久遠の玉響

神泉灯

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三十一話

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 静寂が訪れた夜。
 周囲に展開していた兵士たちが集まっていた。
 ホウロがカイウに肩を借りている。
 満身創痍のフェイアとコウライ。
 全ての目が、二人に向けられていた。
 リョホウとメイリン。
 寄り添うように佇む二人は、いつもと変わらず、しかし明らかに異なった姿でもあった。
「不死の霊薬の正体は、こういうことだったんだね」
 フェイアが静かに告げる。
 その意味を理解した者はどれだけいるだろうか。
「どういう意味だい?」
 槍を杖代わりにして立つコウライが訊ねた。
 リョホウかフェイアか、誰に尋ねたのか明確ではなかったが。
 ただ、誰も答えなかった。
「元に戻れるんだろ?」
 ホウロが懇願するように訊いた。
 なにを使ったのかはわからない。
 しかし薬師のリョホウのこと、門派の秘薬を使ったことは容易に想像がつく。
 その理由も、きっとゴウエンと妖魔を倒すためだということも。
 ならば戻る方法も、リョホウは知っているはずだ。
 リョホウは沈黙していた。
 それが答えだった。
 村の方角から喧騒が届いた。
 武装した村人が、遠くから戦いの様子を見て、ついに参戦を決意したのだ。
 戦いがすでに終わったことにも気付かず、幾人もの犠牲を生んだ妖魔を滅ぼすために、憎悪と敵意を剥き出しにして、多くの村人が突進してくる。
 ホウロとカイウは焦る。
 村人達は誤解したままだ。
 メイリンが妖魔であるのは間違いないが、しかし一連の事件の犯人ではなかったのだ。
 だが今の村人には、メイリンは妖魔喰いと一緒に村人を喰い殺した邪悪な妖魔であり、リョホウの状態を見られれば、間違いなくリョホウも謀っていたのだと断じられるだろう。
 しかしリョホウは焦ることもなく淡々と告げる。
「行こう、メイリン」
 この場を無事切り抜けるには、今のうちに逃げるしかないだろう。
 そして二度とこの村に戻ることはできない。
 人喰いと共に暮らせることなど人間にはできるはずがない。
「待て、なんとかする。みんなを説得する!」
 ホウロが引き止めるが、しかし村人がもし冷静だったとしても、結果が変わらないことはわかっていた。
 なにより、メイリンが。


「どうして?」
 メイリンの短い疑問。
 こうなることをリョホウにわからないはずがない。
 人間ではなくなった今では、全て事情を話しても、村人たちはけして信じないだろう。
 リョホウもまたメイリンと同じだったのだと、その敵意と殺意を向けられることになる。
 リョホウはもうこの村には居ることはできない。
 この村からだけではなく、あらゆる人間の世界からも、そして妖魔の世界からも、逃げ続けることになる。
「どうして私のために?」
 どうして二度と戻れないことを知っていながら、人間であることを止めたのか。
 どうして当然のように、尊敬を集め第二の故郷として育った村を捨てるのか、
 その意味をなにより、リョホウ自身が理解していた。
 リョホウは優しい微笑と共に告げる。いつもと変わらぬ、世界で最も愛する妻への微笑み。
「君が好きだから」
 その手にもう一度触れることを望み、それが叶うと二度目を願い、三度目にはもう離すことなどできなかった。
 メイリンはリョホウを抱きしめた。
 二度と放さないと、二度と離れないと誓って。
 リョホウはメイリンを抱えると飛翔した。
 三日月の明かりの下、二人は小鳥になり、小さな翼を広げる。
 山脈の向こう、遥か空の彼方へ飛び去って。


「バカな。人間と一緒になれるものか」
 タカモクは理解できないことを受け入れられずに、吐き出すように嘆きの言葉を吐く。
 このことは妖魔王に伝える。
 メイリンは妖魔喰いと同じく、律破りとして妖魔王から処分が下されるだろう。
 三大禁忌を犯したものは、たとえ娘だろうとも、妖魔王は断罪する。
 追っ手が放たれ、遠からずメイリンは抹殺される。
 妖魔になったとはいえ、元は人間であるリョホウも同じ運命を辿るだろう。
 村人の怒声が接近する。
 多くの村人が松明と武器を手に走ってくる。
「く」
 タカモクは周囲を見渡し、この場にとどまるのは危険だと、空へ飛んだ。


 その姿を見送ったコウライは、フェイアに尋ねる。
「追いかけなくていいのかい?」
 フェイアは静かに首を振る。
「もう、戦えないよ」
 妖魔喰いで力を使い果たした。
 体の怪我も酷い。コウライも同じ状態だ。
「そうだね」
 コウライはその場で大の字になって大地に横たわった。
 疲労が心身にまで達している。
 村人たちが到着し妖魔の姿を探しても、そこには人間しか残されておらず、空に消えた妖魔の姿を見たものが、その憤怒を闇夜の空へ発しても、ただ霧散するだけだった。
 兵士が事後処理に当たり始めた。
 しかし彼らも、村人も、どれだけのこと理解するのか、すべてを知っている者がいるのか。
 ゴウリュウの様態を兵士の一人が診ていた。
「ああ、う、あ……」
 酷い状態だがかろうじて生きている。
 だが齢を百年も重ねたようなゴウリュウは、生きる気力を根こそぎ奪われたように、虚ろな瞳でなにも見ていない。
 カイウは酷く取り乱し、頭を抱えて何事か呟き続けている。
「俺のせいだ。俺のせいだ……」
 ホウロが呆然と夜空を見上げ続けていた。
「……リョホウ。メイリン」
 終わったことは理解できても、すべてを理解してはいない。
 虚脱状態のようにただ夜空を見続ける。
 村人達の妖魔へ向けられる怒りだけが、祭りの騒ぎのように虚しく続いた。


 フェイアは胸中自問する。
 この事件はいったいなんだったのだろうか。
 人間が同じ人間を喰い物にし、血を分けた者でさえ落としいれた。
 妖魔が力を得るために同族を喰い殺した。
 それなのに、妖魔が人間に恋し、人間が妖魔のために全てを捨てた。
 人間ではなくなったリョホウ。
 妖魔から離れたメイリン。
 人間からも、妖魔からも、敵と見なされることになる二人は、これから先お互いだけしかいない。
 妖魔でありながら人間と一緒になったメイリンも、妖魔のために人間であることを止めたリョホウも、永遠の命を持ちながら、おそらく人の一生より短くその命を終えるだろう。
 二人はそのことを誰よりもよく理解していたはずだ。
 それでも、二人はお互いと一緒にいることを願った。
 最後のその瞬間まで、その手を放さないことを選んだ。
 二人の思いは短くも永遠にして。
 久遠の玉響のように。
 コウライはフェイアだけに聞こえるように呟いた。
「どうしてかな? なんだか二人が羨ましいよ」


 その後のリョホウとメイリンの行方はようとして知れない。


   結

 少年は小鳥に餌を与えている。
 山の中で拾った怪我をしていた小鳥は、見る間に治り、今ではすっかり元気になっていた。
「もう大丈夫だね。明日、山へ帰してあげるよ」
 小鳥は少年の言葉を理解しているのか、一声可愛らしく鳴いた。
 少年の祖父が傍らで様子を見ていた。
「しかし、そいつは山へ帰れるかな? おまえに懐いて離れないだろう」
 小鳥は籠の中に入れられているわけでもないのに逃げることなく、少年の指に乗って、少年の手の平の餌をついばむ。
 野生の鳥がこれほど人に懐くのは珍しい。
 普通は警戒して籠から出た途端逃げ出すものだ。
「そうかもしれないね」
 小鳥は再び一声鳴いた。元気であることを見せたいのか、翼を羽ばたかせて。
「大丈夫だよ、きっと。ちゃんと一人でも飛べるさ」
 小鳥は再び餌をつつき始めた。
「それに、もしここにいたいのなら、ずっといるといい」
 小鳥は少年の肩へ飛び移った。
 そして少年の頬に体を摺り寄せる。
「くすぐったいよ」
 少年は笑う。
 それはまるで頬を少女に口付けされたような。
 小鳥は再び少年の指に戻る。
「君の行きたい所へ行くといいよ」
 小鳥は少年の瞳を見つめていた。
「どこまでも自由にね」


   終
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