチは言っていた。
その剣の力が餓鬼魂のいる場所に反応しているのだとしたら。
「みなさん。炎の指し示す方角へ向かいましょう」
炎の導きに従って、私たちは移動し、やがて倉庫街へ到着した。
人間も餓鬼の姿もない。
でも、剣の炎はさらに強くなっていた。
そして私たちは一つの倉庫の前にきた。
業炎の剣ピュリファイアの炎が強く反応している。
「ここに、餓鬼魂がいる」
私たちは警戒して、倉庫の鎧戸を開ける。
「えいっ……えいっ……」
中に男の子がいる。
お守りの販売所にいたあの男の子、マティだ。
「えいっ……えいっ……」
マティは自分で自分の胸に包丁を何度も突き刺していた。
「なにをしているの!? やめなさい!」
私は声を上げて、マティへ駆け寄ろうとした。
だけど、マティはそれを制止する。
「ダメ! 僕に近寄らないで! お姉さんたちまで怪物になっちゃう!」
私はその言葉に足を止めた。
「僕に近付いちゃダメだよー。僕に近付いた人は、みんな怪物になっちゃうんだー。お姉さんたち、ここに来るまでに見たでしょー。人間が人間を食べてるのをー」
この子、餓鬼魂に支配されているわけじゃない。
ちゃんと自分の意思を保っている。
「あなた、あれが自分に原因があると思っているのですか?」
「うん。いくらなんでも気付くよー。みんなが、僕に近付いた人たちが、みんなおかしくなるんだー。みんな人を食べ始めて、お腹があんなに膨れ上がってもまだ食べ続けて。
始めはなにがなんだか分からなかった。怖くて逃げ回ってたんだー。でも気付いたんだー。あの鳥居から出てきたものが僕の中にいるって。こいつは僕の中にいて、みんなをあんな怪物に変えてるんだーって。
だから、こいつを殺そうとしてるんだー。でも死なないんだー。何度もやってるのに、僕もこいつも死なないんだー。ほら、見てよー」
マティは自分の腹に包丁を刺した。
その刺し傷が、見る見るうちに治っていく。
「ねえー、どうしよう? どうすればいいのかなー? どうすればこいつを殺すことができるのかなー?」
わからない。
業炎の剣ピュリファイアなら餓鬼魂を倒せる。
きっとマティごと業炎の剣ピュリファイアで刺せば。
でも、そんなことをしたら、憑かれているマティまで死んでしまう。
だから、マティから餓鬼魂を引き剥がさないと。
でも、どうやって?
突然マティの体から、黄と紫の斑模様の瘴気の様な物が朧に立ち上り始めた
「逃げて! こいつがまたやろうとしてる! お姉さんたちを怪物にしようとしてるんだ!」
私たちまで餓鬼に変えようとしている。
飢餓感で理性を失い、人肉を内臓が破裂しても食べ続ける餓鬼に。
私まであんなふうに。
その事に恐怖を感じて後退ってしまった。
黄と紫の瘴気が私たちへ向かって来る。
いったん退避しないと。
このままじゃ私たちまで!
業炎の剣ピュリファイアから立ち昇る炎が激しい焔となり、瘴気を焼き払った。
「え?!」
剣が餓鬼魂の力を焼いた。
助かったの?
マティが私の持つ剣を見つめている。
「その剣を……怖がってる……僕の中のものが、その剣を怖がってる……」
マティは私へ向かって走ってきた。
「なにを!?」
マティは私の持つ業炎の剣ピュリファイアの刃を素手で掴む。
「まさか!? やめて!」
マティはやめなかった。
自分から自分の胸に業炎の剣ピュリファイアを刺した。
「マティ……なんてことを……」
マティは天真爛漫と言った無邪気な笑顔。
「えへへー。これでもう大丈夫」
そしてマティの体が燃え上がった。
「マティ!」
私は膝をついてマティの体が燃え尽きるのを見ているしかなかった。
同時に、マティの中にいた餓鬼魂が消滅したのだと、業炎の剣ピュリファイアの反応から分かった。
マティは被害をこれ以上拡大させないために、自分の命を顧みずに餓鬼魂を滅ぼした。
気高い自己犠牲の精神。
そんなマティの灰塵と化した遺体が、風に吹かれて消えて行くのを、私たちはただ見ていることしかできなかった。
私たちは結局、なにもできなかった。
私たちが街に戻ると、多くの人が死んでいた。
死んでいるのは、餓鬼に食べられた人たちだけじゃなかった。
餓鬼たちも死んでいた。
それも、内臓が破裂するまで食べ続け、明らかに手遅れだと分かっていた餓鬼だけではなかった。
酷い惨状の街を進んでいると、住宅街で屋根に上がる時に入った家の母親が、どこかおぼつかない足取りで道を歩いていた。
彼女は私たちに気付く。
「……あ……あなたたち。よかった……無事だったのね」
「ええ。貴女は大丈夫ですか」
「私は大丈夫。あなたたちのおかげで助かったわ。でも……でも……あああ!」
彼女は号泣しはじめた。
「あの子が死んじゃったのお!」
死んだ?
私はその言葉に愕然とする。
「そんな……どうして?」
「わからないわ。凶暴になった人たちが急に死んでいって、そうしたら……そうしたら……あの子まで! あの子まで死んでしまったのお!
ああぁあ! どうして?! どうしてこんなことに?! あの子はなにも食べなかったのに! あんな風になってからなにも食べさせなかったのに!」
死んだのはもう手遅れの餓鬼だけじゃない?
餓鬼になった人は全て死んだ?
私たちはそれを確かめるために餓鬼魂神社に戻った。
神社で縛り付けて置いた、名前が分からないままの女性の所へ行き、確認するために。
そして彼女も死んでいた。
「……餓鬼魂を倒せば……餓鬼も一緒に死ぬ……餓鬼になった人はみんな……」
私は呆然と、死んでいる女性を見ているしかなかった。
その後、カノイ皇国軍が本格的に救助に出動し、事態は沈静化していった。
被害者の数はまだ分かっていない。
私たちは、餓鬼魂の封印が解かれていたという報告を、冒険者組合カノイ皇国支部に出した。
破滅の剣ベルゼブブを旅装束の若い女が抜いたという、名前の分からないままの女性の言葉と一緒に。
そのことは冒険者組合からカノイ皇国に伝えられ、皇国は剣を抜いた若い女の行方を追っている。
冒険者組合にも依頼が出され、剣の特徴と一緒に、指名手配された。
だが、手掛かりとなる特徴が少ないので、見つけるのは不可能に近いだろうと、支部長は言っていた。
餓鬼魂の惨劇から三日後、ムドゥマさまから鍛冶屋に来てほしいと連絡がきた。
行ってみると、ムドゥマさまは沈痛な面持ちだった。
「すまねえが、剣は打てなくなった」
理由を聞くと、弟子が二人、餓鬼に成り、そしてその二人に他の弟子が一人、犠牲になったのだと言う。
三人とも、もうすぐ独り立ちできるほどの腕を持っており、神金の剣を打つのに助手をさせるつもりだったそうだ。
その三人がいなくなっては、もう剣を打つことはできない。
他の鍛冶師に手伝いを頼むこともできない。
剣を打つには阿吽の呼吸が絶対に必要で、いくら腕の良い鍛冶師でも、これだけは長年一緒に働かないと不可能だそうだ。
「残ってるやつらは未熟者でな。あいつらのようになるまで何年かかるか。
ったく。あいつらを育て上げるのに、どれだけ時間をかけて苦労したことか。あいつらには才能があった。まだ若くて将来もあった。これからって時だったんだ。それなのによぉ……」
涙こそ流さなかったムドゥマさまだが、その声には悲しみが滲んでいた。
「……申し訳ありません」
私がミサキチの話を聞いていれば、なんとかなったかもしれないのだ。
ムドゥマさまは私が謝ったことを当然理解できずに、
「あ? ああ、すまねえ。あんたたちを責めてるみたいになっちまったな。
謝るのは俺の方だ。せっかく来てくれたのに、剣を打てなくなっちまったんだから。
それにしても、いったい何が起きたってんだ? 魔王が復活したとかっていう話を聞いたが、そいつの仕業か?」
その可能性は私も考えた。
魔王バルザックがカノイ皇国を混乱させるために、破滅の剣ベルゼブブを抜き、餓鬼魂を解放したのではないかと。
だけど、バルザックの目的は、一応は人間を滅ぼすことではなく、人間を支配すること。
惨事がどこまで広がるか分からない餓鬼魂を使うとは思えない。
それに餓鬼魂は食べられる物はなんでも食べる。
好んで人間を餌食にするが、その人間を食い尽くせば、次はほかの生き物へ標的を変える。
つまり、魔物も。
魔物を救うことを目的としている彼女が、魔物にまで危険が及ぶことをするだろうか。
魔王バルザックの仕業である可能性が全くないわけではないけれど、とても低いと思う。
「破滅の剣ベルゼブブを抜いたのはいったい誰なの?」
私は疑問を呟いた。
答えられる人は誰もいないと分かっていたけれど。
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