久遠の玉響

神泉灯

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二十五話

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「いたぞ! 妖魔だ!」
 突然、怒号が夜空に響き渡った。
 声の主に目を向けると、巡回の兵士の一人が、メイリンを指差していた。
 仲間への伝令は村人たちにまで届き、警戒していた彼らをいっせいに屋敷へ向かわせた。
 無数の走り迫る足音に、メイリンはこれ以上この場にとどまることができないと悟り、 リョホウへ伝えるべきことを必要最小限にとどめる。
「妖魔に気をつけて。誰かはわからないけど、そいつは近くにいるはずだから。みんなが考えているとおり、誰かに成りすましている」
 人間に化ければ妖気を隠蔽できる。
 自分が行った方法を、何者かも行っているはずだ。
 だから妖魔である自分がいるにもかかわらず、その存在に気付かなかった。
 メイリンはリョホウの返事を待たずに駆け出した。
 だが十歩も進まないうちに体に凄まじい重圧がかけられた。
「う!」
 呪縛は強力で、動くことが出来ない。
「現れたな、妖魔」
 少し離れた位置にフェイアが佇んでいた。
 静かにだが、見るものを恐怖させる鋭利な眼光で。
「ハッ!」
 地面に押し付けられそうになるほどの呪縛の重圧を、メイリンは力任せに破り、屋根の上に跳躍した。
 そして改めて、あの強力な重力を加えた道士に眼を向ける。
 彼の瞳には、穏やかな優しさは微塵も残っておらず、冬の湖のように澄んだ殺気が、波一つない水面のように静かに湛えられていた。
「……フェイア道士」
「あたしもいるよ」
 逃走経路を予測していたのか、屋根の上にはすでにコウライが槍を携えて待ち構えていた。
 かつては彼女の武術がゴロツキからユイハとメイリンを救った。
 側にいて常に守っていたその武術が、今や刃を向ける。
「刃ッ」
 短い息吹と共に槍を繰り出す。
 メイリンはそれを横へ移動して避けたが、右腕に一筋の血が流れていた。
 さらに加えられる連撃を、後方へ大きく跳躍して回避し、その勢いでそのまま屋根から飛び降り、身を反転して着地した。
 しかし頭上の風の音に重なって、衣擦れが届き、メイリンは見上げる。
 真上から槍が煌く。
 コウライの追撃を、咄嗟に身をひねってかわしたが、しかし少し回避が遅く、背中が切られた。
 傷は浅いが、痛みで素早く動くことができなくなる。
 地面に突き刺さった槍を引き抜いたコウライの瞳は、灼熱の太陽のように静かに、陰りのない燦然とした闘気に満ち、温かく大らかさに満ちていた優しさは微塵も残っていない。
 二人が完全に敵と見做した、妖魔と相対する時の眼光は、これほどまでに容赦のないものなのか。
 フェイアとコウライが朝廷で妖魔討伐を専門的に請け負っている理由を、理解したような気がした。
 たとえ以前の自分、人を喰い、その力を高めていた頃の自分であっても、この二人には勝てない。
 まして今の自分は人喰いを止めたことで力が著しく低下し、妖魔の姿に戻った今となっても、人間とさしたる違いはなくなっている。
 屋敷中の兵士たちが武器を手に、少し離れた位置から、攻撃の好機を窺っている。
 フェイア道士やコウライのように戦えなくとも、牽制や、逃走を防ぐことはできると考えているのだろう。
 そして彼らは自分たちが思っている以上に勇敢だ。
 妖魔を目のあたりにしても、恐れで竦み上がる者はいなかった。
 何人かの村人が、外壁の出入り口から慌ただしく現れた。
 屋敷の内側を偵察しに中に入ってきたのだろう。
 壁の向こう側から喧騒が届き、無数の松明の明かりが見える。
 その様子からしてすでに屋敷の周囲は村人が包囲している。
 逃げ道が絶たれた。
 死を予感する。
 だが今ここで殺されるわけにはいかない。
 この村には自分以外の妖魔が存在し、そいつこそが村人たちに害を与えているものだ。
 その妖魔をなんとかする前に殺されてしまったら、リョホウの身に危険が残ったままだ。
「お待ちくださいませ、コウライさま」
 メイリンの願いに、コウライは攻撃の手を緩めなかった。
 一呼吸の間に十を超える鋭い突きを繰り出してくる。
 後退しつつ槍の連突を回避するが、それもいつまで持つか。
「私ではありません。お願いです、話を聞いてください」
 攻撃の手が止まった。
 メイリンは話を聞いてくれるのかと期待したが、だが背後の気配で望みが絶たれたことを知った。
 フェイアが後方で佇んでいた。
 静かなるその姿は、絶大なる術をいつでも使える状態でもあった。
 フェイアが背後に、前方はコウライ。
 周囲には兵士、村人。
 ホウロの姿もあった。
 全員が武器を持ち、殺気立っている。
 メイリンを殺すことに躊躇いはないだろう。
 助かる方法はない。
 ここで終わる。
 これで終わる。
 リョホウの顔が見たかった。


 フェイアとコウライ、そしてメイリンは、突然視線をまったく同じ方向に向けた。
 脈絡がなく唐突で、しかしその動作の一致に、周囲の者たちは戦いが再開されることを予想した。
 それは正しく、そして間違いだった。
 視線の先の屋敷の壁が、突然吹き飛んだ。
 爆薬でも仕掛けてあったのかと思うような凄まじさで破片が飛び散り、周囲の人間を巻き込む。
 数人が破片に体を打たれて打撲を負い、ある者は骨が砕けて倒れ、一人は頭に破片を受けてなにが起きたのかさえ理解できないまま即死した。
 何事かと目を向けた者たちは、崩れた壁から現れたその姿に度肝を抜かれた。
 巨大な異形。
 人間の二倍以上はある巨体に、頭部にある四つの目は爛々と赤く輝き、四つの腕は大木のように太く、腹部に鮫のような尖った牙が並んだ巨大な顎があり、下半身には足の代わりに、蛸や烏賊の様な触手が十数本も蠢いていた。
 あまりにも異様な、半ば現実味のない異形の姿に、その場の者は呆気に捕られる。
 突然現れた怪物は、巨体に似合わぬ速さで村人へ突進した。
 村人が自分の身の危険として理解した時には、巨大なその手に掴まれた。
「た、助けてくれぇ!」
 怪物に掴まれ悲鳴を上げた村人は、怪物の腹部にある、鮫のような顎を広げる腹部の口内へ放り込まれ、巨大な牙の餌食となった。
 肉が引きちぎられ、骨が砕け、鮮血が飛び散る。
「「「うわぁあああああ!!」」」
 怒りと殺気はどこへ行ったのか、恐怖に駆られた村人たちは悲鳴を上げて我先にと逃げ出した。
 自分たちが戦える存在ではないと判断したのか、それとも地獄の魔物の如き恐ろしい怪物の姿に驚愕して冷静な判断力を失ったためか。
 その間にも怪物は二人目を喰らい、三人目を手にした。


「なんだこいつは!?」
 コウライが突然現れた怪物に戸惑い、しかし次には村人を助けるために、攻撃に転じた。
「せいっ!」
 村人を掴んだ怪物の腕を、槍で狙って突き刺す。岩石のように硬質した筋肉だが、達人であるコウライならば、貫くことは十分可能だった。
「GUO!」
 怪物は痛みを感じたのか,掴んでいた村人を放したが、しかしコウライへ禍々しく朧に輝く紅い四つの目を向けた。
 憤怒が眼光に現れているように感じるのは、おそらく気のせいではない。
 やばい。
 コウライが胸中呟くと同時に、怪物は四つの拳を繰り出した。
 異なる方向からの四回連続攻撃。
「この!」
 左上段から振り下ろされた一撃目を体捌きで避け、右下から突き上げてくる二撃目を体を逸らして回避し、左側面からの三撃目を跳躍して飛び越え、真正面からの四撃目を空中で体を捻っていなした。
 だが着地まで考える余裕がなかった。
 やばい!
 横這いの状態で地面に倒れたコウライは、受身を取ったので痛手は受けなかったが、しかし体勢を立て直す暇がない。
 怪物の下半身から伸びる触手が地面を伝い、コウライの眼前に、先端の鋭い鉤爪が迫る。
「印!」
 コウライの顔面に突き刺さる寸前、怪物の頭部で爆発が起きた。フェイアの術による攻撃。
 炎と衝撃の二重攻撃は効果があったのか、怪物の攻撃の手が止まる。
「フン!」
 その隙にコウライは、丹田に気合いを発し、両腕と胴体の筋力の瞬発力だけで、十数歩分の距離まで跳躍し、空中で回転して体勢を整え、両足で着地する。
 爆煙が怪物を覆う。
 コウライとフェイアは、怪物の状態を油断なく確認する。
 あの威力ならば確実に損傷を与えられたはずだ。
 しかし、この怪物を一撃で倒せるとは思わない。
 そもそも頭部を破壊した程度で死ぬようにも思えない。
 だが、その認識さえ甘かった。一陣の風が煙を吹き消し、あらわれた怪物の頭部は、無事だった。
 通常の妖魔ならは一撃で消滅させることができる威力の術を、完全に不意打ちしたというのに耐えた。
「まずいな」
 フェイアはコウライだけに聞こえるように呟く。
 この妖魔、相当の力を持つ上位種。
 どの程度の力があるのか不明だが、上位種に分類される妖魔を相手にしたのは過去二回しかなく、そのどれもが苦戦し、多大な犠牲を払った。
 しかも、今回は兵士の数が少ない。
 自分たちだけで倒せるかどうか。
 それに、妖魔はこの一体だけではない。メイリンと、まだ姿は見せていないが、鷹の頭をしたもう一体がいる。
 三体を同時に相手にしたことは今迄なかった。
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