久遠の玉響

神泉灯

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二十九話

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「メイ……リン……」
 リョホウが霞む視界の中で、メイリンを探した。
 しかし体が思うように動かない上、破壊された家屋が妨害している。
「リョホウ……リョホウ!」
 カイウがリョホウの傍らに駆け寄り、様態を見る。
 リョホウの上にかぶさった材木を払ってやり、そして改めて傷口を見るが、酷い状態だ。
 メイリンが妖魔の力で治癒しようとしていなかったら、とうに死んでいただろう。
「カ……カイ……ウ……」
 リョホウはかすれるような声でカイウを呼ぶ。
「なんだ? リョホウ、なにかできることがあるか?」
 カイウはリョホウの口元に耳を寄せた。
「……引き出し……くす、り」
 聞き取りにくいかすかな声を辛うじて聞き取る。
「奥の棚の引き出しにある薬。禁止って書いてあるんだな」
 リョホウはわずかに頷いた。
 カイウはすぐに探し始めた。奥の部屋の薬剤室の棚を探る。
 引き出しに引っかかっている瓦礫を退かし、開けると、禁止という張り紙がされた小瓶があった。
「こいつか?」
 意外と簡単に発見できた。
 本当にこれで合っているのだろうか。
 確認するにはリョホウに聞くしかない。
「リョホウ、こいつか?」
 差し出して見せると、リョホウはそれを受け取ろうとする。しかし腕は少し上がっただけで、それ以上動かない。
 カイウはそれを悟り、代わりにどうすればいいのか訊く。
「塗るのか? 違う? 飲ませればいいのか?」
 微かに頷く動作。
 飲み薬か。
 カイウは小瓶の蓋を開け、リョホウの口元へ。
 液薬が口に入り、リョホウは嚥下した。


 ゴウリュウは這いずるようにして戦いの場から逃げ、安全な場所を求めて、自然と近くにある唯一の建物である、リョホウの家に向かった。
 崩れかけたそこが必ずしも安全ではないのだが、しかし彼は冷静から程遠い状態であり、正常な判断などとてもできなかった。
 リョホウが戸口から現れた。
 力が入らないのか、柱に体を預けている。
 だが彼の傷では、そもそも立つことさえ不可能のはずだった。
 だが、その不可解さを考えることのできないゴウリュウは甥にすがりつく。
「リョ、リョホウ。助けて。頼む、助けてくれ」 
 リョホウは返事をしなかった。
「わしが悪かった。な、許してくれ。だから頼む。匿ってくれ」
 見上げてみても、その俯いた顔は月明かりから逃れて陰になり、表情は見えない。
「リョホウ?」
 見えるのは、その瞳の鮮血のように紅く禍々しい眼光。
「ひっ!」
 ゴウリュウが悲鳴を上げた時にはすでに遅かった。
 その手がゴウリュウの首を掴み、ねじり上げるようにして持ち上げた。
 豊かな生活と美食に溺れた不摂生によって、通常の二倍以上ある体重のゴウリュウを、片手で。
「うご、が。やめ、て、くれ」
 ゴウリュウの欲望の塊であるかのような肉が、見る間に萎んで痩せ細っていく。
 苦悶に身を震わせ、呻き声を上げ、皮膚に皺が寄り、髪は急速に白くなり、百を超える老人のように変わり果てる。
 リョホウが手を離すと、即乾物のようになったゴウリュウが力なく崩れ落ち、そのまま動かなくなった
 半壊した家の中では、カイウが怯えて震えていた。
「リョホウ、なにを? おまえ、なにを使ったんだ?」


 妖魔喰いにホウロが空へ向けて投げ捨てられた。
 やがて落下してくるホウロを、リョホウは軽く跳躍して受け止めた。
 ホウロは一瞬地面に激突したのかと思ったが、しかし衝撃はそれほど強くなく、すぐに誰かが受け止めたのだと気付いた。
 地面に下ろされたホウロは、自分を助けたのが友人なのだとわかり、しかしその眼に愕然とする。
「……リョホウなのか?」
 人の形をしている。
 だが人ではなくなっている。
 その顔貌は昨日となにも変化はないはずなのに、決定的に異なっていた。
 直感的に、人間というより生物的な本能に基づいた、自らと同じ種であるかどうかを見分ける能力で、理論理性を抜きにして、結論だけが明確に認識できた。
 人の形をしていながら、人ならざるもの。
「妖魔」


 リョホウの祖父、リョゲンは門派に伝わる禁薬を教えた。
 不死の霊薬。
 同時にその正体も。
 不死とは病に他ならない。
 死なないなど自然の摂理に反し、摂理に反すれば苦しみが訪れる。
 不死とは人間にとって最悪の病なのだ。
 だからこそ、不死の霊薬は禁忌とされた。
 だが、時としてそれが必要な時があるかもしれない。
 自然の摂理に反してでも、行わなければならない事態が訪れた時、不死になることで対処に当たる。
 死ぬほどの苦しみを、生きたまま味わうことになっても。
 だからこそ、不死の霊薬は禁忌とされながらも、伝えられ続けてきた。
 不死の霊薬を最初に考えた者は誰なのか、最初にその処方を編み出した者が誰なのか、その名は誰も知らない。
 ただ、彼は今も存在している。
 正体を知る者はなく、どこから来たのか憶えている者はなく、名も伝えられていない。
 だが、その存在だけは誰もが知っている。
 この世ならざる者たちに君臨する者として。
 妖魔王。
「不死になるということは、妖魔になることだ」
 最初にして最強の者と同じに。


 リョホウが妖魔喰いへ向かって跳躍した。
 メイリンを捕えている腕を、どのような力を使ったのか、通りすがりざま切断し、落下するメイリンは、通過していたはずのリョホウが受け止めた。
 少し遅れて、妖魔喰いの腕が地面に落ちる。
「GUAAAA!」
 悲鳴を上げて腕を抑える妖魔喰いは、下半身の無数の触手をリョホウへ繰り出した。
 リョホウはメイリンを抱えたまま疾走してそれらを避ける。
 だが最後の一本がリョホウの腕を捕らえた。
 腕の中のメイリンが大きく揺れる。
「てめえ、俺とやろうってのか!」
 ゴウエンが、立ち向かうことさえ不遜だというような蔑みからくる怒りを滲ませ、触手の力を強めていった。
 だが次の瞬間には、その触手は根元から切断されていた。
 リョホウではなかった。
 コウライだ。
「あとで説明してもらうよ」
 刀剣を妖魔喰いに構えなおしたコウライは、先に受けた負傷箇所に、フェイアの術が染み込んだ札が張られ治癒されていた。完全ではないが、動くことはできる。
「きぃ、貴様ぁああ!」
 妖魔喰いがコウライへ残った腕を伸ばした。
 だが手が届くか否かのところで、腕が弾き飛ばされる。
「印《イン》!」
 フェイアが残力を振り絞り、攻撃術を行使する。
 衝撃波で腕をはじき、そして雷撃で打ち据える。
 これが最後。
 フェイアは胸中呟く。
「急々如律令《キュウキュウニョリツリョウ》!」
 妖魔の体が紅蓮の火炎に包まれた。
「GiaaAaA!」
 妖魔喰いは悲鳴を上げ、その体を焼く焔は夜の闇を紅く照らす。
「HUN!」
 だが、気合の声と共に、火炎が散った。妖魔喰いの皮膚は焼け爛れていたが、しかし内部まで達していない。
「貴様らぁ! 皆殺してくれるわ!」
「おまえらぁ! 逆らうんじゃねぇ!」
 二つの意思が悪意をあらわにして宣告する。
 残った三つの腕を大きく広げ、腹部の顎を限界まで開いた。
 三つの掌と腹部の顎から、妖力が溢れ出し、凝縮していく。
 それは限界まで達すると、純粋なる破壊の力となって迸る。
 暗黒の塊の如き光りが溢れ、全てを破壊しようとしていた。
 もはや力を得ることなど考えていない。
 自分の思い通りにならないことに、幼い子供のように癇癪を起こし、手当たりしだい破壊しつくす。
 その力の強大さにフェイアは慄然とする。もしこの力が開放されれば、周囲一帯が焦土と化す。そして今の自分には止める力がない。
「まずてめぇらからだ!」
「まず貴様らからだ!」
 フェイアとコウライに狙いを定めた妖魔喰いは、破壊の力を放出した。
 さしものフェイアもコウライも、その瞬間は自らの死を予感した。
 しかし二人を庇うかのように、破壊をもたらす暗黒の光に立ちはだかる者たちがいた。
「リョホウ」
 フェイアがその名を呼んだ。
「メイリン」
 コウライがその名を呼んだ。
 二人は妖魔喰いへ向けて手をかざし、同時に破壊をもたらす輝く暗黒を放った。
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