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一章
91・胸の奥がザワザワする
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「とにかく、武闘祭までこの国に滞在するしかないが、皇帝城は危険だろう。兄がなにをするか分からない。俺だけではない。君たちにも」
私たちはもちろん、ラーズさまも街で宿をとることにした。
「そうと決まれば、こんなところ早く出よう」
ラーズさまは実家とも言える皇帝城にいることが嫌なようで、早く出たがった。
しかし、突然の来客で少し延期になった。
ラーズさまのお母さまである皇后さまだ。
「ラーズ、久しぶりね」
「母上」
皇后さまは次に私たちに軽く会釈すると、
「みなさん、息子が世話になっております」
そしてラーズさまの手を取ると、
「ラーズ、帰ってきてくれて嬉しいわ。もうどこにも行かないでね」
「いいえ、母上。俺には目的があります。そして目的はまだ達成していません」
「では、また国を出ると言うことなの?」
「はい」
皇后さまはしばらく沈黙していたけど、深く呼吸をして、
「わかったわ。貴方はもう大人なのだもの。自分の道は自分で選ぶのよね。でも、忘れないで。母はいつまでも貴方の帰りを待っていると」
「分かっています、母上」
皇后さまは、皇帝やライザーさまと違って、ラーズさまに純粋な肉親の情を持っている。
よかった。
この国にラーズさまを愛してくださる人がいて。
皇后さまはラーズさまに、
「でも、すぐに出立するのではないのでしょう。少なくとも武闘祭が終わるまで、ここにいるのよね。今日は母が食事を作るわ。貴方の好物、たくさん作ってあげる」
「いえ、母上。皇帝城には泊りません。街で宿をとります」
「え? どうして?」
「その……旅の仲間と一緒にいたいのです」
実の兄になにかされるかもしれないから、とは言えないのだろう。
皇后さまにとってライザーさまも息子の一人だ。
皇后さまはそんなラーズさまの心情に気付かないようで、
「そう。お友達と一緒にいたいのね。ふふ、母は嬉しいわ。貴方にお友達ができたなんて」
そして皇后さまは私たちに、
「息子の事をよろしくお願いします」
と頭を下げてきた。
「はい! 任せてください! ラーズさまは私がお守り致します!」
私は思わず大きな声で返事をしてしまった。
ラーズさまは左右非対称の奇妙な顔をして、
「いや、最初は俺が君を守ると約束したはずなんだが……」
皇后さまが口元を押さえて、なぜだか眼を嬉しそうに輝かせた。
「ラーズ。貴方、この麗しい女性を守ると約束したのですか?」
ラーズさまは、しまった、というような感じの表情になり、
「いえ、あの……その……」
しどろもどろになった。
どうしたんだろう?
皇后さまは慈愛に満ちた笑みで、
「そう。そうなの」
と、なにかを納得した様子。
いったいなんなんだろう?
「母上、今日の所はもうこれで。さあ、みんな出よう」
ラーズさまはこれ以上、皇后さまと私たちを、話させたくないと言った風に促す。
本当にどうしたんだろう?
「みなさん、改めて息子をよろしくお願いします」
「ラーズさま。もっとお母さまとお話しされれば良かったのに」
私は廊下を歩いている時にラーズさまにそう言った。
「いや、いいんだ。この国にいる間はいつでも会えるから」
ラーズさまはなにかを誤魔化そうとしているような気がする。
私はもう少し追求しようかどうか考えていると、ラーズさまに声をかけてきた人が現れた。
「ラーズさま」
「リコレッティ」
そこには金の髪に青色の瞳の、十五歳ほどの少女がいた。
小柄で線が細く、怯えた小動物の様な、庇護欲を刺激する儚げな印象を受ける。
少女はラーズさまに駆け寄ると、
「ラーズさま、お久しぶりでございます。わたくし、貴方にずっとお会いしたかった」
ラーズさまは困った顔になり、
「どうして君がここに?」
「お父さまから聞きました。ラーズさまが帰ってくると」
「ストラウス大公爵が……」
少女はわたしたちを見ると、少し怯えた目だが、自己紹介をする。
「わたくしリコレッティ・ストラウスと申します」
私たちも自己紹介する。
リコレッティさまはラーズさまに、
「この方々はラーズ様のお友達ですか?」
「そうだ。旅の仲間だ」
ラーズさまが肯定する。
リコレッティさまは怯えが薄くなり、
「それでしたら、わたくしにとってもお友達ですわ。みなさま、仲良くしてください」
私たちに淑女の礼をとると、改めてラーズさまに、
「ラーズさま、どうして国を出る時、わたくしに黙って行ってしまわれたのですか?」
「君に説明する必要はないだろう」
「どうしてそんな寂しいことをおっしゃるのですか? わたくしはラーズさまの事が知りたいのです」
「そんなことを言ってはいけない、リコレッティ」
「わたくしのことはリコとお呼びくださいと、なんども言っているではありませんか。どうしてリコと呼んでくださらないのですか?」
「君は兄の婚約者だ。俺と親しくしてはいけない」
ライザーさまの婚約者?
「ですがわたくしは……」
「リコレッティ、それ以上言うな。とにかく俺は君を愛称で呼ぶ気はない」
ラーズさまは少女の願いを断る。
その断言に少女は少なからず衝撃を受けたようで、悲痛の表情だった。
「では、せめて会いに来てもよろしいでしょうか? お願いします。会うだけでもいいのです」
「……会いに来るだけなら構わないが」
ラーズさまが折れると、リコレッティさまは顔を輝かせて、
「ありがとうございます、ラーズさま。これから毎日、会いに来ますね」
そして儚げな少女と別れた。
「今の方は?」
私の質問にラーズさまは答える。
「リコレッティ・ストラウス。ストラウス大公爵の一人娘で、兄の婚約者だ」
ストラウス大公爵はアスカルト帝国で強い発言権を持つ人物だそうだ。
大きな領地を持ち、統治も順調。
帝国の氏族諸侯も一目置いていると言う。
その一人娘であるリコレッティさまを、多くの氏族諸侯が自分の息子の婚約者にしようと画策していたそうだが、皇帝の命令でライザーさまの婚約者に決まったと言う。
「ライザーさまの婚約者なのですね」
「そうだ」
でも、あの子はラーズさまを慕っていた。
リコレッティさまが心に想う人は、婚約者のライザーさまではなく、明らかに弟のラーズさまだ。
なんだろう。
胸の奥がザワザワする。
ラーズさまを大切に想う人がいるのは良いことのはずなのに、不愉快になってる。
どうして、こんな気持ちになるのかな?
……ああ、そうか。
そうだったんだ。
私はいつの間にか、ラーズさまを自分のものの様に思ってたんだ。
ラーズさまが他の誰かのものになるのが嫌なんだ。
ラーズさまが誰のものになるのかは、ラーズさま自身が決めることなのに。
私とラーズさまはただの旅の仲間なのに。
私、嫌な女だ。
自分の思い込みで、一途な女の子を不愉快に思うなんて。
こんな気持ち消してしまわないと。
……でも、少しだけなら良いよね。
私はラーズさまの腕を組んだ。
ラーズさまは一瞬、緊張したように体が硬直して、私に聞いてくる。
「……どうしたんだ?」
「すみません。しばらくこうしてもいいですか?」
「……かまわない」
「ありがとうございます」
私はラーズ様のぬくもりをもっと感じたくて、力を込めた。
他の三人は、クレアがラーズの腕を組んだ様子を、にやにやと見ていた。
「クレアちゃん、積極的になってきたわ」
「うむ。儚げな少女がラーズ殿下を慕っているのは明白であったからな」
「恋のライバルと思って乙女心を刺激されたんだな」
後ろで三人が何か言ってるけど、私は聞いていなかった。
ラーズさまの腕の感触を確かめたくて、ただ強く力を込める。
「クレア、もう少し力を緩めてくれないだろうか」
「お願いします。こうさせてください」
「だが、人間の肘関節はそっちの方向には曲がらないんだ」
「お願い、少しの間だけ」
「いや、このままでは肘関節が曲がってはいけない方向に曲がってしまう」
「もう少しだけ、このまま」
「俺の話を聞いてくれ。本格的に痛くなってきた。なんか関節がミシミシと嫌な音を」
私たちはもちろん、ラーズさまも街で宿をとることにした。
「そうと決まれば、こんなところ早く出よう」
ラーズさまは実家とも言える皇帝城にいることが嫌なようで、早く出たがった。
しかし、突然の来客で少し延期になった。
ラーズさまのお母さまである皇后さまだ。
「ラーズ、久しぶりね」
「母上」
皇后さまは次に私たちに軽く会釈すると、
「みなさん、息子が世話になっております」
そしてラーズさまの手を取ると、
「ラーズ、帰ってきてくれて嬉しいわ。もうどこにも行かないでね」
「いいえ、母上。俺には目的があります。そして目的はまだ達成していません」
「では、また国を出ると言うことなの?」
「はい」
皇后さまはしばらく沈黙していたけど、深く呼吸をして、
「わかったわ。貴方はもう大人なのだもの。自分の道は自分で選ぶのよね。でも、忘れないで。母はいつまでも貴方の帰りを待っていると」
「分かっています、母上」
皇后さまは、皇帝やライザーさまと違って、ラーズさまに純粋な肉親の情を持っている。
よかった。
この国にラーズさまを愛してくださる人がいて。
皇后さまはラーズさまに、
「でも、すぐに出立するのではないのでしょう。少なくとも武闘祭が終わるまで、ここにいるのよね。今日は母が食事を作るわ。貴方の好物、たくさん作ってあげる」
「いえ、母上。皇帝城には泊りません。街で宿をとります」
「え? どうして?」
「その……旅の仲間と一緒にいたいのです」
実の兄になにかされるかもしれないから、とは言えないのだろう。
皇后さまにとってライザーさまも息子の一人だ。
皇后さまはそんなラーズさまの心情に気付かないようで、
「そう。お友達と一緒にいたいのね。ふふ、母は嬉しいわ。貴方にお友達ができたなんて」
そして皇后さまは私たちに、
「息子の事をよろしくお願いします」
と頭を下げてきた。
「はい! 任せてください! ラーズさまは私がお守り致します!」
私は思わず大きな声で返事をしてしまった。
ラーズさまは左右非対称の奇妙な顔をして、
「いや、最初は俺が君を守ると約束したはずなんだが……」
皇后さまが口元を押さえて、なぜだか眼を嬉しそうに輝かせた。
「ラーズ。貴方、この麗しい女性を守ると約束したのですか?」
ラーズさまは、しまった、というような感じの表情になり、
「いえ、あの……その……」
しどろもどろになった。
どうしたんだろう?
皇后さまは慈愛に満ちた笑みで、
「そう。そうなの」
と、なにかを納得した様子。
いったいなんなんだろう?
「母上、今日の所はもうこれで。さあ、みんな出よう」
ラーズさまはこれ以上、皇后さまと私たちを、話させたくないと言った風に促す。
本当にどうしたんだろう?
「みなさん、改めて息子をよろしくお願いします」
「ラーズさま。もっとお母さまとお話しされれば良かったのに」
私は廊下を歩いている時にラーズさまにそう言った。
「いや、いいんだ。この国にいる間はいつでも会えるから」
ラーズさまはなにかを誤魔化そうとしているような気がする。
私はもう少し追求しようかどうか考えていると、ラーズさまに声をかけてきた人が現れた。
「ラーズさま」
「リコレッティ」
そこには金の髪に青色の瞳の、十五歳ほどの少女がいた。
小柄で線が細く、怯えた小動物の様な、庇護欲を刺激する儚げな印象を受ける。
少女はラーズさまに駆け寄ると、
「ラーズさま、お久しぶりでございます。わたくし、貴方にずっとお会いしたかった」
ラーズさまは困った顔になり、
「どうして君がここに?」
「お父さまから聞きました。ラーズさまが帰ってくると」
「ストラウス大公爵が……」
少女はわたしたちを見ると、少し怯えた目だが、自己紹介をする。
「わたくしリコレッティ・ストラウスと申します」
私たちも自己紹介する。
リコレッティさまはラーズさまに、
「この方々はラーズ様のお友達ですか?」
「そうだ。旅の仲間だ」
ラーズさまが肯定する。
リコレッティさまは怯えが薄くなり、
「それでしたら、わたくしにとってもお友達ですわ。みなさま、仲良くしてください」
私たちに淑女の礼をとると、改めてラーズさまに、
「ラーズさま、どうして国を出る時、わたくしに黙って行ってしまわれたのですか?」
「君に説明する必要はないだろう」
「どうしてそんな寂しいことをおっしゃるのですか? わたくしはラーズさまの事が知りたいのです」
「そんなことを言ってはいけない、リコレッティ」
「わたくしのことはリコとお呼びくださいと、なんども言っているではありませんか。どうしてリコと呼んでくださらないのですか?」
「君は兄の婚約者だ。俺と親しくしてはいけない」
ライザーさまの婚約者?
「ですがわたくしは……」
「リコレッティ、それ以上言うな。とにかく俺は君を愛称で呼ぶ気はない」
ラーズさまは少女の願いを断る。
その断言に少女は少なからず衝撃を受けたようで、悲痛の表情だった。
「では、せめて会いに来てもよろしいでしょうか? お願いします。会うだけでもいいのです」
「……会いに来るだけなら構わないが」
ラーズさまが折れると、リコレッティさまは顔を輝かせて、
「ありがとうございます、ラーズさま。これから毎日、会いに来ますね」
そして儚げな少女と別れた。
「今の方は?」
私の質問にラーズさまは答える。
「リコレッティ・ストラウス。ストラウス大公爵の一人娘で、兄の婚約者だ」
ストラウス大公爵はアスカルト帝国で強い発言権を持つ人物だそうだ。
大きな領地を持ち、統治も順調。
帝国の氏族諸侯も一目置いていると言う。
その一人娘であるリコレッティさまを、多くの氏族諸侯が自分の息子の婚約者にしようと画策していたそうだが、皇帝の命令でライザーさまの婚約者に決まったと言う。
「ライザーさまの婚約者なのですね」
「そうだ」
でも、あの子はラーズさまを慕っていた。
リコレッティさまが心に想う人は、婚約者のライザーさまではなく、明らかに弟のラーズさまだ。
なんだろう。
胸の奥がザワザワする。
ラーズさまを大切に想う人がいるのは良いことのはずなのに、不愉快になってる。
どうして、こんな気持ちになるのかな?
……ああ、そうか。
そうだったんだ。
私はいつの間にか、ラーズさまを自分のものの様に思ってたんだ。
ラーズさまが他の誰かのものになるのが嫌なんだ。
ラーズさまが誰のものになるのかは、ラーズさま自身が決めることなのに。
私とラーズさまはただの旅の仲間なのに。
私、嫌な女だ。
自分の思い込みで、一途な女の子を不愉快に思うなんて。
こんな気持ち消してしまわないと。
……でも、少しだけなら良いよね。
私はラーズさまの腕を組んだ。
ラーズさまは一瞬、緊張したように体が硬直して、私に聞いてくる。
「……どうしたんだ?」
「すみません。しばらくこうしてもいいですか?」
「……かまわない」
「ありがとうございます」
私はラーズ様のぬくもりをもっと感じたくて、力を込めた。
他の三人は、クレアがラーズの腕を組んだ様子を、にやにやと見ていた。
「クレアちゃん、積極的になってきたわ」
「うむ。儚げな少女がラーズ殿下を慕っているのは明白であったからな」
「恋のライバルと思って乙女心を刺激されたんだな」
後ろで三人が何か言ってるけど、私は聞いていなかった。
ラーズさまの腕の感触を確かめたくて、ただ強く力を込める。
「クレア、もう少し力を緩めてくれないだろうか」
「お願いします。こうさせてください」
「だが、人間の肘関節はそっちの方向には曲がらないんだ」
「お願い、少しの間だけ」
「いや、このままでは肘関節が曲がってはいけない方向に曲がってしまう」
「もう少しだけ、このまま」
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