久遠の玉響

神泉灯

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二十六話

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 メイリンは突然現れた見知らぬ妖魔に戸惑ったが、しかしすぐに覚った。
 こいつが村人を襲っていた妖魔だ。
 だが、なぜ突然姿を現したのか。
 しかし必要なのはこの妖魔の目的を知ることではない。
 フェイアとコウライに協力して倒すか。
 それとも逃げるか。
 協力するにしても妖魔である自分を信じるだろうか。
 逃げるにしても、この妖魔を放っておくわけにも行かない。
 迷うメイリンは、怪物が現れた牢屋に目を向ける。崩壊はリョホウのいた牢にまで及んでいた。
 現状で行うべきことは彼の無事を確認することだ。
「リョホウ!」
 名を呼んでも返事がなく、瓦礫に埋もれてしまったのか、その姿も見えない。
 瓦礫の一角が動いた。
 メイリンはその場の瓦礫をどかすと、リョホウの姿が現れた。破片と埃にまみれているが、大きな怪我はないようで、安堵の息をつく。
「……う」
 助け起こすと、意識を失っていたのか、目を閉じていたリョホウが、痛みに耐えるように呻き、目を開けた。
 そしてメイリンの姿を、異形の姿を間近で瞳に映した。
 次の瞬間、リョホウは驚愕に目を見開く。
 その表情と瞳は、メイリンの心に深く突き刺さり、彼女はなにもかもから逃げ出したい衝動に駆られた。
 だがリョホウは思いがけない行動に出た。
 メイリンの体を力任せに横へ押しやった。
 突然のリョホウの行動に、メイリンは抗うことができず壁まで転がる。
「がっ!」
 衝撃を堪える呻き声は、メイリンではなかった。
 リョホウの腹に巨大な爪が突き刺さっていた。
 怪物の触手の先端の鋭い鉤爪が、リョホウの腹部を貫いていた。
 メイリンは一瞬なにが起きたのかわからずその光景を凝視していたが、爪がリョホウの腹部から引き抜かれてようやく理解し、そして悲鳴を上げた。
「リョホウ!」
 崩れるように倒れるリョホウを、抱きしめるようにして受け止める。
 傷は腹から背に貫通している。
 呼吸はしているが、即死しなかったのが不思議なくらいで、出血が酷く、あとどれほど持つか。
「いや。いや、死なないで」
 取り乱すメイリンに、怪物の触手が再び襲いかかる。
 しかし眼前で、目に見えない刃が、触手を切断した。
 触手は本体から切り離されてもその生命力の強さを見せ付けるように、激しくのた打ち回る。
「姫! お逃げください!」
 空より舞い降りたタカモクが、メイリンと怪物の間に立つ。
 メイリンは一瞬どうするべきか悩んだ。しかしすぐにリョホウを抱えなおすと、戦いの場を離れるため跳躍した。


 怪物が飛び立つメイリンへ攻撃を加えようと、瓦礫を一つ手にして投擲しようとしたが、コウライがその腕を槍で貫く。
「甘いんだよ」
 同時に腰に佩いている刀剣で、胴体部へ抜刀ざまに切り裂いた。
 しかし、浅い。
 強靭な皮膚や筋肉の問題でもあるが、腹部に存在する巨大な顎が、通常の間合い感覚を狂わせる。
 巨大な妖魔を相手にしたことはあるが、こんな所に顎が存在しているものと戦ったことはなく、攻撃する箇所に、攻撃の箇所が存在するのは、思った以上に間合いを取り難い。
 迂闊に接近すれば牙の餌食になる。
「印!」
 フェイアが怪物の胸部へ衝撃波を加えた。
 怪物は大きく仰け反り、その隙に一旦コウライは間合いを取る。
 怪物は重心を崩して倒れるかに見えたが、寸前で踏ん張り、すぐに体勢を建て直し、周囲を睥睨するように見渡した。
 村人の大半が逃げたため静寂が訪れていた。
 突然の出現による混乱は収まり、兵士たちが臨戦態勢をとっている。
 逃げなかった何人かの村人たちも各々武器を手にして構えていた。
 怪物は体を大きく揺さぶると、巨体に似合わぬ素早さで走った。
 屋敷の高い壁を、助走をつけて跳躍し、着地の衝撃は地震のような地響きを立てたが、怪物はその勢いのまま疾走し続け、村の柵を体当たりで破壊し、夜の闇に姿を消した。
「逃げた?」
 コウライは呟いた。見渡せば、メイリンと、もう一人の妖魔の姿もない。
「無事か?」
 フェイアが声をかける。
「無事だよ。他は無事とは言えないね」
 周囲は酷い惨状となっていた。その場で喰い散らかした人間の残骸。負傷した兵士に村人。まだ生きている者も、何人かは助からないだろう。
 フェイアとコウライは彼らの手当てなどの指示を兵士に出した。
「だが、どういうことなんだ? 妖魔同士がなぜ戦った?」
 コウライは疑念をフェイアに伝える。
 メイリンと鷹に似た頭の妖魔は、明らかに仲間だ。
 姫と呼んでいたことから、なんらかの主従関係にあるのだろう。
 しかし突然現れたもう一体の妖魔は、同じ妖魔であるはずのメイリンに攻撃を加えていた。
「フェイア、あんたはメイリンがあたしの隙をついて村人を殺していたって考えてたね」
「ああ、それが?」
「そいつはちょっとおかしい。あたしが見失ったり、見ていなかった時間は確かにあったが、メイリンは完全に一人だった時間はほとんどないんだ。他の村人と一緒だったり、姿を見られている」
「つまり?」
「つまり、村人が殺された時間、メイリンに喰い殺している時間はなかったんだよ。どう考えても」
「ということは」
「ああ、一連の事件はメイリンの仕業じゃない。たぶん、例の鷹みたいな頭の妖魔でもない。おそらく最後に現れたやつが」
「そいつが、村人達を殺した本人」
 フェイアとコウライは顔を見合わせた。
 メイリンは村人を殺していない。
 鷹の顔をした妖魔も。
 怪物の姿をした妖魔は、突然現れたのではなく、そいつこそが、村人を喰い殺した妖魔であり、メイリンと鷹頭の妖魔のほうが、偶然紛れ込んでいたにすぎないということか。
「メイリンは話を聞いてくれと言っていたな」
「村人を殺していないことを伝えようとしたんじゃないか?」
「だがメイリンは、なぜ村に人間として混じっていたんだ?」
「わからないけど、あんたが言ってたように、妖魔同士で戦ってたことを考えれば……」
「妖魔同士の争い。身を隠すためか?」
 人間に化ければ妖気はまったく検出されることはない。
 それは妖魔にしても同じで、人間に変化して人間に紛れ込めば、見分けがつかなくなる。
 いかなる事態が起きているのかわからないが、身を隠すには都合が良いだろう。
 まして人間と結婚し、人を喰わずに人間に紛れていたのなら、発見は困難だ。
 事実一緒にいた自分たちでさえ、メイリンを怪しむだけでも時間がかかった。
「でも、ちょっと待てよ。あの化け物、いったいどこにいたんだい?」
 妖気は人間になれば完全に消すことが可能だ。
 しかしそれ以外の姿ならば、妖気を感知できる。
 フェイアもコウライも怪物が現れる直前まで気付かなかった。
 導き出される答えは一つ。
「あの怪物も人間に化けて村人にまぎれていたのか」
 誰にかはわからないが。
「とにかく、見つけ出さないと」
 メイリンだけではなく、この周辺にいるすべての妖魔を。



 怒りに滲ませて、友人の妻になった化け物の名を呼ぶ。
 リョホウの幸福を強く願っていたのは誰なのか、祖父であるリョゲンを除けば、おそらくホウロこそがもっとも願った者かもしれない。
 自分を堅い殻で守る沈黙の少年を、なにかと世話を焼いていたのは、生きて生まれることができなかった、自分の弟と重ねたからかもしれない。
 そしてユイハがリョホウにささやかな恋心を抱いていると知った時、嫉妬はなぜか起きず、二人が一緒になるといいのにと、自然とそう思う自分がいた。
 リョホウが一番大切にする人を見つけた時、ユイハは身を引いた。
 それは彼女もまたリョホウが一番良い人といることが幸せなのだと思ったからなのだろう。
 だが、今になってみれば、ユイハと一緒になるようもっと強く勧めるべきだった。
 リョホウだってけしてユイハのことを嫌っていたわけではないはずだ。
 自然の流れに任せようなどと悠長なことを考えず、ユイハとリョホウが永遠の誓いを結ぶように勧めていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
 ユイハは死なずにすんだ。
 自分に責任がある。
 自分を許すことなどできない。
 だが、それ以上に許せないのは、メイリンだ。
 ささやかな幸福を踏みにじった妖魔。
「ひい。ひい」
 牢の奥から誰かの声が聞こえた。
 ホウロがそこへ向かうと、まだ崩壊していない牢で、ゴウリュウが頭を抱えて震えている。
「だ、誰だ!?」
 ホウロの気配を感じたのか、驚愕と怯えで誰何する。
 だがその姿を見るが否や、獣のように這って助けを求める。
「た、助けてくれ。ここから出してくれ」
 都合のいいことを言いやがる。
 村人を喰い物にして財を成し、さらに血の繋がった甥であるリョホウまで陥れようとした。
 こんな所に閉じ込められることなど、まだ手緩い。
 その業罰はもっと厳しく受けるべきだ。
「ふざけるな。そこにいろ」
 ホウロは唾を吐きかけた。
「ひいいい!」
 その程度で、ゴウリュウには殴られたような痛みが走ったかのように、悲鳴を上げて後退る。
 ホウロはその場を立ち去ろうとしたが、もう一人閉じ込められているはずの人間の姿がないことに気付いた。
「ゴウエンはどこだ?」
 牢屋のいくつかは破壊されており、その中に入っていたとしたら、瓦礫の下か、あるいは脱走してしまったのか。
「助けてくれ。殺される。出してくれぇ!」
 喚き続けるゴウリュウに、ホウロが詰問する。
「おい、ゴウエンはどこへ行った?」
 やつだけ逃げてしまったのか。
 ゴウリュウも許せないが、ゴウエンも同罪だ。
 罪から逃れるなど、断固として認めない。
 それとも妖魔の餌食にでもなったのか。
 寧ろそのほうが、あの悪党にはふさわしい惨めな末路だ。
「こ、ここから出してくれたら答える」
「ちっ」
 舌打ちしながらゴウリュウの牢を空けてやった。
 ゴウリュウは即座に逃げ出そうとしたが、ホウロは襟首を掴んだ。
「おい、ゴウエンは?!」
「ひ、ひい。知らない。知らなかったんだ! 逃げないと。早く逃げないと!」
 知らなかった?
 科白の中に含まれた奇妙な言い回しが引っかかった。
 逃げたのかどうか知らないという意味にしては、多少混乱しているとはいえ、使い方がおかしい。
「どういう意味だ?」
「知らなかったんだ! 私はなにも知らなかったんだ!」
「だから、なにがだ!?」
「ゴウエンが妖魔だなんて私は知らなかったんだ!」
 ホウロはその意味を理解するに時間がかかった。
「……なんだと?」
 少しの戸惑いがホウロの腕の力を弱めた。
 その隙をほとんど本能的に逃さずに、ゴウリュウは襟首を掴んだ手を振り解き、全力で逃げ始めた。
「おい! 待て! どういうことだ?!」
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